わにの日々-中西部編

在米30年大阪産の普通のおばさんが、アメリカ中西部の街に暮らす日記

最期の食事@デイトン美術館

2015-04-13 | Museumsとイベント
 パワフルな展示を見ました。折角のお天気に恵まれた日曜日、いつもなら愛犬と公園に散歩へ行くところですが、デイトン美術館(Dayto Art Institute)で、見逃したくない展示がありました。The Last Supper: 600 Plates Illustrating Final Meals of U.S. Death Row Inmates(最後の晩餐:アメリカ死刑囚達の最期の食事を描いた600枚の皿)が、今日が最終日だったのです。


白い壁に、白いお皿が並べられているだけの展示です

  
やっぱりピザとハンバーガーが人気のメニュー

  
ハーゲンダッツのアイスクリーム、ジョリーランチャーというキャンディーというリクエストも

 死刑になる前の、自分の人生における最後の食事。どうせなら今まで食べたことのないような高価で豪華な物を食べて死にたい、と、私などは思うのですが、実際に、これが最後と思うと、食べ慣れた物が欲しくなるのでしょうか?それとも、ピザやファーストフードのハンバーガー以外に思いつかないような人生を送ってきた人々なのか… 

製作者、ジュリ-・グリーンさんの意図は、
the work illustrates the very human aspect of nurturing an individual condemned to death, but the art also raises the complexities of "the death penalty, the victims, the heinous crimes committed, the individuals executed, the large number of minorities on death row and the margin for error in judicial process."
極刑に処せられる個人の大変に人間的な面を描き出すとともに「死刑、被害者、凶悪犯罪、極刑に処せられる個人、死刑囚官房で死を待つ囚人のほとんどが有色人種であるという事実、そして司法手続における「誤差」の複雑性に対する問題提起

だそうです。


その死刑囚が要望したのはピザですが、彼は一度も誕生日ケーキを食べたことがないので、私達はバースデーケーキを注文しました


 死刑囚とて、私達と同じ人間であり、モンスターじゃない。死刑制度を考え直す機会となって欲しいという意図を込めた作品群です。産まれてから一度も誕生日を祝われることすらなかった男の人生は、一体どんなものだったのでしょうか?哀れとも思えますが、だからって許される理由にはならない。死刑を宣告されるのは、重大犯罪、殺人を犯した人です。今のアメリカに、思想犯だとか政治犯で極刑になる人はいません。彼らに殺された被害者は、最後の食事を選ぶ機会すらなかったはずです。

 私自身は、死刑擁護者です。大事な主張なので太字にしました。基本的にキリスト教国であるアメリカでは、死刑反対の理由として、「人に人を裁く権利があるのか?」という声がよく聞かれます。でも、人が人を裁かねば、他の何が審判を下すのでしょうか?本当に「神」がいるのならば、何故、その神は被害者が殺されることを赦したのか?被害者たちの唐突な人生打切りを「神」はなぜ赦すのか?神様には神様の言い分があるのかもしれないけど、そこんとこ伝わってこないから、自分たちで何とかしなきゃ、っしょ?自分たちで決めるのがイヤだから、神様に任せましょ、ってのは逃げだよ。

 もちろん、現在の方システムには多くの欠点があると思います。上にある通り、死刑囚全体の割合に見るアンバランスな黒人の多さ、冤罪の可能性に加え、例えば、死刑を禁止する州もあれば、比較的簡単に死刑宣告下す州もあるという自治体による刑の重さの違いや、法の執行者である。例えば警官を殺したら自動的に極刑といったような「人の命の重さの差」など。特に、白人警官による黒人射殺の事件が続く昨今の状況と関連付けてみると、死刑囚には黒人が多く、警官を殺害したら自動的に極刑という今のシステムのおかしさが浮き彫りになります。

 こと、つい先日起きたばかりの、逃げる丸腰の黒人を白人警官が背後から何度も撃って射殺の上、隠蔽を図ったことが、通りすがりの人がスマホで撮った動画によって真実が暴露された事件など、手軽に写真や動画が撮れ、SNSでの拡散ができるようになった現在ならではの一件でしょう。実際、撮影された動画が広まって警官の横暴が暴露される例は多いのですが、今回に関しても、たまたま誰かが動画を撮影していなければ、いくら目撃者が自分が目にした真実を訴えたとしても、自分が逮捕される可能性だってある。たまたま、その場に目撃者がいなかったら、今回の事件は、一方的に警官側の言い分だけで闇に葬られたはず。

 この社会は、法システムは、どれだけ信用のおけるものなのか?そう思えば、確かに、この「最後の食事」の皿を前にした数時間後、死刑になった人々の中に本当に冤罪の犠牲者はいなかったのかと気になります。されど、何か疑われるような行いをしたことあるから信じてもらえなかったんじゃないか、とも思う。そして、死刑囚にかかる費用は莫大なので、ハリウッド映画よろしく、立て籠って人質を殺めた等の明らかに有罪って犯人は、とっととその場で射殺した方が世間の為、なんて非道徳なことも考える。

 あんまり考えたくないことだけど、人の命や法律について考えさせれた展示でした。迷ったけど、見に行ってよかった。

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