「県政オンブズマン静岡(静岡県庁の光と闇)~よりよき未来のために~」管理人のブログ

注)teacupブログから移転の2022年5月以前の投稿には、文字コードの違いから多くの文字化けがあります。

GNH

2011-03-09 23:26:00 | 雑感
旅支度もほぼ整い、後は週末の出発の日を待つばかりとなった。
ここに書くのも11日が最後となるだろう。

さて、最近の中東での革命的な民主化への動きとは対照的に王が自ら王位を放棄し民主化を選んだ国がある。
「国民総幸福量は国民総生産量よりも重要である」との国王の発言でGNH(国民総幸福量)という概念を提唱したブータンである。
今回の旅行のメインの渡航先であるが、提唱から30年経過した現在、この国も電気ばかりか携帯電話も普及し始めインフラ整備による近代的経済活動の波がかつてのGNHとは異なる価値軸を国民が持ち始めているようであり、どのような状況となっているのか興味深く楽しみにしている。
今や、日本、そして静岡県もまた「経済波及効果」「GDP」などという経済活動量の多寡に目を向け続ける中にあって、その反動のように若年層の雇用難や高齢者や弱者の生活の困窮が拡大している。
GNH研究所の平山氏が「個人にとって不幸な出来事(事故、病気、防犯対策等)も経済活動としての支出があればGNPはプラスにカウントしてしまう」というとおり、税金を投じての無駄遣いもまた個人を不幸・犠牲にしても経済活動量(経済波及効果、GDP、GNPなど)を増加させるとして肯定されているのが今のこの国・県の在り方だ。
そういう意味でGNHはGDP・GNPのアンチテーゼの一つであるが、どちらもが矛盾を抱えているならばその止揚が必要だ。

国民にとってどのような国が理想なのか、そのためにどのような国づくりをしていくのか、そのことを政治家は語らねばならない。
それが行政(役人)との違いだ。
川勝平太は文化、文化、というがその先に何があるのか見えてこない。
まして、他国との友好訪問などもまた県民生活(雇用、医療、福祉など)の犠牲の上に置くべき意味が不明である。真剣さを欠きおろそかにしていれば、その結果もそれなりとなるのは必然だ。

政権が代わっても期待できないという国民のあきらめの根底にあるものに気づき、よりよき未来への希望を語れるリーダーはいずこにあらん。

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