四季の彩り

季節の移ろい。その四季折々の彩りを、
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「綜合詩歌」誌鑑賞(10)「深山桜の舞」

2022年04月08日 19時13分39秒 | 短歌

-戦時下、空白の短歌史を掘り起こす その10-
     「深山桜の舞」


 北信濃の山峡に深山桜が散っている。信濃路の遅い春を淡紅に彩る深山桜。その花の開花は長く厳しい山国の冬を耐えてきた里人の希望であり、春の象徴でもあった。未踏の山峡にあって、若葉の陰に慎ましく咲く深山桜は、楚々とした気品さえ漂わせている。そして、他の木々の芽が萌えはじめる時、咲き満ちるおごりも示さず静かにその花弁を散らせて行く。
 舞い行く花びらは、落花の気負いに遠い清々しさを湛えている。木々と山並みとが太古から
繰り返してきたであろう生命の律動。その確かな調べにおのが身を委ねた花びらは、実りへの
確かな予兆を秘めて軽やかに散っていく。


     「地元での呼び名 深山桜」

 街中に咲き誇る染井吉野の落花の様は、ひたすらに散り急ぐ美意識を駆り立てる。その気負いに満ちた落花の華麗さに比べ、深山桜の落花の清々しさは際立っている。
 かつて、戦地に赴く若者達が悲壮な決意の中で、この深山桜の落花の様に出会っていたなら、あるいは「散華」などと言う思想を拒みえたのではないか。そんな思いを抱かせるほど生命の温もりに満ちた落花の舞がそこにある。

 季節の移ろいのもつ哀しみよりも、実りへ向かう豊かさを告げ静かに舞う深山桜。その舞に導かれ遥か戦時下の五月へ、歴史を遡ってみたい。 昭和十九年五月に発行された「綜合詩歌」五月号について前号に引き続き、短歌、歌論を中心に紹介、鑑賞を行っていきたい。
 本号に作品を寄せた代表的歌人は吉植庄亮、光田作治、上林角郎、築地籐子、西村徳蔵、
野村泰三の各氏を含む十八名の方々である。
 アッツ島、ケゼリン島、さらにコット島の三度の玉砕。その報に続き、日本の制空権をも
手に入れたアメリカ軍のB29による、本土空襲で多くの死傷者を出すに至って、「決戦」の
敗色はさらに増し人々を重く覆いはじめた。



 「綜合詩歌」五月号に代表歌人として名を連ねた主要歌人の歌にも、これらの情況が色濃く反映している。熾烈さを極める戦局下、その状況に真向かいながら、なお人間としての生のあり方を表現者として見つめた歌、さらには魂から零れ落ちた先達の思いの刻まれた歌を抄出させて頂くものとする。


命生きたり                  吉野 庄亮
 現身のきびしき戦は炎なす坩堝にありて燃えのこりたる
 この十日からく保ちてありにけるわれの命に生きて間向ふ
 わが命生きてありけり高射砲来る敵機にとどろく都に

女子挺身隊                  光田 作治
 愛しさよ小机に小さく花活けてをみならしくをり機会の中にも
 火花もる眼は鋭けれうつむける背筋の暢びの未だ稚き
 戦はむ意力の冴えはその眸に散る金屑は顔てりかへす

信楽                     西村 徳蔵
 冬の日にあたたまりたる石のごと幸閑寂のなかに息づく
 まぎれなき死にの嘆きの三年経てかそかに伝ふ韻(ひびき)は澄めり
 歎異抄薦めし人のこころばせ皓々としてをりふしにほふ

暁天                     築地 藤子
 わが寝ぬるふとんの裾に月させる暁にきく爆音あはれ
 星月のいまだきらめく暁天を飛行しゐるは誰の子ならむ
 目覚むるやただに聞く爆音いさぎよしあわれ機上は寒からましを

寒村                     松本 千代二
 炭俵になひて下る山岨の斑雪を吹きてひびく風あり
 バスがあげし埃しづまる草の上茜ながれて人影もなし
 天心に寒の月ありこの村のしづけさ占めて寺の大屋根

乙女の歌                   野村 泰三
  ―愛人を戦場に送る乙女のうたへる―
 その門出は涙を見せずとちぎりしを笑顔にむかひて瞳うるみぬ
 若く生きてあはれたましひむすばれぬ戦場へ君はわれは職場へ
 生別あるひは死別となるか君を送り最後となしぬ万歳の声


 背筋の暢びに未だ稚さの残る「女子挺身隊」を、温もりに満ちた眼差しで見つめつつ詠んだ
光田作治氏の一連。恋人を戦場へ送る乙女の心情を、その乙女の思いで詠った野村氏の「乙女の歌」一連。いずれも厳しい戦時下にあってなお、感傷に溺れず生への希求そして、哀しさと歓びを、その歌の調べの底に滲ませている。



 時の文部省は、この昭和十九年五月十六日「学校工場化実施要綱」を発表した。学校を一大軍需工場とするこの要綱は、未だ稚さの残る「女子挺身隊」をも大量に動員し編成していった。そして、この編成は後の「ひめゆり部隊の悲劇」へと連なっていった。

 当月号では、今まで連載されてきた古典抄が中断された。歌論については熊谷武至が戦時下の短歌のあり方を、作歌姿勢も含めて辛口の評論を展開している。曰く「私は作者の国民としての日常を誠実につくしているものと信じている。それにも拘らず、歌の作者として誠実が
尽くされているとは信じ得ない作品があまりに多い・・・」と、歯に衣を着せぬ小気味の良い
批評が続く。文章の抜粋は紙面の関係から割愛するが、評論の姿勢、視点の鋭さには学ぶべき
多く、貴重な資料でもある。

 先月号から始まった新企画に、前田夕暮氏ら代表歌人による「題詠選歌欄」があるが、当月号は杉浦翠子氏の選で、お題は「空」であった。戦時下と言う時代の状況を色濃く滲ませた「秀作」には次の三首が選ばれている。

 ○冬晴れの空のはたてに静もるは疑居久しき雲にてありなむ   成瀬 初次
 ○ゆるゆると宙返りせり青空に大き弧描きつつ機影かがやく   直原 研一
 ○屠りし無電入り来もその機はや還り来ぬ空眺めて久し     本間 篤太郎


 社外歌人による題詠選歌の欄は、作歌技術の向上につながるばかりでなく、選者との歌を
通しての真剣勝負が可能となり貴重な試みと言える。
 当月号には、これらの企画欄、歌論と共に金井章次博士の「新たなる権利を繞る異民族統治」と題する論文を初め、村田保定、小田寛一、泉四郎、鈴木亜夫、野村泰三の各氏が論文、随筆、さらに詩論と多彩な研究成果を寄せている。

 特に、金井博士の論文は時代背景を考慮に入れても、なお、現代社会への警鐘を伴う鋭い
指摘とともに、同胞愛に満ちた温かなまなざしが行間に溢れている。この論文は次の文章で
結ばれている。「東洋の特性は社会的にも個人的にも、よく中庸と調和を得るということが
真髄である。吾々はこの点を活用してゆかねばならぬ。」


     「咲き競う 染井吉野」

 空襲機が首都圏を襲い、万を越える死傷者を出すに至って決戦が遠い太平洋上や、大陸での
ことでなく、本土での現実のものとして人々に実感されるようになった。日々熾烈さを極める
戦局の中で、一筋の光明を求めるように詠った歌。それは祈りそのものであった。そんな祈りと、底深い哀しみを滲ませた歌を投稿歌より抄出させて頂いた。


○われに似し子の面影のかなしさよ分けし命の短かかりしを    熊倉 鶏一
○飛行機を飛行機をと叫び砲陣にはてたる兵の眼がきえやらぬ   竹町 俊
○マーシャルの其の後は聴かず音絶えし帝都の表に湛へたるもの  金剛 みを
○神経の痛みに耐へて書きましし母が葉書の文字はゆがめり    久佳 史哉
○この山に再び木々の茂れるを永久に見ざらむ我い征くなり    古谷 秋良
○声もなく土に死にゆく貧農をむしろ懐かしく思ふ日のあり    小鴨 鳴秋
○ひだまりにはつはつ咲きし梅なれば湖北に散りし君に捧げむ   河本 文子
○みいくさに背を征かせて夜々馴れぬ業にいそしむ若き妻はや   田村 幸子
○悲報告ぐラジオの前に幾たびか声に立てねど吾は泣きたる    最上 陽
○征く君に悲壮のあかししらしめずかへり来しかや駅の別れ路   吉本 長子
○はろはろと汽車酔ひしつつ老母は出で征く吾を訪ひたまひき   小泉 憲寿
○わがとものみ霊を包むしらぬのの白きが沁みて目のくもりくる  飯島 浪花
○常の日と変わらぬ母や愛し子を御楯と送り思ひふかからん    下田 敬一郎


 こみ上げる哀しさ、辛さ。その思いを抑えて吾子を、夫を、そして恋人を戦場に送る。
そのかたわらに白木の箱を白衣で覆われたみ霊が帰還する現実。その現実を見つめながら慟哭とうめきを越えて紡ぎ出されたこれらの歌群。悲しみと呼ぶにはあまりに深い喪失感。慟哭は
抑えようもなく、眠れぬ夜と涙に暮れる日々を重ね、そのあとに訪れたであろう諦観。その濾過された思いの澄明さと共に、祈りを越えた重い響きがこの歌群から聴こえてくる。


     「咲き満ちる 染井吉野」

 江戸末期から明治にかけて、染井村(現在の駒込地区)の植木職人が大島桜と、エドヒガン桜の人為的な交配を行い作ったと言われる染井吉野。この花は葉も開かぬ前に花だけが咲き満ちて散ってゆく。この散り急ぐ落花の美が武士道の、また将兵のシンボルとして明治以来軍国日本の、とりわけ若者たちの思想に注入されてきた。未だ人生の開花も知らぬ若い兵士が「散るのは覚悟・・・」と悲壮な決意の中で歌い継いだ。その思いの中に咲いていた花は、染井吉野の不気味なまでの美しさではなかっただろうか。



 深山桜の温もりを感じさせる落花の舞は、日々色づく若葉への惜別と、豊かな実りへの
予兆を秘めて「しず心」で散っていく。それは、落花の美へのいかなる意味づけも空しいと
諭しているかに見える。戦時下の若者達の思いを反芻しつつ、その落下の舞を見守った。
                           了
                       初稿掲載 2008年4月20日

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