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Sightsong

自縄自縛日記

団地の写真

2008-05-01 23:45:52 | 写真

『週刊エコノミスト』(2008/5/13号、特集・排出権バブル、毎日新聞社)に登場しました。

高円寺に行ったついでに、「GALLERY 45-8」を覗いた。石本馨『団地巡礼 日本の生んだ奇跡の住宅様式』を展示していた。

日本全国の団地の写真を撮り集めている写真家であり、ギャラリーの壁中に貼ってあるそれらの記録には、あまり人の気配がない。それどころか、有名な、岩手県・松尾鉱山(硫黄鉱山跡)の団地廃墟の記録も、広めのスペースが割かれている。転がされた、壊れたマネキンが否応なく死のイメージを喚起していて、あまり楽しいものではない。また、ギャラリー内に置かれたソファーのカバーも団地写真のコラージュであり、かなり偏執した印象。標本的、百科事典的といえるだろうか。

また、奥の一角では、服部マミ『高度経済成長・団地』という映像を流し続けていた。コーナーを鏡にして、その3面に、8ミリから加工した映像を投影している。あえて団地という構造の表層的な気持ち悪さを顕在化させているわけであり、面白くてフィルムの質感は嬉しいが、感覚的には馴染めない。フジカZC-1000を使っているそうだ。

団地の写真といえば、北井一夫『80年代フナバシストーリー』(冬青社、2006年)だろう。もともと『フナバシストーリー』として出されていた写真群を、ギャラリー冬青での個展とあわせて再プリントしたものである。

80年代の団地には、狭いとか仮住まいだとかの悪いイメージがあったそうだが、私は田舎の子どもだったので、テレビでみた都会の住まい、といった感覚でしかない。そのころ北井一夫さんは、船橋に住んで、ライカを持って近所の団地を散歩し続けた。たとえ仮住まいであっても、そこで育った子どもたちには団地が故郷だったのだ、とする優しい眼を向けている。

「団地に育った子は、故郷がない。」
と、よく言われる。
しかし、その子供たちは、団地に幼児体験の記憶を持っている。そして、故郷を語る歳になった。
砂場、鉄棒、ジャングルジム、ブランコ、すべり台のある団地の公園。集まって、チ・ヨ・コ・レ・エ・トとかの遊びをした階段、手摺、踊り場、戸口。水遊びをした1階の水道の蛇口。並木のむこうに見え隠れする団地の夜景。高く聳えていた給水塔。古びたエレベーター。高層からの眺め。団地にあるそれぞれの眺めは、団地に育った子供たちの故郷のイメージになる。

ズミルックス35mmF1.4で撮られた、滲みのある像がたまらなくいい。この同じレンズが欲しい。誰かくれないだろうか(くれるわけがない)。

今回観た展示と比べるべきものではないかもしれないが、心のささくれを拡大されるものより、自分にはこのような写真が近くにあってほしいと思うのだった。

ギャラリー冬青に、2006年にこの写真群を観に足を運んだ。北井さんも居て、私がちょうど持っていたライカM4とズミクロン50mmF2で写真を撮ったら、逆にそのカメラで私のポートレートを撮ってくれた。私だけの北井作品、被写体がいまいちなのが悲しいが、プリントして大切に持っている。