過日、細君の定期通院のアッシーとして浦賀にある病院に向かいました。連休の谷間とは言え、
その混雑状況に驚くとともに、待ち時間を予測し、かねてから気になっていた東叶神社を
訪ねてみました。この地に長く住みながら、ゆっくり訪れお参りするのは初めてでした。
この神社は、幕末に、遣米使節の護衛艦となった咸臨丸の艦長として、太平洋横断を
成し遂げた勝海舟が、航海前に水垢離をした後、山頂で断食したと伝えられています。
艦長である勝海舟としては、冬の太平洋横断の厳しさを想うと、舟玉明神を祀る
叶神社に、切実な思いで祈願したであろうと想像できます。
神社にお参りしたのち、拝殿左側の石段(産霊坂)を上り断食したと伝えられる明神山の
山頂に至りました。
かつてテレビの番組でも取り上げられて、出演タレントが「二度と来ない」と言っていた石段は、
かなりの急傾斜で200段を超えていました。日ごろジョギングと水泳で鍛えているとの自負も
私にはありましたが半分ほど進んだ段階で、ふくらはぎがぴくぴくする状態となり、タレントの
言葉の意味を改めて実感しました。
スダジイ、マテバシイの茂る明神山の山頂には奥宮が鎮座して、対岸の房総半島が一望できました。
ここには浦賀ドックで殉職した人の慰霊塔があり、現在の住友重機械工業に引継がれているとのこと。
コロナ禍の中で、スポット的に空いた時間でしたが「歴史の現場」の一つに立つことが出来、
改めて貴重なひと時を持つことが出来と感じました。
こんな経験も含めて、最近即興で詠んだ短歌を、掲載したいと思います。
☆晴れ渡るメーデーなるもコロナ禍に 籠り強いられ祭り遠のく
☆連帯は籠ることなり それぞれが己をしばりコロナ禍凌ぐ
☆竪琴を鎮魂籠めて弾きたるもビルマの春は未だ凍てつき
☆草笛に応えてくれる鶯の鳴き交わしいる新緑の森
☆野に遊ぶ遥かな日々の一齣を偲ぶことあり コロナ禍のもと
☆風なくも散りゆく花の覆いたる うす紅の道マスクしてゆく
☆コロナ禍に染まらぬ花よスズランの 真白き鈴に福音あるや
☆一筋の木漏れ日に浮く落ち椿 散りたるのちも 命際立つ
☆見上げればさらに空向く花水木 コロナ禍なれど上向きあゆむ
☆二人して一人前と言われたる 若き頃より変わらぬ我ら
☆青梅は葉陰に既に膨らみて 花の卯月も既につごもり
☆咲く力 散りゆく力花は秘め コロナ禍なれど実を育ている
☆会えぬ友ズーム飲み会誘い来る コロナ禍ゆえの新たな宴
☆花吹雪 記憶はるかな葉桜の 葉陰に淡き 今宵ピンクムーン
☆建て前かシニア支援は コロナ禍に トリアージゆえに無視されてゆく
その混雑状況に驚くとともに、待ち時間を予測し、かねてから気になっていた東叶神社を
訪ねてみました。この地に長く住みながら、ゆっくり訪れお参りするのは初めてでした。
この神社は、幕末に、遣米使節の護衛艦となった咸臨丸の艦長として、太平洋横断を
成し遂げた勝海舟が、航海前に水垢離をした後、山頂で断食したと伝えられています。
艦長である勝海舟としては、冬の太平洋横断の厳しさを想うと、舟玉明神を祀る
叶神社に、切実な思いで祈願したであろうと想像できます。
神社にお参りしたのち、拝殿左側の石段(産霊坂)を上り断食したと伝えられる明神山の
山頂に至りました。
かつてテレビの番組でも取り上げられて、出演タレントが「二度と来ない」と言っていた石段は、
かなりの急傾斜で200段を超えていました。日ごろジョギングと水泳で鍛えているとの自負も
私にはありましたが半分ほど進んだ段階で、ふくらはぎがぴくぴくする状態となり、タレントの
言葉の意味を改めて実感しました。
スダジイ、マテバシイの茂る明神山の山頂には奥宮が鎮座して、対岸の房総半島が一望できました。
ここには浦賀ドックで殉職した人の慰霊塔があり、現在の住友重機械工業に引継がれているとのこと。
コロナ禍の中で、スポット的に空いた時間でしたが「歴史の現場」の一つに立つことが出来、
改めて貴重なひと時を持つことが出来と感じました。
こんな経験も含めて、最近即興で詠んだ短歌を、掲載したいと思います。
☆晴れ渡るメーデーなるもコロナ禍に 籠り強いられ祭り遠のく
☆連帯は籠ることなり それぞれが己をしばりコロナ禍凌ぐ
☆竪琴を鎮魂籠めて弾きたるもビルマの春は未だ凍てつき
☆草笛に応えてくれる鶯の鳴き交わしいる新緑の森
☆野に遊ぶ遥かな日々の一齣を偲ぶことあり コロナ禍のもと
☆風なくも散りゆく花の覆いたる うす紅の道マスクしてゆく
☆コロナ禍に染まらぬ花よスズランの 真白き鈴に福音あるや
☆一筋の木漏れ日に浮く落ち椿 散りたるのちも 命際立つ
☆見上げればさらに空向く花水木 コロナ禍なれど上向きあゆむ
☆二人して一人前と言われたる 若き頃より変わらぬ我ら
☆青梅は葉陰に既に膨らみて 花の卯月も既につごもり
☆咲く力 散りゆく力花は秘め コロナ禍なれど実を育ている
☆会えぬ友ズーム飲み会誘い来る コロナ禍ゆえの新たな宴
☆花吹雪 記憶はるかな葉桜の 葉陰に淡き 今宵ピンクムーン
☆建て前かシニア支援は コロナ禍に トリアージゆえに無視されてゆく
Kenさんには、何時もタイムリーにコメント頂きありがとうございます。
写真に過分な言葉を頂き恐縮しています。
おっしゃるように「ビルマの竪琴」は、日本とビルマとの深い絆を
結ぶきっかけとなった物語ですが、背景には史上最悪の作戦と言われる
「インパール作戦」がありました。
国軍のクーデターに伴う、今のミャンマーの悲惨な状況に目を瞑ることなく
眼を凝らしていきたいとの思いから、短歌に詠んでみました。
なお、ハープと言っても「インデアンハープ」と言われる「アルパ」です。
ほとんどエアー演奏ですので恥ずかしい限りです。
Kenさんとはほぼ同世代と思っています。
まさに私たちの世代は、学園紛争の中で青春を送ったとの印象があります。
ただ、その熱い季節を横目にひたすらバイトと、研究室にこもっていたとの
記憶があります。当時ようやく現実的な課題となった「国産コンピュータ」の
開発に取りつかれた日々でもありました。
従って、私の短歌は、「社会派」というより、その時代への遠い憧れと、
表現し切れなかった想いを、詠んでいるとも言えます。
由緒ある東叶神社や明神山へ訪れたことはさぞや
厳かな気持になられたことでしょう。
勝海舟が水垢離と断食で航海の無事を祈願したというエピソードもいいですね。
文中のスダジイ、マテバシイなど食べられるどんぐりの文字をみて懐かしく思い出しました。
実は数年前までは我が家でも興味半分でスダジイを食べていました。
そして友人達にも勧めてもいましたし・・・
マテバシイは食べたことがないのですが、近くの
無人(?)の神社の大きな大きなスダジイの木が
2本あり、毎年そこで拾った物を・・・
そのままフライパンでから煎りした物を食べたり、
御難に炊き込んだり・・意外に美味しい物ですよ。
よく食べたのはマテバシイではなく、スダジイです。
もしかするとポエットMさんもスダジイやマテバシイを食べた体験があるのかも・・・
渋みもありませんし(感じませんし)むしろ
柔らかいほっこりとした甘みを感じるところが
いいですね。
おっしゃるような「研究熱心な学徒」ではありませんでしたが、
当時コンピュータの社会的な認知が十分されていない中で、その持つ
潜在力に魅せられたことは事実です。
湘南にお住いの時は葉山一色に住んでおられたとのこと。
おしゃれな場所ですね。コロナ禍で中々出かけられませんが、
マーロウや、最近できた葉山ステーション等に時々出かけていました。
なお、「二人して…」の短歌をご批評頂きありがとうございます。
年を重ねても、未だお互いに一人前になっていないとの自省も込めています。
kencyanも、奥さんをcookieさんと愛称で呼ばれているご様子。
私たちの年代になっても、仲の良いのは何よりと思います。
長いこと浦賀の近くに住み、気になりながらも東叶神社や明神山は
今まで訪ねていませんでした。
訪れる方も最近は少ないのか、落ち葉に埋まる明神山への階段は
結構厳しいものがありましたが、「歴史の現場」にふさわしい
厳かな雰囲気の場所でもありました。
明神山頂上にはタブノキをはじめスダジイ、マテバシイの自然林
が広がっており、おっしゃるようにスダジイ、マテバシイの実が
豊富にとれるようです。残念ながら私はこれらの実は食べたことが
ありませんが、スダジイは癖がなく美味しいと友人から聞きました。
機会がありましたら是非味わってみたいと思います。