ときどりの鳴く 喫茶店

時や地を巡っての感想を、ひねもす庄次郎は考えつぶやく。歴史や車が好きで、古跡を尋ね、うつつを抜かす。茶店の店主は庄次郎。

朝まで生TV 田原総一郎&ネット社会を見て

2013-04-27 14:17:54 | 時事ニュース
4月27日 夜明け前・・・朝まで生TVをみた、・・この番組は比較的好きだ。

知らないWEB用語が飛び交い、よく分からない部分もかなりある。時代が次のステージに向かっているのかもしれない。
気になる語彙が幾つかあった。安倍総理、麻生副総理、北朝鮮、尖閣問題、戦争責任、靖国神社参拝、などなど。政治問題についてコメントする勇気はない。

違った角度から二点。

靖国神社。・・・
もともと神社仏閣は余り好きでなかったが、妻が神社にある大木が好きで、アッシー君としてお供をするうちに知識を得、疑問な点は調べる様になり、少し分かるようになった。その知識からだと、靖国神社はどうも異例な存在である。
神社には、たぶん大きさから、神宮、大社、神社、宮などがあるようだが、祀ってあるご神体は様々であるらしい。それは、石であったり玉であったり、鏡や剣や木や山や、あげくに那智神社のように滝の例もあるという。数の多い氏神神社は、基本は田の神で祖先が同等に捉えられ、神明神社となった。神明神社と伊勢神宮と同じ系統であるらしい。地方では、呼び方が最初お神明さまといい、のちになまって、おしめんさま、あるいはおしめんさんになったという。これらの神々は大変仲が良く、八百万の神として、どうも反目はないようだ。先日アニメで有名になった鷲宮神社を訪ねた時も、本殿の脇には祠を小さくした色んな神社があった。神々の同居である。
思うに、神社とは、永年を耐えた自然の重みをご神体にし、その生命力を、時々の季節節目行事のとき、分かち貰うために存在し、ゆえに人生の節目に、例えば幼児期の宮参りや厄年の厄払いの時に参詣するのだろう。ある時千木(チギ)を見て天からのテレパシーの受信機なのでは、と思ったことがある。だがそんな霊的ものでなく、穀物の倉庫の穀倉の建築様式の応用だと知った。要は神社は、生きることを謳歌し繁栄を願うためのもので、よく神社はパワースポットだという意味が分かる気がする。ついでだが、社(建物)は参詣する場所であって、ご神体を祀ってあるところではない。この様に思うに至り、昔陰鬱な感じで好きでなかった神社は、今は特に嫌いでもない。神社は、ひとえに人間の「生きる」をサポートするところで、黄泉の世界を感じさせる様な世界観はない。ここが、寺と根本的に違うところのように思う。
しかるに、靖国神社は、他の神社と違って、寺のように戦死者の墓のような取り扱いで、本来と違い、どうも政治的なにおいがしてくる。


麻生副総理。・・・
この人の人柄は嫌いではないが、時々舌禍で問題を起こす人らしい。要は正直な人なのだろう。だが、政治の要職ともなると、この愛すべき人柄も看過出来なくなる時がありそうだ。
安倍総理を生み出した自民党総裁選挙の時、安倍さんの応援団の中心にいた麻生さんは、人気で若手のホープの石原伸晃さんを、まるで明智光秀のようだと評した。谷垣さんの直属の部下が、上司を押しのけての立候補を評した言葉であった。だが、これで流れが変わり、石原さんの人気が落ち、阿倍さんの優勢が決まった。実際はもっと複雑だったろうが、僕のみならず、の感想であろう。この一般論の感想の枠を出たコメントをするつもりはない。
だが、実際の明智光秀は麻生さんが思っている明智光秀像であったのだろうか。
その頃、織田信長は、伊勢長島の一向一揆衆と比叡山や高野山の僧兵を、世界でも類を見ないくらいの大量虐殺を行っていた。比叡山や高野山には多くの公家の子弟や戦国大名の子弟が、僧侶になっていたと言う事実が数多くある。室町中期あたりから嫡子相続が当たり前になり、家督の相続が出来なくなった公家や大名の次男三男などは僧侶になることを選択した例はかなり多い。信長の虐殺を見て、これはたまらんと思い、京都公家衆を中心に、戦国大名の中で一番近かった明智光秀に事態の打開を懇願した、というのが一番真実に近いのではないだろうか。その後明智が秀吉に敗れ、災いが及ぶのを恐れた京都公家衆は口を噤み、証拠を隠滅したので、一部の証左しか残らなかった。

歴史は常に勝者の歴史である。

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