ハノイ便り

久しぶりの海外転勤、日々の記録として書き綴ります。

桜を追って…まずは松島へ

2015-04-21 04:34:19 | Weblog

4月21日 はれ 19℃

昨日のベランダの鉢が倒れるくらいの嵐はすごかったけど、京葉線は新木場にフェンスができたので、この頃止まることが少なくなったらしい

マンション生活の気楽さで嵐であろうと傘いらず、10時から5時まで途中おむすびを買いに走り、8人でぺちゃくちゃぺちゃやりながらペイントの会

今年も展示会をやるのだからと、お尻をたたくのが私の仕事

でもね、孫の話、結婚式の話、旅行の話、テニスの試合のこと、卓球の試合のこと、女子会旅行の打ち合わせ、これじゃあね……

話は変わり、東北の春を訪ねる旅行、はじめての東北新幹線…東京駅で旅気分が盛り上がる仙台までの旅

別に私は鉄ちゃんではないのだけど  

ホームに入ってくる新幹線をみると、わくわくしてくる、かっこいいよね、朝食に盛り上がった気分のまま、なぜか東京駅で牛タン弁当を買ってしまうわたし

仙石線に乗り換え松島へ…「西行もどしの松公園」の桜が素晴らしいとガイドブックにあるので行きたーいと観光案内所に行くと、桜はまだでーす、だって

確かに、 したの薄桃色が桜の枝、仙台の満開の桜をみて盛り上がっていたのに、少し残念

しかし、すぐに気分が切り替わるのが私たち、旅のお供は食事でしょうと、タクシーの運転手さんに海鮮のおいしいお店を教えていただく

松島名物の牡蠣は終わっていたが、 

お刺身が二重三重に重なった、ぷりっぷり、こりっこりの海鮮丼、ふわふわ、とろとろのあなご丼、下に錦糸卵がしかれている、最高のおいしさ…

この旅の目的は、日本語研修に来ているベトナム人スタッフに会いにいくこと…で、工場見学の予定のオットとはここで別れ、自由行動に入る

が、食事中から天候が崩れはじめ、松島周遊観光船の桟橋で船を待つ間にずぶ濡れ、そのまま暖房のない船で体が冷え切り、寒さに弱い私は、自由行動どころでなく暖かい場所を探して時間つぶしをするが

我慢できず、予約をしているレストランに1時間前から入り、一人で熱燗を飲みながらまつことにした

ハノイから箱買いで運んでもらったインスタントのフォーを事前に送ったら、嬉しい懐かしいとこんな写真が送られてきた 

ベトナムの人はフォーをご飯にかけて食べるんだ、と新しい発見…でもこれって普通かな?

通訳研修のキエン君、1年間技術研修の28歳のフック君、36歳のズン君、23歳のトアン君  

私も社員旅行で会ったことのある彼らはみんな元気そう、ズン君は日本にきてから6キロ太ったそうだ

食事がおいしい、お肉がおししい、工場の仕事上がりのお風呂が気持ちいい…と日本の生活になじんでくれて

明日は自転車に乗ってお弁当を買って、みんなでお花見に行くと…誰でも桜の咲く季節、日本人と同じ感覚になってくれるのは嬉しい

まだ1か月しかたっていないので、3人一緒だが、来月からそれぞれの職場に配置され、日本語ばかりの孤独な環境に入っていくことになる

12月にもう一度様子を見に来るからと、オットは約束していた

松島のまちは新しい家が多いなと思っていたら、街のあちこちに津波がここまで来たというサインが表示されている

リアス式海岸は津波の脅威が倍増する

島をつなぐ橋が流されたり、瑞厳寺の並木が枯れていたりと4年経っても爪痕は残っているし、人々の心の傷は癒えていないかもしてないが

お店の人たちは明るい顔をしていたのが嬉しい

海沿いの街の遅い春と人々に訪れる春を、わたしも待ちわびている

 

 


日本です

2015-04-16 03:52:39 | Weblog

4月16日 はれ 19℃

3月9日早朝成田到着、気温6℃、雨ふりの寒い朝だった

それから一週間、ほとんど寝ていた記憶しかない、帰国直前、いろいろな行事があって緊張もし、忙しくもあり、

しかも帰国当日、帰国の日にゴルフをして帰りたいなあというオットの希望で、1ラウンドプレーして、空港に行くということまでやってしまった

寒いし、桜がさいたとはいえ、雨の日が多く、荷物はつかないしで、なんとなく気持ちが盛り上がらず今日にいたっている

昨日やっと船便が届き、荷物の整理にはいった

これからのことを考え、物はすくなく、整理と掃除のしやすい家を考えてリフォームしたはずだった

          

それがこんな感じ    これが私のお城、リビングにあるので、このコーナーからだんだん外にせり出してくる 

東京での単身赴任から直接ハノイに行ったオットの荷物、福岡の家からハノイに行った私、一度、日本に帰り福岡の家はそのままで、何もない社宅で最低限生活できるように家を整え、その後自宅マンションをリフォーム、福岡の家を空けて、またハノイに行くという生活、

シンプルに暮らしたはずの2年間のハノイ生活ではあったが

二重三重の生活必需品をかなり整理したはずなのに、ハノイからの荷物が届き、しかも台湾に赴任した息子の荷物や本まで家にある

この荷物の整理は頭が痛い、私の部屋もいまだ手つかず…

まあそういうことは、おいおいいにやるとして、やっとPCに向かう気持ちになれたことが嬉しい

明日から仙台です

ベトナムで携わっていたオットの会社のベトナム人スタッフが日本語研修で仙台にいるので、会いにいく

ついでに、仙台の桜に出会えたら嬉しいな、というよこしまな気持ちを持ちながら…

そのことを報告できたらと思っています

 


住めば都というけれど

2015-02-24 20:50:34 | Weblog

2月24日 くもり 28℃

旧正月の休暇から帰ってきてみると、相変わらず霧に覆われた視界のないくもり空ながら気温は、ずっと30℃前の日が続く予報

毎日が霧と湿気であふれていてもこのくらいの気温になると、ちじんだ心と体がおおらかになり、気持ちの良い日だねとの挨拶ができるようになる

今回の休暇で訪れたのは、フィリピンセブ島というべたなリゾート地ではあったが、ハノイにないあおい空、きれいな空気、そして透明な海と白い砂

きりりとした輝く日差し、おどる光と漆黒の影の世界、それを彩るとりどりの緑いろの重なり、非日常がそこにはあった

   

  

海辺で過しているとその土地で使われている船のかたちに興味がわく、セブ島では、漁船も観光船も、船体の両脇にやじろべえみたいな足がついている

おそらく、バランスをとるためだと思うけれど、私たちがあめんぼうみたいと呼ぶ、こんな小さな船で漁にでている

整備されたリゾートから外にでるには、何重もの厳しいゲートチェックを受けなければならないが、あえてでてみると

市街は貧困にあふれていて、大人も子供も、暗い表情で座り込んでいる人が多いのに驚く

人々の移動は、ワンボックスカーを改良してベンチをつけた12人乗りの簡易バスか、側車付きのバイクでベトナムで定番のバイクは少ない

ということは、それを買うこともできないのだと思われる

         

このバイク、窓のない箱の中に2人、外の座席、バイクの後部座席、横と座れるところであればどこにでも乗せ人を運んでいる

バスの中がいっぱいの時は、出入り口に両手をかけぶら下がるようにして立っている人も見かけ、危険は自己責任で回避するということなのか

街にあふれる瓦礫、ごみ、バラックのような家、タクシーに乗ると、運転手がしきりにドアのロックをチェックする、窓は手動であけることができない

運転手から危機感を感じ、すこし緊張する

ハノイにもどり、鉛筆のような家並みが美しく思え、人の表情も明るいのに安堵し、バイクの所持率の高さに豊かさを感じることができた

ハノイとフィリピン、駐在地の住みにくさの度合いは同じレベルとされているらしいが、そうかしら…

たまに外からハノイを見てみると、ああ、この地に暮らせてよかったと、ないものねだりの旅行から、逆に新しい発見ができた

 

 

 

 


桃の里

2015-02-15 09:22:26 | Weblog

2月15日 くもり 25℃

ハノイの街は師走真っ盛り、車の間を金柑バイクや桃バイクがせわしげに走り回り、危険極まりない。

アウコー通りには、ハノイで一番大きなクアンアン花市場がある。

桃の枝を山積みにした自転車の花売りさんが、この市場を中心にして放射線状に広がって並び、一面桃色のかすみのかかったような世界が広がっていて、とても美しい。

旧正月、テトの花は金柑と桃の花、というのは以前報告した事があるが、このような通りが桃色に染まるほどの桃の枝がどこから集まってくるのか、不思議だった

       先週、写真クラブで桃畑の撮影会に行き、納得  

バナナの林を背景にした桃はシュールだねと会話する

         花市場の奥の紅河の河川敷一面が桃の畑となっている  

枝の下にはほかの花、野菜も植えられていて、桃の花は観賞用、実は栽培しないので、他の季節の現金収入に必要なものがしっかり用意されている

昔、タイ湖と紅河の間にある土地でどこも花木を栽培していたのは、お城に近かったことと、

このあたりは川に囲まれていて、農業に適した広い土地がなかったことが原因のようだ、

しかし、都がフエに移ってからは一時すたれたこともあったらしい

しかし、フランス植民地時代に西洋の習慣が入ってきて、花を飾ったり、贈ったりするようになり、再び花木の栽培が行われるようになったということだ

ここ、ニャッタンに桃の花が植えられるようになったのは、20世紀に入ってからのことという

タイホー地域は金柑、ギータムは蘭の花の栽培と、それぞれの村で特定の花を栽培していたようである

そんな歴史もふまえ、旧正月前のこの季節、畑にまで桃の枝と買い求めに来る人でにぎわっている

      そうなるとこんな綿菓子やさんや   

貸衣装をきて写真を撮るスタジオもできて、写真好きのベトナム人のニーズに合わせたお商売も盛んである

     この桃の枝のお値段を聞いてみると、300万ドン(15000円)  

別の人で5万円もするものを買っっているのを見たという人もいた、季節のものにはお金はケチらないのがベトナムの人らしい

広い桃畑、作業の人はこんな感じ  

テト前の風景をもう一つ前の週日本から友達がきて、街案内をしたときのハンマー通り

      テトのお供えものでここは金色の世界

車は通行止めだけど、バイクはOK、バイクに乗ったままたくさんの買い物客であふれていた

活気のある風景に圧倒され、このところ旧市街に出るのは控えていたが、今日はそろそろ落ち着いた感じ

日本人の単身者は家族のもとに帰り、ベトナム人は田舎の家族のもとに帰り、それぞれがお正月をすごすために、ハノイから離れていっているからだろう

かくいうわたしも、明日から、ハノイを離れ、南の島でのんびり過ごしてくることにします

 

 

 

 

 

 

 


ドンラム村

2015-02-05 22:45:07 | Weblog

2月5日 くもり 12℃

ハノイでまったりのんびりの空間がほしくなったら、ドンラム村にいくことをお勧めする。

わたしも先月日本からのお客様とご一緒したのがはじめての訪問だが、途中の田植えの風景と重なり、もう一度行きたいという思いにかられている

ドンラム村は、ハノイの西50㌔、紅河の南岸のソンタイというところにあり、車で1時間半くらいの道のりである

村の守り神は西南にそびえるバービー山、標高1700m、ハノイで一番古いドンモーゴルフ場からも見ることができ、信仰の山とキャディーもいっている

この村は、昔から多くの英雄をだしたり、科挙合格者などが建てた400年前の立派な家などが保存されていて、村全体が伝統的な姿を保っている

2003年に、ドンラム村農村集落保存プロジェクトが開始され、現在も引き続き、JICAの職員さんがこのプロジェクトに携わっている

ドンラム村にある5つの集落が保存地区となっていて、村全体の人口は7000人

この村に入るための門は登録車以外は通ることができず、門の外にある駐車場に止め、歩いて入ってゆく

            村の唯一の教会 

        レンガの壁、この赤いざらざらした色が印象的な村の風景

  どちらも台所かな、井戸と甕と壁につるされたお鍋  

              古い民家の中庭に並べられた、村の特産の味噌の甕

           村人の足は自転車が多い

 民家でいただく食事    ゆでキャベツ、揚げ春巻き、鳥の蒸したの、豆腐の煮物、干し大根の煮物

この食事のヒットは、干し大根の煮物、少し厚めにスライスし、空き地にじか干ししているのは非衛生的でちょっと驚くが

これを調理したら(おそらく洗って)、お大根の甘さと、風味とこしこしした歯ごたえがなんともいえずおいしいし、ご飯のおかずに最高!

村で食事を頂くためには、2時間以上前の予約が必要、理由は、鳥をしめないといけないから…鶏肉は歯ごたえがあってうまみが凝縮している

お醤油と庭先の味噌と塩で、好みの味をつけて、ご飯は大きな鉢に何回でも持ってきてくれる

村の伝統的な家は、窓がないので暗くて、夏は風が通らず暑いし、冬は土間で寒さが厳しく、住みずらいことこの上ないらしい

エアコンも、水のタンクも、テレビのアンテナも、村の景観を壊すということで禁止

昔ながらの生活はかなり窮屈なので、このプロジェクトに反対する住民もいるらしい

のんびりした風景は都会人の憧れではあるが、村人にとっては…疑問かな?


ToTo カレー皿

2015-02-02 21:08:58 | Weblog

2月1日 くもり 15℃

そういえば、あんなこと言ったっけー…と、本人は忘れているのに、言われた人は忘れられないことって、よくあること

あーあ、言うんじゃなかった、と今回も反省すべきなのか、心遣いが嬉しいと喜ぶべきか…

ゴルフのコンペの賞品でオットが持ち帰ったものがこれ  ショールームに並べられているもの

なに、これ、どうやって使うの?…使えないじゃん、いらないし、といいながら棚の奥深くにしまってしまった、だってあんまり見たいとも思わないし

ばってん会という名の福岡県人会が月一回のペースで行われている

みなさんまめに参加してくださるし、ばってん会コンペと称するゴルフコンペも行われ、和気あいあいとした楽しい会である

ToToとか、浄水のタカギとか全国に名前のとおった福岡の企業がハノイに工場をもっていて、社員さんはもれなく福岡にゆかりがあるということで、会社ぐるみでばってん会に参加してくださっている

で、ある日、ToToの人に、オットが賞品でいいただいてきたものは何の役にもたたない、どういう目的で作っているの?置物にもならないし…

もっと目的をはっきりさせて作ってほしい、例えば、ゴルフコンペ優勝者のためのお皿とか、ToTo製でみんなが喜ぶもの

ほら、ToToカレーとかいって優勝者にたべてもらうとか、ビールのグラスとして使えるものとかなんてなんだかんだ、お酒の席での会話と思っていたら…

先日のばってん会で、ToTo社員がかなり参加、にこにこ顔で、かずちゃんのためにお皿を作ってきましたと、社長自ら手渡ししてくれる

なんか不安な気持ちで箱を開けると、やっぱり…ほんとうに作ったんだ…  ToToカレー皿2個

手洗いのところに、ふくじん漬け置き、スプーンたて、ちゃんと考えている、しかも厚みの間に水がたまらないように水抜きの穴まで、実物そっくり…

これを作るための、苦労ばなし、便器談話の楽しい会話がえんえん続く、けど、退屈しない

最初の写真のものは、何じゅう分の一かの縮小版、本物と同じ材料で縮小しただけのものをつくるのに長い時間と費用がかかるそうだ

で、私用に作ってくださったものも、本物と同じ材料、縮小率を計算しながら、お皿の角度、手洗いの高さと角度と、緻密な計算が必要で、5,6個試作品をつくり、やっと完成したものらしい

しかし、いまだ改善の余地ありで、お皿の角度とか深さ、どっちにカレーを入れると食べやすいか、さまざま話し合ったという

そんなことしていないで、お仕事をしてくださいというのが私の気持ち

でもね、だいの大人が、よってたかって、便器を前に専門家の知識を披露し、ああでもない、こうでもないと語っている姿を想像すると、なんだかほほえましい、それも私の一言のために…

私たちが帰国するということで、作ってくださったものなので、当然、目的を達成しなければならない、

あんまり美しいものではないし、いただくのも勇気がいったが、みんなのあたたかい心と一緒に、完食することができた

オットは、これは気持ちと一緒に日本にもって帰ろうね、という、確かに、大事に持って帰ることにする、ありがとうございます…

 

 


ベトナムの旧正月 テトまえ 

2015-02-01 19:44:06 | Weblog

2月1日 くもり 15℃

久しぶりののんびりした週末、朝食のフォーを食べに外にた

ハノイは旧正月前、年末であるので、街がざわざわし、人や車、田舎から出てきたもの売りさんでにぎわっている

年末の大きな行事に、12月23日(今年は2月11日)、オンタオという、かまどの神様の日がある

通常台所に祀られているかまど神(日本の荒神さまみたいなもの)は、陰暦12月23日に鯉(龍の化身)に乗って天に昇り、玉皇上帝に家族の1年間の善悪を報告し、30日の大晦日にもどってくると伝えられている。

この日は、かまど神に紙製の冠・靴を供え、生きた鯉を1匹、川や池に放つという行事を行う 

天秤棒にぶら下がっているのが、冠と靴のセット、あとは、その他のお供えもの、こんな感じで街中を売り歩いている

家の守り神であるかまど神が天に昇っている一週間の不在中は、ももの花を飾って魔除けをするということになっている

そのため、街中には自転車の売り子さんがいっぱい  

今年はテトが遅く2月16日、1月の初旬はすごく寒かったが、その後ぽかぽか陽気が続き、昨日からまた寒さが戻ってきたという気候

桃の花にとって、時期に合わせて開花するのは難しく過酷なもの、農家さんも苦労すると思う

先週の金曜日(1月30日)、用事でいったサービスアパートの植え込みの桃の花は満開で、きれいなピンクの世界が際立っていた、これが自然体

      

私のハノイ滞在期間もひと月を残すのみとなった

ぶらぶら歩きをしながら、やっぱり好きこんな景色、としみじみ思われるのは  緑濃い街路樹と隙間にみえる空

あとどのくらい、ハノイの好き、に出会えるのか…

 

 

 


ホーローの食器

2015-01-22 10:22:45 | Weblog

1月23日 くもり 24℃

キッチュなホーロー食器がいま友達の間で話題になっている。

実は私は、3月7日に本帰国の予定であり、そのためか、日本からのお客様が数組来越予定、彼女たちに楽しんでいただけるハノイを探索中である

    ホーローの食器もいいかも…ということで、行ってみた  

ガイドブックにも載っているお店、店先にディスプレイされたホーロー食器に気持ちがそそられる、かわいい…

ちょっと分かりずらい問屋街にある食器やさん   こちらのホーローは前のお店の半額くらいでお安い

しかし、台所道具、メラミンの食器の中に埋もれている中から探さなければならないし、数が少ないのでお目当てのものは見つかりにくいかも

   写真を撮っていると奥の方でおばさんがピースしているとの友達の言葉に  

再度挑戦、いい笑顔、ベトナムの人には珍しい笑顔と人懐っこさに心があたたまる、こんな光景にはめったに遭遇しないもの、うれしい

       マグが8万ドン(400円)くらい、お皿が小さいので7万5000ドン(350円)くらい

引っ越し荷物はできるだけ少なく、生活はシンプルに、物は置かないを目指しているわたし、こんなもの買っていいのかなあ、何に使おう…

子供のころのイメージと違う使い方があるはず、考えてみるのも楽しい、そしてきっと、帰る前に買い足してゆくのだろうな…荷物、増えちゃうな…

お昼を食べ損ねた私に付き合いカフェでひと休み 真ん中のココナッツアイスクリームがわたしの

カラメル、カラメルタップカムはプリンだけとプリンにいろいろ混ぜたもの、みんなあっという間にたいらげてしまった

カフェや街中であんまり物を食べないわたしにとって、これは久しぶりの経験で、こんなハノイもあったといまさらながら、新発見に心がおどった

 


ハンザ市場

2015-01-21 08:23:35 | Weblog

1月21日 くもり 23℃

ハノイに住んで2年たって、はじめて新しくなったハンザ市場にいってきた  

以前住んでいた時、ヘリテージのガイド初体験がここで、資料を読んだり、調査したり、原稿を作ったり、思いっきり歩き回った記憶がある。

日本からの友達を案内したとき、頭が痛いといって中に入らなかったのは、霊感の強い子なのでさもありなんと納得したのだが…

ハンザ市場のある地域はハノイ城下の東のはずれに位置し、近くに河が名が流れているので昔は革製品の問屋市場として栄えていたが、その後いろいろなものを売るようになり、ますます人が集まる場所になった

そんな人の波に隠れて、反政府グループの地下活動の拠点となったのもこのあたり

印刷所の地下でチラシを印刷して発送したり、放送局や新聞社もまわりにあった

1945年から1954年までのベトナムがフランスからの独立を勝ち取る戦争の時、フランス軍はこの近くに砦を築いて拠点として戦った

ベトナム軍もハンザ市場の前のホンハー劇場に本拠地を置き戦を続けたということで、この市場の周りには多くの人の血が流れることになり、霊感の強い人は苦しくなるのだと思う

2010年ごろハンザ市場は壊され、地上4階地下2階建ての新しいビルに建て直されたことで、ハノイらしい風景が消え、足が遠のいてしまった

友達から、ハンザの2階がおみやげやさんっぽくなって、面白くなったとの情報を聞き、いってみることに

地下は古着屋さん、洋服屋さん、食品など以前あったお店が戻ってきたようだが、以前よりきれいに区画が整理されつるされるようになり少し清潔っぽい

バチャン焼き屋さんも健在で並んでいる、B級品だけど安いと聞いていたけど、たしかにバチャン村や2階にあるお店よりお安いようだ

2階が一番充実していて、3階は改装中というところか…  区画わけやディスプレイが今風で楽しい

  

残念なのは、売り物と思うけど値段がついていないこと、値段を聞いて買わないと、いくらだったら買うのかと交渉してくる、これは今も昔も変わらない

旧市街にない展示のやりかた   

いまのハノイはスクラップアンドビルドで、空気が悪いのに加えてものすごく埃っぽい、そして新しいビルが建ち、道ができ、どんどん変わっていっている

そうなると、便利できれいになるけれど、昔風の暮らしがなくなり、ハノイのお寺のようにどこもまるで同じもの、同じ景色に変わってゆきつまらない

私の好きなハノイの景色は、木立ちとともに暮らしている人々の生活、木立ちにおおわれた道路、緑に覆われた街並み

壊れかけたレンガ塀に移る影、きりなく並べられるので、ここでやめることにしよう

 

 


かもめの玉子とふじたま

2015-01-16 21:55:27 | Weblog

1月16日 はれ 17℃

日本ねたが続きます

年末乳頭温泉にいった長男夫婦のおみやげの、「かもめの玉子」

山梨石和温泉でかってきた 「ふじたま」 

「かもめの玉子」は、1952年、二町五村が合併し、大船渡市が誕生したことを記念して生まれたお菓子

「ふじたま」は、おそらく、富士山が世界遺産に登録されたことを記念してあやかり商品かとおもわれる、値段はどちらも忘れた

どちらも黄味餡をカステラ生地で包み、ホワイトチョコレートでまわりをコーティングした、まるで同じもの、これでは「かもめの玉子」はあせっただろうな

でも軍配は、「かもめの玉子」にあがった

カステラ生地のしっとり感がまるで違う、口あたりもやさしい、まねっこするなら、元祖を超えるものでなくては…と思う

コピー大好きなお国柄のベトナムに暮らしていて、そのことを非難していたが、日本にもコピー商品があったことは少し残念

そういえば、今日、「ごまたまご」をいただいた、これも同じようなお菓子だが、このお菓子が出たときから、私は好き

まっ、おいしければいいか、ご当地のものだから……でも少し、個性がほしいかな、名前だけでなくて…