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Sightsong

自縄自縛日記

旨い広島

2013-06-26 08:21:40 | 中国・四国

およそ2年ぶりの広島。

記者のDさんが自転車を貸してくれて、夜まであちこちを案内してくれた。もう大感謝、言ってみれば実践版・「観光コースでない広島」。

運動不足がたたり、翌日は足が猛烈に痛かった。

■ ホルモンの天ぷら

市内某所の、とある天ぷら屋。驚いたことに、カウンターの上には小さいまな板と包丁が置いてある。自分で天ぷらを小さく切り、唐辛子をたっぷりつけて食べるというわけである。

メニューにあるセンマイ、オオビャク、チギモ、ビチ、ハチノスをひととおり頼んだ。ビールとホルモン、こたえられない。遅めのランチなのに、地域の人たちが次々に入ってきた。


喧嘩をしてはいけない

■ 基町アパートの「華ぶさ」

広島復興事業のひとつであった、基町アパート(>> リンク)。中にある商店街では、営業を続ける店が少なくなっているようだ。

「華ぶさ」という渋い店で、Dさんご夫妻と、オコゼ尽くし。お頭はつつくとピクピクと動いた。刺身、肝、寿司。新鮮なだけあって、実に旨かった。頭は唐揚げになった。いくつか試してみた日本酒のうち、青森の酒「八仙」が特に印象的だった。


鯛そうめん

■ 愛友市場の「りゅう」

まもなく駅前再開発のために姿を消す愛友市場。既に立ち退いたところが多いようで、昼も夜も、開けている店は少なかった。

「りゅう」はカウンターが中心の店で、8時半頃に訪ねてみると、満席だった。そんなわけで、近くでビールを一杯ひっかけて、9時過ぎにようやくお好み焼きにありついた。

薄く生地をのばし、山盛りのキャベツ。豚肉と、イカ天(関東のイカの天ぷらではなく、広島ならではの食材)。麺、卵。

コテで小さく切り、直接食べる。切り方も大きさもシロートそのものだったようで、指導されてしまった。それにしても、旨い。どこかの駅ビルの店でいつか食べたものより、断然旨い。移転前に、もう一度来ることはできるだろうか・・・?

●参照
広島の「水主亭」


山秋真『原発をつくらせない人びと』

2013-01-04 02:32:39 | 中国・四国

山秋真『原発をつくらせない人びと―祝島から未来へ』(岩波新書、2012年)を読む。

山口県上関町の祝島における長い上関原発への抵抗の経緯が、まとめられている。政権交代により、また風向きが変わってきているいま、まずは読むべきである。

日本全国で「原発をつくらせなかった地」が、地図で示されている。これこそ共有されるべき記憶だろう。この中には、新潟県の巻町(>> リンク)も、上関を除く山口県の3箇所(>> リンク)も含まれている。

●参照
○長島と祝島 
>> リンク
○長島と祝島(2) 練塀の島、祝島 >> リンク
○長島と祝島(3) 祝島の高台から原発予定地を視る >> リンク
○長島と祝島(4) 長島の山道を歩く >> リンク
○既視感のある暴力 山口県、上関町 >> リンク
○眼を向けると待ち構えている写真集 『中電さん、さようなら―山口県祝島 原発とたたかう島人の記録』 >> リンク
○『これでいいのか福島原発事故報道』 >> リンク (上関の原発反対運動について紹介した)
○1996年の祝島の神舞 『いつか 心ひとつに』 >>
リンク
○内田康夫『赤い雲伝説殺人事件』 寿島=祝島、大網町=上関町 >> リンク
○纐纈あや『祝の島』 >> リンク
○山口県の原発 >> リンク
○『これでいいのか福島原発事故報道』 >> リンク


降旗康男『あなたへ』

2012-11-24 23:54:46 | 中国・四国

シンガポールに向かう機内で、降旗康男『あなたへ』(2012年)を観る。

妻に先立たれた刑務官(高倉健)。残された手紙に従って、富山から、妻の故郷である長崎県まで自動車での旅に出る。

映画のつくりとしては、さほど凝ったものではない。説明過多なところもあり、もう少しスマートに作ってほしかった。

しかし、何と言っても憧れの健さんである。ひとつひとつの立ち居振舞がグッとくる。こんな人になりたいなどと昔から妄想していたが、所詮はキャラ違い、永遠にムリだろうね。

関門海峡を見おろす下関の火の山で、ビートたけし演じる車上荒らしの男と立ち話を交わす場面がある。わたしの故郷の近く、とても懐かしい。男は、「旅と放浪の違い」について語る。目的があるのが旅で、そうでないのが放浪だ、と。また、帰るべき場所があるのが旅で、ないのが放浪だ、と。でも、帰る場所なんて、また新しく作ればいいじゃないですか、と。思わず涙腺がゆるんでしまう。

この映画は、大滝秀治の遺作にもなった。彼の存在感が、もうただごとでない。健さんに加え、大滝秀治だけでも、映画を観る価値がある。やはり凄い俳優だったのだな。


関門大橋(2011年) Pentax MZ-S、FA★24mmF2.0、Velvia 100、DP

●参照
蔵原惟繕『南極物語』
健さんの海外映画
関門海峡と唐戸市場


アラン・レネ『ヒロシマ・モナムール』

2012-08-04 13:43:31 | 中国・四国

アラン・レネ『ヒロシマ・モナムール』(1959年)を観る。かつては『二十四時間の情事』という邦題で日本公開された作品だが、いまではこの最低なタイトルは使われなくなってきている。

袋小路のなかで、いつの間にか同じところを通っているような、謎めいたマルグリッド・デュラスの脚本。レネは2年後、アラン・ロブ=グリエの脚本で『去年マリエンバートで』(1961年)を撮るが、これは、はったりの迷宮でもあった。それに比べ、本作は、しっとりと沈静するような世界であり、いま観ても嫌味なところはない。

戦後10年以上が経った広島。反戦映画に出演するために来日したフランス人女優(エマニュエル・リヴァ)は、建築家の男(岡田英次)と一夜の恋に落ちている。女は熱心に広島の原爆投下を学び、ベッドの中で、「わたしはすべてを見た」と言うが、男は「きみは何も見ていない」と繰り返す。翌日にはパリに帰るという女、引き止める男。

女は、終戦直前のフランス・ヌベールにおいて、ドイツ人の男と愛し合い、そのために非国民と罵られ、髪の毛を短く刈られ、地下室に軟禁されていた。駆け落ちしようと待ち合わせた場所で、ドイツ人の男はすでに撃たれ、死ぬ間際だった。それはフランス解放の直前だった。現在のヒロシマと過去のヌベールが交錯し、「あなた」はドイツ人の男であり、日本人の男でもあった。ロワール川はまた同時に太田川でもあった。

デュラスはこの映画について、「ヒロシマを語ることの不可能性、語ることが不可能であることしか語りえない」と書いたという。かつてルートヴィッヒ・ヴィトゲンシュタインは、「語りえないことについては沈黙しなければならない」と書いた。ヴィトゲンシュタインがそのように書くこと自体が沈黙ではなく、<語り>についての大きな矛盾を孕んだものだった。

「語りうることは、既に語られたことである」ということは、<歴史>なるもののあやうさをまた語っている。広島も、「ヒロシマ」というカタカナによって異化せざるを得ない対象であり、わたしたちも、<語り>のなかでしか「ヒロシマ」を見ていない。わたしもまたエマニュエル・リヴァである。

●参照
アラン・レネ『去年マリエンバートで』、『夜と霧』
新藤兼人『原爆の子』
被爆66周年 8・6 ヒロシマのつどい(1)
被爆66周年 8・6 ヒロシマのつどい(2)
『なぜ広島の空をピカッとさせてはいけないのか』
原爆詩集 八月
青木亮『二重被爆』、東松照明『長崎曼荼羅』
『はだしのゲン』を見比べる
『ヒロシマナガサキ』 タカを括らないために


纐纈あや『祝の島』

2012-06-17 09:56:56 | 中国・四国

ようやく、中古DVDを入手し、纐纈あや『祝の島』(2010年)を観る。昨年訪れた祝島の小さな売店にも置いてあったが、鞄が一杯だったので買わなかったのだ。

山口県上関町、祝島。対岸の長島には、新たな原子力発電所の計画があり、既に土木工事がはじまっている。長島の集落からは見えない、祝島に向かい合っているところだ。

島民の方々は、1982年の計画公表以来、ずっと反対を続け、漁協でも補償金の受け取りを拒否し続けている。その間には、賛成・反対で地域社会にヒビが入り、人間関係が壊されてきたともいう。それでも、毎週1回、大勢で原発反対と叫びながら、島をねり歩くことをひたすら続けている。オカネにも屈せず、一度は原発のために中断した祭まで復活させ、地域の生活を守っている。これは大変なことである。

映画では、上関町役場での諍い、漁船での直接反対行動、島内の週1回の反対行進が示される。しかし、それ以外には、ことさらに大きな事件を示すこともなく、拍子抜けしてしまうほどゆっくりと、島の生活が紹介される。お年寄りたちの山口のことばは、場所は違うが、わたしのことばでもある(字幕はわたしには要らない)。にこにこと笑いながら四方山話をしたり、カメラに向かって話しかけたりする様子を視ていると、何だか心の奥をさすられているようで、切なくなってくる。

上関町議の清水敏保さんが登場する。昨夏、わたしたちを案内してくださった方である。映画の中では、町議会で激しく原発推進派の町議に喰ってかかり、また一方では、島の集まりで古い歌を唄ったり、船のペンキ塗りを手伝ったりと、いろいろな表情を視ることができる。愉快な人なんだな、もっとお話すればよかったな。

名物の「練塀」が多く残る集落の他にも、昨夏足を運ぶことはできなかったが、何十年もかけてつくられた立派な棚田や、島の反対側にはウニやひじきが採れる磯がある。また行きたくなってくる。

都市住民の勝手なロマンチシズムではあるが、原発建設を退け、島の生活文化と海とを守ってほしい。今後の大きな分岐点は、7月29日投票の山口県知事選であろう。長期に渡る平井知事、現在の二井知事という保守王国ではあるが、亀裂は入るだろうか。亀裂が入ったとして、それは別の奇妙な道につながらないだろうか。(いまは勘繰っているだけなので何とも言えない。)

そういえば、昨夏、生れたばかりで側溝に放置されていた猫を、同行した方が牛乳なんかを与えて救出し、「祝」(ほうり)と名付けて杉並まで連れ帰っていた。先日気になって訊ねたら、元気に育っているということだった。


集落と海と長島のブルーシート(2011年) Pentax MZ-S、FA 77mmF1.8、Velvia 100F、DP

●参照
○長島と祝島 >>
リンク
○長島と祝島(2) 練塀の島、祝島 >> リンク
○長島と祝島(3) 祝島の高台から原発予定地を視る >> リンク
○長島と祝島(4) 長島の山道を歩く >> リンク
○既視感のある暴力 山口県、上関町 >> リンク
○眼を向けると待ち構えている写真集 『中電さん、さようなら―山口県祝島 原発とたたかう島人の記録』 >> リンク
○『これでいいのか福島原発事故報道』 >> リンク (上関の原発反対運動について紹介した)
○1996年の祝島の神舞 『いつか 心ひとつに』 >>
リンク
○内田康夫『赤い雲伝説殺人事件』 寿島=祝島、大網町=上関町 >> リンク


内田康夫『藍色回廊殺人事件』 吉野川第十堰と可動堰

2012-04-07 15:33:13 | 中国・四国

内田康夫『藍色回廊殺人事件』(光文社文庫、原著1998年)を読む。

もともと「浅見光彦シリーズ」にあまり興味のないわたしが読んだのはこれでやっと3冊。姫野雅義『第十堰日誌』(七つ森書館、2012年)において、吉野川第十堰の撤去と可動堰の建設という問題を題材としていると知ったからだ。ここで可動堰建設反対が多数を占める結果となった住民投票(2000年)の前、おそらくは地元で問題がもっとも顕在化していた時期に書かれている。

雑誌ライターの仕事で吉野川や四国八十八ヵ所を取材しているうち、浅見光彦は、時効目前の殺人事件に遭遇する。それを調べているうち、被害者のひとりが、可動堰建設を強く推進する地元土建会社にあって、それが吉野川の治水・利水に必要だとする根拠のデータ捏造に気付いたため殺されたのだということに気付く。地元利権を代表する政治家、激しく建設に反対する住民、土建会社に天下りした中央官僚など、いかにも存在しそうな人物たちが登場して面白い。

また、フィクションではあっても、吉野川をめぐる治水・利水の歴史がさらってあり、これもなるほどと思わせる。江戸時代(約260年前)に造られた第十堰だったが、明治政府がオランダから技術者ヨハネス・デ・レーケを招聘したところから河川の悪しき近代化の歴史がはじまる(デ・レーケは、日本の河川を見て「川ではない、滝だ」という名言を吐いた人物)。デ・レーケは内務省に第十堰の撤去を提案し、それがいつか可動堰に姿を変え、工事のオカネをめぐる欲望と利権の流れとして生き続けてきた、ということである。

そうか、吉野川の南岸に徳島本線と国道ができたために、北岸の発展が停滞し、古い街並みが残っているのか。まだ見ぬ吉野川第十堰、祖谷の渓谷、藍染など、ぜひいつか足を運んでみたいところだ。何しろわたしは四国には数えるほど、しかも北の2県(香川、愛媛)にしか行ったことがない。

「「堰」というから、浅見はふつうの堰堤を想像していたのだが、イメージがまるで違う。長さ百メートルほどの「鬼の洗濯板」のようなものが川幅いっぱいに広がった、途方もないスケールの堰である。堰の上の藍色に湛えられた水が溢れだし、わずかに傾斜した「洗濯板」が七、八段つづく上を清冽な瀬となって、白いしぶきを上げながら流れ落ちる。堰のあちこちにはシラサギが佇んで、魚を狙っているらしい。のどかで壮大な眺めだ。」

●参照
姫野雅義『第十堰日誌』 吉野川可動堰阻止の記録
内田康夫『赤い雲伝説殺人事件』 寿島=祝島、大網町=上関町
日韓NGO湿地フォーラム(2010年)(吉野川の報告)
川で遊ぶ、川を守る~日本と韓国の水辺環境(吉野川の報告)
抒情溢れる鉄道映像『小島駅』(吉野川沿いの徳島本線)


成島出『八日目の蝉』

2012-03-05 00:12:28 | 中国・四国

成島出『八日目の蝉』(2011年)を観る。

何と言おうか・・・、一面的なモラルらしきものの押し付けがどうも。

それでもいい映画だと思うのは、誘拐犯役の永作博美や写真館主人の田中泯の押し出しの強さ。永作の演技は完全に主役を食っていた。ストーリーテリングの巧さ(そうか、成島監督は『クライマーズ・ハイ』の脚本を書いた人か)。それから、小豆島の高低差のある風景による。

瀬戸内の島々は、山田洋次『男はつらいよ 寅次郎の縁談』(1993年)において松坂慶子が歩いていたり、松田定次『獄門島』(1949年)で片岡千恵蔵の金田一耕介がのり込んだりといった風景を観るたびに、ああ滞在したいという気持ちで一杯になる。

●参照
山崎ナオコーラ『人のセックスを笑うな』と井口奈己『人のセックスを笑うな』(永作博美)
本谷有希子と吉田大八の『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』(永作博美)
篠原哲雄『地下鉄に乗って』と浅田次郎『地下鉄に乗って』(田中泯)
姜泰煥・高橋悠治・田中泯
姜泰煥・高橋悠治・田中泯(2)
犬童一心『メゾン・ド・ヒミコ』、田中泯+デレク・ベイリー『Mountain Stage』
松田定次『獄門島』


赤間硯

2011-11-19 11:41:29 | 中国・四国

NHKの『こんなステキなにっぽんが』という番組で、山口県宇部市西万倉の赤間硯を特集していた。万倉(まぐら)は私のふるさとだ。田畑や山や瓦屋根の家の映像を視ると、胸がしめつけられるような気持になる(月並みな表現ながら)。

もっとも、宇部市というと違和感がある。2004年まで楠町であり、市町村合併の波に呑みこまれたのだ。かつてクスノキの大木があり、そのために陽が遮られて「まっくら」になった、という由来である。隣には、クスノキから船を造ったという意味で、船木という町がある。

赤間硯はその万倉の岩滝というで作っていた。あまり足を運んだことのない場所だが、道端に赤間石が転がっていた記憶がある。番組では、その赤間石を切りだす坑道や、硬い石をノミで彫って硯にしていく様子を紹介していた。今になってはじめて見る作業だ。ここに登場する書道家・柿沼康二氏は、赤間硯を使うと墨をきめ細やかに摺ることができ、使うと伸びやかでグレーやグリーンの中間色が出ると表現している。私は墨汁世代であって、墨を摺ってもうまくいかなかった。当時から背伸びして地元の赤間硯なんかを使っていたらどうだったのだろう。

万倉の小学校も中学校も1学年20人くらいだった。番組に登場した職人の息子さんは自分より2、3歳年下で、昔から住んでいるようだから、当然見知っていた筈なのだが、なぜかまったく記憶にない。当時から遠い同級生たちは長い道のりを自転車で通っていた。遊びに行くと、延々と続く山道がきつかった。

田舎ゆえテレビに映ることは滅多にない場所だ。私が小学低学年のころ、やはりNHKがやってきて、実家の旅館に泊まったことがある。放送車の中を見せてもらった私は有頂天になって、同級生たちに、ウチがテレビに出るぞ、お前たちも出してやろうか、などと吹聴した。楽しみに放送を観たところ、出てきたのは隣町だった。思い出すと恥ずかしい記憶である。

現在は過疎が進んで子どもの数も減っているというし、中学校は宇部市への合併時に廃校になってしまった。今ではスクールバスが出ていると聞いた。私が小学生のときに通っていた習字教室の公民館は、もう跡形もない。「ふるさとは遠きにありて思ふもの」(室生犀星)、か。

ふるさとは遠きにありて思ふもの
そして悲しくうたふもの
よしや
うらぶれて 異土の乞食となるとても
帰るところにあるまじや

実家の母親から電話があって、番組の話をすると、やはり観ていた。押し入れに赤間硯があるから、送ってやると言う。


『伊方原発 問われる“安全神話”』

2011-10-09 09:43:10 | 中国・四国

NHKの「ドキュメンタリーWAVE」枠で放送されたドキュメンタリー『伊方原発 問われる“安全神話”』(NHK松山制作、2011/10/1)を観る。

愛媛県の佐田岬に立地する伊方原発は、関西から九州まで360kmにも渡って伸びる断層「中央構造線」から、わずか8kmしか離れていない。岡村眞・高知大教授は、伊方原発が想定するマグニチュード7.8など上回る地震の可能性があると警告している。実際に、地震による揺れの想定は、当初の200ガル→阪神淡路大震災(1995年)を受けての473ガル→新潟県中越沖地震(2007年)を受けての570ガル、と2回の見直しがなされている。こことは関係ない場所での短期間での地震評価を反映させること自体が、地震はどこでも起こりうることの裏返しでもある。しかも、福島では600ガル、浜岡では1000ガルが想定されており、それを下回る。

1972年に設置許可申請がなされた伊方原発に対して、そのわずか半年後、国から許可が出された。その際の『安全審査報告書』には、松田時彦・東大助教授(当時)が中央構造線を活断層だと分析したにも関わらず、中央構造線についての言及は皆無であったのだという。これは偽装に他ならない。
※一方、このドキュメンタリーにも登場する荻野晃也・京大助手(当時)の書いた文章によれば、松田氏は「この中央構造線は心配ない」旨のお墨付きを与えた御用学者であったとのことである。(>> リンク

これらの事業強行に対し、漁民を中心とする住民たちにより、1973年、伊方原発訴訟が起こされる。しかし、1号機、2号機についての裁判は2000年までに住民敗訴という決着をみている。現在では、1994年に運転開始された3号機を加えた3基が運用されているが、その3号機は2011年4月27日に定期検査(定検)に入り、7月の再開前に菅首相(当時)によりストレステスト実施が発表されたため運転を見合わせている。そして8月12日には点検もれが発覚、9月4日には1号機が定検に入った。現時点では、日本全体で54基のうち42基が定検中である。

鎌田慧『日本の原発危険地帯』(青志社)によると、伊方原発の建設に際してオカネで住民と漁協を強引にねじ伏せた過程があった(おそらくは、どこの原発地域とも同じように)。当初は1、2号機だけの予定であり、県知事、町長、電力の三者のあいだで締結された「安全協定」には、以下のようにあるという。

「丙(電力)は、発電所若しくはこれに関連する主要な施設を設置し、若しくは変更し、又はこれらの用に供する土地を取得しようとするときは、当該計画について、あらかじめ、甲(県)および乙(町)に協議し、その了解を得るものとする。この場合において、原子炉総数は、2基(1基の電気出力が56万kW級のもの)を限度とする」

しかしこれは、「協議、了解」を拠りどころとして反故にされる形となった。既に伊方町の予算は、新規事業の交付金をアテにしなければ成り立たない構造になっていた。まさに「毒まんじゅう」である。

著者(鎌田氏)は、福田直吉・伊方町長(当時)に会って将来について訊ねている。

「「いまはメリットを強調されていますが、たとえば20年後、廃炉になったとき、この地域はどうなるのでしょうか」
わたしはそうたずねた。
「3年、5年むこうのことでさえむずかしい。20年、30年あとのことは、あとの町長が考えます」
と彼は答えた。」

●参照(原子力)
有馬哲夫『原発・正力・CIA』
『大江健三郎 大石又七 核をめぐる対話』、新藤兼人『第五福竜丸』
山本義隆『福島の原発事故をめぐって』
『これでいいのか福島原発事故報道』
開沼博『「フクシマ」論 原子力ムラはなぜ生まれたのか』
黒木和雄『原子力戦争』
福島原発の宣伝映画『黎明』、『福島の原子力』
東海第一原発の宣伝映画『原子力発電の夜明け』
原科幸彦『環境アセスメントとは何か』
『科学』と『現代思想』の原発特集
『核分裂過程』、六ヶ所村関連の講演(菊川慶子、鎌田慧、鎌仲ひとみ)
『原発ゴミは「負の遺産」―最終処分場のゆくえ3』
使用済み核燃料
石橋克彦『原発震災―破滅を避けるために』
今井一『「原発」国民投票』
長島と祝島
長島と祝島(2) 練塀の島、祝島
長島と祝島(3) 祝島の高台から原発予定地を視る
長島と祝島(4) 長島の山道を歩く
既視感のある暴力 山口県、上関町
眼を向けると待ち構えている写真集 『中電さん、さようなら―山口県祝島 原発とたたかう島人の記録』
1996年の祝島の神舞 『いつか 心ひとつに』


抒情溢れる鉄道映像『小島駅』

2011-08-22 00:20:57 | 中国・四国

科学映像館で、吉野川に沿って走る徳島本線の小さな小島駅(おしま)を撮った8ミリ映像『小島駅』(1973年)が配信されている。これを撮った上原芳明氏は、8ミリ同好会のハイアマチュアであったようで、カメラワークや編集技術はプロの水準だと言うことができる。それよりも、確かにタイトルなどのスーパーインポーズの手作り感が8ミリを感じさせるものの、8ミリ特有の滲みやピンボケがほとんどなく、16ミリだとしか思えない。

>> 『小島駅』

10分の小品だが、地域と鉄道の移り変わりのストーリーが詰め込まれている。「グリーンスリーブス」のメロディーとともに、カメラは、マイカー社会の到来による乗降客の減少、準急通過駅としての位落ち、そして無人化を目撃していく。見るからに篤実な駅員さんの仕事も相まって、身動きできなくなるような哀しさと懐かしさにとらわれてしまう。

ところで、その駅員さんが持ち歩いている輪っかは何だろうと思い調べてみた。「タブレット」というもので、単線の鉄道区間において行き来の交通整理を行うための器具だった。昔の方や単線が生活域にあった方にとっては常識なのかもしれない。いまこれを使っているところはあるのだろうか。

●参照
土本典昭『ある機関助士』
大木茂『汽罐車』

●科学映像館のおすすめ映像
『沖縄久高島のイザイホー(第一部、第二部)』(1978年の最後のイザイホー)
『科学の眼 ニコン』(坩堝法によるレンズ製造、ウルトラマイクロニッコール)
『昭和初期 9.5ミリ映画』(8ミリ以前の小型映画)
『石垣島川平のマユンガナシ』、『ビール誕生』
ザーラ・イマーエワ『子どもの物語にあらず』(チェチェン)
『たたら吹き』、『鋳物の技術―キュポラ熔解―』(製鉄)
熱帯林の映像(着生植物やマングローブなど)
川本博康『東京のカワウ 不忍池のコロニー』(カワウ)
『花ひらく日本万国博』(大阪万博)
アカテガニの生態を描いた短編『カニの誕生』
『かえるの話』(ヒキガエル、アカガエル、モリアオガエル)
『アリの世界』と『地蜂』
『潮だまりの生物』(岩礁の観察)
『上海の雲の上へ』(上海環球金融中心のエレベーター)
川本博康『今こそ自由を!金大中氏らを救おう』(金大中事件、光州事件)
『与論島の十五夜祭』(南九州に伝わる祭のひとつ)
『チャトハンとハイ』(ハカス共和国の喉歌と箏)
『雪舟』
『廣重』


内田康夫『赤い雲伝説殺人事件』 寿島=祝島、大網町=上関町

2011-08-20 10:58:03 | 中国・四国

内田康夫『赤い雲伝説殺人事件』(角川文庫、1986年)を読む。この類のミステリはほとんど読まない私にとって、浅見光彦シリーズ2冊目だ。その前に読んだのは『ユタが愛した探偵』という沖縄もの。本作は、山口県上関町祝島が舞台になっている。つまりそんな興味でしか手に取っていないわけである。

ここでは、祝島は「寿島」、上関町は「大網町」という名前に変えられている。それでも、「寿島」の対岸に原発建設の計画があり、推進と反対を巡った大きな諍いがあることは同じである。「祝」と「寿」なんて洒落たものだ。

原発反対のリーダー格の老人が、東京の画廊でふと足を止める。目の前には、「寿島」の上に赤い雲がかかる様子を想像した絵が架けられていた。彼はこれを、地元で推進に転じそうになっている古老に見せて、心変わりを押しとどめようとする。しかし、政界や地元企業の利権がために、彼は殺されてしまう。

「赤い雲」が、おそらく「寿島」でも見えたであろう広島の原爆を思わせること、また、実は「寿島」の住民は平家の末裔であって、赤い狼煙が上がった時は外敵に抗して一致団結せよとの合図だったとの設定は面白い。祝島には、壇ノ浦の合戦で敗れた平景清の墓と伝えられる「平家塚」があるというが、島民が平家の末裔というのはいくらなんでも内田康夫の作り話であろう。

なかなか様々な立場の機微を描いていて、面白くはあった。謎解きも最後までわからなかった。

「いつの日か反対派が敗れ去り、岬の突端に白亜の原子力発電所がそそり建つありさまを、浅見は脳裏に描いた。
 その時、寿島にはたして狼煙は上がるのだろうか。」

幻視は置いておいても、すでに狼煙は上がり続けている。

●参照
○長島と祝島 >>
リンク
○長島と祝島(2) 練塀の島、祝島 >> リンク
○長島と祝島(3) 祝島の高台から原発予定地を視る >> リンク
○長島と祝島(4) 長島の山道を歩く >> リンク
○既視感のある暴力 山口県、上関町 >> リンク
○眼を向けると待ち構えている写真集 『中電さん、さようなら―山口県祝島 原発とたたかう島人の記録』 >> リンク
○『これでいいのか福島原発事故報道』 >> リンク (上関の原発反対運動について紹介した)
○1996年の祝島の神舞 『いつか 心ひとつに』 >>
リンク


1996年の祝島の神舞 『いつか 心ひとつに』

2011-08-18 07:37:29 | 中国・四国

祝島(山口県上関町)には、1100年以上前に大分から農業が伝わったとされている。国東半島の宮司が嵐に遭って祝島に漂着したときのことである。これを起源として、4年ごとに大分の伊美別宮社から人々を呼ぶ合同の祭祀が「神舞」(かんまい)である。


2008年神舞のリーフレットより

探してみると、NHK「新日本探訪」で放送された『いつか 心ひとつに』(1996/9/1放送)がYoutubeにアップされている。1996年の神舞の記録である。世話役を橋部好明さんが務めており、14年後の『風の民、練塀の町』(2010/11/14、山口放送制作)では、練塀の研究成果を披露している方である。1984年と1988年には神舞を行うことができず、この4年前の1992年、橋部さんらが中心となって復活させたのだという。

>> その1
>> その2
>> その3

当時、原発推進意見の住民は島の1割。その中には当時の宮司もいて、神舞に欠かせない役割を持つにも関わらず参加しない状況となっていることが示されている。また、推進派住民の声としては、過疎・高齢化地域にあって雇用をつくりだすためには仕方がないという意見が紹介されている。まさに原発や米軍基地の立地に際して全国で共通してみられる現象であり、中央の<機械>以外を切り捨ててきた日本の政治に起因するものに他ならない。

次回の神舞は2012年8月16日~20日に行われる予定だということだ。祝島の注目度が高いこともあり見物客が相当集まるのではないか。私も見てみたい。

>> 2008年の神舞
>> 2008年の神舞(ブログ「街森研究所」)
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●参照
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○長島と祝島(3) 祝島の高台から原発予定地を視る >> リンク
○長島と祝島(4) 長島の山道を歩く >> リンク
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○眼を向けると待ち構えている写真集 『中電さん、さようなら―山口県祝島 原発とたたかう島人の記録』 >> リンク
○『これでいいのか福島原発事故報道』 >> リンク (上関の原発反対運動について紹介した)


長島と祝島(4) 長島の山道を歩く

2011-08-17 07:42:01 | 中国・四国

昼の便で祝島をあとにして、再び長島に戻った。タクシーでくねくね道を往く。自動車が入れないところから先は、狭い山道である。

暑いうえに蚊の数がやたらと多い。立ち止まるとすかさず腕に何匹もとまって血を吸いはじめる。他の人の様子を見ると、まるで蚊柱とともに歩いているようだ。森の樹々には、ハンノキ、トベラ、ヤブツバキといった名前を書いた手作りの板が結えてある。


山道 Pentax MZ-S、FA 77mmF1.8 Limited、Velvia 100F、DP

途中に「団結小屋」があったが、残念ながら留守。那須圭子『中電さん、さようなら』(創史社、2007年)によると、2003年に完成した3軒目のログハウスであり、周囲のハヤブサやスナメリなどを観察する拠点にもなっている。横には太陽光パネルも設置してあった。小屋の脇からまた山道をしばらく下っていくと、原発の工事現場に到達する。

いま観察できるのは、資材搬入用の道路であり、ハコは当然まだない。貴重な自然の宝庫と評価されている田ノ浦海岸を見ることはできる。海の向こう側に、つい先までいたばかりの祝島を見ることもできる。しかし、海岸が埋め立て予定地となっており、立ち入りは最高裁判決により禁止されている。

山口県の二井知事は来秋の埋め立て免許期限後の更新を認めないと公言しており、海岸はまた公共のものとなるだろう。


痛々しい Pentax MZ-S、FA 77mmF1.8 Limited、Velvia 100F、DP


田ノ浦と祝島 Pentax MZ-S、FA 77mmF1.8 Limited、Velvia 100F、DP


田ノ浦と祝島 Pentax MZ-S、FA 77mmF1.8 Limited、Velvia 100F、DP

「もしも対岸に原発が建設されたら、島の人たちは無気味な原発を押しこんだ、白いコンクリートの塊を朝夕眺めて暮らすことを強制される。3.5キロメートルの海上には、なんの遮断物もない。もしも、原発で事故が発生したとき、祝島は逃げ場のない、人体実験場になってしまう。」
(鎌田慧『原発列島を行く』、集英社新書、2001年)

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長島と祝島(3) 祝島の高台から原発予定地を視る

2011-08-17 01:32:40 | 中国・四国

上関町議の清水さんのご案内で、高台の祝島小学校に足を運んだ。校庭には、「自主・友愛・責任」と彫られた碑がある。これでも島東側の集落に少しのぼった程度である。小学校の遠足では、何時間もかけて山の中をハイキングするという。

全校生徒は7人と少ない。中学校からはみんな「いわい」号に乗って長島まで通わなければならない。部活で遅くなる子どもたちは、チャーター船で帰ってくる。


自主、友愛、責任 Pentax MZ-S、FA 77mmF1.8、Velvia 100F、DP


祝島の山 Pentax MZ-S、Sigma 400mmF5.6、Velvia 100F、DP

海越しに、長島の対岸を眺める。手前の瓦屋根、碧い海、島と素晴らしい眺望である。そして、祝島に面した田ノ浦海岸の少し上には、工事中のブルーシートが見える。原子炉の設置予定地はその少し右側だという。どう見ても悪い冗談だ。しかし、島の住民の方々にとっては、冗談で済みようもない数十年の歴史がある。


祝島の家々 Pentax MZ-S、Sigma 400mmF5.6、Velvia 100F、DP


集落と海と長島のブルーシート Pentax MZ-S、FA 77mmF1.8、Velvia 100F、DP


長島のブルーシート Pentax MZ-S、Sigma 400mmF5.6、Velvia 100F、DP


原子炉の幻視 Pentax MZ-S、Sigma 400mmF5.6、Velvia 100F、DP

1時間や2時間はあっという間に過ぎる。また坂道を下りて、港の寺の門前に腰掛け、船に乗る前に買い込んでいたおにぎりを食べる。Oさんは、祝島に到着した直後にひろった猫に牛乳をやっている。にゃあにゃあという声、よく見たら側溝に生れたばかりの猫がいたのだった。助けなければ死んでしまう猫だった。Oさんは、島の名前にちなんで、「ほうり」と命名した。「Holy」の意味もあるのだ、とのこと。

何軒かある島の寺は、すべて浄土真宗であるという。抵抗の宗教でもあった。


猫の「ほうり」 Pentax MZ-S、FA 77mmF1.8、Velvia 100F、DP


浄土真宗の寺 Pentax MZ-S、FA 77mmF1.8、Velvia 100F、DP


祝島の港 Pentax MZ-S、FA 77mmF1.8、Velvia 100F、DP

本当に短い滞在だったが、来てよかったと思った。「いわい」号の船尾からは遠ざかっていく祝島がよく見えた。そして船窓からは、いくつもの黄色いブイが見えた。そこから中に入って「妨害」すると、1日あたり500万円を請求されるという最高裁判決が出ている。この国の司法を象徴するような話である。


船尾から祝島 Pentax MZ-S、FA 77mmF1.8、Velvia 100F、DP


船窓から500万円ブイ Pentax MZ-S、FA 77mmF1.8、Velvia 100F、DP

(つづく)

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○長島と祝島(2) 練塀の島、祝島 >> リンク
○既視感のある暴力 山口県、上関町 >> リンク
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長島と祝島(2) 練塀の島、祝島

2011-08-16 00:44:43 | 中国・四国

2011年8月7日、JR柳井港駅で下車、すぐそばの港からフェリー「いわい」に乗って祝島に向かった。途中の室津で、上関町議の清水敏保さんと合流する。祝島のご出身、上関町議会では12人の議員のうち祝島出身の2人を含む3人が原発に反対している。そのひとりであり、那須圭子『中電さん、さようなら』(創史社、2007年)という写真集を開くと、ところどころに登場する。

この3月に訪れた際には、無計画ゆえ上関に着いたとき既に午前の船が出てしまったあとだった。そのときは、仕方なく、上盛山(かみさかりやま)の展望台までのぼり、そこから祝島や他の多くの島々や、大分県の国東半島や、愛媛県の佐田岬を眺めたのだった。江戸期に入るまで、祝島は海上交通の要所であり、周防にも豊後にも伊予にも属していない島だったという。


乗船券ではなく上陸券


上関の「上」の旗、清水町議

上関町は、山口県の南東部から瀬戸内海に突き出した室津半島の南部、そこから上関大橋(昭和44年建設)でつながれた長島、長島の先に位置する祝島、さらに他の島々からなる。原発予定地は長島の先端部ながら、長島の港町は本土側にあるため、多くの住民からは見えない場所にある。むしろ、祝島の目の前に面するという立地である。上関町の人口は3500人、一方、祝島の人口は500人。多数決というおかしな原理が歪みを生み出す構造か。

ほどなくして祝島の港に着く。すぐに原発反対の看板や替え歌が目についた。2時間後の船で戻ることにしたため時間はあまりない。急ぎながら、清水さんの案内で、集落の中を歩きながら、高台の小学校を目指す。集落の様子と、海の向こう側の原発予定地を見るためである。


祝島の港 Pentax MZ-S、FA 77mmF1.8 Limited、Velvia 100F、DP


祝島の港 Pentax MZ-S、FA 77mmF1.8 Limited、Velvia 100F、DP


ふる里三題 Pentax MZ-S、FA 77mmF1.8 Limited、Velvia 100F、DP


小屋 Pentax MZ-S、FA 77mmF1.8 Limited、Velvia 100F、DP

「NNNドキュメント'10」の枠で放送された『風の民、練塀の町』(2010/11/14、山口放送制作)は興味深いドキュメントだった。風が強い祝島では、家を守るため、大きめの石を積み上げた「練塀」(ねりへい)が独自に発達している。単なる塀ではなく、複数の家の一部を成していたりもする。かつて農業を祝島にもたらした国東半島にも一見同様の塀があるものの、それは家の補強にすぎず、類似性に乏しい。どうやら練塀のルーツは、韓国の済州島にあるというのだった。

確かに練塀だらけだ。ひとつひとつに個性がある。最近は保存のため補強もしているようで、セメントや漆喰で固められていた。

道を知らないと迷子になってしまいそうだ。清水さんは、そんなときは海に向かえばいいのですよ、と笑った。


練塀 Pentax MZ-S、FA 77mmF1.8 Limited、Velvia 100F、DP


練塀 Pentax MZ-S、FA 77mmF1.8 Limited、Velvia 100F、DP


練塀 Pentax MZ-S、FA 77mmF1.8 Limited、Velvia 100F、DP


枕干し Pentax MZ-S、FA 77mmF1.8 Limited、Velvia 100F、DP


井戸 Pentax MZ-S、FA 77mmF1.8 Limited、Velvia 100F、DP


練塀 Pentax MZ-S、FA 77mmF1.8 Limited、Velvia 100F、DP


練塀 Pentax MZ-S、FA 77mmF1.8 Limited、Velvia 100F、DP


井戸と自転車と消防ホース Pentax MZ-S、FA 77mmF1.8 Limited、Velvia 100F、DP


練塀の路地 Pentax MZ-S、FA 77mmF1.8 Limited、Velvia 100F、DP


練塀 Pentax MZ-S、FA 77mmF1.8 Limited、Velvia 100F、DP

(つづく)

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