なあむ

やどかり和尚の考えたこと

三ちゃんのサンデーサンサンラジオ32

2015年12月05日 18時52分37秒 | サンサンラジオ
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三ちゃんの、サンデーサンサンラジオ!

今週も、まるで何事もかかったように始まりましたサンデーサンサンラジオ。
お相手は、いつもの三ちゃんこと三部和尚です。

いつの間にか12月に突入してしまいました。
いつの間にか今年も終わってしまいそうです。
年々早く感じるのは歳のせいですね。

なぜ歳をとると一年が短いと感じるのか、という話を何かで読んだことがあります。
それは、経験からくる慣れ、という話でした。
こういう話です。

知らない街に行って、知らない道を初めて歩くとき、例えば、知り合いの家を訪ねるようなとき、その道はとても遠く感じる。
でも、帰り道はそれほどにも感じない。
何度も通っているうちには全く遠いとは感じなくなる。ということがある。
それは、初めての場所、初めての経験は、見るものが全て初めてのものなのでとても頭を使う。
そのために時間がとても長くかかったように感じるのだ。
一方、何度も経験していることは、珍しくもないのでそれほど頭を働かせることもない。
時間があっという間に過ぎてしまう。
だから、
子どもの頃は、毎日新しいことの連続で、見るもの聞くもの全てが刺激に満ちている。
なので、時間はとても長く感じる。
方やお年寄りは、毎日が同じことの繰り返しに見えるので短く感じる。
というような話でした。

そういうことなのだそうです。
でも確かにそうなのでしょうが、考えようによってはこういうことも言えるのではないでしょうか。
毎日同じことの連続だと思っている日々も、いつまで続くと保証されない毎日のはずです。
やがてやってくる最期の日は、来年かもしれないし明日かもしれません。
毎日同じ日の連続だと思うのは、明日も同じ日がやってくると思っているからに違いありません。
もし、今日が人生最後の日だとしたら、決して昨日と同じ日ではないはずです。
毎日が経験したことの連続だとしても、最後の区切りを想定すれば、毎日が新たな経験の連続だと気づくことでしょう。

来年も12月を迎えることが出来るでしょうか。
いやいや、12月も日数が残っています。
正月を迎えることが出来るでしょうか。
今日が最後の一日だと思えば、決して一日は短くないはずです。
せめて今年の残りの日々、毎日を最後最後と受け止めて暮らしてみたらいかがでしょう。
そうすれば、正月を迎えられた喜びは一入であろうと思います。


今日はここまで。また来週お立ち寄りください。


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