ときどりの鳴く 喫茶店

時や地を巡っての感想を、ひねもす庄次郎は考えつぶやく。歴史や車が好きで、古跡を尋ね、うつつを抜かす。茶店の店主は庄次郎。

「松本」学、あるいは「松本」考:2

2023-07-30 18:35:18 | 日記

「松本」学、あるいは「松本」考:2

2:「松本」より前に、「府中」って呼んだ?

松本市は、松本って地名の前には、府中と呼んだらしい。

府中・・・古代に中央官庁から送られた税務や警察機能などの役人を「国衙」といい、その役所を「国庁」、その存在する場所を「国府」と呼んだ。府中は、その国府が存在する地方のことで・・・

では、松本の前の国府のあった場所はどこか?が、覚束ない。このような類の歴史的な由来は、たいがい市の広報に案内があるものだが、不案内である。
では、どこかに詳らかにされていないかと調べてみると、「松本の歴史 - 岡田地区編」というのが「フェースブック」に載っており、若干詳しいが、断定に足る資料であるかどうか」は不安定に思える。
 つまり、「府中」という名称は、長らく呼びなれてきたがゆえに、客観性があり、存在を傍証的に担保するが、遺跡が少なくて場所の特定はままならず」ってとこか?


興味のある方は、下記を参照;・・・
https://www.facebook.com/rekishinopage/posts/2059106014380356/

古地図写真;

??「国府」は、「セキスイハイムスタジアム」(=野球場)と「「カリガネサッカー場」の中間地点【玄向寺】辺りかと・・

?「後丁」は、岡田伊深?の「伊深」のこと、

伊深」は「井深」に通じ、ソニー創始者の井深大の出自と聞いたが、当初半信半疑であった。後に、松本市岡田の公民館で、井深大」氏自らこの出自について講演をしたと聞いて、「本当らしい」と思う様になった。保科家家老を代々務めた井深家が、小笠原家臣から、保科家家臣へ移った経緯は分からないが、高遠以来の保科家臣は、いまだ継続が多いし、フェイクする理由も見つからないし・・・