思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

田村哲夫氏が運営する渋谷教育学園渋谷校とは。古林 治

2010-07-25 | 教育

以下は、古林治さんからのメールですが、貴重な体験談ですので、ぜひご覧ください。

「日本には教育はない」、と言いたくなります。


古林です。

鈴木文部副大臣のレジュメに記載されていた熟議懇談会のメンバーに田村哲夫という人が載っていました。
この田村哲夫氏が運営する渋谷教育学園渋谷校(通称:渋々)について触れます。5年前まで姪が通っていたのです。
多分、最近の学校教育の実態がわかるかと思いますので。
渋々物語、少し長くなりますので、ご容赦。関心のある方は最後までお付き合いください。


以下は、Wikipediaに記載の事実学
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田村 哲夫(たむら てつお、1936年2月26日-)は、日本の教育者。
1936年、東京都に生まれる。麻布高校を経て1958年に東京大学法学部を卒業し、住友銀行に入行。 1962年に住友銀行を退社し、渋谷学園理事に。1970年からは同学園理事長。
渋谷教育学園幕張高等学校は首都圏屈指の進学校として知られる。また、従来からあった渋谷女子高等学校を廃止して、渋谷教育学園渋谷中学校・高等学校を新設、進学校化した。また、年に五度ほど校長講話という生徒と対話する時間を設け、現代社会を生きる術を教えている。

学校法人渋谷教育学園理事長、
同学園幕張中・高校校長、
同学園渋谷中・高校校長、
東京医療保健大学理事長、
麻布学園理事、
青葉学園理事、
日本私立中学校高等学校連合会会長、
日本ユネスコ国内委員会会長、
中央教育審議会委員を務める。

翻訳家でもあり、リチャード・ホーフスタッター「アメリカの反知性主義」などがある。

雅号は「哲山(てつざん)」。
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このほかに国連で教育について発表したことがある、らしいです。姪が渋々にいたときに田村氏が自慢していたそうです。
これだけエライ人だと(権威が沢山くっついてると)政府筋も内容については何も問わずに教育審議会のメンバーにしてしまうのでしょう。ただし、審議会メンバーは自民党政権時代の話。
今もそうなら自民党政権時代と何の違いがあるのかわかりませんね。


さて、姪はハーフで片親でしたので相応の屈折がありました。それが後日、渋々で問題になることに・・・
受験当時は彼女の片親である私の妹もまだ生きていましたが、中学一年時にガンにて他界しました。親がおらずしばらく反りの合わない祖父と暮らしていましたが、その後、私が引き取ったというわけです。
そういうわけで、渋々受験時から私が親代わりの付き添いをやっていました。
『どうして渋々がいいの?』
『あそこは自由な校風だから。』
『ふ~ん?』

入学式時にはじめて田村氏の話を聞きましたが、教育の話についてはまったく印象に残っていません。覚えているのは、知識と名声をひけらかす人だな、という点と、受験効率の話のみです。

高校一年までに受験の習慣(何の疑問も持たず機械的に勉強すること)をつけてしまえば、大学はどうとでもなる、というものでした。
実際に、入学してからの詰め込みは凄まじく、教科によっては中学一年で高校一年レベルのものをやってしまうという状態(確か生物だった)。このことを生徒たちも他の学校とは違うのだというエリート意識へと転換させているようでした。
要は、『一体何の意味があるの?』という問いをすべて放棄し、ひたすら受験知へまい進する生徒を作り上げることが教育だということです。それを高校一年までにやってしまえば勝ち、というわけ。
繊細な感性によって何かを感じ取り、疑問に思い、考え、言葉にし、対話をし、思考を深め、自らの生を鍛えていくという本来の教育のすべてを放棄するに等しいことをやれというわけです。
ここには海兵隊の教育と合い通じるものがあります。最初に人間性を奪い取り、殺人マシンに仕立てていくのが海兵隊の教育です(スタンリー・キューブリック作のフルメタルジャケットを見ていただければよくわかります)。
受験知に何の疑問も持たない生徒を作り上げる教育。それは確かに受験効率からしたら、最も高い成績を残せるのでしょう。
でも、海兵隊教育と同様、すべての生徒がそれにはまるわけがありません。
高校一年になると、クラスわけもすべて成績順、最後のクラスは落ちこぼれというわけです。精神科に通い、うつ病の薬を処方してもらう生徒が結構多い、と姪は言っていました。

さて、中学一年の最初から、毎日夜中まで予習に復習に宿題と、その量は半端ではありませんでした。姪は慢性的な寝不足状態。それでもやり残しがたくさん出ました。
意味があるのかないのかわからずに、大量の問題を解き続けるのはかなりの苦痛を伴います。それに鈍感な生徒は優秀とされ、耐えられずに落ちこぼれていく生徒は頭が悪いと思われるのです。
勉強が出来る=点が取れる=優秀だ、の単一価値によって子供たちを測ることのおぞましさに誰も疑問に思ってない様子でした。少なくとも昔は受験知は必要悪だ、という感覚がどこかにあったものですが、今やそれすらも無くなり、受験での勝ち戦という現実主義が教育そのものに成り果てているようでした。

田村校長がときどき行う校長講和は、姪に言わせると、毎回異なる事例の話を持ち出すのだが、結論はいつも一緒で自分の自慢話、成功話でしかない、のだそうです。
エライ私が君たちを教え諭すのだ、というわけですね。
私が一つ覚えているのは、当時、渋々の生徒だった柔道の中村美里(女子軽量級の日本代表)選手の話を校長がしたそうです。
『でも、中村選手って渋々で強くなったわけじゃないし、渋々で練習してるわけじゃないでしょ?』
『ウン、確かに。』
まだ、女子柔道が花開く前でしたから、そのときから力を入れればスポーツでも学校を売り込むことが可能です。スポーツで名前を売ってる学校はありましたが、それは受験校ではありませんでしたし、中学ではまだやっていませんでした。多くは私立の高校で有名選手を勧誘するパターンでしたね。
そこに目をつけたのでしょう。目ざといのは確かです。
受験成績だけでなく、スポーツでも売り込み、親から受けついだ渋谷女子高等学校をあっという間に新進の有名人気受験校にしてしまったのですから、その手腕は確かに見事です。
もちろん、学校ビジネスという観点から。
その手腕はいろいろなところに見て取れます。有名デザイナーによってデザインされた制服、同じく有名デザイナーのデザインによる机。
生徒に対する校長の推薦本リストはまた親たちの知への関心、エリート意識を充足させるものです。さまざまな哲学・思想の類の本がずらり! 竹田青嗣さんや西研さんの本も入ってました(笑)。
そういうわけで、この学校に来る舎弟の親には有名人、学者、一部上場企業の相応の地位にある人、官僚など、世に言うエリートばかりだったように思います。無意識のうちに、生徒たちはどっぷりエリート意識に染まっているというわけです。怖ろしい話ですが、おそらく、ほとんどの生徒、親、教職員はこのことに無自覚です。


そうそう、議論が大事だ!だからこの学校でもディーベートの時間を沢山とっていると田村校長が自慢していたこともありました。流行に敏なのです(笑)。
姪はどちらかというと、それが得意でクラスで準決勝まで行ったことがあります。
『でも、「山が良いか海が良いか?」、「長男が良いか、次男が良いか?」、そんなこと言い合って勝負して何の意味があるの? 自分たちが抱える具体的な問題についてみんなと話し合って深く掘り下げていった方がズーッと創造的だと思わない?』
姪は当時は『確かにそうだけど、学校が・・・・』の反応。
学校は対話を学ぶ場ではなく、弁論術、言葉の喧嘩を学び、勝ち組、ソフィストを作り上げる場だったのです、実は。さぞ優秀なソフィストが生まれることでありましょう。

この学校にい続けるのは姪にとって非常にまずいな、と思い続けた私ですが、何かのきっかけがないと転校を強く勧めるわけにはいきません。日常的にはいろいろな会話はしてるのですが。
姪:『○○ちゃん凄くユニークなんだ。お父さん、○○大学の教授なんだって。』 羨望のまなざしで。
私:『そうか、だから良識ないんだ。』
姪:『・・・・』

姪:『学年主任のM先生凄いんだ。京大出でね、新聞の端から端まで全部、どんな小さな記事も全部読んでるんだ。』
私:『ふ~ん、それにどんな意味があるの?』
姪:『・・・・』

私:『どうして渋々にしたの?』
姪:『自由な校風に見えたから。』
私:『自由な学校だったら制服なんかないんじゃない?』
姪:『あ、そーか。』
私:『あそこ、自由な学校?』
姪:『全然!』

ある日、機会がやってきました。
姪が友人のシャープペンシルを目の前でへし折ったというのです。これはいじめに違いないと学年主任のM先生と筋肉頭(と姪が言っている)の体育教師が姪をおよそ7時間に渡って軟禁状態にし、尋問をし続けたのでした。
力が強いということを顕示しようと、友人が折れるか?と持ち出したシャープペンシルをその場でへし折ったというお馬鹿な行為だったのですが、以前にネットで友人の悪口を書いていた前科があり、勝手にいじめだと決め付けて軟禁・尋問をやり続けたのでした。
この事件には、前フリが少しあります。学年主任のM先生は社会科の教師でもあり、授業中に中国の悪い面ばかりを教えるというのです。そのせいで、クラスは中国・中国人への嫌悪で満たされ、クラスにいた姪の中国人の友人がおびえるような状態にまでなっていました。
姪は『なぜ中国の悪い面ばかりを教えるのか。変ではないか。中国人のTさんのことも考えてくれ。』
と何度か異議を申し立てに行ったのですが、満足する返事はもらえません。
そのうち、両者の関係はとても良好なものとはいえない状態となりました。片や、問題のある子だ、どうにかしないと、と思い、姪の方は嫌な先生だ、信用できない、と思っている状態。
そのような関係のまま、教師が生徒を7時間に渡って閉じ込めて尋問し、怒鳴りつけるという行為は明らかに異常であり、児童虐待、人権侵害以外の何物でもありません。
姪と私は学校に呼び出されました。相手は学年主任に副校長(田村氏の娘)に教頭、それに担任と、オールスター勢ぞろい!大将の田村氏がいないのが残念ですが、彼らがどれほど優秀なのか明らかにする絶好の機会到来です。
一通り学年主任の説明があり、いじめは無かったと判明しました、と役人のような説明。
次に教頭と副校長の高尚な教育論を承ります。
一通り、学校側の説明が終わり、私の番。
やったことは叱られて当たり前のことですし、当人が謝罪し反省することも当然のことと思います。
ただし、疑わしいという理由で、信頼関係の無い教師と生徒の関係のまま、密室に7時間も監禁し執拗な尋問をし、怒鳴りつけ、被害者が落ち込んでいるという嘘を言ってまで自白させようとするのは警察の尋問と同じですね!
挙句の果てに、いじめの疑いは晴れましたではどこかおかしくないですか。
これは人権侵害ですよ!姪に謝罪しましたか?
と問い返すと教頭と副校長は目を白黒させて沈黙。学年主任はオドオドして致し方なく姪に謝罪することになりました。担任だけが状況を理解していたようです。
終了後、『辛かった?ごめん。あたし、事情全然知らなかった。』と言ってました。
多分、教頭と副校長は人権侵害についてまったく理解できなかったと思います。
学年主任は言われてから、しまった、という感じでしょうか。
このあと、姪の友人の間で、あの連中が私に謝ったんだよ、としばらくの間、話題もちきりのようでした。
エライ人たちの実態が姪にもはっきりと見えた点では良い経験だったと思います。

こうしてようやく渋々を去る決心がつき、去ることになりました。渋々の偏差値の高さがある種のプライドをくすぐっていたでしょうし、場所(渋谷)も制服もまた魅力だったのでしょう。さらに、やっとできた友人たちとの別れが決心を鈍らせたようですが、中学2年の6月の終わりにようやく我孫子中学へ転校することになりました。
本人にとっては都落ち。慣れるのに一年半ほどかかりましたが、後日、転校してよかったと本人も言っています。
普通のサラリーマン家庭の子、農家の子、学校教師の子、地元商店の子、といったごく普通の人々が普通に暮らす世界なので、極めて健全だと思います。
ここから渋々を見るといかに自分が異様な世界にいたのかがわかるとも言っていました。


受験知の実態がわかるかと思って渋々での体験を書き綴りましたが、渋々が特別でないことは今姪が通っている土浦日大の実態を見てもわかります。
洗練度は違いますが、詰め込みは一緒で、受験知=教育と化しています。理科の実験は一切ありません。教科書に書いてある、というわけです。
高校1年次から3年にいたる父母会のほとんどに出席していますが、教育の話は皆無です。
あるのは受験の話のみ。
学年主任とは何度か直接話しましたが、私の言い分に同調するフリはするものの実態は東大病に完全にやられているようです。(困ったことに、この人、竹田青嗣さんの信奉者です、笑)
江戸取(江戸川学園取手校)で最も多くの東大生を出した担当の二人がこの土日に引き抜かれ、学年主任と英語担当を担っているというわけです。
二人とも東大出であり、東大にいかに沢山の生徒を入れられるかが使命と思っているようです。
ただし、昨年度はゼロ!でした(笑)。


渋々や土日が特別なのではなく、私立校の生き残り策として受験結果がすべてという風潮ができてしまっているようです。少なくとも有名私立校は大なり小なり受験知の塊と化していると聞きます。
そこで働く人たちは無論悪意でそのような教育をやっているわけではなく、本気で子供たち(とその親たち)の要求に応えるべく必死に受験知に情熱を注ぎこんでいる善人なのです。人間破壊をやっているという自覚など当然まったくありません。それが怖ろしいことなのですが。


受験知は客観知による支配=人間性の否定、権威主義、エリート主義、思考停止を招き、豊かな民主制社会を阻む最大の要因と化しています。
これは何とかしないとねえ、と思っているところへ、あの鈴木文部副大臣のレジュメが来たものですから本当に気持ち悪くなってしまいました(笑)。

長くなりましたが、渋々物語、いかがでしたか。
この渋々の田村校長がこの国の教育の方向性に何らかの指針を与えているとなると、皆さんもゾッとされることでしょう。
日本の教育何とかしなくちゃ!


以上でした。

ps.実のところ、自由の森学園での戦争と同じことになるんじゃないかと内心、
  戦々恐々でした。
  あちらは給料もらって仕事してる身ですけど、こっちは全部持ち出しの無
  料奉仕ですからね。


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コメント


まるで「児童虐待」 (ざらすとろ)

私は受験だとか進学校だとか一切無縁な人生だったので、
実態をこのような形で伺うと、こいつらアホちゃうかと思います。

もし自分に子どもがいるとしても、こういうアホどもにだけは子どもの教育を任せたくはないものです。こういうアホがこの国を動かしているんじゃ、そりゃ、こんな酷い状態になるのは自明です。
こんな教育を12年間も強要する事そのものが児童虐待です。

少なくとも国家や経済を動かしていくだけの教養や知性、論理性、
洞察力はあのやり方では間違いなく身に付かない。
日本の未来は絶望的に暗い・・・

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まず親が覚醒しなければ (Cmoon)

7時間に及ぶ自白強要は、特捜の被疑者尋問を思わせます。
なぜ、そこに厳つい体育教師がいるのか……まるで昔の特高のようですね。あるいは、暴力団的な発想も感じます。
保護者を呼び出し、副校長、学年主任、担任とここまで揃わないと、保護者に事のあらましを説明できないのでしょうか。担任一人で済むことです。
ここにも、官僚的な臭いがぷんぷんします。我々が役所に行って、何らかの不備の説明を求めると、次から次へ責任者と言われる人が出てきます。そして、何とか問題にならないように説き伏せようとする。

何だか、怖ろしい光景を見ているようです。

フルメタル・ジャケットも彷彿しますが、ヒトラー・ユーゲントの教育現場を見ているようにも思えてきます。
どちらも人間性を喪失させ、誤った一つの価値観を持たせ、魂を失った操り人形のようにさせてしまうこと。
海兵隊は、米軍の誇りであり、ヒトラー・ユーゲントは、将来のエリートとでした。

日本のエリートが、このように創られていると思うと、暗澹たる思いです。
教育現場では、教師はもちろんですが、その前に親が覚醒しなければならないですね。
その親の世代も、受験戦争を経験している人が多く、是としないまでも、否定はしない人が多く見受けられます。でなければ受験のための塾はこれほど繁盛しませんから……

嘆いていても仕方ありません。実践するしかないですね。

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教育は「染脳」ではない。 (茶所博士)

教師はえてして権力者、独裁者になりがちですからね。生徒は反逆の精神を以て答えねばなりますまい。さもなくば、無気力で面従腹背の輩となります。
 教育関係者の言う「素直」は「従順」、もっとはっきり言えば「服従」「隷従」と混同していますね。子供のうちから奴隷化というか、家畜化というか、おぞましいことです。しかも当人たちは聖職と思っているのだから始末が悪い。
 「洗脳」というより「染脳」と書くべきだと言う人がいるほどですからね。染脳された子供が本来の自分を見失って、様々な社会問題を引き起こしているのが現在の我々の状況であると大人たちは心得るべきです。

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洗脳ではなく、占脳と染脳は根源悪 (タケセン)

先入観、既存の価値意識に染まっている脳を洗う(洗脳)ならば、よいことですが、学校は、自分の頭で考える力をつけるのではなく、脳を占拠する(占脳)であり、脳を染める(染脳)であることが多く、民主主義国家における教育になっていません。主権者=決定者は、われわれなのにです。

「公共」(こどもたちを中心として親たちと教師たちの自由対話による決定)と乖離した教育は、根源悪なのです。それを皆が意識しないといけません。東京都教育委員会(石原都知事)もそうですが、経営者による独裁的・独善的教育は許されないのです。

教育の「民主的公共化」は、現代日本の最重要課題です。

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「官=公=国家」を維持強化する (荒井達夫)

とにかく受験エリートが一番偉い、という価値観を広く深く植え付け、「官=公=国家」を維持強化する役割を果たすことになると思います。

これでは「新しい公共」など実現できるはずがありません。

とても恐ろしい話です。



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渋渋が気の毒です (小川花子)
2015-06-16 12:42:55
私は渋渋とは無関係の受験生母ですが、
いろいろなサイトで、あなただとわかる文章を読むと、
渋渋も、災難にあってしまったなと渋渋が気の毒になります。
渋渋の悪い印象を流すことに、とても夢中になっておられるのですね。人気が落ちたら自分の功績だと喜ぶのでしょうか。
いろいろあったのかもしれませんが、後ろ向きなことにこだわっているのではなく、別のことで前へ進むことを考えたらどうでしょうか。
姪っ子さんにも、ここにこだわる人生ではなく、こんなことに頭をつかうのでしたら、その分、もっと有益なことに頭を使うように持って行くようアドバイスされたらどうでしょうか。

>ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

こういう所も、反対の意見を書く人を排除し、渋渋を落としいれようとしているようで、妙ですよ。
返信する
最後の説明(これで終わりです) (古林 治)
2013-05-03 19:49:45

【東大生】さん

続きです。

姪のいじめについて改めて書きます。
私が件の文章を書いた理由は何度も書いたように、公共哲学ML(メーリングリスト)内の一部大学教授への批判として書いたものです。
民主党政権下で一部学者たちの自画自賛の報告内容に私は異議を唱えました。
一つは【熟議(社会哲学者ハーバーマスらが提唱)】を説く学者たちの姿勢です。
まともな対話すらできない人たちが啓蒙的(上から目線)に【熟議】を説く姿は奇妙なものです。
その人たちが実践しているなら何も問題はないですが。私はそれを『気持ち悪い』と表現しました。
今一つは、中央教育審議会のメンバーに問題のある教育観を持った人間(田村氏)が入っていることについて。
この後者についての私の批判に対し、何の根拠もなく品のない批判をしていると指摘があり、その根拠について応えたのが件の文章です。
したがって、姪が引き起こした【いじめ問題】の詳細がそこで書かれないのは当たり前のことです。
話の論点が異なるのですから、想像力をもってすれば、おわかりでしょう。

なお、私は【いじめ】に問題がないとは一言も言っていません。書かなかったからといってそう取るのはいかがなものでしょうか。
かの【いじめ】は、外国人との混血で両親とも失い、恵まれない状況下で育ってきた姪と、事情は違えどやはり家庭に大きな問題を抱えて育ってきた友人との間で生まれた歪んだ関係でした。これ以上はプライバシーの問題になりますので触れません。現在、二人は極めて親しい間柄です。
当然のことですが、当時、私は姪に厳しく対応しました。
その時の長い話し合いと叱責の一部だけを記しておきます。
『匿名で他者を攻撃・誹謗中傷することほど愚劣な行為はない!』



それから、軟禁事件について。
何度も触れており、もう書くつもりはありませんでしたが、【東大生】さんの問いに応えます。これを最後にしたいです。同じことを何度も書くのは不毛ですので。

私は姪から何度も確認しながら事情を聴きとりました。かなり詳細にわたって。
その結果として、私は事実関係を確信し、学校側と交渉したのです。
その上で、長時間にわたる軟禁の事実をM先生も認め謝罪したのです。
これ以上言うことはありません。
お疑いであればご自身で確認されればよいのではないですか。
参考までに以前書いたものを以下に抜粋します。

【真摯な対応に感謝 応答3 (古林 治) 2011-08-26 18:52:47】
=======================
・・・・・
翌日、1時限目の担任の授業中にMeiは呼び出されます。
担任はこの間の経緯を知らされていないようでした。普通なら、当の生徒のことを一番知る担任が責任をもって対応するのが常識です。時に叱り、 時に慰め、時には守らなければいけない立場です。その担任をパスしてM先生の独断で尋問がはじめられたのです。これ自体、異様な行動です。

MeiとN君の二人が空き教室に呼ばれ、M先生とOさんの担任A先生の二人による尋問が始まります。
それはイジメをやったという前提での問い詰めで、当初から犯人扱いでした。
(ちなみに、ペンを折ったもう一人のPさんは尋問を受けませんでした。なぜかはよくわかりません。Meiたちが名前を出さなかったからなのか、それとも他に理由があったのか。)

二人で何度も事実関係を説明しても話を聞いてくれず、『まったく仲がいいんだから!』とA先生に罵倒されもしました。
二人の教師は、Meiがいじめをやったに違いなく、それを仲の良いN君がかばっているに違いない、という物語を作って信じ込んでいるようでし た。 いくら何度同じ話をしても、嘘だと言ってまったく話を聞こうとしません。

1時間ほど詰問が続き、何も変わらないので、今度は二人の生徒を分けて別の場所で尋問し始めました。
そのあと、授業がすべて終了する夕方まで尋問が繰り返されたのですが、その間のすべてのやり取りを覚えているわけではありません。
が、次のようなやり取りがあったことをMeiは強烈な記憶として残しています。

『(N君の証言と)矛盾してるんだよ!!』
実はまったく矛盾していないことは、あとでN君の話を聞いても解りました。嘘をついてまでの誘導尋問。

『ちゃんと目を見ろ!!』
いわれのないことで監禁され、怒鳴られ、罪を認めろと長時間言われ続ければ、そういう人間の顔など見たくなくなるのが普通だと思いますが。

長時間にわたる尋問のストレスといくら説明してもまったく信用されない悔しさでMeiが涙を見せれば、
『泣くなら そんなことをするな!』と怒鳴ったあと、手のひらを返すように、おろおろするM先生の姿を見て、Meiはますます不信感を募らせました。

途中、M先生にも用事(授業?)があったのでしょう。代わりに他の先生を呼びMeiの監視をさせました。その代理の先生にに事情を話すと、
『M先生、何でそんな怒ってるんだろうねえ?話せばわかってくれるよ。』と言ってくれましたが、M先生の態度はエスカレートするばかりでし た。

『本人がひどく傷ついた、と実際に言ってるんだよ!!』
(本人とは、折れたペンを机の上に置かれた生徒、Oさんのことです。)
激昂したM先生は何があってもイジメがあったことにしたかったようです。まったくの嘘(後述)でMeiを追い詰めようとしました。


その日の授業が終了する時間になり、およそ7時間にわたる軟禁状態からMeiはようやく解放されました。

この尋問が終わった日の夜、MeiがOさんに電話をしました。
Mei: 傷ついたなんて知らなかった。ごめん。
Oさん: え!? 何の話?
別に傷ついてなんかいないよ。
Mei: え!?

この後、OさんはMeiの担任Y先生に電話をし、
『一体どうなってるんですか? 私、全然傷ついてなんかいないし、話がどんどんエスカレートしてるみたいなんですけど。』
と話しました。Y先生も事情がよくつかめていない様子でした。

M先生は嘘の話をしてまでイジメを事実にしたかったようです。これでは検察の捏造事件と一緒です。一体何をしたかったのでしょう。
MeiとOさんが仲良しだということすら知らずに尋問をしていたことも後でわかりました。
また、後に、ある教員から私が直接聞いた話ですが、この事件の前から、M先生はMeiに対し、
『あの子は、今のうちにたたいて置かないといけない。』と言っていたそうです。
イジメをやったことがあるから?
反抗的で従順でないから?
自分の授業を批判するから?
他の生徒に悪い影響を与えるから?

あとから知った事実などを考え合わせると、M先生が、何か奇妙な想念に取りつかれていたことは確かでしょう。その内実は本人しかわかりません が、どす黒いものであったことは間違いありません。
Meiをたたく機会を耽々と待っていたのでしょうか。
私はイジメや虐待に近い感情だと思っているのですが、事実を知るのは本人のみです。
・・・・・
======================
返信する
田村氏の教育観の問題 (古林 治)
2013-05-03 19:48:20

【東大生】さん

校長講和は無論、私は聞いていません。
生徒対象なのですから当たり前でしょう。
ですが、姪からは話を何度も聞きました。印象ではなく具体的に何を話したかについて、しつこいくらいに。
それから、私は田村氏の話は聞いたことがあります。これは前にも書いています。よく読んでください。
姪の印象と私の見解にはさほど違いはないのです(むろん、表現は違いますけどね)。
後日、下記の記事(週刊東洋経済での田村氏へのインタビュー記事、2007年)を読んだ時の私の見解もまったく同じです。
http://members.jcom.home.ne.jp/samest/contents/0706Tamura_InterviewS.pdf


私は前のコメントで以下のように記しました。
【子供に限りませんが、人間の生きる世界は、動物と違って本能とかい離した世界です。
私たちは意味と価値の世界に住んでいます。それが人間であることの証でしょう。
その意味と価値を探求し、豊かな心を育むのは当たり前の話です。
『何の意味があるのか?』と問うことは、まさしく【私の】意味と価値を吟味し深める(=内的価値を豊かにする)ことになります。それこそが教育の本道だと私は思います。
その営みは自己に対する自信を育み、能動性を培い、他者を説得する力を養い、より良い社会を形成するための力となる可能性を持ちます。正に民主制社会に必要な人材育成につながるのです。】

田村氏が主張するように、中学時に課す過酷な勉強が本人の自立心を育む、など到底受け容れることはできません。それは内的価値を育むどころか破壊にしかならないからです。
内的な欲求からではなく、外(学校や家庭、進学教室)から課す過酷な勉強は、本来的な子供たちの漠とした関心、希望、欲求(かけがえのない内的価値の萌芽)を奪い去り、大人が作り上げた世俗的成功という価値基準の中に子供たちをはめ込むことになります。
内実ではなく、東大、芸大、ハーバードにオリンピック、という外的価値による評価が大事という一元的価値を植え付けるのです。それは同時に序列意識を醸成します。
田村氏の言う自由とは、この枠組みの中での自由を謳っているにすぎません。枠組みを超えた自由も、その枠組みを批判する自由もないのです(何度か姪が書いた批判文は握りつぶされました)。
本来の自由とはかけ離れた世界です。
この実態について姪は語ったのです。彼女は、『渋々がその一元的価値を常に実現し続けている素晴らしい学校だ。』という田村氏の主張を『自慢ばかりしている。』と表現し、私は、ある種の人格破壊と洗脳だと指摘したわけです。
田村氏が指摘するように、麻布(開成も同様)という老舗の受験校は自由です。ただし、中学に上がる前にすでに一つの価値観に染め上げられてしまっています。当人たちに自覚的な意識はないでしょうが。
田村氏の主張は、渋々ではその染め上げを意識的に学校でやっているというに等しいでしょう。
こういう教育観を持った人間が中央教育審議会の主要メンバーであるとはきわめて深刻な公共的問題だ、と私は主張しているのです。


なお、件の生徒は娘ではなく姪です。
校長講和ではないですが、田村氏の話は私も直接聞いています。
いずれもこれまで何度か触れています。
ちゃんと読んで応答していただきたい。

長くなりましたので、姪のいじめと軟禁された事件については、別のコメントで触れます。
返信する
実名での勇気ある証言に敬服して (武田康弘=タケセン)
2013-05-01 10:55:31
ブログの責任者である私・武田康弘から一言します。

わたしは、古林さんが実名を出されて証言されたことに敬服してこれを掲載しました。

それに対して、口汚く罵るコメントや、悪口、断定など匿名をいいことにしての発言も多く(最近では渋々から東大文Ⅱに進学されたという人)、反省のない日本人の典型を見るようでした。

何度も「討論会」を開きましょうと提案しましたが、渋々生や渋々学園に受け入れられずに実現しませんでした。

なお、教育とは何か、勉強・学問とは何か、学校とは何かとういう本質論は、それをテーマにしたブログを再度出しますので、積極的にご参加ください。
返信する
Unknown (東大生)
2013-04-30 01:16:00
コメント、読ませて頂きました。
貴方の教育に対する信念は理解できたと思います。

まず、不快に感じられるような言葉遣いをしたことを謝罪したいと思います。


ただ、申し訳ないのですが、貴方の文章を読んでいて本当に憤りを覚えたので。
もちろん自分も渋渋が完璧な学校だとは思っていません。貴方のおっしゃる通り、「東大至上主義」と受けとめられる教育方針も垣間見れるかもしれません。
それは事実です。
ですが、さすがに出来事を誇張しすぎではないでしょうか!?
文字通り、全てを反論していては時間も字数もないのですが、例えば校長講話です。

>結論はいつも一緒で自分の自慢話、成功話でしかない、のだそうです。

本当でしょうか!?
自分は6年間校長講話を聞いてきましたが、そんなことはないと断言できます。
大体、貴方の文章全てに言えることですが、娘さんの意見が正しいという前提の上での話ですよね?
...、のだそうです。と娘さんの話を鵜呑みにした表現ばかりです。
貴方は一度でも校長講話を聞いたのでしょうか!?
聞いてもいない講演を、他人のしかも中学生のお子様の独断から想像で批判しているのでしょうか!?
これが貴方のいう「根拠」ですか!?
素晴らしいですね。
少なくとも自分は、校長講話から非常に多くのものを学ばせて頂きました。
校長講話を批判するなら、まずはご自分で聞かれてから、具体的にどこが悪いのかを指摘して下さい。


それとすごく気になったのが
>以前にネットで友人の悪口を書いていた前科があり、勝手にいじめだと決め付けて軟禁・尋問をやり続けたのでした。

は!?の一言です。
まず「ネットで友人の悪口を書いていた前科」
サラッとおっしゃっていますが、この行為がどれだけ悪質で、どれだけ現在の日本のいじめ問題の原因の一つとなっているかご存知ないのでしょうか!?
それとも、自称教育者の貴方からすれば、「ネットで悪口を書く行為」は大したことのないものなのですか?
自分の娘さんの「前科」を棚に上げてよくここまで批判できますね。
それに7時間「軟禁」というのも大いに疑問ありです。
自分は渋渋に在籍していたので、貴方のおっしゃる先生が特定できます。
本当に7時間「軟禁」したのですか!?
この時間は誇張でないと断言できますか?
本当ならば警察沙汰になってもおかしくないレベルの話です。
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Unknown (19640)
2013-04-28 11:55:56
自分も渋渋生ですが、
昨年あたりから定期的にチェックして
見ています。

そこで、お願いです。
コメントの受付を再開してください。

まだ議論の余地があると思います。

問題提起したからには、
議論に収束が及ぶまで
続けるのが哲学者の責任ではないでしょうか。

問題があると考えるなら、
渋渋生に対し「東大病と東大話法」
から抜け出すための方法を書いてみてはどうでしょうか。
当たり前なことを考えるようになるにはどうすればいいのでしょうか。
「本当に大事なこと」とは何でしょうか。

自分には実名で投稿する意味がないと思います。
その気になれば、他の人の名前を使うことも可能ですし、
適当な名前を考えて書くこともできます。
それらを確かめる手段もありません。
さらに言えば、実名すら他人につけられた「目印」
であるため、ハンドルネームと変わりないと思います。
実名や一つのハンドルネームにこだわる人は、
その名前に関連付けられた責任、実績を示すために
そうするのではないでしょうか。
批判的な意味でいっているわけではありません。
実際認められるためには何かしらのアイデンティティを保持する必要があるのは確かです。
しかし、リアルで行われる議論と違い、
ネット上で行われるそれは、永遠に残ります。
だからこそ、都合が悪くなったときにすぐに捨てられる
「仮面」が必要だと考えます。

そもそも「なんのためにやっているのかわからない」
という勉強は本当に悪いものなんでしょうか。
社会にでてなにがもっとも必要なのかと考えてみると、
勉強、学歴、志なんてものではなく、協調性であると思います。
少しずつ変わってきていますが、いまだ日本にはその風潮は根強く残っています。
だからこそ、社会が必要としているのは、
どのような環境でも臨機応変に対応する能力では無いですか?
仮に就職などには勉強ではなくひたすら穴を掘っては埋める能力が必要とされていたら、
ひたすらそれをこなし、他と競い合い、
率先して穴を掘るような人こそが必要なのではないでしょうか。
実際そういう人がいるからどうたらこうたらはおいておき、なにを根拠に「民主的倫理に基づく本物の哲学」がよいものであると考えるのでしょうか。

自分は勉強の意味を考え、理解したうえでやってるつもりです。

自分もまた、生意気でだけど妙に論理的な馬鹿ですが、
よろしくおねがいします。
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何故、どうして?と問うこと (古林 治)
2013-04-06 19:53:58
【東大生】さん

>『一体何の意味があるの?』という問いをすべて放棄し、ひたすら受験知へまい進する生徒を作り上げることが教育
=======================

文字数が制限されているので、簡潔に。

子供に限りませんが、人間の生きる世界は、動物と違って本能とかい離した世界です。
私たちは意味と価値の世界に住んでいます。それが人間であることの証でしょう。
その意味と価値を探求し、豊かな心を育むのは当たり前の話です。
『何の意味があるのか?』と問うことは、まさしく【私の】意味と価値を吟味し深める(=内的価値を豊かにする)ことになります。それこそが教育の本道だと私は思います。
その営みは自己に対する自信を育み、能動性を培い、他者を説得する力を養い、より良い社会を形成するための力となる可能性を持ちます。正に民主制社会に必要な人材育成につながるのです。
その結果として、豊富な知識を獲得するとか、東大、ハーバードに行くとか、オリンピックに出るとか、はたまたノーベル賞を獲得するのなら話は分かります。
ですが、多くの場合、それは転倒しています。最初に外なる価値を置き、その価値を追求・信奉すれば、内的価値の貧困とともに倒錯した優越意識を抱え込みます。
現代の日本の社会全体がこうした狂った価値に囚われている、と私は考えています。
だからこそ、より真っ当な教育を願っているのです。

長くなるので書きませんでしたが、姪に対して私はしつこく、『何で?』、『どうして?』と問い続けました。
何時間も話し合ったこともあります。その過程で彼女自身が気づいたこともありました。
『何の意味があるのか?』と問うことは簡単ではないですが、できない話でもありません。
日常の中にその営為が埋め込まれているかどうかにかかってくると思います。
(残念ながら渋々では、姪のこうした問いはほぼすべて無視されることになりました。)

====================

なお、私が書いた事実関係について、複数の生徒さんが事実性を認めています。
一体何を根拠に『嘘と誇張以外の何物でもない。』と断定されるのでしょうか。

それから、根拠も示さず、『知能の低さ』、『馬鹿』、『低レベル』、と罵倒しては知性が疑われます。
第三者が【東大生】さんの文章を読んでどのように感じられるでしょうか。
どなたかコメントいただけるとうれしいです。
返信する
Unknown (東大生)
2013-04-04 02:12:46
失礼ですが、あなたは渋渋を勘違いしています。
書かれた文章からも知能レベルの低さが露呈していますね。


私は今年、渋渋から東京大学文科2類に進学した者ですが、はっきり言ってここに書かれていることは嘘と誇張以外の何物でもありません。
本当にいい学校だったと心から思っています。


あなたの馬鹿さは尋常でなさそうなので、全てに反論のコメントをすると終わらないのですが、一番気になった箇所について触れておきます

>『一体何の意味があるの?』という問いをすべて放棄し、ひたすら受験知へまい進する生徒を作り上げることが教育

いかにも「教育」とは何か理解しているかの口調ですね
あなたみたいな低レベルな方には想像もつかないでしょうが、「『一体何の意味があるの?』という問い」を中学生にも分かるように答えるのは本当に大変なことなのです。
あなたに説明できるのでしょうか?
批判は簡単です。不満点を馬鹿が指摘すればいいだけなので
あなたの具体的な改善策もなしに、ただただ悪口を書くのはどうかと
返信する
例外として最後に。 (武田康弘)
2013-02-26 13:13:13
コメントの受け付けは終了していますが、公平を期するために、在校生の方のコメントを載せます。

自分で調べ、実際によく見て決める、はその通りと思います。

わたしが古林治さんの体験談を「思索の日記」に掲載したのは、渋々と呼ばれる特定の学校を非難するためではありません。現代の受験教育(≒競争主義≒何事にも高得点を目的とする教育がつくる人間性)を反省するという普遍的な意味があると思ったからです。

これにてシメとします。

以後は、渋々という特定の学校の問題としてではなく、受験主義の勉学(形と序列という「人間を幸福にしない」文化とセット)への批判検討として読者諸氏はお考え下さい。

なお、昨日2月25日のブログを参考にして頂ければ幸いです。
http://blog.goo.ne.jp/shirakabatakesen/e/a5c9ceda5cc54f924990b1b4dc2ca219
返信する
少し作者の視点から見すぎである。参考のためには実際に見るべき。 (ss129)
2013-02-25 20:33:08
いっておきますが、

人は数々の考えがあり、これが事実であることも確かです。

しかしながら、これは一方的に短所だけを述べているわけであって、
渋渋はこんなに短所ばかりではありません。

こういうのを参考にするだけでなく、

自分で確かめてください。

ブログライターの視点だけでなく、自分の視点で見ていく目を忘れてはありません。

再度となりますが、作者さんのおっしゃることも事実であり、少し欠点もあります。

しかし、それによって生まれるメリットと、どちらが大切か、自分で調べてみてください。

現役渋渋生ですが、ぼくは中立派です。

※これは作者の方にもpsとして書き加えていただきたいことです。
返信する
コメントの受け付けは終了しました。 (武田康弘)
2013-02-09 01:00:49
この記事は2年半前のものですが、すでに160を超えるコメントがあり、議論は十分以上に尽くされています。
そのために、だいぶ以前から同趣旨の不毛なコメントの繰り返しとなっています。
内容の深まりはなく、見苦しい泥試合の様相を呈していますので(最近の古林さん本人、及び参議院の荒井さんのコメントはよく吟味されていると思いますが)、これ以降は、この記事へのコメントはご遠慮下さい。
貼り付けられても削除します。

返信する
内なる豊かさが大事 (古林 治)
2012-11-25 13:26:09

Qmewさん

少し時間が経ってしまいましたが、コメントありがとうございました。
『子ども一人一人の個性をつぶさず、人間性をきちんと作ってよいところを引き出してくれる場所がいい学校に思っております。』

私も似た感覚を持っています。
豊かな心(内なる豊かさ)を育むことをおろそかにして、世俗的成功(外なる価値)に邁進する教育がそこら中に蔓延していると感じています。また、 それが優れた教育だと主張するにいたっては異常としか思えません。

厳しい世相を見て親が子どもの行く末を心配し、より(世俗的に)有利な履歴、技術を身につけさせようとする心情はわからなくはありません。
が、その親の強すぎる思い、外なる価値が最も大事という価値観のみが子供の心に内面化されたら、子供の心は荒んだものになってしまうと私は確信しています。
幼少のころから習い事や塾通いで埋められた人生では、中学に入るころにはもはや・・・

これでは、(世俗的に)優秀であることそのものが目的化した機械のような(エリート意識に染まった)人生と化してしまいます。
そういう貧困な心を持った人間を再生産し続けることに私は怒りを覚えます。


ちなみに、私の息子も誕生から3歳まで海外でした。
今は児童相談所勤めで、日々、虐待された子供たちのケアをしています。
相談所が受け入れるのはかなりひどい虐待下の子だけですが、実際には穏やかな虐待(親の価値観を刷り込まれておかしくなった子供たち)の例が 相当あって本人たちに自覚がないんだと思うと言っていました。
自分自身の心を育むことができないことへの無意識の怒りがそこにあるのかもしれません。
親も子もその自覚がないままでは救いがないです。
もう一度、教育についてしっかり考え直す必要があると私は思っています。
返信する
体験話に感謝いたします (Qmew)
2012-11-12 08:31:16
私には一緒に暮らす息子が一人まして、生まれてから6歳まで海外でした。母子家庭でもあるし、普通の区立の小中学校でいいと思っていたのですが、周りのママたちからうちの息子が渋渋向きだと数人から勧められておりました。
私としては、学校の偏差値や優秀な人がいるということよりも、子ども一人一人の個性をつぶさず、人間性をきちんと作ってよいところを引き出してくれる場所がいい学校に思っております。住んでいる場所がらなのか、周りは塾通いの子供ばかりですが、うちは(5年生)本人がやりたいといった習い事だけで、ちょっと違う子供のように感じられていることは確かかもしれません。
今回、このような体験話を聞かせていただき、渋渋が私が好んでいない学校だということがわかりまして、とても感謝しています。
渋渋のことで周りにお話を聞く機会が先月よりありましたけれど、耳に入ってくるお話はよいものばかりでした。
このようなちょっとした事件で先生、学校側がどう動くかということは、子どもにとってとても大事なことですし、私にとって最も知りたかった内容でした。

今読ませていただいたばかりの私は、ただただ、このブログに感謝いたします。
ありがとうございました。
返信する
THE END (武田康弘)
2012-10-28 11:11:31
THE END

渋谷学園の生徒である「冷静になったら?」さんへ。

相手の言説をきちんと読まない、文脈を無視してわざと曲解する、という頭脳構造・心をそのままにして大人になれば、愚か者にしかなれません。

あなたの、「理性」ではなく「感情」が発する書きなぐりのコメントに、紳士的に対応してくれる大人である荒井達夫さんを小馬鹿にする発言は、どのような社会であれ、許されることではないでしょう。

人を食ったようなペンネームで他者のブログに土足で入り込む非礼な人間の存在は、渋々と呼ばれる学園の評判を大きく落としたことでしょう。今は、静かに自分のこれまでの言動を吟味し、よく反省してみることが必要です。

まずは、「冷静になる」ことです。自我の突っ張りではなく、透明な意識の働きを。

返信する
「本当に大事なことは何か」=投稿の目的 (荒井達夫)
2012-10-28 07:35:26
以前、私は、投稿の目的について
「渋渋関係者と思われる方々の書き込みが、多くの暴言を含み、あまりにもひどいので、書き込むことにしたのです。」
と書きました。

武田さんは、「民主的倫理に基づく本物の哲学」を実践している教育者であり、このブログもそのために開設したものであると思います。また、古林さんが、渋渋の「教師による人権侵害の事件」を実名を明らかにして問題提起したのも、同じ思いからと思います。

お二人は、学校教育で「本当に大事なことは何か」を議論してほしいと考え、この事件をとり上げた。ところが、渋渋関係者の方々からの書き込みは、ほとんど「傷ついたから、訂正してくれ」という趣旨のもので、問題の本質についての議論は皆無と言ってよい状況でした。

そこで、私は、学校教育で「本当に大事なことは何か」という問題の本質について考えるために、古林さんの事件の背景には「東大病と東大話法」があるとの仮説の下に、あなたとのやり取りを始めました。ほとんど単なる暴言、誹謗中傷でしかない、あなたの書き込みに対し、私が必要と思われるところで反応し、私の意見を述べてきたのです。

あなたと論争することが目的ではありません。「あなたの目的」もどうでも良いことです。

この事件の背景には受験主義教育があり、さらにその根っこには「東大病と東大話法」がある。これらをしっかり認識することが問題の解決につながるのではないか、という考えで、はじめからずっと同じ趣旨のことを繰り返し書いてきたのです。簡単に言えば、頭が「東大病と東大話法」で汚染されると、当たり前のことが考えられなくなる、ということです。「匿名」で投稿することの意味についても、同じです。

「私の目的はあなた方を追い詰めることではない。追い詰める直前には「匿名での発言は許されない」とか言われて終わるのは目に見えてましたから」
と言われましたが、「匿名での発言は許されない」のではなく、「匿名での発言にはもともと限度がある」ということです。そんな当たり前のことを、はっきり示すためにここまで懇切丁寧にやってきたわけです。

「渋渋生の中には、こういった生意気でだけど妙に論理的な馬鹿がいるってことを証明できてよかったです」
と言われましたが、まったくそのとおり「論理的な馬鹿」と思います。

「受験のために幼少期から大量の情報を能率的に処理する(収集、整理、暗記する)訓練ばかりさせられ、「本当に大事なことは何か」と物事の本質を問う思考回路を育てることができなかった(東大病)。中学・高校のディベート授業でも、勝ち負けを競うための論点整理や主張と根拠の明確化の作業ばかりで、「本当に大事なことは何か」を問うことがない。だから想像力が著しく欠如しており、自分が「傍観者の論理・欺瞞の言語」の使用者となっていることにも気がつかない(東大話法)。生徒も教師も真面目で一生懸命で優秀と言われる人ほどこれに陥っており、東大病が東大話法を生み、さらに東大話法が東大病を深化させている状況にあるのではないか。これでは、えん罪も、原発事故も、さらには戦争犯罪も、話題にはなったとしても、魂にひびく言葉で語られることは決してないでしょう。恐ろしいことだと思います。」

私は、「東大病と東大話法」により想像力が著しく欠如し、人権感覚が失われることを恐れています。民主社会の基本ルールである基本的人権を理解するためには、生々しい日々の生活実践の中で「本当に大事なことは何か」を時間をかけて丁寧に考え、議論していく必要がありますが、「東大病と東大話法」に汚染されるとそれが不可能になると思います。

実名を明らかにして投稿すると馬鹿にされる等、いろいろ不都合が生じるので、「匿名」にして、質問の回答要求、文書の訂正要求、発言の撤回要求、謝罪要求を行うという、馬鹿げた行為を、何の疑問もなく、屁理屈を並べて平気で行うような頭の人間では、「えん罪も、原発事故も、さらには戦争犯罪も、話題にはなったとしても、魂にひびく言葉で語られることは決してない」のです。

「東大病」は、いわば「社会病理」であり、ほとんどすべての日本人の頭の中を支配している「試験主義、序列主義、権威主義を生み出す精神の病」と言って良いと思います。それからの脱却には、マイケル・サンデルのようなディベート術を活用したトークショーではなく、武田さんの「民主的倫理に基づく本物の哲学」が非常に有効であろうと考えています。このブログに投稿したのは、そのためでした。
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急にどうしちゃったんですか? (冷静になったら?)
2012-10-27 19:39:40
急にどうしたんですか?
いきなりそんな話をしだすって…追い詰めすぎちゃったかな? この話を出すんだったらもっと前に出すと思うんですけどね~ まあいいです、私としては私のコメント見た観覧者の方々が「あ、このサイトを擁護している人が追い詰められてる」ってとらえてもらえればいいですからね
あなたは残念ながら私の目的を理解してなかったんですよ
私の目的はあなた方を追い詰めることではない 追い詰める直前には「匿名での発言は許されない」とか言われて終わるのは目に見えてましたから

と、いうことで私の目標は達成されたわけです
ぼろを出していただき誠にありがとうございました(笑

渋渋生の中には、こういった生意気でだけど妙に論理的な馬鹿がいるってことを証明できてよかったです

まあもし、この投稿に対して反論してくるのであらばまた出てきますけど、とりあえずありがとうございました

もちろん、これに答えてくだされた場合も出てきます
ディベートや白熱教室の応募状況が、東大病に渋渋生がかかっている証拠になるととれる発言がありましたが
私は非常に憤りを感じます 生徒たちがせっかく学習を積極的にしようとしている行動に大して、まるでその行動が悪いことのように言われたことは、非常に残念です
むしろ、そういった子供の自発的な行動に対して、あなたのようにひねくれた考えで非難をする人がいるから東大病の人がさらに増えるんです、ドリームキラーって言われるやつですよ そんな子供でも分かることにあなたはわからないんですか? こんな大人が日本を引っ張っているのかと思うと残念でなりませんよ
返信する
「匿名」で投稿の意味 (荒井達夫)
2012-10-27 17:44:36
実名を明らかにして投稿すると馬鹿にされる等、いろいろ不都合が生じるので、「匿名」で誰だかわからなくしているとのこと、気持ちはわかります。

誰だかわからなければ、ネット外では関係ない顔をして、危険をすべて回避し、自分のした投稿について完全に無責任になれるわけです。

実名による投稿では、まったくその逆です。ネット外でも危険をすべて負担し、自分のした投稿について完全に責任を負うことになるわけです。

だから、匿名で書き込みをする人は、実名で問題提起している人と対等に議論することはできません。また、匿名では強い主張は認められません。何かを「要求して強いる」こと、質問の回答要求、文書の訂正要求、発言の撤回要求。謝罪要求などもってのほかです。せいぜい、「お願いできる」だけなのです。

同じ条件の下で対等な個人どうしが対話・討論するというのが、民主社会の原理・原則です。年齢、性別、出身、学歴、職業その他一切関係ありません。それを守るのがモラルというものです。

実名で問題提起されているところ、匿名とするなら「甘く見ていただき、参加を許してもらった」という基本の認識が必要です。あくまでも「匿名で参加させていただく」という謙虚な気持ちを持たなければなりません。

もちろん、相手方としては、誰だかわらない人物からの「お願い」にどう対応するか、当然自由です。「誰だかわからない人の発言に従わなければならない」という社会常識はありえません。

今回の問題に関し、ネット上で実名を明らかにできない、でも質問の回答要求、文書の訂正要求、発言の撤回要求、謝罪要求をしたいというなら、自ら議論の相手方のところに出向き、実名を明らかにしてお話する以外にないでしょう。

白樺教育館を訪れ、武田さんや古林さんに直接お会いして、実名で議論したいと言われれば、歓迎されることと思います。個人情報もしっかり守ってくれるはずです。

あなたが対面での議論に自信があるのであれば、それをお勧めします。
返信する
さてと (冷静になったら?)
2012-10-27 17:27:04
荒川さん、モラルの話は理解していただけたと解釈してよろしいですか?

また私が取り上げている問題が公開討論会ではなく、この場で討論するべき話であることを理解していただけたでしょうか?

さてと、東大病についての話ですが
前にも述べましたが、東大、もしくはその他の優秀な大学の学生のほうが就職に有利なのは事実です ですがだったら会社を学歴以外の何を基準に採用をすればいいんですか? やはり学歴が会社の採用試験の基準の大きな要因であることは事実でしょう 東大を目指す勉強をするというのは一つの手段です このような社会において東大病にかからないようにするにはいったいどうすればいいというのでしょう? 

あとそもそもこの勉強をするのか?という疑問を持てなくなるのが東大病の症状とおっしゃってますがそもそも「勉強の習慣を身に着ける」=「疑問を持たずに勉強する」とする解釈の仕方には悪意を感じます
勉強の習慣を身に着けるというのは
1、毎日やることで身に付くものを行えるようにするということ 基礎英語など毎日やることで耳が鍛えられるわけです
2、一日で勉強する時間を決めたらそのようにやるということ
このように勉強の習慣を身に着けるとは、ただ何も考えずに課題をこなすこととは全く違います この説明は田村校長からもありましたし、ほかの先生からも聞いています
にもかかわらず、古林氏があのような発言をするというのはよほど渋渋の教育方針の話をまったく聞こうとしなかったか、理解したうえでわざと話しているのか…どちらにしろ、そんな渋渋生は東大病だなんて決めつける発言に対して何言ってるんだあんたはって言いたくなりますよ
また提出物が膨大な量があるとのことですが、正直な話あの提出物の量を夜中までやって終わらないとかありえないですから 私は週4回の部活、塾の課題もきちんとこなしたうえで少なくとも12時までには寝てました 今回のテストもテスト一週間前にはほぼすべての課題が終わってました 参考までに

なので東大病に関してはまず
1、解決策を提示せずに、東大至上主義を非難するのは問題があるでしょう
2、そもそも渋渋を東大病の象徴などといった指摘は全く持って話にならない
ということです

また武田さんは自分は責められるようなことはしていないとのことですが
解決策を提示してないのにそんな自慢げに自分の行為を提示されても、ああそうですか 結局あなたの行為はこの世の中に何ももたらしたのでしょうか?って感じですよ
繰り返しますが解決策を提示しないなら、文句しか言えないどこにでもいる批評家です
やはり、自分にはまるで東大病に対する責任がないというような発言は意識が足りないと思いますね

ついでに私は世の中の事に対して非難することが好きですが、常にそれに対しての解決策を提示するように心がけています

そして最後に 荒川さんこの部分への反論をいただきましょうか
ディベートや白熱教室の応募状況が、東大病に渋渋生がかかっている証拠になるととれる発言がありましたが
私は非常に憤りを感じます 生徒たちがせっかく学習を積極的にしようとしている行動に大して、まるでその行動が悪いことのように言われたことは、非常に残念です
むしろ、そういった子供の自発的な行動に対して、あなたのようにひねくれた考えで非難をする人がいるから東大病の人がさらに増えるんです、ドリームキラーって言われるやつですよ そんな子供でも分かることにあなたはわからないんですか? こんな大人が日本を引っ張っているのかと思うと残念でなりませんよ
返信する
責任を果たし続けるのがわたしの人生 (武田康弘)
2012-10-27 09:18:17
22年前からの数年間、わたしは東京狛江で竹内芳郎氏と共に『討論塾』を立ち上げ、トークショーとは截然と異なる激論(白熱そのものの生きた討論)をつくり出してきましたが、それをマスコミが取り上げなかった事はわたしの責任ではないでしょう。
また、サンデルさんとわたしの討論の企画を断ったのは、日本におけるサンデル紹介者、千葉大学の小林正弥教授です。わたしの責任ではありません。

わたしは、教育批判・哲学批判を単なる言葉の世界・書物の世界で行ってきたのではなく、生々しい現実の只中で実践してきた者です。日本の困難な現実を引き受けて、高校生の時から全校代表として学校改革を行い(数年後にその改革の内容・成果をNHKは特集を組んで紹介)、大学生活の後でわずかな資金をもとに「私塾」を立ち上げて、数々の教育と社会の改革に試行錯誤で取り組んできたのです。

哲学の改革(竹内さんとの討論塾の実践・竹田青嗣さんとの共同シンポの連続実践・白樺での市民哲学の実践ーこれらを支える現象学の内在理論に基づく実存論と新たな公共哲学)

教育の改革(白樺教育館ホームページに多様な活動が紹介されている)

企業の経営思想の改革(会社を民主化する哲学で、わたしの「哲学の会」の生徒だった佐野力さんによる日本オラクル(株)の実践で証明済み)

政治の改革(同志の福嶋浩彦さんによる我孫子市改革の実践を支えた哲学の構築。福島さんは我孫子市長の後に消費者庁長官を務めて最近退官)

官の世界の改革(武田思想=荒井達夫さんの努力を支える実存と公共の思想で、画期的だった参議院における「公共哲学と公務員倫理」についてのパネルディスカッションはその象徴。そこから始まった官の世界の民主化実践に基づく「行政監視委員会」の目の覚めるような活動は、荒井さんの国会職員としての影の努力が生みだした賜物です。詳細には触れませんが、間違いなく現代史の一ページに刻まれるこの活動をないことにしようとする守旧派の「官」の意思とマスコミの非協力まで荒井さんやわたしの責任にされたのではたまりません。

なお、以下を参照してください。

『我孫子丸刈り狂騒曲』武田著(岩波書店刊)
http://www.shirakaba.gr.jp/home/tayori/k_tayori5.htm

『全身の細胞で考える』武田著(宣伝会議刊)
http://www.shirakaba.gr.jp/home/tayori/k_tayori139.htm

『金泰昌との哲学往復書簡はじめに』武田著(東大出版会刊)
http://www.shirakaba.gr.jp/home/tayori/k_tayori81.htm
の最初(0番)。

市民自治を創る(福嶋我孫子市長・武田館長)
http://www.shirakaba.gr.jp/home/tayori/k_tayori76.htm

『白樺教育館ホームページ』(古林治制作)
///http://www.shirakaba.gr.jp/

返信する
東大病についての結論です (荒井達夫)
2012-10-27 00:34:36
東大病についての対話は、「白樺教育館」ホームページに載っています。
http://www.shirakaba.gr.jp/home/tayori/k_tayori115.htm
その最後の部分が私の認識です。医師の色平さんの意見に対して述べたものです。

「「明治政府がつくった3本の柱が、①近代天皇制(靖国神社に代表される国家神道がその思想的支柱)と②それを支える行政官僚支配の政治と③その官僚を養成する東京大学(法学部)ですが、その意味で「主権在官」と言われる120年間に及ぶ官僚支配は、東大に象徴される知のありよう(客観主義)にその「根」を持っている」というのが武田説ですが、このような分析は、過去誰も行ったことがない深く、鋭いものであり、それがキャリアシステムの問題を解く鍵であると私は考えたわけです。まさに「日本という島国に生まれ、そこに住んでいる者が、足元をよく見て、それを改善していく努力」の結果であり、それこそが「本物の哲学」であると思います。「東洋の、しかもその辺境に位置する島国に特有の現象」という程度の浅い思考では、キャリアシステムの問題の本質的な解決は到底不可能でしょう。」

私は、この認識に基づいて、受験主義教育について、次のように述べているわけです。

「受験のために幼少期から大量の情報を能率的に処理する(収集、整理、暗記する)訓練ばかりさせられ、「本当に大事なことは何か」と物事の本質を問う思考回路を育てることができなかった(東大病)。中学・高校のディベート授業でも、勝ち負けを競うための論点整理や主張と根拠の明確化の作業ばかりで、「本当に大事なことは何か」を問うことがない。だから想像力が著しく欠如しており、自分が「傍観者の論理・欺瞞の言語」の使用者となっていることにも気がつかない(東大話法)。生徒も教師も真面目で一生懸命で優秀と言われる人ほどこれに陥っており、東大病が東大話法を生み、さらに東大話法が東大病を深化させている状況にあるのではないか。これでは、えん罪も、原発事故も、さらには戦争犯罪も、話題にはなったとしても、魂にひびく言葉で語られることは決してないでしょう。恐ろしいことだと思います。」

武田思想は「本物の哲学」であり、サンデルの白熱教室は、「ディベート術を活用したトークショー」であるというのが、私の考えです。
返信する
何じゃそれ (冷静になったら?)
2012-10-26 20:25:25
ですから!!
あなたは名前を知らないと、何にもしなくていいとおもうんですか?
もし自分の行動で他人が傷づいてたとしても、その人が誰かわからなかったら、どうでもいいって言ってるんですよ! 
ほんとあなたの頭の構造が理解しがたいですよ
憲法とか民主主義なんてこの議論に出してくることがいかに的はずれなのかいまだに理解してないし…

あと渋渋生が匿名で投稿する理由が分かりませんか?
このサイトを渋渋生が見ていることはご存じのとおりです
そんな中で実名を明かしたら、渋渋生の中で少数ですが心無い人々が、実名公開した人を「なんか偉そうだな」とか思って白い目で見るでしょう 誰に何を思われるか分かんないじゃないですか 
それはもし、開成や筑駒、桜陰がこの議論の対象になっても、同じことです
心無い人がいる渋渋は駄目だと言われるのを見越して言っときました

あと一番のポイント議論するためにほかの問題はほっとけというんですか
はっきり言って、自分の擁護する立場の有利な問題だけを取り上げているだけですよね
ここの場で議論すべき内容であるから、私は質問してるんです あなたの発言の問題点を、公開討論会で討論することは、場違いであることは誰の目からしても明らかでしょう

さてと、匿名で古林氏の発言を~って話だけをするってのはやめてくださいよそろそろ
まあ私の指摘に対してひとつ答えてくださったのは、よかったですけど

~この文章への答えお待ちしています~
次にこの社会をつくった一人として責任を感じているのならば、武田氏の発言を引用したあのコメントは撤回するべきであると思いますが、あなたはそのつもりはありませんか?

また、ディベートや白熱教室の応募状況が、東大病に渋渋生がかかっている証拠になるととれる発言がありましたが
私は非常に憤りを感じます 生徒たちがせっかく学習を積極的にしようとしている行動に大して、まるでその行動が悪いことのように言われたことは、非常に残念です
むしろ、そういった子供の自発的な行動に対して、あなたのようにひねくれた考えで非難をする人がいるから東大病の人がさらに増えるんです、ドリームキラーって言われるやつですよ そんな子供でも分かることにあなたはわからないんですか? こんな大人が日本を引っ張っているのかと思うと残念でなりませんよ
返信する
結論です (荒井達夫)
2012-10-26 18:44:16
「論点を戻そうとしたことに対して、説明がされていませんね。釈明または謝罪をしていただきたい」と何度も書かれていますが、私の文章をちゃんと読んでいませんね。以下のように、書いてあります。

「議論を戻すのは、「事件の事実関係の確認をどうやるのか」という一番のポイントについて議論するためです。そして、「事件の事実関係の確認」のためには、「学校主催の公の討論会」の開催が最善であると言っているのです。」


「自分は法解釈の議論をしているのではない。人のモラルを問題にしているのだ。古林さんの文章で、私を含め多くの人が傷ついている。古林さんは、文章を訂正し、発言を撤回し、謝罪すべきだ。でも、私たちが誰かは言わない。」

匿名の渋渋生さんがやっていることは、こういうことですが、誰だかわからない人の要求で、特定個人に言論表現の制限を強いることが許されれば、民主主義社会は崩壊します。

匿名では、いかなる主張も相手に強いることはできません。その理由が何であろうとです。

「匿名」では、相手方はどう対応しようと勝手です。「匿名」の方が本当に存在するかどうかもわからないのですから、当たり前のことです。

「匿名」は責任を回避するためです。自分は無責任の立場で、人の責任を追及することは民主主義社会では許されません。

以下、結論です。

古林さんの発言で迷惑を被っており、放置できないというのであれば、該当部分を明示し、具体的な理由を付して、訂正・削除、被害の回復を求めるべきです。その際、古林さんに対して、実名を明らかにする必要があります。ネット上であろうと、ネット外であろうと同じです。
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まったく… (冷静になったら?)
2012-10-26 18:19:01
荒川さんの頭は石でできてるんですか?(笑
一般の方々がこのリンクを見て、あなたのコメントを見て失笑せずにはいられない方々が目に浮かびますよ(笑
あのですね、憲法とかいうレベルの話をしてるんじゃないんですよ 正直な話、日本国憲法はアメリカの少女が原文を書いたものにしかすぎません 現代社会の作り出した物の一つにしか過ぎないんです 人と人との付き合いはそれよりもっと昔からのものです そんな人と人との付き合いを憲法だけで表せている、なんて考えているとしたら大きな間違いです 私の話を憲法で反論しようとするのは全くの筋違いであり、反論になってないことぐらい理解してくださいよ

また武田さん、質問2への回答ありがとうございます
あなたの回答を、私は「私は東大病を問題にしようとしたが上の人々は私の意見に取り合ってくれなかった」と解釈しました
これに対しての私の意見です あなたが努力をされたのはわかります、おそらく私の想像には及ばない範囲でしょう しかしやはりまるで自分に責任がないというような発言はいただけません また今の社会は学歴だけで判断してしまうとのことですが、だったら何を基準にして会社は人を採用するんですか? 東大病の何が悪いかじゃなくて、具体的な解決策を提示されない限り、私は武田さんがただの非難しかできない口先だの人に見えてなりません 国が武田さんのおっしゃることに耳を貸さないのも無理がないと思います

またサンデル教授の講義への批判的討論ですが
私が思うに、だったらサンデル教授を超える講義をなさってはいかがですか? 全世界の学識ある人々が「これはすごい!」というような講義を

先ほども言いましたが、武田さんの批判の言い分は確かに事実かもしれない
しかしそれに対する解決策を提示していただけないと、現状は変わらないんです もしかして解決策までおっしゃっていたらごめんなさい
だから武田さんには、問題を解決するための手段までも主張していただきたいと思います

また荒川さん、なぜ私の問いかけに答えないのですか? 答えると自分の不利に働くからですか?
でもそれはそれでいいじゃないですか! 武田さんもおっしゃってるように失敗することで成長するんですから! 私は憲法について荒川さんに教えていただきました ここでもっと成長しましょうよ

~この文章への答えお待ちしています~
次にこの社会をつくった一人として責任を感じているのならば、武田氏の発言を引用したあのコメントは撤回するべきであると思いますが、あなたはそのつもりはありませんか?

また、ディベートや白熱教室の応募状況が、東大病に渋渋生がかかっている証拠になるととれる発言がありましたが
私は非常に憤りを感じます 生徒たちがせっかく学習を積極的にしようとしている行動に大して、まるでその行動が悪いことのように言われたことは、非常に残念です
むしろ、そういった子供の自発的な行動に対して、あなたのようにひねくれた考えで非難をする人がいるから東大病の人がさらに増えるんです、ドリームキラーって言われるやつですよ そんな子供でも分かることにあなたはわからないんですか? こんな大人が日本を引っ張っているのかと思うと残念でなりませんよ

あと、論点を戻そうとしたことに対して、説明がされていませんね
釈明または謝罪をしていただきたい
返信する
哲学書簡、官知、東大病、白熱教室 (武田康弘)
2012-10-25 23:41:20
渋々の生徒の冷静になったら?さん

荒井さんの引いたわたしの論説は、【官知】の根源にある問題として書いたものー『キャリアシステムを支える歪んだ想念』(参議院調査室発行の論文集)。
全文は参議院ホームページにあります。
http://www.sangiin.go.jp/japanese/annai/chousa/rippou_chousa/backnumber/2008pdf/20081128050.pdf

なお、わたしの「東大病」との取り組みは36年前からのもので、金泰昌さんとの『哲学往復書簡』(2008年東大出版会刊)に説明があります。3と5を読むと分かるでしょう。
http://www.shirakaba.gr.jp/home/tayori/k_tayori81.htm

さらに、東大病についての対話は、「白樺教育館」ホームページに載っています。
http://www.shirakaba.gr.jp/home/tayori/k_tayori115.htm

また、サンデルさんの「白熱教室」への日本で最初の批判的検討も「白樺教育館」ホームにあります。主に武田と山脇(東大教授)による討論的対話。
http://www.shirakaba.gr.jp/home/tayori/k_tayori126.htm


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民主社会における最低限のルール (荒井達夫)
2012-10-25 23:11:20
本当に理解できない人ですね。同じことを繰り返すしかありません。

あなたのしていることは、匿名による文書の訂正要求、発言の撤回要求、謝罪要求なのです。

それはダメですと言っているのです。

「匿名」で他人に人権(言論表現の自由)の制限を要求すること自体が、間違いであると言っているのです。

民主社会における最低限のルールであり、それを守るのがモラルというものです。
返信する
ですから~ (冷静になったら?)
2012-10-25 22:59:22
話、理解してます?
人権の制限なんて要求してないですって(笑
人のモラルとして、ここあるのが正しい姿なんじゃないですか?ってことですよ
もうわかりました、あなたは憲法に縛られて他人に配慮することのできない、薄っぺらな人間だってことが

また↓
次にこの社会をつくった一人として責任を感じているのならば、武田氏の発言を引用したあのコメントは撤回するべきであると思いますが、あなたはそのつもりはありませんか?

また、ディベートや白熱教室の応募状況が、東大病に渋渋生がかかっている証拠になるととれる発言がありましたが
私は非常に憤りを感じます 生徒たちがせっかく学習を積極的にしようとしている行動に大して、まるでその行動が悪いことのように言われたことは、非常に残念です
むしろ、そういった子供の自発的な行動に対して、あなたのようにひねくれた考えで非難をする人がいるから東大病の人がさらに増えるんです、ドリームキラーって言われるやつですよ そんな子供でも分かることにあなたはわからないんですか? こんな大人が日本を引っ張っているのかと思うと残念でなりませんよ

あと、論点を戻そうとしたことに対して、説明がされていませんね
釈明または謝罪をしていただきたい
↑これらの文章に対する反論または謝罪をお願いします
返信する
「匿名」で他人に人権の制限を要求することはできない。 (荒井達夫)
2012-10-25 21:37:38
あなたのしていることは、匿名による文書の訂正要求、発言の撤回要求、謝罪要求なのです。

それはダメですと言っているのです。

「匿名」で他人に人権(言論表現の自由)の制限を要求すること自体が、間違いであると言っているのです。
返信する
前にもいいましたが (冷静になったら?)
2012-10-25 20:49:00
私は今回、何も削除しろとは一言も言ってないですよ 古林氏の発言内容そのものは変えなくていいんです、証拠も出さなくていいです、言い回しだけ変えてくだされば
断定的な発言はいたずらに渋渋生を傷つけるだけであって、それならば「~であるように私は思う」などといった言い回しをするというのが、他人に対する配慮でしょうってことです
日本人のモラルとして相手の事を思いやることが重要なんですよ
たとえば誰か分からない人が血を流して倒れている、その時にあなたはその人を助けますよね? それと同じように渋渋生の皆さんのために言い回しを変える、そのくらいの気遣いは必要だと思います

改めてお聞きします
あなたはこれだけ言われても、古林氏の発言の言い回しを変える必要はないと主張しますか?

次にこの社会をつくった一人として責任を感じているのならば、武田氏の発言を引用したあのコメントは撤回するべきであると思いますが、あなたはそのつもりはありませんか?

また、ディベートや白熱教室の応募状況が、東大病に渋渋生がかかっている証拠になるととれる発言がありましたが
私は非常に憤りを感じます 生徒たちがせっかく学習を積極的にしようとしている行動に大して、まるでその行動が悪いことのように言われたことは、非常に残念です
むしろ、そういった子供の自発的な行動に対して、あなたのようにひねくれた考えで非難をする人がいるから東大病の人がさらに増えるんです、ドリームキラーって言われるやつですよ そんな子供でも分かることにあなたはわからないんですか? こんな大人が日本を引っ張っているのかと思うと残念でなりませんよ

あと、論点を戻そうとしたことに対して、説明がされていませんね
釈明または謝罪をしていただきたい

最後に私が進んで討論会が行われるように動くべきだという指摘ですが
私の言ったことを信じていただくしかありませんね
返信する
「学校主催の公の討論会」の開催が最善である (荒井達夫)
2012-10-25 18:39:18
「なるべく傷つく人が少なくなるように、言い回しを変えるべき」というのは、「こちらが納得できるように文章を訂正せよ」ということで、「文章を削除しろ」と言っているのと同じです。

「匿名」で他人に人権(言論表現の自由)の制限を要求すること自体が、間違いであると言っているのです。

あなたの言われる「証拠」「客観的資料」についても、「こちらが納得できるものを出せ、そうでない言論表現は許さない」ということですから、同じです。

自分の学校の事件で、事件関係者が目に前にいるのに、事実はどうであったのか、自分で調べることをしないのは、なぜでしょうか。あなた自身、事実はどうであったのかを一番の問題にしているのですから、M先生に自分で聞きに行った生徒さんのように、事件当事者であるM先生、体育教師、担任、教頭、副校長等に聞いたらいかがですか。

繰り返しになりますが、古林さんは、事件の当事者・被害者本人です。その方が実名を明らかにして公に問題提起し、事件の事実関係について詳細に記述し(他人からの伝聞ではないのです)、さらに学校主催の公開討論会まで希望しています。これだけでも、古林さんの発言内容は十分信頼に値すると私は考えます。

学校主催の公の討論会が実現すれば、皆さんの目の前で、すべての事件関係者(古林さん、同級生、M先生、体育教師、担任、教頭、副校長等)が直接やり取りしながら、事実関係について詳細に語り合うことができるでしょう。これが最善の方法(皆が納得できるフェアーなやり方)であり、そのために渋渋の皆さんも、この討論会が開かれるよう努力すべきではないかと言っているのです。

自分で調べることもせず、相変わらず匿名で「なかなか校長や副校長にお話する機会がない」では真剣さを疑われますし、「逃げている」と見なされて当然でしょう。

議論を戻すのは、「事件の事実関係の確認をどうやるのか」という一番のポイントについて議論するためです。そして、「事件の事実関係の確認」のためには、「学校主催の公の討論会」の開催が最善であると言っているのです。

学校でのディベートのテーマや、マイケルサンデルの白熱教室への応募状況等、書かれていますが、これらについても、学校教育で「本当に大事なことは何か」を学校主催の公の討論会でお話されるのが良いと思います。それらと「東大病」の関係は面白い、有意義な議論になるはずです。古林さんの本意は、むしろそちらにあるのではないかと思います。

なお、「東大病」の責任について私の言葉が「信じられない」とのことですが、信じるか信じないかは、あなたの自由です。
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ああああー!すいません! (冷静になったら?)
2012-10-25 15:22:33
ほんとすいませんもう一つ言わさせてください

古林のお話の中に「高校一年までに受験の習慣(何の疑問も持たず機械的に勉強すること)をつけてしまえば、大学はどうとでもなる」ということでしたがこれについて反駁します
渋渋生は自ら調べ自ら学ぶという精神のもと、生活しています そして何の疑問も持たずに勉強することなどありません たとえばディベート、原発問題、東京にオリンピックを誘致、遺伝子組み換え作物などいろいろな議論をします

これによって疑問を持ち、自ら調べて学ぶ力を育てていくのです

またマイケルサンデル教授の講義には定員10人に、70人が応募しました 200人中70人ですから渋渋生の意識の高さがうかがえます

このように渋渋生は自ら疑問を持ち、学習することにたけているのです
勝手な批判はしないでいただきたい

P.S. 渋渋生のかた どなたか私の発言が正しいと発言していただけたら助かります
返信する
またまたつけたし (冷静になったら?)
2012-10-25 14:59:43
~訂正~
真実がどうかなんて関係でしょう
↑真実かどうかなんて関係ないでしょう

あと誤解がないように付け足しておきますが、生徒が虐待されようがどうでもいいということではありません

ただ、人の非難をするのに姪御さんの話だけを上げるのは説得力が全くないってことです もっと客観的な資料がないと信ぴょう性は生まれないでしょう
私が確認すべきとかそういった話以前の話を私はしているんです

また議論をもとに戻すとはいったいどうしちゃったんだろうか?って感じです
さっきも言いましたが、ここでは古林氏のおっしゃったことすべてが議論の対象です
しかも論点を戻すということは、私のした質問が軽視されているということです 
非常に残念です、がそんなことはしてもらっちゃ困りますよ
返信する
逃げたとみなしますよ (冷静になったら?)
2012-10-25 12:43:54
1について
匿名であるにしろ傷ついている人がいるのは事実です
あなたにはなるべく傷つく人が少なくなるように、言い回しを変えるべきという発想はないんですか?

2について
責任を感じてるって本当ですか? 私は信じられませんよ
責任を感じてると言いながら、武田氏の「その種の頭脳を優秀だとしているのは、ほんとうに困った問題です」といった、まるで自身の責任を棚に上げた、発言を引用するというのは矛盾してますから

議論は古林氏のお話全てです 上の文章も論ずるべき議題なんですよ

また自分の耳で確認するべきだとおっしゃっていますが、古林氏は人の非難をするからには証拠を出すべきと言ってるんです この場合真実がどうかなんて関係でしょう

また1,2の質問について願わくは武田氏、古林氏のご意見もうかがいたいものです
返信する
議論を元に戻します (荒井達夫)
2012-10-24 22:02:04
1、憲法上問題なければ、匿名の人は傷つけてもいいと思いますか?
私は、他人のブログに匿名で書き込み、「傷ついたから、文章を削除しろ」と言っていることを批判しているのです。匿名では誰だかわかりませんし、人に具体的な権利制限を求めるうえで、ひどく無責任なのです。

2、東大病を生み出す社会をつくった一人として、責任を感じませんか?
もちろん責任を感じていますし、自分が東大病患者であったことも悔いています。だから、東大病がなくなるよう努めています。

以上です。

議論を元に戻します。

自分の学校の事件なのですから、事実はどうであったのか、渋渋の皆さんも一緒になって確認することが大事であると思いますが、いかがですか。M先生に自分で聞きに行った生徒さんのようにです。古林さん話が証拠不十分だの、裏付けが足りないだの言う前に、自分の目と耳で確認すべきでしょう。
返信する
つけたし (冷静になったら?)
2012-10-24 21:55:12
1の質問は
発言に別の言い回しがあって、言い回しを変えれば人の傷を少なくすることができることが前提です
返信する
答え (冷静になったら?)
2012-10-24 21:17:28
全然答えになってないですね
私は馬鹿にでもわかるように説明を求めたんですけど…
まあ別にいいんですけど

あ、てか教育者ではないんですね 勘違いしていました 憲法にも関わるお仕事でしょうか? 今、調べさせていただきました

あと匿名の投稿者へ配慮はする必要はないということですが
憲法的に考えると古林氏の人権が優先されるのは理解しました しかし古林氏の発言によって傷ついている人がいるというのは事実です 確かに憲法上古林氏の発言は保障されているかもしれない しかしモラルとして裏付けのなされていないことを断定的に言うというのは問題であるということです
可能性を提示するくらいにしておいくべきでしょうってことです
憲法とか法律とかの枠を超えて、あいてのことも考える思いやりってことです がちがちに考えるのではなく柔軟にね

また東大病に関して
「わたしは、わが国のひどく歪んだ知のありようを「東大病」と名づけていますが、これは、哲学的に言えば客観学への知の陥穽といえます。日々の具体的経験に根ざした主観性の知の追求がないのです。日本の教育では、私の体験に根をもつ知を生むための前提条件である「直観=体験から意味をくみ出す能力」の育成がおろそかなために、自分の生とは切れた言語や数字の記号操作が先行しがちです。そのようにして育てられた人間は、既成の言語規則とカテゴリーの中に事象を閉じ込める自身の性癖を知的だと錯覚しますが、その種の頭脳を優秀だとしているのは、ほんとうに困った問題です。という武田氏の発言ですが
自分も今の東大病を作り出すような社会を形成した一人としての責任感にかけていると思います 責任を感じているのならばこのような発言はできません
またこの文章を引用して荒川さんは賛成の意を示しています その意味でも私はあなたも一社会人としてまず、責任を感じる必要があると思います

では端的にいきましょう
1、荒川さんは憲法上問題なければ、匿名の人は傷つけてもいいと思いますか?
2、この東大病を生み出す社会をつくった一人として、責任を感じませんか?
返信する
基本的人権とは (荒井達夫)
2012-10-24 20:10:06
「基本的人権とは多数で制限できない根源的権利」(武田康弘)

民主主義社会では、多数決で意見を発する自由を奪うことはできないのです。「なぜだろう? そもそも人権って何なのだろう?」と問わなければダメです。暗記するものではありません。「本当に大事なことは何か」という発想が必要です。本来は、あなたの学校で教えていなければならないことです。わからなければ、武田さんが丁寧に教えてくれますので、白樺教育館に来られるのが良いと思います。

「民主主義ならば多数決原理が全体の意見として採用されるんです。少数意見をどうしても守りたいのであらば、民主主義を捨ててください」

これをあなたの学校の先生に聞いてみてください。「そのとおり」と言ったら、教師失格です。白熱教室でサンデルさんに聞いてみるのも良いでしょう。「そのとおり」と言ったら、インチキ公共哲学者です。

「古林氏の発言によって傷ついた多くの渋渋生の人権はどうなりますか?またこの場合、なぜ古林氏の表現の自由が、多くの渋渋生の名誉を守ることよりも重要なのか、ば・か・に・も・わ・か・る・よ・う・に!説明していただきましょうか」

とのことですが、何度も書きましたように、「匿名の方々の気持ちを配慮して、このブログを止めよ」という主張であれば、言論表現の自由に著しく反します(憲法違反)。誰だか分からない人の都合のために、実名を明らかにして人権の重要性を論じている人の言論表現を制限するなど、民主主義社会ではあり得ないことだからです。ということです。

「匿名」で人権を主張すること自体が、間違いです。自分の人権を主張し、他人の人権の制限を求めるには、責任が生じます。「匿名」では責任のとりようがないのです。

「東大病」は、いわば「社会病理」であり、生徒だけでなく、父兄も教師も罹っています。さらに学校だけでなく、官民の問わず、サラリーマンも含まれます。私も以前はそうでした。ほとんどすべての日本人の頭の中を支配している試験主義、序列主義、権威主義を生み出す精神の病と言って良いと思いますが、詳しくは提唱者の武田さんにお聞きください。(このホームページにも解説があります。)

「東大病」は、もちろん子供たちの責任ではありませんが、それを自覚して脱出することが必要です。「確かに東大病なるものはあるかもしれない」と書かれていましたが、大きな第一歩と思います。

なお、私は教育者ではありません。ただのサラリーマンで、あなたと同じ、このブログへの投稿者の一人に過ぎません。渋渋関係者と思われる方々の書き込みが、多くの暴言を含み、あまりにもひどいので、書き込むことにしたのです。
返信する
失笑 (冷静になったら?)
2012-10-24 16:55:58
あなたは自分が教育者であることに自信を持ちすぎです そっくりそのままあなたのお言葉をお返しします 人の言葉に対して、謙虚に考えることができない教育者では困ります …こんな人が教育者という立場に立っていては、教えられている人たちは気の毒でしょうね

じゃあ荒川大先生様! この愚かな私に対して私の民主主義に対する認識がどこがどう違うのかわかりやすく説明をしてください!w 
教育者なんですからそんな人を馬鹿にする前にちゃんと馬鹿でもわかるように教えてあげないといけないじゃないですか?(まじめに話してます)

もう一つ質問ですが、古林氏の発言によって傷ついた多くの渋渋生の人権はどうなりますか?
またこの場合、なぜ古林氏の表現の自由が、多くの渋渋生の名誉を守ることよりも重要なのか、ば・か・に・も・わ・か・る・よ・う・に!説明していただきましょうか

また東大病に関してですが…
ではこのような現在の受験を重要視する社会を作っているのはどこの誰なんでしょうか?
もちろん、それはあなたたちの世代です しかも荒川さんは教育者ですよ 少しは日本の教育界を担っている一員として責任を感じるべきです 
今の日本社会は、東大に行くことはステータスになります 東大に行けばいい職につきやすい、これは事実でしょう? そんな中で東大病にかかったとされる子供を非難するって正気の沙汰ではありません 今の社会制度、教育に問題にあるというのに、自分たちの間違いを改めないということは非常に残念です
視野が狭すぎるんですよ 確かに東大病なるものはあるかもしれない、しかしそれは単に子供たちだけのせいではなく、あなたたち大人にも責任があることを自覚してください 
正直な話あなたのような教育者を名乗り、自分の立場を守ろうとしている人は、これからの日本を担う我々にとって迷惑な存在です

私がこの文章で言いたいことは自分の立場なんて忘れて初心に帰り、自分のありのままの姿をみようということです
人の非難する前に自分の過ちを直したらいかがですか?
返信する
白熱教室どころではありません (荒井達夫)
2012-10-24 10:21:28
「民主主義ならば多数決原理が全体の意見として採用されるんです。少数意見をどうしても守りたいのであらば、民主主義を捨ててください」

あなたの学校ではこのような理解をしている生徒がたくさんいるのでしょうか。もしそうであれば、間違いなく教師の責任です。民主主義の最低限の基礎知識すら欠いているのですから、マイケルサンデルの白熱教室どころではありません。TVに出る前に白樺教育館で土台から直してもらったほうが良いでしょう。あまりにも考える力のないことを痛感されることと思います。

ついでですが、「東大病」は武田康弘さんが提唱する考えですので、こちらについても詳しく知ることができると思います。

「わたしは、わが国のひどく歪んだ知のありようを「東大病」と名づけていますが、これは、哲学的に言えば客観学への知の陥穽といえます。日々の具体的経験に根ざした主観性の知の追求がないのです。日本の教育では、私の体験に根をもつ知を生むための前提条件である「直観=体験から意味をくみ出す能力」の育成がおろそかなために、自分の生とは切れた言語や数字の記号操作が先行しがちです。そのようにして育てられた人間は、既成の言語規則とカテゴリーの中に事象を閉じ込める自身の性癖を知的だと錯覚しますが、その種の頭脳を優秀だとしているのは、ほんとうに困った問題です。」(武田康弘)

「客観的に物事を考えることが重要なんです」と書かれていましたので、参考のために。
返信する
しっかり勉強してみませんか? (武田康弘)
2012-10-24 00:54:33
民主主義と人権思想とは一体のもの。基本的人権とは多数で制限できない根源的権利。それは人類が長いことかけて獲得した思想の原理。具体的には『世界人権宣言』として具現化され、『日本国憲法』の人権条項も同じ。こういう公共哲学の基本思想について【冷静になったら】さんは、しっかり学ぶことが必要ですね。
謙虚に学ぶ姿勢を持たない学生では困ります。『白樺教育館』の大学クラスに参加されて大元から勉強されることをお勧めします。丁寧に指導しますので。

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矛盾 (冷静になったら?)
2012-10-23 23:38:34
少数者の自由は保護されず、民主主義社会は成り立ちません
↑どうやら民主主義の制度を理解していないようですね
民主主義ならば多数決原理が全体の意見として採用されるんです 少数意見をどうしても守りたいのであらば、民主主義を捨ててください

また「古林氏の文章は裏付けされていないのにもかかわらず、言い切りの形をとっています。これはおかしいということです。」とありますが、具体的にどこまで書かなければ許されないのか、という問いですが
まず具体的にとか、そんな揚げ足取りなんてして面白いですか? というか上記とは何をさしているのかわからないのでなんともいえないんですけれども… これでも国語力にはそれなりの自信があるのですが私が問題なのでしょうか?(笑

もっと俯瞰的な立場から考えましょう
自分の学校だから擁護するなどどいった安易な考え方で私はあなた方の批判をかいているのではないんですよ
私はこのブログは批判に値する内容であると判断したから書き込みをしているんです
客観的に物事を考えることが重要なんです
確かに荒川さんからしてみたら実に腹立たしいことだ こんなガキに生意気にも意見されているんですからしょうがないです(笑
しかしそんなことは次元の低い話です 相手がどんな立場であろうと関係ない もっと俯瞰的に物事を考えていきましょうよ
返信する
一緒になって確認することが大事 (荒井達夫)
2012-10-23 22:51:48
これは、憲法の原理・原則の問題だと思います。

「渋渋生の人々をはじめとして、多くの方々が古林氏の文章に対して不快な思いをしているのはここにある皆さんのコメントから十分に判断できます。それでもなおこれは表現の自由であり、私の発言は基本的人権の侵害であるというおつもりなんでしょうか?」

とありますが、どれほどの数の書き込みがあったとしても、それで文章を訂正・削除しなければならないというのは、表現の自由に反します。それでは自由を保障したことになりません。表現の自由の保護は最大限でなければならず、結局は、裁判所の判断に従う以外にありません。公共の福祉の判断についてもそうです。そうでなければ、大勢で要求すれば何とでもなる、ということになってしまい、少数者の自由は保護されず、民主主義社会は成り立ちません。これこそ権利の乱用になります。

また、「古林氏の文章は裏付けされていないのにもかかわらず、言い切りの形をとっています。これはおかしいということです。」とありますが、具体的にどこまで書かなければ許されないのか、これについても上記と同様です。

以上のように考えますが、こんな議論をしていても、問題は解決しません。

自分の学校の事件なのですから、事実はどうであったのか、渋渋の皆さんも一緒になって確認することが大事であると思います。
返信する
冷静になったら? (冷静になったら?)
2012-10-23 20:53:27
表現の自由ですか 確かに誰にも等しく表現の自由はあります しかし日本国憲法には公共の福祉に反しない限りという制限があることはもちろんご存知ですよね

極端に言えばこういうことです たとえば荒井さんが昨日の午後5時24分に渋谷駅13番出口でナンパをしているところを私の友達が見かけました これはとても問題です と言ってるようなものです まあこの場合は荒川さんの顔が分からないのでそんなこと嘘だってすぐにわかってしまいますけどね
確かに表現の自由は誰にでも認められている権利です しかしその前提に公共の福祉に反さないという前提があることを忘れてはいけません

また古林氏の文章によって問題を考える場ができたということですが、確かにそれは事実です しかし、古林氏の文章は裏付けされていないのにもかかわらず、言い切りの形をとっています これはおかしいということです 私の言葉がちょっと足りなかったようです すみません

また私が匿名で投稿を続けている理由ですが、正直言って、渋渋に対してこのように非礼な対応をなさるり、権利の乱用をする以上は、こちらとしても礼儀を尽くす必要はないと考えるからです

渋渋生の人々をはじめとして、多くの方々が古林氏の文章に対して不快な思いをしているのはここにある皆さんのコメントから十分に判断できます
それでもなおこれは表現の自由であり、私の発言は基本的人権の侵害であるというおつもりなんでしょうか?

ついでに私は裁判するなんてそんな低レベルな話をしているつもりは毛頭ありません
一日本人のモラルとして、自分の権利を振りかざして多くの人を傷つける行為はやめるべきであるということです
返信する
言論表現の自由とは何か (荒井達夫)
2012-10-23 19:50:54
「これだけ裏付けがなされていないのにもかかわらず、渋渋の非難をしている古林氏の発言などをはじめ、かなり名誉棄損にもなりかねないような発言がありますが、そのような発言はいったん撤回すべきであると思います」と書かれてありましたが、あなたの言うとおりにしたら、古林さんの言論表現の自由はないに等しいものとなってしまいます。

あなたは裁判官ではなく、古林さんと対等の立場にある一個人です。ですから、古林さんの発言に虚偽があり、迷惑を被っているというのであれば、該当部分を示し、具体的な理由を付して、古林さんに訂正・削除、被害の回復を求めるべきです。それでだめなら、裁判するしかないでしょう。

以前にも書きましたが、「匿名の方々の気持ちを配慮して、このブログを止めよ」という主張であれば、言論表現の自由に著しく反します(憲法違反)。誰だか分からない人の都合のために、実名を明らかにして人権の重要性を論じている人の言論表現を制限するなど、民主主義社会ではあり得ないことだからです。

また、このブログに古林さんの文章が掲載されなければ、事件が公にならず、公開討論会の話も出てこなかったはずですから、討論会が開催されて事件の事実関係が確認されるまで文章を掲載してはならない、という主張はおかしいです。

古林さんは、事件の当事者・被害者本人です。その方が実名を明らかにして公に問題提起し、事件の事実関係について詳細に記述し、さらに学校主催の公開討論会まで希望しています。これだけでも、古林さんの発言は信頼できると私は考えます。これに対し、相変わらずの匿名で、「なかなか校長や副校長にお話する機会がない」では、真剣さを疑います。事件の事実関係の確認のために本当に公開討論会が必要と考えるなら、先生や生徒、父兄の皆さんに広く声をかける努力をすべきと思いますが、いかがですか。

なお、私の問題意識「東大病と東大話法が原因」は、日本全国に広がる受験主義教育の弊害を指摘するもので、渋渋だけに関係するものではありません。ほとんどすべての進学校に共通する事柄ではないかと考えています。「これでは、えん罪も、原発事故も、さらには戦争犯罪も、話題にはなったとしても、魂にひびく言葉で語られることは決してないでしょう。恐ろしいことだと思います。」と書いたのはそのためです。
返信する
公共の利益 (冷静になったら?)
2012-10-23 19:13:24
この場合の公共の利益とは、つまりは渋渋の体質に問題があって、これは追求すべき問題である、または今後渋渋の受験を検討する方々がこの議論をみて渋渋という学校について知ることができる、といったところでしょうか
確かにこの議論によって渋渋の体質の問題点を浮き彫りにし、その問題を追及するという行為は公共の利益が大きいと言えるでしょう

た・だ・し!!  それはあくまでも渋々で起きた問題が事実であった場合です
そして今回、古林氏のお話には裏付けがなされていない、つまりこの問題は真実であった証拠なんてないんですよ
逆に言うと、裏付けのなされていないこのお話は公共の利益でもなんでもない

渋渋の非難をなさっている方々は裏付けされてないことを軽視しています これはとても深刻な問題です
事実だったらいいですよ、胸を張って私の事を馬鹿にしてください
ただこれが事実でなかったらあなた方はどう責任と取られるおつもりなんですか? たくさんの渋渋生がいわれのない非難の目で見られているのですよ、現在進行形で(東大病とか言われて) すいませんでした、事実ではありませんでした、公共の利益になるはずでしたがこの問題は事実無根でした なんて言葉で済まされないんです もし、そうなった場合の責任もとれると豪語できるのであるのなら、その責任の取り方を説明をし、渋渋生の承認を受けてから、この問題を取り上げてください

まさか事実かどうかなんてどうでもいい、渋渋生の事なんてどうでもいい、問題を取り上げること自体が公共の利益になるのだなんて言いませんよね?

あと念のためですが
公開討論会は私も賛成です 仮にその場で事実が確認されたならば、実名公開でその議論をするべきでしょう
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「公共の利益」が目的 (荒井達夫)
2012-10-23 06:42:26
古林さんの批判は、まさに「公共の利益」が目的であり、到底誹謗中傷とは言えないと考えています。

渋渋は「公の性質」を有する私立学校(教育基本法8条)であり、教員には「自己の崇高な使命を深く自覚し、絶えず研究と修養に励み、その職責の遂行に努めなければならない」義務があります(同法9条)。

「疑わしいという理由で、信頼関係の無い教師と生徒の関係のまま、密室に7時間も監禁し執拗な尋問をし、怒鳴りつけ、被害者が落ち込んでいるという嘘を言ってまで自白させようとする」という古林さんの事件は、教師による人権侵害であり、繰り返せば「学校の閉鎖」(学校教育法13条)につながるほどの深刻な問題であるという認識が必要です。

事件に関し渋渋がどう対応してきたのか、また、事件を通じて学校教育で「本当に大事なことは何か」について議論することには、極めて高い公共性があると考えています。

古林さんが実名を明らかにして問題提起したのも、「極めて高い公共性がある」と考えてのことだと思います。私が「事件関係者を含め、すべてが実名で参加する公の討論会を学校主催で開く」ことを提案していているのも、そのためです。
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ですから (冷静になったら?)
2012-10-23 00:07:07
確かに仮に古林氏のお話がすべて本当であるならば、確かに大きな問題であります
しかしそれに裏付けがない以上、仮定の話はするべきではないんです 特に誰かを非難するような場合はなおさらです
古林氏のお話に対して問題意識を持つのは個人の自由だと考えます しかしそれを周りの人に発信するとなると話は別問題です

なのでここの場で議論するにしろ、公開討論会で議論をするにしろ、まず公開討論会における事実関係の確認が第一なのです

そして事実の確認がなされるまで、ここの場で仮定の話をするのは控える必要がある、というのが私の見解です


また何回か触れたとは思うのですが、これだけ裏付けがなされていないのにもかかわらず、渋渋の非難をしている古林氏の発言などをはじめ、かなり名誉棄損にもなりかねないような発言がありますが
そのような発言はいったん撤回すべきであると思います
古林氏の発言が嘘であるなど言い切るつもりはありませんが、裏付けがなされていない以上、ひとまず渋渋への誹謗中傷ともとれる発言は控えていただきたい

あと、なかなか校長や副校長にお話する機会がないもんでしばらく時間がかかるかもしれないです
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学校教育で「本当に大事なことは何か」 (荒井達夫)
2012-10-22 08:45:41

もちろん、事件の事実関係を明らかにすることだけが、公開討論会の目的ではありません。この事件を通じて、学校教育で「本当に大事なことは何か」を考えたいと思っています。再度の繰り返しになりますが、以下が私の問題意識です。(以前書き込んだものです。)


東大病と東大話法が原因 (荒井達夫)
2012-06-21 22:08:33
「・・・・・でも、教頭も副校長も、この日参加していなかった体育教師A先生(Oさんの担任で尋問を行ったもう一人の教師)も結局、一言も謝りませんでした。常識的には、学校が正式に謝罪するような事件だったと思います。誰でも間違いを犯すことはあります。間違えたら率直に謝る。これは当たり前のことではないでしょうか。それがどんな立場の人であれ、です。教師だろうが、学年主任だろうが、副校長だろうが、過ちを犯したらそのことを認め謝罪するのがまともな人間です。Meiにとっては、『辛い』というより、生涯残る大きな傷を残す事件となりました。この時、彼女の心は折れ、いずれこの学校を去ろうと決心していました。私も早く去った方が良いと考えていました。・・・・・」


この古林さんの文章を読んで、私は胸が痛みました。もし自分の家族がこのような目にあったとしたら、どんなに辛いだろうか、今どんな日々を送っているだろうかと思ったのです。そして、ここに匿名で書き込みをされる学校関係者の方々も、そのような思いを共有されるのではないかと、当初は考えておりました。

ところが、これほどまでに多くの書き込みがされても、この事件を自分のこととして深く受け止める方は一人も出てこなかったのです。共通しているのは、「一例でしかない過去のこと」という反応です。人権侵害の問題について、なぜこれほどまでに鈍感でいられるのか。驚くべきことですが、私はこれこそ「東大病と東大話法」が原因ではないかと考えています。

受験のために幼少期から大量の情報を能率的に処理する(収集、整理、暗記する)訓練ばかりさせられ、「本当に大事なことは何か」と物事の本質を問う思考回路を育てることができなかった(東大病)。中学・高校のディベート授業でも、勝ち負けを競うための論点整理や主張と根拠の明確化の作業ばかりで、「本当に大事なことは何か」を問うことがない。だから想像力が著しく欠如しており、自分が「傍観者の論理・欺瞞の言語」の使用者となっていることにも気がつかない(東大話法)。

生徒も教師も真面目で一生懸命で優秀と言われる人ほどこれに陥っており、東大病が東大話法を生み、さらに東大話法が東大病を深化させている状況にあるのではないか。これでは、えん罪も、原発事故も、さらには戦争犯罪も、話題にはなったとしても、魂にひびく言葉で語られることは決してないでしょう。恐ろしいことだと思います。
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連続でごめんなさい (冷静になったら?)
2012-10-21 23:50:39
言い忘れていたのですが
もし仮に7時間に及ぶ軟禁が事実であったとしてもそれがイコール今の渋渋は駄目であるということにはつながりません 過去の話ですからね

また最近全然コメントには登場してませんが、渋渋生がエリート意識を持っているだの、古林氏が学校に呼び出された時の対応の仕方だの、まるで愚の骨頂のような言い回しでしたがその裏付けも行われていません
このことも討論会を開くときには確認したい事柄ですね
しかし、まるで断定して自分の発言は絶対正しい、異論ははさませないというような態度の割には、その裏付けがなされていない にもかかわらず渋渋を非難する記事を書かれたことは名誉棄損ともとれます
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公開討論会 (冷静になったら?)
2012-10-21 22:43:08
丁寧なご説明ありがとうございます
とても納得しやすい提案だと思いました

公開討論会はぜひとも行いたいですね
とりあえず、私のほうからも校長か副校長に直談判してみたいです
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「学校主催の公の討論会」を (荒井達夫)
2012-10-21 17:40:36
「疑わしいという理由で、信頼関係の無い教師と生徒の関係のまま、密室に7時間も監禁し執拗な尋問をし、怒鳴りつけ、被害者が落ち込んでいるという嘘を言ってまで自白させようとする」

私は、このような事件の事実関係を明らかにするために、「事件関係者を含め、すべてが実名で参加する公の討論会を学校主催で開く」ことを提案しています。それが最善の方法(皆が納得できるフェアーなやり方)であると考えるからです。

「学校主催の公の討論会」が行われるよう、あなたからも校長先生やM先生に要望していただきたいと思っています。
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今までの総括 (冷静になったら?)
2012-10-21 16:16:56
今までの話を客観的に総括させていただきます
まずM先生の「あまり話せない」という発言から、何らか学校側が問題のある行動をしたことはおそらく事実とはいえます
しかし、だからと言って7時間もの監禁が行われたということまでが事実とは言えないのは明白です 具体的にどんな内容なのかはM先生は発言してませんからね
よってこのブログの投稿のなかで、確実にあったと言えるのはひとまず、渋渋で過去にいじめに関する問題が上がった、ということではないでしょうかね

ここからは私の意見です
荒井達夫氏は、「疑わしいという理由で、信頼関係の無い教師と生徒の関係のまま、密室に7時間も監禁し執拗な尋問をし、怒鳴りつけ、被害者が落ち込んでいるという嘘を言ってまで自白させようとする」という事件があったことが動かない事実であるかのように話されていますが、その証明はなされていません よって誰かがこの記事をみて、この発言を証明するまで断定的な発言はするべきではありません 今の現状では裁判所的に言うと、渋渋が行ったとされる一連の行為は証拠不十分とみなす、ってやつですよ 下手したら、名誉損壊罪で訴えられることも考えられますよね
人の意見に対して裏付けがなされていないとさも偉そうに言う前に、まず自身の発言の裏付けをする必要があるでしょう
裏付けのなされていないことを用いて渋渋を中傷することは問題がありますよ
念のためですが、裏付けというのは克明にかかれてあるのとは違います この場で裏付けする方法は、証人などをきちんとそろえ、その本人が自分でこの記事にコメントすることです

とりあえず、古林氏が7時間軟禁事件が本当にあった事を証明するまで議論はなされるべきではないでしょう

てか古林さん、そんな「疑わしいという理由で、信頼関係の無い教師と生徒の関係のまま、密室に7時間も監禁し執拗な尋問をし、怒鳴りつけ、被害者が落ち込んでいるという嘘を言ってまで自白させようとする」という事件が起きたのですが、どう思いますかと聞いたら、サンデル教授が、「絶対にあってはならないことですが、まず事実がどうであったかの確認が重要です」というであろうと言ってるじゃないですか(笑
裏付けは自身がしてください 渋渋生に押し付けているあなたは間違ってますよ
裏付けをするのは反対意見述べる前にその反対者がするものではない(今回の場合、多くは渋渋生) 古林さん、あなた自身が裏付けをしないといけないんですよ

そもそもきちんと裏付けがなされていないから渋渋生らが反論してくるんです 私があなたの立場だったら渋渋生に反論の余地がないような証拠だしますよ
逆にそれができないのであらば、証拠不十分であるならば、このような断言するような発言はしないですよ
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いじめは人権侵害である (荒井達夫)
2012-10-21 12:11:49
「受験のために幼少期から大量の情報を能率的に処理する(収集、整理、暗記する)訓練ばかりさせられ、「本当に大事なことは何か」と物事の本質を問う思考回路を育てることができなかった(東大病)。中学・高校のディベート授業でも、勝ち負けを競うための論点整理や主張と根拠の明確化の作業ばかりで、「本当に大事なことは何か」を問うことがない。だから想像力が著しく欠如しており、自分が「傍観者の論理・欺瞞の言語」の使用者となっていることにも気がつかない(東大話法)。

生徒も教師も真面目で一生懸命で優秀と言われる人ほどこれに陥っており、東大病が東大話法を生み、さらに東大話法が東大病を深化させている状況にあるのではないか。これでは、えん罪も、原発事故も、さらには戦争犯罪も、話題にはなったとしても、魂にひびく言葉で語られることは決してないでしょう。恐ろしいことだと思います。」

以前、私は、このような書き込みをしたことがあります。

自分の学校で「教師による人権侵害の事件」が深刻な問題になっている中、「マイケルサンデルの白熱教室に渋渋中三が10人招待。しかも議題はいじめがテーマ」という話を聞いて、ますます自分の考えに確信を持つようになりました。

「いじめは人権侵害である」という認識が、問題解決において最重要・核心であると考えるからです。
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事実関係(自調自考) (古林 治)
2012-10-20 17:21:37
『渋々生徒』さん
M先生に聞かれたのですね。
多分、本当のことはコメントできなかった、コメントは禁止されてるのでは、と勝手ながら想像します。
確認はできななかったものの、M先生の対応から『渋々生徒』さんは事実関係を察したのでしょう。
いずれにしても、事実関係を確かめようとされたことには、拍手です。
自調自考(渋々の校是?)の第一歩を実践したのですから。

自己感情がどのようなものであれ、最初にやるべきは事実を確かめる、ですよね。
でないとただ感情の垂れ流し、それに続く喧嘩、国家間なら戦争。愚かしいことです。
(領土問題で同じレベルのことやってますけど。)


一方、残念ながら『同じく渋々生徒さん』のコメントは要領を得ません。
意にそぐわないという意味ではありません。念のため。
荒井さんの指摘通りです。

いずれにしても、こういう事件が起きた(利害関係が露わになった)時にこそ、根っこにある人々の姿勢や生き様が見えてくるものです。
関係者の言動に注目です。


なお、繰り返しになりますが、再度触れておきます。
私はこの軟禁事件がなくとも多分渋々への批判文を書いたと思います。
渋々の教育の在り様に大いなる疑問と危機感を覚えたからです。
好き・嫌いとか、良い人・悪い人の問題ではないのです。
理由については、以下を参照ください。
私が『田村哲夫氏が運営する渋谷教育学園渋谷校とは』を書いた経緯
http://blog.goo.ne.jp/shirakabatakesen/e/89dd6ecb6721770d5667e25a55982cd6
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「同じく渋渋生徒」さんへ (荒井達夫)
2012-10-20 09:05:23
「同じく渋渋生徒」さんへ

古林さんは、事件の事実関係について以下のように克明に記述されていますので、これを確認することになります。当然、お読みになっていると思いますが、念のため貼り付けます。



真摯な対応に感謝 応答4 (古林治)
2011-08-26 18:55:30
【学年主任M先生のこと 2】

3.事件/ イジメのでっち上げ - ” たたいておく”という発想 -

ある日のこと(中学2年になって間もないころ)。
Meiの仲良しグループ数名の間で悪ふざけがありました。

Mei: ペンってどれくらいの力で折れるかなあ?
Mei: 折っていいペンある?
N君:これ、もうインク切れかけ。

で、MeiとPさんが、N君の持つインクの切れかけた2本のペンをそれぞれが折ったのでした。中学生のいわゆるノリというやつです。ただし、この仲良しグループの変わった感覚はちょっと普通の生徒たちとは異なっているように思います。前にも触れましたが、家庭環境から来る不全感がこうした行為を導くのでしょうか。こういうおバカなことをやるのが楽しいらしいのです。
Meiはさらにワル乗りして、隣のクラスの仲良しのOさん(最初にいじめにあった生徒)の机の上に折ったペンを置き、
”Nちゃんの♡(ハートマーク)”(Nさんはペンの持ち主)
というような書き置きを残したのでした。ところが、どうやらそれを見た生徒D君がいて、そのあと先生へ通報したらしいのです。

これが悪質なイジメととらえられ、およそ7時間に及ぶ軟禁、尋問につながっていきました。
以下、経緯です。

翌日、1時限目の担任の授業中にMeiは呼び出されます。
担任はこの間の経緯を知らされていないようでした。普通なら、当の生徒のことを一番知る担任が責任をもって対応するのが常識です。時に叱り、時に慰め、時には守らなければいけない立場です。その担任をパスしてM先生の独断で尋問がはじめられたのです。これ自体、異様な行動です。

MeiとN君の二人が空き教室に呼ばれ、M先生とOさんの担任A先生の二人による尋問が始まります。
それはイジメをやったという前提での問い詰めで、当初から犯人扱いでした。
(ちなみに、ペンを折ったもう一人のPさんは尋問を受けませんでした。なぜかはよくわかりません。Meiたちが名前を出さなかったからなのか、それとも他に理由があったのか。)

二人で何度も事実関係を説明しても話を聞いてくれず、『まったく仲がいいんだから!』とA先生に罵倒されもしました。
二人の教師は、Meiがいじめをやったに違いなく、それを仲の良いN君がかばっているに違いない、という物語を作って信じ込んでいるようでした。 いくら何度同じ話をしても、嘘だと言ってまったく話を聞こうとしません。

1時間ほど詰問が続き、何も変わらないので、今度は二人の生徒を分けて別の場所で尋問し始めました。
そのあと、授業がすべて終了する夕方まで尋問が繰り返されたのですが、その間のすべてのやり取りを覚えているわけではありません。
が、次のようなやり取りがあったことをMeiは強烈な記憶として残しています。

『(N君の証言と)矛盾してるんだよ!!』
実はまったく矛盾していないことは、あとでN君の話を聞いても解りました。嘘をついてまでの誘導尋問。

『ちゃんと目を見ろ!!』
いわれのないことで監禁され、怒鳴られ、罪を認めろと長時間言われ続ければ、そういう人間の顔など見たくなくなるのが普通だと思いますが。

長時間にわたる尋問のストレスといくら説明してもまったく信用されない悔しさでMeiが涙を見せれば、
『泣くなら そんなことをするな!』と怒鳴ったあと、手のひらを返すように、おろおろするM先生の姿を見て、Meiはますます不信感を募らせました。

途中、M先生にも用事(授業?)があったのでしょう。代わりに他の先生を呼びMeiの監視をさせました。その代理の先生にに事情を話すと、
『M先生、何でそんな怒ってるんだろうねえ?話せばわかってくれるよ。』と言ってくれましたが、M先生の態度はエスカレートするばかりでした。

『本人がひどく傷ついた、と実際に言ってるんだよ!!』
(本人とは、折れたペンを机の上に置かれた生徒、Oさんのことです。)
激昂したM先生は何があってもイジメがあったことにしたかったようです。まったくの嘘(後述)でMeiを追い詰めようとしました。


その日の授業が終了する時間になり、およそ7時間にわたる軟禁状態からMeiはようやく解放されました。

この尋問が終わった日の夜、MeiがOさんに電話をしました。
Mei: 傷ついたなんて知らなかった。ごめん。
Oさん: え!? 何の話?
別に傷ついてなんかいないよ。
Mei: え!?

この後、OさんはMeiの担任Y先生に電話をし、
『一体どうなってるんですか? 私、全然傷ついてなんかいないし、話がどんどんエスカレートしてるみたいなんですけど。』
と話しました。Y先生も事情がよくつかめていない様子でした。

M先生は嘘の話をしてまでイジメを事実にしたかったようです。これでは検察の捏造事件と一緒です。一体何をしたかったのでしょう。
MeiとOさんが仲良しだということすら知らずに尋問をしていたことも後でわかりました。
また、後に、ある教員から私が直接聞いた話ですが、この事件の前から、M先生はMeiに対し、
『あの子は、今のうちにたたいて置かないといけない。』と言っていたそうです。
イジメをやったことがあるから?
反抗的で従順でないから?
自分の授業を批判するから?
他の生徒に悪い影響を与えるから?

あとから知った事実などを考え合わせると、M先生が、何か奇妙な想念に取りつかれていたことは確かでしょう。その内実は本人しかわかりませんが、どす黒いものであったことは間違いありません。
Meiをたたく機会を耽々と待っていたのでしょうか。
私はイジメや虐待に近い感情だと思っているのですが、事実を知るのは本人のみです。


私はMeiから上記の話を聞き、学校呼び出しがあるかもしれない、もしかしたら退学処分かもしれない、と聞かされました。
『イジメがなかったのはわかるけど、物を壊すこと自体おかしなことだし、ふつうそんな場面を見たらやっぱり異様に思うぞ。』
そう言って 叱りはしたものの、
『イジメ自体はなかったから何とでもなるでしょ。退学処分なんて考えられないよ。』
と応えておきました。事実、その通りでしたから。
数日後、学校からの呼び出しがありました。Meiのことについて話があるので来てほしいとのこと。

Meiと一緒に学校に行き、会議室に通されました。
部屋には、教頭と副校長と学年主任のM先生、それに担任のY先生がおり、その異様な顔ぶれに驚きました。私は相応の(威嚇には絶対屈しない)覚悟を決めながら、まずは話を聞いてみることに。
M先生がざっと次のようにいきさつを説明しました。
M先生:MeiがN君のペンを折ってそのペンをOさんの机の置いた。イジメの疑いがあったので話を聞きいろいろ調べたが、イジメの事実はなかった。

一体、何が問題でこの仰々しい顔ぶれの会合をやっているのか理解できずにいましたが、私はとりあえず次のように発言しました。
私:ペンをへし折るような行為自体よいこととは思えず、それについて叱られるのは当然でしょうし、しっかり反省すべきことだと思います。
それとは別に、イジメを疑われたようですが、実際にはイジメの事実はなかったわけですね。その上で長時間、軟禁状態にしたこと、怒鳴りつけたこと等に対してM先生はMeiに謝罪されましたか?

そう言うと、場の空気が一変しました。一同、ギョッとした顔をしたのです。
M先生:エッ!? いえ。
私:  これって事実上、人権侵害ですよ。
教頭: そんな大げさな。
教頭はボソッと小さな声でそう言い、せせら笑いました(少なくとも私らにはそう映りました)。

私: M先生は授業で中国の欠点ばかりを説明しました。中国人のCさんは怯え、何のための授業なのかMeiは疑念を持ち質問しました。まともな回答は得られず、MeiとM先生の間には、相互不信ができていました。Meiは信用できないと思い、M先生は問題のある子だ、そんな風に互いに思っていたはずです。少なくともMeiはそう思い、すでに信頼関係は壊れていると言えます。そういう先生と生徒の間で、まともな対話ができると思いますか。片や権力を振るう側、片や弱者の関係ですよ。その関係で、弱者の自由を奪って7時間にわたって軟禁し、Meiの言うことに耳を傾けず、怒鳴り続けたのですよ。疑いがあるからと言って許されることでしょうか。 これでは、虐待です。人権侵害そのものですよ。謝罪してください。
M先生:古林さん、それは・・・・

M先生は声に詰まり、しばらくしてからMeiに謝罪しました。
そのあと、副校長がこの場とは関係のない話、教育の一般論をしましたが、何か的外れな話だという印象しかなく、Meiも私もその内容を覚えていません。もしかしたら副校長自身、わけがわからずパニックになっていたのかも。
結局、M先生はしぶしぶだったかもしれませんが、一応謝罪しました。
会合のあと、Meiの担任も、『辛かった?ごめんね。』とMeiに謝りました。担任もまた事実関係を知らされていない様子でした。
でも、教頭も副校長も、この日参加していなかった体育教師A先生(Oさんの担任で尋問を行ったもう一人の教師)も結局、一言も謝りませんでした。常識的には、学校が正式に謝罪するような事件だったと思います。

誰でも間違いを犯すことはあります。間違えたら率直に謝る。これは当たり前のことではないでしょうか。それがどんな立場の人であれ、です。教師だろうが、学年主任だろうが、副校長だろうが、過ちを犯したらそのことを認め謝罪するのがまともな人間です。

Meiにとっては、『辛い』というより、生涯残る大きな傷を残す事件となりました。この時、彼女の心は折れ、いずれこの学校を去ろうと決心していました。私も早く去った方が良いと考えていました。
せっかくできた友人たちと別れるのはつらかったのでしょう。結局、このあと私はMeiを引き取ってからも、転向するのに数か月後を要すこととなりました。

以上が、学年主任M先生とMeiの間に起こった事件の概要です。

なお、一年前のことですが、文化祭でMeiがT先生に再会した際、『あの時は大変申し訳なかった。事情がよくわかってなかったんで。』と声をかけられたことを記しておきます。あの事件の後、T先生はOさんの担任となり、Oさんから詳しく事情を聴いていたのでした。
========================

以下、続く
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本当の「正義の追及」のために (荒井達夫)
2012-10-20 00:39:14
「同じく渋渋生徒」さんが、誰で、担任のどなたに、どのように事件の事実関係について確認したのか、まったく不明ですので、全然説得力がありません。

この際、事件関係者を含め、すべてが実名で参加する公の討論会を学校主催で開き、事件の事実関係を明らかにして、問題の本質について議論するのが良いと思います。本当の「正義の追及」のためには、そうする以外にないでしょう。

そのように、あなたが校長先生やM先生に要望すべきと考えますが、いかがですか。
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What's the truth? What the justice? (同じく渋渋生徒)
2012-10-19 22:23:06
じぶんも渋渋生徒さんと同じ渋渋生なのですが、事実確認をしてみたところ、7時間も監禁をしていたという事実はとても見られず、さらに担任にも確認してみたところ、ここで書かれている事実は一切担任の回答には見られませんでした。
このことから、この記事は事実がねじ曲げられているのではないかと思います。
実際、自分は以前通っていた小学校よりも渋々の方が本当に自由な学校であると思いますし、いじめなどは自分が見る限りではひとつも見当たりません。

What's the truth? What's the justice?
本当の正義とは何か、本当の真実とは何かを考えてやらなければ、事実はねじ曲げられてしまうので、
一度、古林 治さんにあって会談がしたいです。そして、対等に話し合いたいです。
返信する
ごめんなさい (渋渋生徒)
2012-10-18 23:44:11
今日、M先生に聞いてみました。
そしたら、あまり話せない、こちらは何も言えない、と言っていました。
実は、小学校の時、私もいじめにあっていました。
なので、その先輩の気持ちも分からなくはありません。
昨日の発言は、まだ中1でも、渋渋生として、ものすごく恥ずかしいです。
自分の学校を批判された怒りでいっぱいでした。本当にすみません。
すごく反省しています。
でも、6年前の出来事で「渋渋」自体を批判しないで下さい。
心の優しい人もたくさん居ます。
これからは、渋渋生らしい行動をし、正義を追求したいです。
これからもよろしくお願いします。
S.A.D.の部員として、このディベートに参加させていただきます。

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「正義」の話をしよう (荒井達夫)
2012-10-18 21:02:02
「ろろろ」さんも「渋渋生徒」さんも、事件の事実関係を確認することなく、古林さんを批判していますが、これでは全然説得力がありません。さらに、「それを本気で信じているのでしたら皆さんの頭が疑われてしまいますよ」、「あなたの子供が異常だったんですよ」では、明らかに誹謗中傷になります。自分の学校で起きた「教師による人権侵害の事件」なのですから、校長先生とM先生に直接話を聞き、事実関係をしっかり確認した上で、実名を明らかにして責任を持って書き込んでほしいものです。

マイケルサンデルの白熱教室には渋渋の生徒さんが10人も参加するそうですから、今回の「教師による人権侵害の事件」をめぐる騒動について議論するのが良いと思います。自分の学校で、「疑わしいという理由で、信頼関係の無い教師と生徒の関係のまま、密室に7時間も監禁し執拗な尋問をし、怒鳴りつけ、被害者が落ち込んでいるという嘘を言ってまで自白させようとする」という事件が起きたのですが、どう思いますかとサンデルさんに聞いてみてください。「これからの「正義」の話をしよう――いまを生き延びるための哲学 」がサンデルさんの著書ですから、内容的にこれ以上の話題はないと思います。「絶対にあってはならないことですが、まず事実がどうであったかの確認が重要です」と言われるのではないでしょうか。そうでなければ、間違いなくインチキ公共哲学者になります。
返信する
Unknown (渋渋生徒)
2012-10-18 02:19:38
校長先生はすごくいい人です!
M先生は私の担任ですが、すごく優しくて誰とでも話せる人です。
そばに居るだけで安心できます。
あなたの子供が異常だったんですよ。
明日聞いてみますよ、何があったか。
返信する
どれだけ田村さん嫌いなんですかw (ろろろ)
2012-10-17 00:41:50
「山がいいか海がいいか」?そんな低レベルなディベートだったら生徒としては大変助かりますw
姪さんとの古林さんの会話を読ませていただきましたが、古林さんが元から渋渋への否定的な考えを持っていてそれを姪御さんにも押し付け、植え付けようとしていると感じました。
また、7時間も軟禁でしたっけ?そんなこと出来る訳ないじゃないですか。そんなんじゃ授業受けられないし授業の後だったとしてもそんなに時間ないし。それを本気で信じているのでしたら皆さんの頭が疑われてしまいますよ。
返信する
白熱教室 (冷静になったら?)
2012-10-13 23:40:20
来る、12月8日にマイケルサンデル教授の白熱教室が開催されます
そしてそこに渋渋中三が10人招待されました

しかも議題はいじめがテーマだそうです
渋渋生の発言に注目ですよ

放送はNHK収録で来年の一月、BS1です
日にち決まったらまた教えます
返信する
ご丁寧にどうも (冷静になったら?)
2012-09-09 23:06:56
見落としてました、どうもすいません

結局そんな討論会は行われたのでしょうか?

もし行われてないなら、ぜひ主催していただきたい
私ごときではみなさん集まっていただけないでしょうしね

楽しみにしてますね

返信する
今までの議論を踏まえることが前提です。 (武田康弘)
2012-09-09 21:48:47
あなたは、以前のやりとりを読まないでコメントをしていますね。これでは対話が成立しません。

わたしは、渋々の学校でやりましょう、と提案していたのですよ。以下をお読みください。

春休みに公開討論会を。 (タケセン)
2010-10-28 10:42:36

丁寧なコメント感謝です。

ご提案の件ですが、これは、ご本人(現在、高校3年生)の意思なのです。堂々と語り、広く公共的な問題として社会に問いたいとの希望です。

そこで、わたしからの提案ですが、入学試験の終わる3月以降(春休み)に、公開で討論会をされたら如何でしょうか?

教育の本質について考えるために、完全に対等で自由な場をわたしの責任でつくりますので、関心のある方はお集まり頂き、直接対話をされるのがよいと思います。民主主義のとてもよい実践になります。

「自由対話」なくしては、個人の精神の深み・広がりも民主制社会の発展もないのですから。
―――――――――――――――――――――

いじめ? (古林 治)
2011-02-01 19:40:35

私が『渋々物語 ― 田村哲夫氏が運営する渋谷教育学園渋谷校』を書いたのは個人的な恨みからではまったくありません。
田村氏がこの国の教育行政を主導する立場(地位)にあり、その考え方に大きな問題あり、と考えているからです。実名を含め、具体的な話を出したのは、議論が必要になることを期待してのことです。
異論、反論があることはよいことですが、問題は内容ですよね。議論して互いの考えを深めていくことが大事です。
私もまた公開の場で議論することを希望します。受験が終わる3月であれば、私の方はOKですヨ。
ーーーーーーーーーーーーーー

 appreciate (なしむ)
2011-03-04 05:47:08

たいていの学校の保護者の方は
ご自分の関わった学校についてネガティブな
情報を語ろうとはしません。
なんであれこのようにご自分が体験された
ことをオープンにして問題としてみなで
共有しようとする姿勢には拍手を送りたい
です。
手の中にある問題をすべてテーブルに広げて
お互いそれを認め確認した後、共通認識を
つくり上げていく、その作業を怖がっては
ならないのでしょう。
ーーーーーーーーーーーーーー

4月2日(土)に公開討論会を (タケセン)
2011-03-05 00:51:13

わたしも全く同感です。
みなさまの都合がよろしければ、誰でも参加Okの討論会を開いたらよいと思います。
渋谷学園のご協力が得られるならば、学校内で開催、それが無理であれば、白樺教育館で。
春休み中の土曜日=4月2日はどうでしょうか?



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どうも (冷静になったら?)
2012-09-09 20:14:34
公開での討論会ですか、面白そうですね
要は、このプログ作成者、その他関係者がこぞって出席すると  そしてこれだけ非難されたら、渋渋支持者の方々は参加したくもないと
んで、少ししかこなかった渋渋支持者を集団いじめのような感じにして、「渋渋支持者の皆さんは、感情的なだけで事実把握すらできていなかった」と言って勝利宣言すると
実に面白い!

それとも、公開の討論会が明らかに渋渋支持者にとって敵ばかりで、自由な発言さえままならない場所であることでさえ、考えられないのですか?

少なくとも、自由な発言ができそうな場ではなさそうなので出席はご遠慮させていただくということでよろしくお願いしますね
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自由な場とは (古林 治)
2012-09-08 14:48:26
言論の自由があるとは、批判を受けとめる力があるということです。
批判を受け止めることで、対話によって問題を深く掘り下げることが可能になるわけです。
それがなければ、集団は硬直化し疲弊・暴走します。
私たちの社会はその点ではまだまだ稚拙ですね。
批判しない人々同士ではまったくの自由であっても、批判を排除しようとする空気がある集団は自由であるとはいえないのです。


制度(学校とか会社とか国)や上位者(先輩、上司、教師)に対する健全な批判は、集団や社会を常に健全なものにしていくために必須です。
この批判力は、民主制社会を押しすすめるための根源的な力でもあります。
これは受験云々以前の、教育の根本的な問題でもあります。



本当はこんな話をしたいところですが、いまだに人権侵害の事実そのものがないかのように言う人が多いので大変驚いています。
戦前の日本がやった壮絶な悪事を否定する日本人がたくさんいるのと一緒の心性でしょうか。
この問題、これ以上触れるつもりはなかったのですが、公の場で事実があったかどうか明確にする必要があると強く感じています。
姪にも証人にも参加してもらいはっきりさせましょう。

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自分の目と耳を使って調べるべき (荒井達夫)
2012-09-07 21:43:59
事件の被害者である古林さんは、次のように書いています。

「一通り学年主任の説明があり、いじめは無かったと判明しました、と役人のような説明。次に教頭と副校長の高尚な教育論を承ります。
一通り、学校側の説明が終わり、私の番。
やったことは叱られて当たり前のことですし、当人が謝罪し反省することも当然のことと思います。
ただし、疑わしいという理由で、信頼関係の無い教師と生徒の関係のまま、密室に7時間も監禁し執拗な尋問をし、怒鳴りつけ、被害者が落ち込んでいるという嘘を言ってまで自白させようとするのは警察の尋問と同じですね!
挙句の果てに、いじめの疑いは晴れましたではどこかおかしくないですか。
これは人権侵害ですよ!姪に謝罪しましたか?
と問い返すと教頭と副校長は目を白黒させて沈黙。学年主任はオドオドして致し方なく姪に謝罪することになりました。担任だけが状況を理解していたようです。
終了後、『辛かった?ごめん。あたし、事情全然知らなかった。』と言ってました。
多分、教頭と副校長は人権侵害についてまったく理解できなかったと思います。
学年主任は言われてから、しまった、という感じでしょうか。」

この記述から、私は、古林さんの話が事実に基づくものと考え、さらに、事件が明々白々な教師による人権侵害行為であると判断しました。

「すいません (冷静になったら?)2012-09-06 22:51:07」の筆者は、渋渋の関係者と思いますが、事件の事実関係やその後の学校の対応について、自ら、校長等責任ある立場の方に確認すべきと考えます。

事件には教頭と副校長までが関わっているそうですから、聞けばすぐに答えてもらえると思います。(古林さんも当然、これら事件関係者の実名をご存じはずです。)

自分の学校で教師による人権侵害行為が行われ、被害者である生徒が転校し、実名で問題提起しているのです。

事実かどうか疑いがあるなら、まず自分の目と耳を使って調べるべきでしょう。
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なぜ、顔を合わせての対話から逃げるのでしょうか? (武田康弘)
2012-09-07 00:49:58
すでに、当時の担任が認めて謝罪している「事実」にまで根拠を云々という投稿は、
この記事とコメントのやりとりを【冷静】にきちんと読んでいない証拠です。
嫌がらせのようなコメントを連続して入れるというのは、明らかに妨害を意図してのものでしょう。
このようなネット特有のイヤラシイ書き込み(顔が見えないことをいいことにして、匿名で礼を失した言葉を投げ込む)は、主宰者であるわたしが許しません。
内容的な批判、礼を弁えた批判ならば結構ですが、攻撃のためのコメントは削除します。
なお、この問題については、わたしや荒井さんや古林さん本人が幾度も【公開での討論会】を呼び掛けていますが、まったく応答がありません。なぜ、顔を合わせて正々堂々と議論できないのでしょうか?
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すいません (冷静になったら?)
2012-09-06 22:51:07
あなたというのは武田さんをさしています

あと、荒井さん「疑わしいという理由で、信頼関係の無い教師と生徒の関係のまま、密室に7時間も監禁し執拗な尋問をし、怒鳴りつけ、被害者が落ち込んでいるという嘘を言ってまで自白させようとする」
あなたはこの行為がまるで事実であるかのごとく話されていますが、その根拠はどこにあるのでしょうか…?
根拠のない渋渋への誹謗中傷は削除されず、私の過去の投稿は削除されたのはなぜでしょうか?
私は理解できません

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それが答えですか (冷静になったら)
2012-09-06 22:44:29
あなたの答え、聞けて良かったです

しかし渋渋生の方がおっしゃっていたことからも、私の主張は偏見の塊でないことは証明されました
またあなたの私の投稿を消すという行為に、多少なりの反発も述べられていましたし

では

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公式の場を設けて実名で議論を (荒井達夫)
2012-09-01 08:57:24
「疑わしいという理由で、信頼関係の無い教師と生徒の関係のまま、密室に7時間も監禁し執拗な尋問をし、怒鳴りつけ、被害者が落ち込んでいるという嘘を言ってまで自白させようとする」

古林さんの事件は、有名進学校で起きた教師による明々白々な人権侵害行為、受験主義教育がもたらす象徴的事件であり、いじめ問題が頻発している中で非常に重要と私は考えます。

ブログへの書き込みが既に100件を超えましたが、被害者側が実名なのに加害者側が「渡辺祥太郎さん」一人以外はすべて匿名です。

学校が適切に対応していないことの証明であり、「みらさん」の言う「良識のある行動」とは正反対の結果になっていると思います。

ネットの検索でも一桁の上位にランクされるほど、読まれているようですので、学校関係者が公式の場を設けて実名で議論されるのが良いと考えます。

匿名による誹謗中傷の書き込みも多くなってきたようですから、このままでは「一体、この学校は人権教育について何を教えているのか」と思われるようになってしまうでしょう。

「議論すべき本当に大事なことは何か」、真正面から率直に意見を述べあうのがフェアーであり、学校の評価も高まると考えますが、いかがでしょうか。

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外からの目で見る練習を (武田康弘)
2012-08-30 15:51:58
わたしは、このブログの主宰者ですが、基本として、コメントはすべて公開しています。

ただし、いわゆるネット時代に特徴的な礼を失した悪口・他誹謗中傷の類がまれにあり、それを放置すると、議論や対話にならず、「不満のはけ口」という愚かな、良識のある人が読むにたえないものになりますので、今までに数例、削除したことはあります。

これは、まったく「正しい」判断だと確信をもっています。また、この場は、武田康弘が実名で、身分も立場もすべて明らかにし、武田の自由と責任のもとに開いている「ブログ」ですので、武田に決定権があるのは当然です。

みらさんの意見、その思いや考えを書かれるのは自由です。ただし、同主旨のコメントが繰り返されることがあれば、それなりに対処します。

なお、一般論ですが、自分の所属する団体を外からの目で冷静にみることは、自他共を豊かにする基本です。





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現役渋渋生です。 (みら)
2012-08-30 11:26:15
消されるのを覚悟の上でコメントさせていただきます。

私は渋渋での学校生活を非常に楽しんでいます。
だから、個人の意見で自分の大好きな学校を非難されるのが正直辛かったです。

家がさほど裕福ではないので、塾に行く必要があるような成績を取ったら公立に行けと親に言われています。
しかし、やはり渋渋に来る人は裕福な人が多いようです。
だから、そもそも「シャーペン折ってみて」なんて発想ができるのでしょう。
私には到底無理な話なので、そもそもその姪っ子さんの感覚が理解できませんでした。

渋渋は自由な学校です。「自由じゃない」という人も、周りには確かにいます。
学校としての制約が少ないかわりに、馬鹿なことをしでかす人がいると、クラス単位で条例のようなものができるからです。
基本はゲームも漫画もケータイも禁止されていません。しかし、授業中にそれをいじっていたりする人がいると、クラスまたは学年で禁止されるのです。
制服がないから自由じゃないというのもおかしな話ではないでしょうか。
そもそも渋渋の制服が着たくないなら渋渋に来るはずがないのですから。「制服を着る自由」というものだってあります。
それに正装の他にバリエーションもありますし、ある程度の服装の幅はあるのです。

また、その姪っ子さんとの会話なところを見て、「むしろあなたっだって姪っ子さんを自分の意見で”洗脳”しているのでは」とも思いました。失礼ですが、嬉しそうに話す姪にぴしゃりとそれを覆すようなことを言い放つ、意地悪な人を想像してしまいました。

ディベートに関しては、あまり言い返せません。
強いて言うなら、私の周りでディベートが強い人は聴衆を話に引き込むのが上手い人か、本当に論理的な考え方をする人だけ、ということです。
弁論が上手くて悪いことがあるのか、というのもあまり納得できませんでした。

また、エリート意識というものに関しては、失礼ながら姪っ子さんの自意識過剰なのでは…?という気がします。
私の周りにそういった意識をもっている子は基本的にいないようにみえます。
私もそうです。
先生方に、「渋渋生として良識のある行動を」とは言われます。でもそれは、エリート意識とはちがいますよね?

卒業生の母さんの意見に大いに同感です。
私が去年英検を受けたとき、わざわざ担任の英語科の先生が個人的に面接試験の練習をしてくださいました。面接形式の試験は初めてだったので、とても助かりました。
嫌な先生、偏った見方をする先生は確かに教育者としてどうかと思います。
でも、そんなの渋渋に限った話ではないです。まるで渋渋にはこんな先生がいるぞ、ひどい学校だと言われているようでした。
小学校の時だってそんな先生が数人いました。
どこの学校にだっているものだと思うのです。
渋渋だけの問題ではなく、日本の教育現場全体の問題であるとわかるように書き改めていただきたいと感じました。


一方的な意見で申し訳ありませんでした。ほかの卒業生様や在校生のかたに比べてとても拙い文章だったと自分でも思います。ただ、こういった意見を見て傷つく第三者がいる、ということをわかっていただけたら私は十分です。
乱文乱筆失礼いたしました。
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「あらし」とみなします。 (武田康弘)
2012-08-25 01:11:50
冷静になったら?
という人のコメントは、「あらし」とみなします。
論拠のない厭らしく下品な攻撃は、この場(「思索の日記」)にふさわしくありませんので、責任者=管理者である武田の判断で、以後は削除します。
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またまた (冷静になったら?)
2012-08-24 21:36:03
渋渋生はエリート意識なんてありませんよww

ほんと突っ込みどころ満載なんですけど、とりあえずやめときますね

なにもわかってないのに、人の非難するとかww
まじウケる~ですよ!
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ばか (冷静になったら?)
2012-08-24 21:25:06
もしかして私の投稿消しました?
逃げるつもりなんでしょうか、残念で仕方がない

そして、古林へ
自分の都合のいい時だけ反応するとか滑稽ですよww
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遅れてすいません、武田さんへの返信です (くりす)
2012-08-12 00:38:26
>>武田さん

発達障害とはこの場合はの広汎性発達障害の人のことですか??
たしかにそうですねえ、だいたい同意です
でも広汎性発達障害の人が知能が高い場合は自分の興味のあることにはすごい力を発揮するのでその個性は認めるべきだと思います
あと単に発達障害と表記すると武田さんの指摘する(a)や(b)といった特徴を持たないLDやADHDの人も含まれてしまうので誤解を招くと思います(前指摘したことと被ってしまってすいません)
返信する
真の人権教育はできていない (荒井達夫)
2012-08-12 00:35:03
「疑わしいという理由で、信頼関係の無い教師と生徒の関係のまま、密室に7時間も監禁し執拗な尋問をし、怒鳴りつけ、被害者が落ち込んでいるという嘘を言ってまで自白させようとする」

これは暴力行為そのものです。

「東大ばかりかハーバードに行く者もあり、国際人を養成している。単なる受験知教育ではなく、文武両道であり、芸大に行く者もおり、オリンピックで金メダルを狙えるスポーツ選手も輩出している」進学校で、なぜこのような低俗な非人間的行為が行われることになるのか、それを真剣に考える必要があると思います。

「自ら調べ自ら考える」と言っても、競争につながる勉強ばかりで、真の人権教育はできていない、ということでしょう。
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解釈によるので難しいところですががが (くりす)
2012-08-11 18:52:20
これは解釈によるのでややこしい話になってしまうかもしれませんがご了承ください
>>古林さん

古林さんの言いたいことは分かりますがそれでも私としては違和感があります
具体的に言えば田村氏の教育理論は校長との対話(この場合校長講話)を通じてアイデンティティを確立して自調自考の精神を養うものであってある意味武田氏の公共哲学と近い部分があるとは感じませんか??
知り合いからも渋渋の教育カリキュラムとしては中学の時点では宿題を出すのである程度大変ですが高校からは自由にしてしっかり自我を養うと聞きました
それなのにこのように受験知だとかエリート主義というような用語を多様することは私としてはユダヤ人の反ユダヤ主義のレッテル張りに近い違和感があります
なんというか森を見ないで木だけを見ているような違和感があります
まあ結果として渋渋の対応がマズかったのはたしかですが
だから結論として言えば私は武田さんの意見にはだいたい同意できるのに古林さんの意見にはあまり同意できないという変な違和感を感じしてしまいますし古林さんは武田さんに比べると暴力的な性格(誹謗中傷のつもりは全くないんですが厳しい言葉を使って誤解を与えるかもしれんがすいません)という印象に近いものを持ってしまいます
ちょっと変な表現になってしまうところもあったかもしれませんがすいません
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人権侵害について一言 (荒井達夫)
2012-08-11 00:46:42
「全ての子がそうではありません」、「個人的に得た情報を全てのように、誤解を招くような言い方をされている」(卒業生の親さん)

再度確認しますが、古林さんの事件は、学校では絶対にあってはならない、明々白々な教師による人権侵害行為(反社会的な違法行為)です。

「疑わしいという理由で、信頼関係の無い教師と生徒の関係のまま、密室に7時間も監禁し執拗な尋問をし、怒鳴りつけ、被害者が落ち込んでいるという嘘を言ってまで自白させようとする」

こんなバカげた行為が繰り返されれば、学校は間違いなく廃校になります。

「全ての子が」と問題にするのはナンセンスであり、「誤解」する方がどうかしていると思います。

自分の子は関係なかったとか、少数なら無視してよいという考えでは、人権侵害は世の中に蔓延するばかりです。

これこそ受験主義の弊害(想像力の欠如)ではないでしょうか。

最近、全国でいじめの問題が噴出していますので、要注意だと思います。
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くりすさんへ。 (武田康弘)
2012-08-10 21:48:24
身体障害者や発達障害者を侮辱するのは悪いこと、とわたしもそう思います。
だだし、発達障害者が、自分の発達障害を自覚しないのは困りもの(危険)ですし、また、発達障害者が組織や社会の責任者・管理者になるのは怖いことです。
しかし、現実には、(a)心身全体による会得が苦手で、日々の具体的経験に基づく総合的な思考力に乏しい者が、(b)記号(言語・数字)操作に長け、機械的な情報処理能力に長けているゆえに、「優れた者」と評価されています。
そのような誤った見方が、日本社会を歪め、混乱させ、危険に陥れているのです。
その現状を「正す」のは重大な課題である、わたしは、強くそう確信しています。
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教育の本質について (古林 治)
2012-08-10 07:50:24
渡辺様


ご意見ありがとうございます。
実名での書き込みには、必然的に書いた内容に対する責任が生じます。
それゆえに、その内容についてはそれだけの重みがあり、真摯に応えようという気持ちにもなるものです。
実名での書き込みに感謝です。



さて、最初に繰り返しになりますが、私の文章は幾人かの大学教授との議論(公共哲学ML)のために書いたものです。
その経緯については、上にあります、2012-06-17に書いた私のコメント『田村氏の教育観をどう評価しますか』を参照ください。
多少、わかりにくい個所があったり、侮辱されたように感じられることがあるとすれば、そうした事情から来るもので多少割り引いて解釈していただけ れば、と思います。


また、姪が受けた人権侵害については、議論の余地がない事実ですので、これ以上触れるつもりはありません。


渡辺さんの次の指摘について触れます。
『多くの保護者の方々が一番気にしている進学のことに関して関心を持って、進学校としてあるべき姿を崩していないだけのように思われます。むしろ 問題の本質 は保護者にあるのではないでしょうか?筆者さんがどうであったかは存じませんが、多くの保護者を見ているとどうしても進学校なんだから一流の大学 に行ける 学力にしてよね、という人が多いように思われます。そこで多くの保護者は学校の勉強への姿勢について常に問題点を指摘したりクレームを入れたりし ます。そこが先生方のプレッシャーにも繋がり勉強中心の学校になってしまっているのではないかと思います。』
これはその通りですね。
保護者の要求に応えるのは私学としては当然で、ある程度、受験にも対応していくのが学校の務めでしょう。
ただし、受験知教育が教育だ、という話になったらそれは本末転倒です。教育の本質は一体どこにあるのでしょうか。
他の進学校の話ですが、進学実績が悪い、と学校を糾弾する保護者を私は見たことがあります。そこでは、そうした保護者や学校経営者の顔色をうかがってビクビクする現場の教員がいました。
かつて受験勉強なんていうのは必要悪だから仕方なくやり過ごすもの、という認識でしたが、今やそれが奔流となっています。
私が渋々について書いた理由は、渋々の田村校長がその受験知教育をソフィスティケートされた形で推し進め、この国の教育行政を導こうという立場 (日本私立中学校高等学校連合会会長、日本ユネスコ国内委員会会長、中央教育審議会委員)にある人だからです。
東大ばかりかハーバードに行く者もあり、国際人を養成している。単なる受験知教育ではなく、文武両道であり、芸大に行く者もおり、オリンピックで金メダルを狙えるスポーツ選手も輩出している、と主張する田村氏の思想は、人間の内的価値を豊かにするものとは真逆で、外的・世俗的価値を追及す る生き方を奨励するものに思えます。(私は人間の内的価値を豊かにすることをまず基盤に置くのが教育の本質だろうと考えています。受験など世俗的な問題はその上に築くものでしょう。)
私が田村氏の話を直接聞いたのは、二回ですが、姪から聞く話や、書かれたものを読んでも、そのことを強く感じました。
『先生方の中にも、教養(勉強ができることではなく、幅広い知識を持つこと)の大切さを強調している人がいたり、自分の将来やりたいことを追い求 めてそれに狂うことが大切だということを授業の中で強調する先生もいらっしゃいます。』
言葉で語る人はどこにでもいます。でも実践となると話は別です。
(ちなみに、私は『幅広い知識を持つこと』で満足するのが一種の病理だと思っています。それはしょせん机上の知識でしかありません。)
私は過ぎたる受験知教育と内的価値を高めることとは相容れないものだと思っています。これは受験校にいた私自身の実体験でもあります。

渡辺さんは、受験知教育は保護者の問題だとしていますが、私は日本社会全体の病理だととらえているのです。
そのことを鋭くえぐりだしたのがタケセンさんの【「キャリアシステム」を支えている歪んだ想念】です。
ちょっと難しいかもしれませんが、じっくり読んでいただければ幸いです。
http://www.sangiin.go.jp/japanese/annai/chousa/rippou_chousa/backnumber/2008pdf/20081128050.pdf

いずれにしろ、現状の受験知に偏った教育は、「何が大事なのか」、「何が本質的問題なのか」、「どうしたらよいのか」、そのことを考える力(本来の思考能力)を欠いた人間を再生産しているだけのように思えるのです。
震災が引き金となって起きた福島の悲惨な原発事故は正にこの国のトップエリートたち(学者、官僚、政治家、実業界、マスメディア)が引き起こした問題です。本質的な問題が見えず、ただただ周りの空気の奴隷と化した結果でしょう。



最後になります。
『コメントの中で学校の批判に繋がり学校の評価が落ちるからやめろという意見が多数ありますが、』
渡辺さんの指摘される通り、そうした意見は多いですね。
でも、どこの学校にも問題はあります。
結局のところ、隠そうとしたり誤魔化そうとするから評価が下がるのであって、問題に真摯に向き合い、しっかりと議論できる人が多く現れれば、学校の評価は逆に上がるのだと思います。
国家間でも同じですよね。過去の非をいつまでたっても認めない国はどの国からも尊敬されることはありません。
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ありがとうです (くりす)
2012-08-09 15:19:59
やはり武田さんに人格攻撃をしなければ分かっていただけるみたいですね
あと質問なんですが前の発達障害の表現のように特定の人を侮辱してると解釈できるようなは訂正はいただけませんか??

私としてこの記事は渋渋はまだしも田村氏を侮辱してるように解釈できますし、少し大袈裟にいえば中学受験をして私立に行く奴はくだらないことに金をドブに捨ててくだらないことを求めてる頭の狂ったやつだみたいなと中学受験経験者全体を馬鹿にしてるような印象を受けるんですが・・(説明を求められれば前回と同じように説明はします)
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当事者=筆者に連絡 (武田康弘)
2012-08-08 22:51:09
いま、当事者=筆者である古林治さんに、複数の書き込みがあったことを知らせましたので、2、3日内に返信があると思います。お待ちください。

なお、このブログは、現代教育の思想&実践に対する問いかけであり、本質論的探究です。非難の応酬やディベート(ソクラテスが否定したソフィストたちの勝ち負けの議論)ではありません。

『思索の日記』は、そういう場=スペースですので、書き込みをされる方は、そのことをよく認識されて上でお願いします。不適切(あらし)とわたしが判断したものは、「悪い見本」としてそのまま残すこともありますが、基本的には削除します。
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またまたすいません (くりす)
2012-08-08 15:34:01
別に私は武田さんの信者ではないのですし渋渋を擁護するつもりはないですし中間派に立ちたいと思ってますが武田さんの性格として論理性至上主義みたいな感じなので武田さんに悪口攻撃するのが一番良くないことだと思います

前に私がコメントしまして武田さんに理由を説明したら丁寧に対応してもらえました

ですがこの記事には感情的とはいいませんが過激だったり極端な表現が複数あるのでそれは訂正したほうがいいように思います
表現を複数訂正したら悪口攻撃はだいぶ落ち着くとも思います
(前と内容の被るコメでやや申し訳ないですが)
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古林治さんの文章は極めて論理的です。 (タケセン=武田康弘)
2012-08-08 09:34:24
わたしは、このブログの主です。

この記事は、友人の古林治さんの体験談ですが、「渋々」という学校をわたしは知りませんので、現代の「受験教育」というイデオロギーを考えるために、了解を取り載せました。

「渋々」という学校の教育のありようについて、それを支持する在校生やその保護者の方から意見が寄せられるのは、一向に差し障りありません。

ただし、古林さんの文章=書き方や内容が、感情にまかせたものでないことは明白です。事実関係をしっかり説明され、極めて論理的であることは第三者であるわたしから見て、間違いありません。

このブログは、教育とはなにか?人間とは何か?という本質的な対話をする場であり、所属団体(この場合は学校)の優劣を競う場ではありません。

なお、この過去に起きた「事件」については、当時の関係者が集まり、公開の場で議論する以外にはなく、無関係な人が憶測で判断するのは、論外です。「渋々」は、議論を重んじる学校であるとのことですから、関係者はそれを実行に移されるべきでしょう。

なお、今後は、古林治さんとあきらさんへの人格攻撃や誹謗中傷のコメントは、このブログの主であるわたし=武田康弘の判断により、削除します。「人権侵害」は最も重い罪だと考えていますので。







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全ての子がそうではありませんよ (卒業生の親より)
2012-08-08 08:19:59
一昨年前、渋渋を卒業した子を持つ親です。
私と子供が体験した渋渋について、場所をお借りしてお話させてください。

息子は優等生とは程遠く、恥ずかしながら、成績も生活態度もけして褒められたものではない生徒でした。
しかしこの学校の先生方は素晴らしい。
何かあるとそのたび真摯に子供と向き合って、子供の思いや言い分を時間をかけて聞き一緒に考えてくれました。担任、学年主任の先生、必要とあれば副校長も。(けして大きなトラブルがあったということではありません)
そのたび、ただアットホームなだけでなく、子供達を見守ってくれているあたたかさを感じました。

校風はやはり自由だったように感じます。
制服があるなしで語る自由ではなく、この「自由」というのは、私立進学校において常識的にという意味です。
細かな規則でしばるというのではなく、最低限のラインを生徒の自主性に任せていたように見受けます。
手前みそになりますが、「何が格好いいことか、自分に今必要なことは何か」を認識している生徒が多かったように見えました。

中高一貫校において、難度の高い教科書を使い、授業の進度が早いのはある程度当たり前であることを、進学した生徒も親も理解しています。
義務教育である公立校で、という話ならわかりますが、一貫校を受験し進学されてから疑問をもたれたというのは逆に不思議でなりません。

話が戻りますが、高2まで部活や友達とのつきあい忙しく、勉強に手を抜き続けていた息子が、急に変わったのが高3の春。
先輩の話でも聞いていましたが、このとき、渋渋生徒の生活が大きく変わります。
先輩が言っていたのは、「高3は勉強だけしかしない・・」です。
そして渋渋生徒の底力が発揮されるのはこの「時」なのです。
先生方の熱意、周りの友達の空気に押されて息子も猛然と勉強を始めました。
特別授業で指導していただいた先生、自らフォローを申し出てくださった他学年の先生、今思えば感動に満ちた受験生活でした。

卒業式、卒業証書を受け取る壇上まで、お世話になった先生方が花道を作って迎えてくれました。
ひとりひとり握手をし、声を交し合い、生徒も先生も皆涙涙・・。
親である私自身、このようなあたたかい卒業式を経験したことはなく、本当に感動しました。

大学2年になった息子は今だに、渋渋の男友達、女の子の友達と集まっています。
先日は皆で元担任だった先生の家に遊びに行ったそうです。
渋渋で良かった。これは親子ともにの思いです。

補足:

校長先生は、いろいろな役を兼任していらっしゃるのでお忙しく、保護者会以外では確かにあまりお目にかかることがありませんでした。
わが子の代では、高校から他校(付属校)を受験して学校を移った友人はいました。
ウツになって・・落ちこぼれて・・の話は私は聞いたことがありません。
もちろん、学校に合わず精神的に負担になる子供、やめられる生徒はどの学校でもあると思いますし、渋渋でもあったのかもしれません。
ただ今回、個人的に得た情報を全てのように、誤解を招くような言い方をされているのは、読んでいて非常に遺憾でした。

なお、長々と駄文で失礼しました。
返信する
ひどい。筆者の考えが。 (出身)
2012-08-07 20:27:48
以前にネットで友人の悪口を書いていた前科があり

。。。え?

さらっと書いてますけど、これ最低の行為ですよね?
姪さんと貴方への信頼が失くなっても仕方ないです。
何より、これは周りへ悪い評判をもたらしましたよね?
姪さんの交友関係を把握してないのだと思いますが、おそらく友達は少なかったのだろうと思えて仕方ありません。
7時間軟禁うんぬんいってますが、かばってくれる友達がいないなんておかしいです。

勉強だってきつくても友達がいれば楽しいもんです。

たかが中2で去った人に、中高一貫校であるこの学校を批判されたくない。
中2,3あたりは、なんだかんだで学校側に反感をもつ年頃です。
姪さんがそうなっても大人のあなたがなるなんて。。
生徒でもないのに知ったようなことは書くべきでないと思います。
返信する
ひどい。筆者の考えが。 (出身)
2012-08-07 20:27:48
以前にネットで友人の悪口を書いていた前科があり

。。。え?

さらっと書いてますけど、これ最低の行為ですよね?
姪さんと貴方への信頼が失くなっても仕方ないです。
何より、これは周りへ悪い評判をもたらしましたよね?
姪さんの交友関係を把握してないのだと思いますが、おそらく友達は少なかったのだろうと思えて仕方ありません。
7時間軟禁うんぬんいってますが、かばってくれる友達がいないなんておかしいです。

勉強だってきつくても友達がいれば楽しいもんです。

たかが中2で去った人に、中高一貫校であるこの学校を批判されたくない。
中2,3あたりは、なんだかんだで学校側に反感をもつ年頃です。
姪さんがそうなっても大人のあなたがなるなんて。。
生徒でもないのに知ったようなことは書くべきでないと思います。
返信する
6 (3)
2012-08-07 16:30:55
ba-ka
返信する
御堅い偏見ばりばりの老人の意見 (ddddd)
2012-08-07 15:23:37
反論に対して、「実名で」とか屁理屈を並べすぎです。

Unknown (渋渋10期卒業生)さんがいうように、今すぐ実名や学校名を削除してください。

そして、読んでいる在校生が傷つくことを忘れないでください。

あと、こっちがわが実名でなければいけない理由がよくわかりません。

こういうコメントを自分に不利な荒らしとみなすのもよくわかりません。


どうせ渋谷学校にライバル心をいだくどっかの学校の教師だろ。
返信する
前にコメントしたものです (くりす)
2012-08-07 14:47:29
いわゆる実名ではなくハンネですがすいません
私は中間派として意見を述べたいのでコメントしました
私は以前この日記の他の記事にコメントしましたが正直少し口汚い言葉でコメをしたと思いましたが、理由を説明したら丁寧に武田さんに対応してもらえましたよ(しかもハンネでした)
ただこの記事はたしかに表現が極端だったりキツいものが複数あって、渋渋関係者の方が見たら悪意があると解釈して怒りを覚えてしまうのもわかります
ですがだからといって武田さんに悪口をぶつけたりしても意味ないので誤解を与えたりする表現や極端な表現を細かく武田さんに説明してくれたら武田さんはおそらく訂正したり表現改めたりしてくださると思います
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論争ばかりの中失礼します。 (渡辺祥太郎)
2012-08-07 12:10:58
こんにちは。
現在同じ渋谷教育学園に通っている現役の高校生です。私は渋谷校ではなく幕張校に通っていますが、校長先生は同じ人なので、基本的な学業に対する姿勢や指針は変わらないように思います。
そこで自分の意見を述べさせていただきたいと思います。同じ学園に通っている1人の高校生の意見として聞いて下さると嬉しいです。

まず一つ目ですが、学校の教育についてです。確かに筆者さんが書かれている東京大学の強調は激しいように思います。実際東大に何人行ったということも気にしますしその他の大学への進学率も気にします。しかし、それは当たり前のことではないでしょうか?多くの保護者の方々が一番気にしている進学のことに関して関心を持って、進学校としてあるべき姿を崩していないだけのように思われます。むしろ問題の本質は保護者にあるのではないでしょうか?筆者さんがどうであったかは存じませんが、多くの保護者を見ているとどうしても進学校なんだから一流の大学に行ける学力にしてよね、という人が多いように思われます。そこで多くの保護者は学校の勉強への姿勢について常に問題点を指摘したりクレームを入れたりします。そこが先生方のプレッシャーにも繋がり勉強中心の学校になってしまっているのではないかと思います。しかし、先生方の中にも、教養(勉強ができることではなく、幅広い知識を持つこと)の大切さを強調している人がいたり、自分の将来やりたいことを追い求めてそれに狂うことが大切だということを授業の中で強調する先生もいらっしゃいます。そのような実態の情報を提供もせず(知らないのかもしれませんが)にただただ渋々という学校を批判するのはいかがなものかと思いました。

次に二つ目ですが、校長講話についてです。校長講話についての話でも問題の本質が明らかになっていないように思われます。筆者さんがおっしゃる言い方だとただの校長の自慢話とあらわさてしまいます。これは論外です。私は校長講話を中学一年生のときから現在の高校三年生になるまで聞いてきました。まだすべて聞き終わっていませんが、残り数は少なくおそらくあと2, 3回だと思います。たまに校長先生は自慢話を持ち出しますが、それらは結局すべて本質的な話につながります。ユネスコの自慢話がでたかと思うとそれがインターナショナルの大切さに繋がったりという具合にです。ほとんどの話は歴史を織り交ぜた教育の変遷や、今何が大切で、将来何が大切になってくるかという内容です。たまに歴史を間違って教えていることもありますが、教養が非常に広く、ソクラテスから教育論につなげてみたり、時間の概念から今を見つめ直したりします。私は問題の本質を次のようにとらえています。筆者さんの話にある、ただの自慢話という意見はきちんと校長講話を聞いていない生徒の一例です。何も批判をしているのではなく、自分自身も中学生のときはそうだったのでよくわかります。自慢話がでたときはこんな話をしていたということを周りの人にいったものです。しかし、高校生にもなってくると、皆自分の意見を持つようになり、1人の教育者の意見として校長講話を聞くようになります。本当に正しいのかという疑問をたまに抱きながらも新しい観点の話に感嘆したりします。そしてこの校長講話は校長が講話中で言っているように必ず将来生徒がどこかの場面で役に立たせるときがでてきます。いろいろな大人の人と交流をしているとそれを非常に強く感じます。

最後に、コメントの中で学校の批判に繋がり学校の評価が落ちるからやめろという意見が多数ありますが、筆者さんの話が事実であるならば仕方がないと思います。このような評判を聞いて保護者は自分の子どもの学校選びの評価に加えるのが当然だと思うからです。しかし、筆者さんの言い方が難しく非常に批判的であるため(批判している訳ではないです)、当事者としては怒りしかわかないのだと思います。

高校生なりの意見でした。よくわかりませんが実名であることを強調している方がいらっしゃるようですので実名で書きました。Googleでもなんでも調べていただければ分かると思います。
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「渋渋10期卒業生さん」へ (荒井達夫)
2012-06-22 21:04:11
「渋渋10期卒業生さん」へ

私は、「渋渋10期卒業生さん」と同様、このブログに書き込んでいる者ですので、ご質問に答える立場にありませんが、学校名と校長名が公表されて議論が行われていることについては、次のように考えています。

まず、確認すべき大事なことですが、
・古林さんの事件は、学校教育ではあってはならない人権侵害行為(反社会的で明白な違法行為)である。
・事件の被害者が自ら実名を明かして問題提起を行っている。
・事件は有名進学校で起きており、学年主任、教頭、副校長等が関わっている。
・学校長は、日本私立中学校高等学校連合会会長、日本ユネスコ国内委員会会長、中央教育審議会委員という、教育界における重要な公職を務める方である。
ということです。

これらのことから、事件をきっかけに学校教育の在り方について議論することは、極めて公共性が高く、公に行われるだけの社会的な価値と必要性があると考えます。

そこで、学校の評価が下がるという指摘についてですが、・・・・・
単に学校名等が公表されることで学校の評価が下がるのではなく、「学校が適切に対応していないこと」が公になることで学校の評価が下がるのではないでしょうか。ブログへの書き込みで、被害者側が実名なのに加害者側がすべて匿名という事実が、「学校が適切に対応していないこと」を示しています。

学校が適切に対応すれば評価が上がることも十分にあり得ますし、本来そうあるべきと考えます。被害者の古林さんやブログ開設者の武田さんが、学校の評価を下げることを意図していないことも明らかです。

長期間にわたって多くの方が批判を書き込み、丁寧に議論してきたのですから、「一方的」な評価になるはずがありません。コメントをしっかり読まない方の受け取り方を気にするのは、本末転倒です。

最後に、「匿名の方々の気持ちを配慮して、このブログを止めよ」という主張であれば、言論表現の自由に著しく反します(憲法違反)。誰だか分からない人の都合のために、実名を明らかにして人権の重要性を論じている人の言論表現を制限するなど、民主主義社会ではあり得ないことだからです。
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優れたコメント (武田康弘)
2012-06-22 14:02:59
荒井さん

このコメントは、正鵠を射るもので、こういう文脈で本質論として語られれば、言説は大きな説得力をもちます。

このように「東大病」(武田)と「東大話法」(安冨)が内的連関として語られれば、思想の定式化・固定化⇒概念主義という危険(愚かさ)に陥らずにすみます。「東大病」という深い思想的概念をよく用いることで、「東大話法」という道具を活かすことに成功しています。

落ち着いてよく考えられた優れたコメントと思います。

古林さんのコメントも当事者ならではの主体的で、かつ、明晰な文章であり、深く説得力をもつものと思いました。
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Unknown (渋渋10期卒業生)
2012-06-22 00:15:51
論争の間に割ってはいるような投稿になりますがご容赦ください。
私自身、渋渋を出たものですから関係者なので、このブログの記事を読んで感じるところや事実と異なる点はたくさんあり、腑が煮えくりかえるような思いもしておりますが、ここでいちいち指摘しても時間がかかりますので控えます。今は客観的な視点でいくつか疑問点を述べさせてください。お答えいただけると幸いです。まず今日は1から。

1 一つの学校の評価を下げる恐れがあることは承知か。

このようにブログという形で学校教育について意見されること。私自身これは大いに結構なことだと思います。個人的には今の教育制度には納得いかない点もありますし、それ以前に表現の自由が憲法にもありますから。
しかし、問題は学校の名前、そして校長の実名を公表したこと。たしかに、具体例を出すことで教育の問題点を指摘されようとしたのでしょう。ですが、これは一ブログだとしても検索結果で上位に来るように多くのひとが見ているサイトです。たとえば受験生の母親が見ていたら?‥きっと、この学校はひどい学校なんだ。と思うでしょう。ではもし在校生が見ていたら?‥これは以前のコメントからもいうまでもありませんね。傷ついてしまいます。姪の方が傷ついたのと同じように。
話を戻します。つまりこの点において私が疑問に思ったのは、U+2460学校名の公表により一方的な、負の社会的評価をもたらす可能性を考慮したか。U+2461考慮の上なら、別に一つの学校の評価は、姪もやめているし、下がっても関係ない。とお考えなのか。U+2462在校生や卒業生、学校関係者(軟禁があったとすれば、その関係者は除く)が傷つく可能性は考えたか。
ということです。もしかしたら「ブログ程度じゃ評価を下げない。コメントまで読めば一方的じゃない。」と言うかもしれません。しかし、一般の方(関係者じゃない方)がコメントまでしっかり読むか、と考えれば甚だ疑問です。

とりあえずここまで。駄文失礼しました。
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東大病と東大話法が原因 (荒井達夫)
2012-06-21 22:08:33
「・・・・・でも、教頭も副校長も、この日参加していなかった体育教師A先生(Oさんの担任で尋問を行ったもう一人の教師)も結局、一言も謝りませんでした。常識的には、学校が正式に謝罪するような事件だったと思います。誰でも間違いを犯すことはあります。間違えたら率直に謝る。これは当たり前のことではないでしょうか。それがどんな立場の人であれ、です。教師だろうが、学年主任だろうが、副校長だろうが、過ちを犯したらそのことを認め謝罪するのがまともな人間です。Meiにとっては、『辛い』というより、生涯残る大きな傷を残す事件となりました。この時、彼女の心は折れ、いずれこの学校を去ろうと決心していました。私も早く去った方が良いと考えていました。・・・・・」


この古林さんの文章を読んで、私は胸が痛みました。もし自分の家族がこのような目にあったとしたら、どんなに辛いだろうか、今どんな日々を送っているだろうかと思ったのです。そして、ここに匿名で書き込みをされる学校関係者の方々も、そのような思いを共有されるのではないかと、当初は考えておりました。

ところが、これほどまでに多くの書き込みがされても、この事件を自分のこととして深く受け止める方は一人も出てこなかったのです。共通しているのは、「一例でしかない過去のこと」という反応です。人権侵害の問題について、なぜこれほどまでに鈍感でいられるのか。驚くべきことですが、私はこれこそ「東大病と東大話法」が原因ではないかと考えています。

受験のために幼少期から大量の情報を能率的に処理する(収集、整理、暗記する)訓練ばかりさせられ、「本当に大事なことは何か」と物事の本質を問う思考回路を育てることができなかった(東大病)。中学・高校のディベート授業でも、勝ち負けを競うための論点整理や主張と根拠の明確化の作業ばかりで、「本当に大事なことは何か」を問うことがない。だから想像力が著しく欠如しており、自分が「傍観者の論理・欺瞞の言語」の使用者となっていることにも気がつかない(東大話法)。

生徒も教師も真面目で一生懸命で優秀と言われる人ほどこれに陥っており、東大病が東大話法を生み、さらに東大話法が東大病を深化させている状況にあるのではないか。これでは、えん罪も、原発事故も、さらには戦争犯罪も、話題にはなったとしても、魂にひびく言葉で語られることは決してないでしょう。恐ろしいことだと思います。
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田村氏の教育観をどう評価しますか (古林 治)
2012-06-17 14:51:13
在校生さんへ
古林です。

長い文章読んでいただいてありがとうございます。


さて、まずは「在校生」さんから、詳細な事例とともに、私の書いた文章表現が渋々関係者の心を傷つけるような表現だ、という指摘がありましたが、このことについてお応えします。

前にも触れているのですが、私がこの文章を書いた発端はブログの主・タケセンさんと公共哲学グループの中心メンバーであった山脇直司さん(東大大学院哲学教授)と小林正弥さん(千葉大法経学部政治哲学教授、マイケル・サンデルの紹介と解説でNHKにも出ていました。)との公共論争、サンデル論争にあります。
私も行きがかり上、間接的に参加し、その流れで、鈴木文部副大臣(当時)によるレジュメの内容を具体的に批判することになったのです。
その批判の一つが教育問題で、そのレジュメにも出ていた中央教育審議会の主要メンバーの田村氏が運営する学校の具体的状況と彼の教育観について書こうとしたのです。

そういうわけで、この文書は元々、東大病とか竹田青嗣さん(関係者共通の知人で、現在、早稲田大学国際教養学部哲学教授)らのことをよく知る人々に向けて書いたものなのです。
『竹田青嗣さんや西研さんの本も入ってました(笑)。』という表現は、つまり、
『私たちの良く知る、あの竹田青嗣さんも登場しちゃうんですよ。』というニュアンスの仲間内の話題提供という意味合いです。
それから、山脇さんは国連のグローバルセミナー企画委員で、言わば哲学の日本代表のような役割を負っていると聞いていましたので、『国連で教育について発表したことがある、らしいです。』というのは、『ということですが、山脇さんはもしかしたらご存じ?』というニュアンスです。
細かい話をするときりがないので、この辺で止めますが、もともと、一般への公開や渋々関係者に読んでもらうことを想定して書いたわけではなく、ある一定の事情を知った人々に向けて書かれたのです。
その文書がタケセンさんの判断で公開になったので、一部異なったニュアンスとして伝わってしまうこともあり得ます。それはご了解ください。

ただし、重要なことは、個々の問題ではなく、教育の根幹について真剣に議論することが大事だ、という点です。
それゆえ、生々しい事例を挙げたこの文書の公開に私も賛成しました。
問題を一般化して語っても掘り下げた議論にはならないからです。
(それでも、それなりに注意を払い、田村氏以外、学年主任の氏名などは公開していません。)



また、在校生さんが指摘するように、さまざまな考えを認めることは大事ですし、どのような考えに共感するか、というのも個人の自由です。そのことを踏まえても、国(政府)が教育の基本方針を検討するということになれば、それは話は別です。
好き嫌いや個人的な趣味を越えて、その内容を徹底的に議論し批判するのは当然のことでしょう。ここは民主制社会なのですから、私たち自身が『より善い教育とは何か?』と考えるのは当たり前のことです。
田村氏は正にこの国の教育方針を方向づける(厳しい批判にさらされる)立場にいる方であることを忘れてはならないと思います。



それから、私は、渋々が良い学校か否かという議論をしているのではありません。
当然のことですが、今、渋々がどのようになっているかもわかりません。
良い面も悪い面もあるのはどこの学校も一緒でしょうし、そうした個別私的な印象の議論をしてもあまり生産的でないと思っています。あくまで私の関心は上記のような、より善い教育とは何なのか?というテーマにつきます。
在校生さん、もしくはこのブログを読んでいる方々は、田村氏の考える教育についてどのように考えていらっしゃいますか。
参考までに、田村氏のインタビュー記事(2007.6.30 週刊東洋経済)を載せておきます。
http://members.jcom.home.ne.jp/samest/contents/0706Tamura_InterviewS.pdf


最期に一言。
過去に、渋々であった事件、姪が長時間の軟禁状態と尋問を受けた事件は、荒井さんが指摘したように、とんでもなく悪質なものであったことは間違いありません。これ自体、どのような言い訳もしようがありません。
ただいやな思いをしたという程度ではないのです。多分、当人には心の傷として一生残るものでしょう。
ただし、渋々だけの問題かと言えばそうは思っておらず、この国、社会全体の問題とも思っています。
人権侵害を犯し、社員を自殺に追い込んでしまうような会社の社長が政府の教育再生会議(阿部内閣時)の委員を務めるような社会なのです。
つまり、成功者は内容ではなく、結果のみで高い評価を与えられるという問題ですね。
困ったことだと思っていますが、皆さんはどう思われますか?
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ちょっと介入します。 (武田康弘)
2012-06-17 12:07:26

わたしは、このブログの主ですが、
「渋々」という学園については知りませんので、このコメント欄でも、教育の本質論レベルの話として関わってきましたが、

いま、在校生の方と荒井達夫さんとの間でのやり取りを見て、荒井さんの書いたもので、一点、本質論レベルで気になることがありますので、書きます。

哲学、思想への基本の態度についてです。

人間の言葉=思考を評するとき、【定式化】(例えば「東大話法」のように)して批判するのは、分かりやすいと同時に、レッテル貼りに等しい怖さも持ちます。

「定式化」=箇条書き的な分明化は、具体的な行為には役立ちますが、よほど注意して扱わないと、人間の思考に対する【断罪】になる危険をはらみます。

そのために、何事でも分かりやすく言うのには、細心の注意・広く深く哲学する作業(プロセス)が必要で、一歩間違えば、哲学は、断定や断罪と変わらなくなります。

哲学はそういう宿命を持つゆえに、対話=異なる者との対話が不可欠になるのですが、それは本質的にキツイ作業(エロースを味わうための負担)です。
結論を言うために哲学を用いるのは、ほんらい禁止です。哲学するとは考えるプロセスであり、そのプロセスが生み出す豊饒(エロース)を享受するのが、哲学する意味です。

わたしの言う【東大病】はもっと分かりやすい、そう、イヤミな色平医師の言い方では「あまりに分かりやす過ぎる」のです。だからこそ、「公共哲学メーリング」(小林正弥さん主宰・東大関係者が多く加盟)の中でていねいに、繰り返し「対話」を重ねました。山脇さん(東大教授)とも顔をあわせての対話&メール&コメント&電話でやりとりを続けました。怖くて危ないからです。根源的なものは劇薬に等しく、取り扱いには細心の注意と熟練が必要です。



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ディベートと東大話法 (荒井達夫)
2012-06-17 10:34:51
安富教授は、その著書「東大話法と原発危機」の中で次のように述べています。ディベートとは何かを考える際の参考になると思います。

「東大話法は東大関係者だけが使う話法ではありません。彼らの中にはこの欺瞞的用語法を巧みに操る人が多くいる、というだけのことです」

「東大話法のような欺瞞言語は、強い自己増殖性を持っています。誰かに東大話法を使われて、搾取されてしまうと、今度は、搾取された側が東大話法モドキを使って、他人を搾取してしまうのです」

「必要なことは東大話法に代表されるような、日本社会に蔓延する欺瞞話法を鋭く見抜くことです。他の人が仕掛けてくる東大話法を感知して、騙されないことです」
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重大明白な違法行為の認識が必要 (荒井達夫)
2012-06-17 09:50:28
●学校教育法
第十一条 校長及び教員は、教育上必要があると認めるときは、文部科学大臣の定めるところにより、児童、生徒及び学生に懲戒を加えることができる。ただし、体罰を加えることはできない。

第十三条  第四条第一項各号に掲げる学校が次の各号のいずれかに該当する場合においては、それぞれ同項各号に定める者は、当該学校の閉鎖を命ずることができる。
一  法令の規定に故意に違反したとき


「疑わしいという理由で、信頼関係の無い教師と生徒の関係のまま、密室に7時間も監禁し執拗な尋問をし、怒鳴りつけ、被害者が落ち込んでいるという嘘を言ってまで自白させようとする」という古林さんの事件は、重大明白な違法行為であり、「学校の閉鎖」につながるほどの深刻な問題であることの認識が必要です。

この事件を踏まえ、学校教育法という「法律を誠実に執行する」ために、学校がどのような対応をしてきたのかが、最大の問題です。

これに真正面から取り組まずに、他人のブログに匿名で様々な説明・理屈を並べても、「傍観者の論理、欺瞞の言語」にしかならない、と私は考えます。

以下、安富教授の「東大話法規則一覧」です。

規則 1: 自分の信念ではなく、自分の立場に合わせた思考を採用する。
規則 2: 自分の立場の都合のよいように相手の話を解釈する。
規則 3: 都合の悪いことは無視し、都合のよいことだけ返事をする。
規則 4: 都合のよいことがない場合には、関係のない話をしてお茶を濁す。
規則 5: どんなにいい加減でつじつまの合わないことでも自信満々で話す。
規則 6: 自分の問題を隠すために、同種の問題を持つ人を、力いっぱい批判する。
規則 7: その場で自分が立派な人だと思われることを言う。
規則 8: 自分を傍観者と見なし、発言者を分類してレッテル貼りし、実体化して属性を勝手に設定し、解説する。
規則 9: 「誤解を恐れずに言えば」と言って、嘘をつく。
規則 10: スケープゴートを侮蔑することで、読者・聞き手を恫喝し、迎合的な態度を取らせる。
規則 11: 相手の知識が自分より低いと見たら、なりふり構わず、自信満々で難しそうな概念を持ち出す。
規則 12: 自分の議論を「公平」だと無根拠に断言する。
規則 13: 自分の立場に沿って、都合のよい話を集める。
規則 14: 羊頭狗肉。
規則 15: わけのわからない見せかけの自己批判によって、誠実さを演出する。
規則 16: わけのわからない理屈を使って相手をケムに巻き、自分の主張を正当化する。
規則 17: ああでもない、こうでもない、と自分がいろいろ知っていることを並べて、賢いところを見せる。
規則 18: ああでもない、こうでもない、と引っ張っておいて、自分の言いたいところに突然落とす。
規則 19: 全体のバランスを常に考えて発言せよ。
規則 20: 「もし◯◯◯であるとしたら、お詫びします」と言って、謝罪したフリで切り抜ける。

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責任ある立場の方に確認すべき (荒井達夫)
2012-06-17 01:01:13
再度繰り返しますが、問題にすべきは、「学校教育ではあってはならない人権侵害行為=反社会的行為が行われ、それに学校がまともに対応していないという事実」です。

学校がまともに対応していれば、古林さんの文章も書かれることはなかったでしょう。

事は、学校おける人権侵害行為=反社会的行為なのです。

「疑わしいという理由で、信頼関係の無い教師と生徒の関係のまま、密室に7時間も監禁し執拗な尋問をし、怒鳴りつけ、被害者が落ち込んでいるという嘘を言ってまで自白させようとする」

このような行為を軽く見るわけにはいかないでしょう。
「傷つく」などというレベルをはるかに超えています。

あなたは「過去のことだと考えており」と書いていますが、学校がまともに対応してはじめて「過去のこと」として扱えるのではないですか。

あなたは、事件の事実関係やその後の学校の対応について、校長等責任ある立場の方に確認したのですか?

何も確認せずに、「今はもう改善されたのではないか?と思った」では、学校がまともに対応したという理由にはなりません。

校長等責任ある立場の方に確認したうえで、再度書き込みをすべきと思います。
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続きです ((在校生))
2012-06-16 23:03:38
中断してすみませんでした。続きです。


まず荒井様の主張の確認をしたいと思います。

・論点は「学校であってはならないことが行われ、更に学校はまともな対応をしていないという事実」である。
・私の文章(『今、どうなっているか』2012-06-14 23:04:21)において
「事実を直視することの回避」と「論点のすり替え」が起こっている。
・この論点についての意見は、皆で共通して一つでなければならない。

この3点でよろしいでしょうか?


では、お返事をさせていただこうと思います。

1.「事実を直視することの回避」という主張について。
荒井様が問題とされた箇所は「私はそのような事実を見たことは無いのですが~」ですが、
これを書いた理由は、古林様のお手紙の時点からすでに2年経っていることを踏まえて、「今、在校している私は、今の渋渋でイジメがある、ということを見ていない」ということを補足として述べたかったからです。
これは決して、過去の出来事を無視する、という意図があったわけではありません。
それとも、私の知らないところで現在もいじめが行われているということでしょうか?もしそうでしたら、詳細を教えて下さると幸いです。

次に「論点のすり替え」についてですが、
ここでの論点が「過去の渋渋」についてであったことに対し、
私の伝えたいことが「今の渋渋」についてだったことでした。
この違いが「論点のすり替え」とご指摘される要因になったのだと思います。

私は「学校であってはならないことが行われ、更に学校はまともな対応をしていないという事実」を過去のことだと考えており、今はそれは行われていない、と考えております。
つまり、渋渋の問題とされたことは、今はもう改善されたのではないか?と思ったのです。だから、今の渋渋はどうなのか、私の経験から述べたのです。
改善されたのであるならば、過去の出来事から、今の渋渋について論じることはいかがなものでしょうか?


2.「論点に対する意見」について。
荒井様は私が「論点に対する意見をいくつかあっても良い、と考えている」と思っていらっしゃるのでしょうか。
私が「いろいろな意見があっても良い」としたのは、渋渋についてであって、「学校であってはならないことが行われ、更に学校はまともな対応をしていないという事実」についてではありません。

それと、これは反論ではなく、質問なのですが、意見が色々あるのは何故いけないのでしょうか?
私は、自分と違う意見を尊重することは大切だと思っていたのですが、この考えは間違いなのでしょうか?
明確に教えて下さると幸いです。


3.東大病について
「白樺教育館 教育館だより」の東大病についてのページを拝見させていただきました。
最初に見たとき、(例えば洋楽が好きな人を「洋楽病」というような)揶揄的な表現だと思ったのですが、それは勘違いでした。申し訳ありません。

4.話し方
荒井様は話し方について問題点をおっしゃりましたが、
私が最初に一つ目に述べた「古林様の文章での(笑)の使い方」や「見た在校生が傷つく表現の仕方」などについてはどのようにお考えでしょうか。
明確な答えがなかったので、改めて質問させていただきます。

5.その他
私が傍観者的であるというご指摘についてですが、決してそういうつもりはございません。なぜならここで発言したことから、私はすでにこの問題に対して関心を向けているからです。
「都合の悪いことは無視し、都合のよいことだけ返事をする」、「どんなにいい加減でつじつまの合わないことでも自信満々で話す」というご指摘についてですが、
これに対して、私は自意識がなく、大変ショックを受けました。
そして、改善したいと思っていますので、何かございましたら詳しく指摘していただきたいと思います。

最後に、これも繰り返しになりますが、強く主張したいことがあります。
私の発言から「渋渋の生徒は~」や「渋渋は~」と評価するのはやめてください。私一人から分かることはとても限られていますし、私が渋渋の平均的な生徒である、という確証はありません。

以上です。遅くなってしまい、申し訳ありませんでした。
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Unknown ((在校生))
2012-06-16 19:44:24
まず、返事を下さったことに感謝します。

そして先にはっきりと述べておきたいことがあります。
私は在校生ですが、私のこの文章だけで学校が病んでいるという判断をするのはやめてください。
それは私個人の問題であり、学校全体をたった一人の生徒のある文章だけで判断されるのは嫌です。
勿論、学校のディベートでは決して「欺瞞的な話し方」などは教えていません。

申し訳ありませんが、
用事があるので、続きはまた後にします。
必ずお返事いたしますので、待っていてください。
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東大話法と東大病 (荒井達夫)
2012-06-16 15:18:33
安富教授の「東大話法」は非常にわかりやすく、官僚言葉(=官僚の欺瞞言語)のウソを指摘するうえで大変効果的であり、たとえば国会質疑(ディベート)のデタラメさを解析する上で、使い勝手の良い強力な武器になります。

そして、「東大話法」が生まれる背景には、武田康弘さんのいう「東大病」の蔓延があり、それが巨大な病巣ように広がって官僚社会(日本)を作っている。それを維持しているのも「東大話法」ではないかと、私はと考えています。

「東大病」は、日本人の頭の中を支配している試験主義、序列主義、権威主義を生み出す精神の病と言って良いと思いますが、詳しくは提唱者の武田さんにお聞きください。(このホームページにも解説があります。)
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東大話法―傍観者の論理・欺瞞の言語 (荒井達夫)
2012-06-16 11:11:13
「やったことは叱られて当たり前のことですし、当人が謝罪し反省することも当然のことと思います。ただし、疑わしいという理由で、信頼関係の無い教師と生徒の関係のまま、密室に7時間も監禁し執拗な尋問をし、怒鳴りつけ、被害者が落ち込んでいるという嘘を言ってまで自白させようとするのは警察の尋問と同じですね!
挙句の果てに、いじめの疑いは晴れましたではどこかおかしくないですか。これは人権侵害ですよ!姪に謝罪しましたか?
と問い返すと教頭と副校長は目を白黒させて沈黙。学年主任はオドオドして致し方なく姪に謝罪することになりました。担任だけが状況を理解していたようです。終了後、『辛かった?ごめん。あたし、事情全然知らなかった。』と言ってました。多分、教頭と副校長は人権侵害についてまったく理解できなかったと思います。」

古林さんの文章で大事なところは、ここだと思います。学校教育では絶対にあってはならない人権侵害行為=反社会的行為が行われ、それに学校がまともに対応していないという事実です。

この点について、あなたは次のように述べています。

「私はそのような事実を見たことは無いのですが、仮にそのような生徒がいたら問題だと思います。私自身や私の家族が姪御さんのような立場であったら、とても嫌だと思います。ただ、それだけで判断しないで欲しいのです。渋渋には良い面もあります。悪い面について考える時、良い面もあることを思い出していただきたいと思います。」

「私はそのような事実を見たことは無いのですが、仮にそのような生徒がいたら・・・・・」

事件を直視することを避けようとしているのですから、これでは問題は決して解決しませんし、イジメはなくならないと思います。(自分の通う学校であってはならない人権侵害行為=反社会的行為があっても、傍観者的な態度でいられることが重大な問題です。)

さらに、「それだけで判断しないで欲しいのです。渋渋には良い面もあります。悪い面について考える時、良い面もあることを思い出していただきたい」

これは、明らかに論点のすり替えです。(学校のディベートで、こんな欺瞞的な話し方を教わっているのであれば、重大な問題です。)

繰り返しますが、問題にすべきは、「学校教育ではあってはならない人権侵害行為=反社会的行為が行われ、それに学校がまともに対応していないという事実」です。これについて、人それぞれいろんな意見があってはならないのです。

本当にあなたは「在校生」なのでしょうか?
あなたが本当に「在校生」で、あなたのような方が多いとすると、学校はひどく病んでいると言わざるを得ません。

安富歩東大教授の「原発危機と東大話法―傍観者の論理・欺瞞の言語」を、是非お読みください。そこに「都合の悪いことは無視し、都合のよいことだけ返事をする」、「どんなにいい加減でつじつまの合わないことでも自信満々で話す」など、「傍観者の論理・欺瞞の言語」のルールが20掲げられています。学校でみなで読書会をやったらよいと思います。とても参考になるはずです。
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今、どうなっているか ((在校生))
2012-06-14 23:04:21
初めまして。まず初めに匿名での発言、申し訳ございません。しかしこれには理由があります。
以前にも述べていた方がいる通り、このネットの世界で実名を出すことは危険だという意識があります。私が実名を出したことの波紋がどう広がるか、私には予測できません。ネットの世界は一瞬でさまざまな情報が私の知らぬところまで拡散します。家族や友人に迷惑がかかる危険を私は、冒すことなど出来ません。なので、匿名にさせていただきました。

最初に渋渋の話題がでてから、こんなにも時間が経ってしまっているのですが、見過ごすことは出来なかったので、ここで発言させていただきます。

荒井様や古林様、保護者の方や先輩の方のコメントを一通り拝見させていただきました。
中には難しい内容もあり、理解しきることが出来なかったため、もしかしたら、「それは違う」と指摘されるかもしれません。先に御詫びを申し上げておきます。


まず、幾度か在校生と思われる方々の怒りの混じった発言があったと思います。それらがどうして出たのか、考えて欲しいのです。

以下、一番最初の古林様の文章の引用です。

>>このほかに国連で教育について発表したことがある、らしいです。姪が渋々にいたときに田村氏が自慢していたそうです。
これだけエライ人だと(権威が沢山くっついてると)政府筋も内容については何も問わずに教育審議会のメンバーにしてしまうのでしょう。

>>入学式時にはじめて田村氏の話を聞きましたが、教育の話についてはまったく印象に残っていません。覚えているのは、知識と名声をひけらかす人だな、という点と、受験効率の話のみです。

>>それに鈍感な生徒は優秀とされ、耐えられずに落ちこぼれていく生徒は頭が悪いと思われるのです。

>>生徒に対する校長の推薦本リストはまた親たちの知への関心、エリート意識を充足させるものです。さまざまな哲学・思想の類の本がずらり! 竹田青嗣さんや西研さんの本も入ってました(笑)。

>>そういうわけで、この学校に来る舎弟の親には有名人、学者、一部上場企業の相応の地位にある人、官僚など、世に言うエリートばかりだったように思います。無意識のうちに、生徒たちはどっぷりエリート意識に染まっているというわけです。怖ろしい話ですが、おそらく、ほとんどの生徒、親、教職員はこのことに無自覚です。

>>学校は対話を学ぶ場ではなく、弁論術、言葉の喧嘩を学び、勝ち組、ソフィストを作り上げる場だったのです、実は。さぞ優秀なソフィストが生まれることでありましょう。

>>姪と私は学校に呼び出されました。相手は学年主任に副校長(田村氏の娘)に教頭、それに担任と、オールスター勢ぞろい!大将の田村氏がいないのが残念ですが、彼らがどれほど優秀なのか明らかにする絶好の機会到来です。

>>多分、教頭と副校長は人権侵害についてまったく理解できなかったと思います。

>>エライ人たちの実態が姪にもはっきりと見えた点では良い経験だったと思います。

>>学年主任とは何度か直接話しましたが、私の言い分に同調するフリはするものの実態は東大病に完全にやられているようです

>>昨年度はゼロ!でした(笑)。

>>本当に気持ち悪くなってしまいました(笑)。


私はこれらの文章に非常にショックを受けました。
特に所々にある「(笑)」…
これは一体なんの笑いなのでしょうか。嘲笑なのでしょうか。
分かりませんが、在校生として私は、ひどく傷つきました。
他にも、例を挙げると、
『このほかに国連で教育について発表したことがある、らしいです』
なぜ「らしい」を強調したのですか?
『実態は東大病に完全にやられているようです』
東大病ってなんですか?

もし私が面と向かってこれらの言葉を言われたら、私は、相手は私に悪意があるのだ、と感じます。
このような言い方をされてしまったら、相手の意見よりも先に言葉の棘に意識がいきます。
そのような書き方をやめてほしいのです。
これらの表現は皮肉なのでしょうか。だとしたらキツすぎます。
他にも表現の仕方はあったのではないでしょうか?
渋渋に関わるある意味当事者である人たちに、怒りと悲しみを与える文章を書かないで欲しいのです。
この学校で5年以上を過ごして、沢山のことを学び、人と出会い、渋渋から、かけがえの無い思い出をもらった人たちを、傷つけないで欲しいのです。この文章が多くの目に触れる場所にあるかぎり、これを見て傷つく人たちがいるのです。涙を流してしまう人がいるのです。

つまり、私が言いたいのは「他にも別の表現の仕方があったのではないか」ということです。
以前にも書かれていたように、ここは多くの人の目に触れるページです。
どうか表現を変えて下さるよう、お願いします。



二つ目に今の渋渋についての私の意見です。

渋渋の全体、つまり全てのクラスの一人一人まで隈なく知っている人はいないと思います。
それぞれ見た人によって同じものでも見え方が異なると思います。
例えば、誰かが渋渋を「嫌だ」と思っている時に、全く別の人は「好きだ」と思っているのではないでしょうか。要するに、渋渋がどんな学校か、それを語ることは、ある一点の時期のある一点の場所と限定をしてでしか出来ないのではないでしょうか。

それを踏まえて、私が見た今の渋渋について報告をしておきたいと思います。そして渋渋を少しでも、より深く知っていただきたいのです。

まずイジメに関しては、ないと私は断言します。
もちろん全員が全員仲良しではありません。私もなんとなく苦手な人がいます。相手も私のことをそう思っているでしょう。
ですが、それが大きな壁を生むことはありません。もし同じクラスになれば、体育祭で一緒に優勝を目指します。個人同士の親密な付き合いはしなくても、団体として共に協力しています。
次に教育面についてですが、私は大方満足しています。
校長講話に関しては特に苦と感じたことはありません。面白い話は面白いですし、つまらない話はつまらないですが、特に問題になるほどではありません。
先生方についても同様です。私が苦手な先生はいますが、その先生が良いという生徒もいます。また親身に話を聞いて、また時にしっかりと叱って下さる先生もいらっしゃいます。そしてその先生を苦手だと思う生徒も居ます。
最後に生活面についでですが、私は渋渋で良かったと思います。
かけがえのない友達や先輩、後輩などと出会えて本当に良かったです。部活動やクラスで共に時間を過ごして、私は大きく成長できました。自分の持っていない視点を得ることが出来ました。

これが私にとっての渋渋です。他の生徒はまた別の見方をしているでしょうし、保護者も先生方も、また外部の方もまた別の見方をしているでしょう。その中にこういうのもあるのだと、それを理解して下されば幸いです。

最後に、もう一つだけあります。
ここまで読んだ方の中に「例え貴方が満足していても、生徒の中に一人でも姪御さんのような方がいることは問題なのではないか」と思った方がいらっしゃると思います。
私はそのような事実を見たことは無いのですが、仮にそのような生徒がいたら問題だと思います。私自身や私の家族が姪御さんのような立場であったら、とても嫌だと思います。
ただ、それだけで判断しないで欲しいのです。渋渋には良い面もあります。悪い面について考える時、良い面もあることを思い出していただきたいと思います。

長くなってしまい申し訳ございません。
また読みづらい箇所などがございましたら、ここで重ねて御詫びを申し上げます。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
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権利と責任 (荒井達夫)
2011-11-15 20:55:13
「古林先輩の件については私は語る言葉を持ちません。語る権利もないです。私は先生からしか話を聞けないし、それが100%真実であると主張する気もありません。」(「no name」さん)

「no name」さんは、古林さんの話に異議があるからこそ、書き込みをしたのではないでしょうか。また、自分の学校の先輩のことで学校教育の在り方が問題になっているのですから、在校生には当然語る権利があるはずです。

古林さんの問題提起は、学校教育上極めて重要であり、議論する価値があります。「一例」ではあっても、「教育とは何か」に関わるあまりにも重大な内容を含んでいると思います。また、そうであるからこそ、「受験生の親」さんは、小学生の娘さんと一緒に「白樺教育館」を訪問し、6時間以上も議論されたのです。(遠くから電車で来られたのです。)

「no name」さんは、せめて事実関係について古林さんと関係者の先生方から直接に話を聞く必要があるのではないでしょうか。在学生としてそれができる立場にあるし、他人のブログに怒りを書き込み、ブログ開設者の品性まで問題にしているのですから、それだけの責任もあると考えますが、いかがでしょうか。
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匿名について (古林 治)
2011-11-14 16:15:57
在校生さん等の率直な意見に感謝です。

公論としてもっと話が深まるといいんですが。私はそう願って書いたのです。
もし、読んでいらっしゃらないのであれば、下記の文を参照ください。
【私が『田村哲夫氏が運営する渋谷教育学園渋谷校とは』を書いた経緯
http://blog.goo.ne.jp/shirakabatakesen/e/89dd6ecb6721770d5667e25a55982cd6

愛着を持つ自分の学校(で起きた事件)についての批判に感情的になるのはわかりますが、そのまま言語化して投げつけるのは私的な腹いせでしかなくなります。却って自身と学校の品位をおとしめてしまうでしょう。むしろ実名で責任ある言動を取ることが建設的な方向に進ませるのだと思います。

それから、匿名で書き込むのが当たり前になっているこの国の実情は極めて深刻だ、と改めて感じました。民主制社会のはずなのに、ある程度の地位がなければ実名で意見を述べることができないとしたら、その社会も教育もほとんど終わっているということなのでしょう。

民主化の遅れている中東や中国では実名で勇気をもって発言する若者がたくさんいると聞きます。先日、エジプトで一人の少女がイスラム原理主義者たちに必死に民主化を訴える場面がNHKのドキュメンタリーで放映されていました。
この国は彼の地よりも危険に満ちいてるのでしょうか。これは素朴な疑問です。
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確認です。 (タケセン=武田康弘)
2011-11-14 10:42:25
確認です。
ここはわたし(武田)のブログですが、私の友人の古林治さんの体験談を貴重なものと思い、載せました。わたしの体験談ではないのです。

古林さんの体験談を受けて、わたしは、現代の「受験教育」の弊害についてコメントしましたが、渋谷学園の固有の問題についてはコメントしていません。コメントする立場にはないからです。

わたしは、繰り返し、教育の本質論を書いてきたのです。なにか勘違いされていませんか。
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Unknown (no name)
2011-11-14 08:16:17
ネットで実名を明かさないというのは小学校でも習うことだし親からも習うことです。何が起こるか分からないから無力な高校生はネットに名前を出さないんです。それなりの地位を持った貴方とは危険度が訳が違う。

あなたは文化祭に来たことがありますか?学校公開にきたことがありますか?実際に今在校している生徒に話を聞いたことがあるんですか?

古林先輩の件については私は語る言葉を持ちません。語る権利もないです。私は先生からしか話を聞けないし、それが100%真実であると主張する気もありません。私が怒っているのは、貴方が一例だけをあげつらい、渋渋が最低の学校であると言い放っているという状況。在校生・卒業生のコメントが乱れるのも仕方ない。この文章を打ちながら私も怒りで手が震えています。疑うべき品性をお持ちなのは貴方の方なのでは?

きっとこのコメントも的外れのお返事が返ってきて終わるのでしょう。私は二度とここに訪れることはないと思います。神経を嬉々としてすり減らすほど私も物好きじゃないんで。

いつか私が公式の場で堂々と発言できる地位を手に入れたら。全力でお相手させていただきます。それまでどうぞお元気で。

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議論の場が設けられるなら (タケセン=武田康弘)
2011-11-11 22:11:50
あなたが一高校生であるなら、どうして実名が危険なのか、分かりかねますが。
もし、渋谷学園として学長さんなど関係者の皆さんが出席される議論の場が設けられるならば、わたしは参加したいと思います。
あなたが交渉して了解が得られたならば、「白樺教育館」までご連絡をお願いします。出向きますので。
返信する
Unknown (no name)
2011-11-11 15:55:15
この危険なネット社会で一介の高校生に本名を晒せということですねわかります。
是非我が校に直接おいでください。実名どころか一対一でお話ししましょう
返信する
ブログの主の武田です。 (タケセン=武田康弘)
2011-11-11 11:34:00
このブログの主の武田です。
在校生の方の肯定的な意見も、古林さんのような苦難の体験談も共に忌憚なく表明できるスペースは貴重でしょう。批判を許さないのが、わが日本の困った点ですから。
課題は、そこから問題を普遍化する努力ですね。先日は、「受験生の親」さんと小学5年生の娘さんがわたしの主宰する『白樺教育館』を訪れ、6時間以上にわたり、「教育とは何か」の本質的な話をし、大変有益でした。古林さんとあきらちゃん、国会所属の官僚である荒井達夫さんも参加されての深い対話になりました。
こういう営みこそが、生きた価値ある教育哲学です。サンデルさんのトークショーという次元を超えた真の哲学対話だと思います。
また機会を設けて、対話会をしますので、その時はぜひご参加ください。
なお、みなさん名無しですが、ぜひ、実名でキチンと語る勇気(小さな勇気)をもたれることを希望します。「私」が、一度しかない人生を生きているのですから。
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訂正 (no name)
2011-11-11 08:14:05
×講和
○講話
……ダメさを露呈した……
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Unknown (no name)
2011-11-11 08:10:24
私もたまたまこの記事を見かけて驚愕した在校生です。高校三年生に在籍しています。

渋渋はunknownさんの言うとおり学年によってカラーが全く違います。私の学年は宿題もほぼゼロに近く、受験勉強も楽しんでやってる人が多いです。エリート意識?何それ美味しいのみたいな雰囲気が漂っているといっても過言ではありません。(私の周りだけですかね?)私も受験勉強を本気ではじめたのは今年の4月です(いいのか?いいや問題ない)校長先生が自慢をすることもありますが在校生ははいはいよかったですねー(笑)みたいに軽く流しているのが現実。先生との距離も近く私も幾度も先生に悩みを相談しては救われてきました。今ではこの学校を誇りに思っているし、この学校に入れて本当によかったと思っています。
一例だけを挙げてネットで批判するのはどうかと思いますよ?在校生である私としては何も知らない癖にと言いたいです。正々堂々学校に訴えてみては如何ですか。

あと洗脳はされていないと思いますよ、私。校長講和全部寝てたんで(自慢気に言えない)。これが現実です。
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Unknown (在校生)
2011-10-31 21:28:08
たまたまこの記事を見かけて読んでみて、とても驚いたのでコメントさせていただきます。

私は渋渋に通って六年目になる高校三年生です。振り返ってみて、充実していて幸せな中高生活で、渋渋に入れて本当によかったと思っていて、また周りの人もそのように言っている人が多かったので、このような意見はとても興味深いと思いました。

教育論などに関しては全くの無知ですので、私の意見を述べさせていただきます。

まず、前提として渋渋は学年ごとにカラーが違い、その方針を決めるのは学年主任などの先生方です。
だから、私は存じませんでしたが、姪さんのような学年もあるのかもしれません。

ただ、そのような学年だけではないのは確かです。
私の学年は中1のころから宿題が特別に多いと言うわけではなかったと記憶しています。私が不真面目だからかもしれませんが笑、宿題はたいてい学校で済ませて、本気で勉強したのはテスト1週間前くらいだけでした。

また、受験の話はきっと親から言われるだろうということで、高2の後半に差し掛かるまでほとんどされたことがありませんでした。
校長講話では、正直に言うと、雑誌に載ったりしたのをたまに自慢なさることもありますが、基本的には、自由とは自己決定であり、それがいかに大変で難しいことであるとか、アイデンティティーの確立についての話をしてくださいます。おそらく校長講話がなければ、自分から触れることはなかなか難しくそれでいて中高生時代には必要な話題だと思います。


先生と生徒の距離はとても近く、少し悩んでいたりするとすぐに面談をして、話を聞いてくれます。家族には話せないようなことも(例えば恋愛の話とか)何時間でも相談に乗ってくれます。


あとエリート思考のことについてですが、親によって生徒が植え付けられるのであって、学校が植え付けているわけではないと思います。
渋渋には本当にすごいお金持ちの家庭で育った人もいれば、お金にあまり余裕がないから特待生にならなきゃやばいって言っている人もいます。親が高学歴の人はやっぱり最難関にいくのが当たり前だと思っていますし、私のように親はあまり学歴がないので、最難関でなくても自分がいきたいところにいきたいと思っている人もいます。

また自分の夢を持っていて大学に行かず就職しようとしている人もいます。


渋渋はそんな学校でもあるのです。少なくとも私は誇りを持っています。

もしかしたら私自身洗脳されているのかもしれませんね。
でも渋渋に入れて幸せだと思う理由は、英語のレベルが高いなどと言う学力面とかではなく、ただ単純に個人個人しっかり人間性を見てくれる先生方に出会えたことです。
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固くお考えにならないように (荒井達夫)
2011-10-02 06:58:04
「個人的には、既存の公立校や進学校の授業レベルは全く白紙にして、「主観性の知と客観学」は本来どうあるべきなのか、について議論したいと思いますがいかがですか?」(「受験生の親」さん)

白樺教育館の大学生クラスは、非常にゆったりした対話の場ですから、固くお考えにならないようにお願いします。

もちろん、「哲学の授業」ですので、武田さんが要所要所で話をまとめるのですが、参加者皆それぞれ、その時思ったこと、考えたことを自由に(対等の立場で)語るというのが、一番大事なところです。

昨日も、大学生2人と武田さんと私の4人の、いわば雑談に近いものでした。4時30分頃から本格的に始まって、お茶飲んだり、お菓子食べたりしながら、あれこれ話し、終わったのが9時。「いや~色々話したね。思考力全開でおもしろかったね」と。大体いつもこういう感じです。
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了解です。 (タケセン=武田康弘)
2011-09-30 00:11:51

受験生の親さん

了解です。
ご連絡をお待ちします。
有意義な大学クラスになると思います。
よろしければ、娘さんもご一緒に。
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直接対話、検討します (受験生の親)
2011-09-29 23:47:45
>タケセンさん、古林さん、荒井さんへ

本日のタケセンさんのコメントにあった「主観性の知と客観学」いいテーマですね。

私は「受験知」という言葉、嫌いです。
受験知=受験のための知識、知見、訓練ですから、小学生にとって学校の授業で扱わないものは全て受験知ですよね。それ以外の定義があったら一義的に決まらないですものね。
ゆとり教育最盛期なら、円周率=3.14も台形の問題も受験知ですね。いやいや、答が4ケタになると電卓使えという通達も出てたから今の大学生世代にとっては筆算も受験知なのかな。
そうすると、必須の基礎知識たる「読み、書き、計算」と受験知との境界は誰が決めるのか、というと、文部官僚や無識者の気まぐれで毎年変動する、ということです。
私はこんなアホどもが作った境界の是非についてこれ以上議論するのはバカバカしいと思っていたところです。

議論するなら「主観性の知と客観学」がいいですね。公立校の授業で扱う範囲と受験でしか扱わない範囲、それを含めた客観学を緻密化、拡大する能力はどのレベルまで必要なのか。それと並行して主観性の知の開発はいつ頃からどの程度の割合で取り組むべきなのか。
北欧の成功モデルでいうところのゆとり教育の本来の意味は、客観学を緻密化、拡大するための授業時間を必要最小限に減らす一方、主観性の知の開発にはじっくりと時間をあてて取り組むということですから、教師にはただ教科の内容を教えるだけでなく、子供達のメンターでありカウンセラーとしての役割も求められます。プロでないと教師が務まりません。 何の知見もノウハウもない国がいきなり真似してできるほど簡単ではない。 当時の有識者(これは本物)のセリフを思い出しました。 「本当のゆとり教育は脳ミソがくたくたになるほどフル回転する。そうでないと意味がない。」 タケセンさんのブログを読んで合点です。
タケセンさんが日本のゆとり教育のディレクターだったら教育現場も今とは違う結果になったかも知れませんね。

以上、個人的には、既存の公立校や進学校の授業レベルは全く白紙にして、「主観性の知と客観学」は本来どうあるべきなのか、について議論したいと思いますがいかがですか?

実は私、週末はいつも娘の受験学習の同伴をしてまして、白樺教育館に伺う件については別途メールか電話で相談させて頂きます。
よろしくお願いします。
返信する
是非、大学クラスへ (荒井達夫)
2011-09-29 21:09:27
「偏差値と頭の良さはイコールではありません。私もそう思います。ただし、強い相関はあると思います。」「受験知だろうが何だろうが、世の中全ての人間に難関大学に挑戦するチャンスを担保するのが大事。」(「受験生の親」さん)

このような考えは、「偏差値の高い難関大学に合格することが頭の良さの証明であると考え、勉強=受験知の追求となってしまう人々を増やす結果になる」、と私は述べました。

「受験生の親」さんが、受験知の追求を目的にしていると述べたのではないのですが、「誤解がある」とのことです。やはり文章でやり取りするのには、限度があるようです。

コメントも57にもなってしまいましたので、白樺教育館の大学クラスに参加、対話・討論されることをおすすめします。

「何がほんとうなのか」を目がけて一生懸命に考え・対話する。「勝負」ではなく「言語ゲーム」でもなく、己の実存をかけて対話するというのが、武田さんのやり方ですから、相手が誰でも(大学教授であろうと、会社員であろうと、中・高校生であろうと)、基本的に同じ対応です。

「今の疑問については、私はこんな感じで考えているのですが・・・・・」というような、柔軟なやり取りで議論を進め、お互いの理解を深めていくことができると思います。
返信する
是非、直接対話を (古林 治)
2011-09-29 19:49:07
【受験生の親】さん

遅くなりました。主夫もやっているものですから(笑)。
いろいろなレベルの議論が錯綜し、対話が発散していきそうな気配がある一方、本質的な議論にも触れはじめてきたように思います。
これからさらに深く議論するには、この場での書き込みには限界があるように感じています。
タケセンさんらの提案に私も賛成です。大学生クラスは少人数ですので、お気軽に参加をお願いします。生々しい現実を前にした討論は、子供たちにとっても大変有意義です。

以下、書きかけですが、せっかくですので載せておきます。

◆ディベートについて
対話についてですが、ディベートが激しいやり取りで対話的討論が穏やかなものだというのは、少しナイーブな受け止め方に思います。
基本的に自分が絶対正しいという立場をとらず、より優れた考えを導こうという姿勢で議論するのが対話的討論です。ですから、場合によって、思想の内容で激しいやり取りになることもあります。
ただ、学者さんたちとのやり取りで私は次のように感じました。学者さんたちは『自分の思想』、『自分の学説』という自意識が非常に強く、それを守ろうというスタンスで討論する故にとても感情的になるのではないか、と。
より善い考えを導こうとすれば自然と根拠を問うことになり、思考は深まっていきます。そうすると、意図せず、学者さんたちの思考の弱点が露呈されてしまうことが多々ありました。立場とか面子があるのかもしれません。そのときにその弱点を認めることは絶対にしませんでした。潜在意識ではわかっているのでしょう。そういう時は必ず誤魔化したり、脅しに出たり、はぐらかしたり、はたまた激昂して陰での誹謗嘲笑が始まったりします。結果として、激しい議論の末にコテンパンにやっつけた、というように見えるのでしょう。
原理のレベル(原理主義ではありません。あくまで誰もが同意できる根本的な了解事項のこと.)では、妥協はあってはなりません。当然のことです。(だからこそソクラテスは死刑に追い込まれたのでしょうね。)
また、現実レベルでは臨機応変の対応が必要なことは言うまでもありません。学者さんを含め、この区別ができない人が多いのはとても残念です。


◆受験知について
ご指摘のように、開成も麻布(義理の弟の学校)も大変自由な校風です。
それでも受験知の問題は深刻にあるという話をしようと思ったのですが、大変長くなりそうですので、ここで止めておきます。
出来れば直接対話でお話ししたいと思っています。
返信する
主観性の知とは? (タケセン=武田康弘)
2011-09-29 09:40:42

受験生の親さん

早速のお返事、ありがとうございます。

「主観性の知」については、
まとめて記載してものが、参議院のホームページにありますので、見てください。
http://www.sangiin.go.jp/japanese/annai/chousa/rippou_chousa/backnumber/2008pdf/20081128050.pdf

その中から一部をコピーします。

「読み・書き・計算に始まる客観学は確かに重要ですが、それは知の手段であり目的ではありません。問題を見つけ、分析し、解決の方途を探ること。イメージを膨らませ、企画発案し、豊かな世界を拓くこと。創意工夫し、既成の世界に新たな命を与えること。臨機応変、当意即妙の才により現実に即した具体的対応をとること。自問自答と真の自由対話の実践で生産性に富む思想を育てること・・・これらの「主観性の知」の開発は、それとして取り組まねばならぬもので、客観学を緻密化、拡大する能力とは異なる別種の知性なのです。客観学の肥大化はかえって知の目的である主観性を鍛え豊かにしていくことを阻んでしまいます。過度な情報の記憶は、頭を不活性化させるのです。

 従来の日本の教育においては等閑視されてきた「主観性の知」こそがほんらいの知の目的なのですが、この手段と目的の逆転に気づいている人はとても少ないのが現実です。そのために知的優秀の意味がひどく偏ってしまいます。このことは、わたしの32年間の教育実践(小学1年生より大学生・成人者まで)と哲学的探求から確実に言えます。では、なぜ、この不幸な逆転に長いことわが日本人は気付かないできたのでしょうか。・・・」
返信する
荒井さんへ (受験生の親)
2011-09-29 01:10:57
荒井さんのコメントには全く同意できません。
「日本版カースト制」は社会的経済的身分の固定化状態を想定して使った造語です。
偏差値の高い難関大学に合格すること=頭の良さの証明なんて言ってませんし、将来が保証されるとも思ってません。
私自身の経験で言えば、出身大学の影響がいくばくか感じられる(高く持ち上げられたり、軽くあしらわれたり、という差別的扱い全般を意味します)のはせいぜい数年。後は本人次第。
ただし、現実に多くの大学生が門前払いを食って就職難に晒されています。会社も応募者全員とじっくり対話する余力なんてないから何らかの基準で書類選考してから面接対象を選ぶしかないんでしょうね。 少なくとも門前払いされたら土俵に上がることすらできませんから、「大企業けしからん」と叫ぶだけでは埒があかないでしょう。
和田中学の夜スペ施策は、親の資力によって難関高(ひいては難関大学)への合格が左右されるのはあまりにも不公平だとの思想から生まれたもので、その点で藤原さんを支持する、と言いました。
あくまでセカンドベスト、何もしないより一歩前進、との考えであり、受験知追及が目的ではありません。
その点、誤解なく。

直接の対話・討論については、別途検討させて頂きます。
返信する
タケセンさんへ (受験生の親)
2011-09-28 23:32:00
本日返信頂いた内容については、基本的にはタケセンさんに賛同します。
ただし、一部だけ補足を。
>主観性の知(略)の育成への取り組みは、ほとんどゼロに等しく、それを評価する方法も知りません。
・・・これは何をもってそう言ってますか?
私自身、メーカーに身を置く者として正しておきたい。 
もし、日本人全体に何ら主観性の知がないという意味で言われているとすれば、産業界の発達は何が原動力でなされたのでしょう?
経済は失われた10年、20年と言われますが、欧米のコピーだけで産業発達しますか?
日本発のオリジナル技術は山ほどありますよ。
また、進学校における受験勉強至上主義をさして言われているとすれば、タケセンさんが批判される超高偏差値の高校からは毎年のように数学五輪・物理五輪などの入賞者が出てますよ。
答が既にある問題しか解けない人間がこんなことできますか?
日本全体の傾向としてはそうなのかも知れないが、主観性の知を伸ばす土壌はゼロではない。これを伸ばしていく必要性については全く同意です。
返信する
ぜひ、ご参加を。 (タケセン=武田康弘)
2011-09-28 22:57:27
土曜日の午後4時15分から毎週、『白樺教育館』では、大学クラスがあります。
そこでは、自分の経験に照らして自分の頭で考え、対話する授業をしています。
高校生から社会人までどなたでも参加できます。
荒井達夫さんも常連です。お出で下されば、教育についての対話をしますので、書き込まれている皆さま、ぜひご参加を。
事前にお電話かメールを下されば、いつもで対応致します。
電話は、04-7182-7853(武田)
04-7184-9392(白樺教育館)
メールは、info@shirakaba.gr.jp
返信する
直接の対話・討論を (荒井達夫)
2011-09-28 21:06:36
「偏差値と頭の良さはイコールではありません。私もそう思います。ただし、強い相関はあると思います。」「受験知だろうが何だろうが、世の中全ての人間に難関大学に挑戦するチャンスを担保するのが大事。」(「受験生の親」さん)

「受験生の親」さんの主張の根幹は、このあたりにあるように見えますが、私は、こうした考え方が、むしろ「日本版カースト制」をつくる潜在力になるのではないかと考えています。偏差値の高い難関大学に合格することが、頭の良さの証明であると考え、勉強=受験知の追求となってしまう人々を増やす結果になるからです。今の現実がまさにそれであると思います。「受験生の親」さんが批判された東大出の官僚や有識者(という名の無識者)も、そういう人たち(受験知の追求者)でしょう。本当に勉強するとは、どういうことなのか、問題の本質を考えなければ事態は悪化するばかり、日本の未来はないのではないでしょうか。

書き込みが50にもなりました。これほど多くの内容あるやり取りがされているブログも珍しいのではないかと思います。しかし、文章でやり取りするのには、限度があります。せっかくここまで議論を進めたのですから、直接の対話・討論をされたらどうでしょうか。ディベートと哲学問答の違いも、はっきりわかるはずです。多くの学校関係者が見ておられるとのことですので、非常に有意義な議論になると思いますが、いかがでしょうか。
返信する
進学校の校風について (保護者)
2011-09-28 19:06:32
私も「受験生の親」さんのご意見に賛成です。
古林様は進学校における受験勉強至上主義を一貫して批判されています。そのこと自体は的を射ていると思います。ただし、その代表例として渋渋を挙げるのは、かなりピントがずれていると考えます。高校3年生になれば受験を意識した授業がかなり多くなるようですが、数ある進学校の中では、いわゆる「御三家」と同様で、生徒側の自主的な勉強に任せる度合いがかなり高い学校だと認識しております。
歴史の浅い新興校の中には、厳しい受験指導で進学実績を伸ばしているところがいくつかあります。前のコメントで「受験少年院」というコトバを使いましたが、そのように揶揄されている学校が実際にあるわけです。渋渋はそのような学校ではありません。
返信する
「頭がよい」って? (タケセン=武田康弘)
2011-09-28 18:40:48
受験生の親さん

わたしは、以前に以下のように書きました。

「受験知(=紙に書いてある問題・正解が決まっている問題の答えを書く知)の所持者は頭がよいので、総合的判断力がある、というほとんど妄想としか言えない信仰」

「わたしが幼いころ、寝る前に父は毎日お話を聞かせてくれました。それは空想とは異なる想像する力を伸ばし、考える力の元となったようです。小学生に入ったころからは、なんでも質問攻めにし、毎日のように父と問答をしていましたし、中学生になってからは対話する親友をつくりましたが、学校の休み時間と帰り道での毎日の対話(政治・社会問題、どう生きるかという哲学問題、趣味の話題)と、日曜日に互いの家を行き来しての対話と遊び、それが有用な思考力を育ててくれました。受験勉強づけの生活では思考力などつくはずがないのです。」

「生きた有用な頭は、「心身全体での会得」によってつくられるもの。
感じ知ること・想うことから立ち上がる「ほんものの知」の育成が不可欠です。」

続けて、以下のブログも出しました。

「頭がよい」って? 

2010-12-05 | 恋知(哲学)
わたしは、人間・社会問題において「問題を解決できない」日本の現状は、知の評価基準が偏っているところに最大の原因があると見ています。

欧米に追い付け・追い越せの明治以来の日本人の意識は、欧米出自の「既成の知識」を覚えることを第一としてきたために、「コピー能力」と「パターン知」が頭のよさを計る基準でした。

したがって、評価を決める試験は、答えが一つと決まっている「客観テスト」です。細かなことまで正確に覚える能力の持ち主、出題者の意向通りに考える=なぞる能力の持ち主を優秀だとしてきたのです。

主観性の知(思考力、対話力、決定力、作文力、観察力、想像力、創造力、企画力、問題発見能力、解決能力・・・・創意工夫、臨機応変、当意即妙・・・)の育成への取り組みは、ほとんどゼロに等しく、それを評価する方法も知りません。

「減点法」の客観テストによる評価では、これからの社会に必要な人間の能力は計れないでしょう。主観性の知を育てる「加点法」による評価にしなければ、さまざまな個人のもつ面白さ・有能さは花開きません。個人性の開花は、よろこびの多い、プラス思考による評価でなければならないからです。従来の常識を根本的に変えなければオシマイだ、とわたしは見ています。

ついでに言えば、テストは(暗記の程度を問うテスト以外は)、電子辞書持ち込みで行うべきです。これから求められるのは、問題の本質へと向かう意味論的思考力であり、広義の表現力なのですから。

武田康弘
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古林さんへ (受験生の親)
2011-09-28 00:33:59
丁寧なお返事ありがとうございます。
私も引き続き、タケセンさんのブログの場を借りてコメントします。
私の前のコメントにもお返事を頂けるということで、その内容の補足をします。
偏差値と頭の良さはイコールではありません。私もそう思います。ただし、強い相関はあると思います。
古林さんは開成のOBとのことですが、時代が違うのですかね。ここ数年、私が訪問したり調べた学校の印象とは異なるようです。
まず、古林さんやタケセンさんが重視する「深く掘り下げて考える」教育、これに最も近いのは、筑波大付属駒場(東日本最難関)ですね。私は直接授業を見てはいませんが、先取り授業は一切やらず、しかし、中学生は中学生の単元の範囲でとことん掘り下げる。大学の輪講のようなイメージでしょうか。基本、生徒自身に調べさせて生徒同士徹底的に議論させて最後に先生が講評する。
開成・麻布などの最難関私立校もいわゆる詰め込みではないそうですよ。東大合格者も多いが、それ以上に東大に入れない生徒の方が多い。基本、自主性重視=放ったらかし。
そして、渋幕に渋渋。全く詰め込みではないです。大体、大学入試にディベートの試験はありません。大学合格実績も中学入学時の難易度を考慮すれば決して良いわけではない。自分自身をとことん掘り下げて考える機会を重視した学校です。
どことは言わないが東大合格者を増やして偏差値アップだけに拘る学校、いわゆる受験知だけを追い求めて生徒の尻を叩く学校は偏差値が渋渋の下に位置するグループにいくつか見受けられます。 もしかしたら、古林さんの姪御さんが在籍していた頃は渋渋もこの範疇だったのでしょうか? 少なくとも今は違う印象ですね。

さて、私自身は、既成制度の維持と一部個人の出世(歪んだエリート)、それに民主制社会の荒廃の最大の要因は、公立校の教育にあると思います。
ゆとり教育を設計した人は誰ですか?皆、東大出の官僚や有識者(という名の無識者)です。自分や自分の家族・一族には縁もゆかりもない教育を人事のように国の施策として行う。結果、小学生の算数も理解できない大学生が大量に増産され、ワーキングプアが溢れるに至った。 当時のゆとり教育のスポークスマンを務めた文部官僚は、日本国内の公立学校に対しては授業内容の大幅削減を行った一方、退官後は、在日コリアン向けに徹底したエリート教育を施す学校を設立し理事に就任。こんなでたらめが、公立校の現実です。
あなた方が批判する田村先生より、はるかに罪が重いと思いませんか?
一部の進学校の生徒が偏ったエリート意識を持っていたとしても大した影響はありません。 大学あるいは会社に入ってから揉まれている内に大部分の人間は矯正されます。 現に、東大卒業生の大多数はまともな常識人でしょう。
しかし、逆転不可能な底辺層に固定化された人間は、もはや真っ当な思考をすることはできません。世を恨み、犯罪を犯す人間もでてくるでしょう。公立校の低レベル化はそれだけ罪が重いのです。
そういう意味で、和田中の藤原さんの取り組みは大いに価値がある。
貧乏な家庭であっても努力さえすれば公立校から難関大学に合格でき、底辺層から脱出できる。その希望があれば学校も荒れないのです。
受験知だろうが何だろうが、世の中全ての人間に難関大学に挑戦するチャンスを担保するのが大事。 まずは、難関大学に入学する人間がカースト制みたく固定化されないことが大事だと思います。
大学に入ってから色々な生まれ育ちの人間が切磋琢磨し、交流するようになれば、少なくとも今よりはましだと思うのです。
最近は、日本版カースト制ができあがりそうで、早く手を打たないと大変な世の中になると思いますね。
もちろん、タケセンさんの提唱するほんものの知的教育が世の中全ての学校で実践できればそれに越したことはないですが。
私がタケセンさんにエールを送ったのはそういう意図です。
長々と失礼しました。
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偏差値と頭の良さはイコールではありません (古林 治)
2011-09-27 16:26:56
【受験生の親】さん

率直なご意見ありがとうございます。
引き続き、タケセンさんのブログの場を借りてコメントします。既に次のコメントを入れられていますが、そちらは次回ということで(笑)。

私は教育者ではありませんし、理想的な学校像なども持ち合わせていません。ただ、自分と身内の体験、それからタケセンさんとこで出会った子供たちを見、タケセンさんの話を聞いて感じたことを言葉にしているのみです。
で、本質論についてはタケセンさんがズバッと的を射ていますので、私からは少し具体的な話を。

まず、いくつか誤解と認識の違いがありますので、その辺から。
> 古林さんの理想の学校が進学校と対極にある公立校だというのであれば、//
姪の場合、受験知に長けた人間が優秀であるという一元的な価値観・序列意識に息苦しさを感じていました。自分自身もそれに染まってはいたものの、心のどこかでおかしいとも思っていたようで、その板挟み状態でした。その分裂状態からは解放されるという点で、公立の方が健全だと言ったので、公立校が理想だという話とはまったく違います。公立には公立なりの問題があります。ただ、少なくとも格差意識や他者に優越する意識を醸成する空気は希薄です。私が言った健全とは、そのレベルの消極的意味でしかありません。近所の公立校に通っていれば、ある程度、家でも姪を看てやることもできますし、何かあれば地域の人とともに、ということも可能です。それに、タケセンさんとこで基礎学力を身につけることもできるので何とかなるだろうと思ったまでです。基本的に、私は特定の学校に教育を頼るという考え方そのものに懐疑的です。そのわけは後で触れます。

> 進学校の生徒ですら考えが及ばないような深い思考//
進学校の生徒だから考えが及ばない、と言い換えた方がいいかもしれません。
受験知に必要な能力とは記憶力、既知の想定された正しい答を出すスピード、解法パターンのヴァリエーション習得、出題者の意図を謀る能力、などであって、深く掘り下げて考える力は必要としません。むしろ邪魔でさえあります。
そうした受験知に必要な能力と、深く掘り下げて考える能力はむしろ相容れないことが多い、という指摘があります。私はこの指摘に同意するもので、テストの内容、方法を変えれば、偏差値の高い子供たちの多くが劣等生になる可能性すらあると思っています。たとえば、前例も正解もない問題を時間無制限で課したとしたらどうなるでしょう。きっと面白いことになります。
また、受験勉強が強いる、小さいころからの効率的な詰め込みは思考の基礎となる真っ当な感覚・感性を奪い去ってしまいます。人間の成長に必要な、生々しい現実での実体験を欠いたまま机上の知識や論理を身につければそうなって当然です。

前にも触れた、鋭い官僚批判を続ける現役官僚の古賀茂明氏(9月22日に辞表提出)はある番組のインタビューで次のような話をしていました。
『原発事故の賠償スキームはお粗末なものだと思うけれど、その経緯はよく理解できる。過去の事例を徹底して調べ上げ、それを基本に切り張りして仕立て上げる。官僚たちには国民のことを第一に考え、前例のない事例に対応する最良の構想を創造するということはできないんです。自分の頭で考えるということをやったことがないのですから。』 偏差値の高い人間の端的な姿に私には思えます。
そういうわけで、偏差値が高い=優秀、という観念は大きな誤解だと私は考えています。

それと、一般に流布する哲学というイメージは随分歪んだものになっていると私は考えています。生々しい現実を前にして、自分の頭で考え、語り合い、心から深く納得するまで考える営為が本来の哲学なのであって、専門用語を弄して難解な言説を紡ぎだす行為は、現実と乖離した、ただの思想オタクに過ぎません。
考える力を養うとは、そんな小難しい話ではないように思います。
・日常のちょっとした場面で納得するまでじっくり対話すること。
・勉強なら、時間をかけて深く納得するまで繰り返し、基礎を身につけること。
このことの繰り返しが考える力を養う源になると思います。これは自分の子供やタケセンさんのところで見た子供たちを実際に見てみるととてもよくわかります。

たとえば、タケセンさんのところには、進学校に通う子やはたまた学校では手におえないと言われる問題を抱えた子までいろいろいます。皆、同じ教科書で公立校と同じスピードで授業を進めます(変な優越意識を生まないためでもあります)。基礎をしっかりやり続けるのです。当然、早く理解する子も出てきますが、それでもじっくりやるのです。そうした子が他の子に教える場面も出てきます。『教えるって難しいんだよ、教えてると、自分が大してわかってないってことがよくわかるんだ。』 これは実際に他の子に教えた経験のある息子の話です。
笑い話になってますが、次のようなエピソードもあります。大して勉強もしてないのに、うちの子は成績がいい。おかしい。何か特別なことをやってるに違いない。そう文句を言いに来る親御さんもいます(笑)。ただ基礎をしっかりやってるだけなのですが。
あるいはまた、著名な学者さんとの討論会で学者さんを詰まらせてしまう大学生もいます。普通の真っ当な感覚で、普通の言葉で、問題の本質をグサッと指摘されれば確かに黙ってしまうでしょう。別に難解で深遠な思考をしているわけではありません。
その学生が通うタケセンさんの大学生クラス(高校生から社会人まで)では、難解な哲学書を大量に読ませるなんてことはしません。一冊の本をじっくり時間をかけて(多くの場合、半年とか1年間)、対話を通じて深く理解していくのです。最初の数か月は頭が働かなくて居眠りする生徒さんが続出。ですが、数か月も経つと頭がキレキレに動き始めるようです。

例を挙げればきりがありません。ですが、問題は(簡単とは言いませんが)とてもシンプルだと思います。子供たちが深く納得するまでじっくり対話する、基礎的な勉強を繰り返す。これだけだろうと思います。
これは、本来なら家庭でできるはずのことですが、それを放棄して小学生のころから効率ばかりの詰め込み受験知では、自分で考える力は身につかないでしょう。

タケセンさんのところに限らず、似たようなことを考えて実践している例は少ないながら、ないわけではありません。
杉並区立和田中学校でも一部、対話が取り入れられて話題になったことがありました。ほかにも、そうした学校があると聞いたことがあります。
海外に目を向ければ、フィンランドがよく話題になります。ソ連崩壊後のフィンランドは経済的にガタガタになり、国の再生のために国力を教育に振り向けることになりました。その結果(あくまで結果です)、国際的なテストで常時、高いレベルを維持するようになったのは有名ですが、その教育の本質は、自分の頭で考える力を養成することで、日本のようにテストをすることもないそうです。
多くの教育関係者がフィンランドに視察に行ってますが、一体何を見て取っているのでしょう?不思議です。偏差値が高い=優秀、と思ってる人たちが見に行っても何もわからないかもしれませんね。
最後に以下の例を挙げておきますので、興味がありましたら見ていただきたいと思います。20年ほど前にタケセンさんから教えてもらったドキュメンタリー番組『6歳からの哲学教育』で知ったのです。マシュー・リップマン博士による『6歳からの哲学教育』というソクラテスの対話的問答を教育に取り入れた例です。その後、どうなったか気になっていたのですが、ネットにかなりの情報が出ていますのでご覧ください。いくつか例を。
○ちいさな哲学者たち(ドキュメンタリー映画の案内、東京周辺は終わってしまいましたが、予告編を見ることができます。地方都市まで行けばまだ見れます。)
http://tetsugaku-movie.com/index.html
○こどものてつがく
http://web.mac.com/tricot_/iWeb/pc/A144DC78-4C31-4629-BB56-FBB45AEA4EB0.html
○何が思考を呼び求めるのか?―こどもと哲学のあいだ―
http://ir.library.osaka-u.ac.jp/metadb/up/LIBMETAPK/mp_40_001.pdf
○国内外における「子どものための哲学」の教室から
http://www.geocities.jp/philosophical_education/konwakai_1.pdf


かつて、サッチャー政権時代、競争原理を取り入れた教育を実践して結局大失敗に至りました。教育市場による競争の導入、点数による序列づけ、という点で、今の日本の教育に近いのですが、英国の有様を見てこの国の教育者たちは一体何を考えているのでしょう。
現実的にもっと真っ当な教育はいくらでもあるように思います。
まずは家庭から、ではないでしょうか。
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エールを感謝です。 (タケセン=武田康弘)
2011-09-27 15:40:35

受験生の親さん

よく読まれ、エールまで頂き、感謝です。

一つ誤解があります。
わたし(わたしたち)は、学者のみなさんと議論した時に「余裕」があったわけではありません。「何がほんとうなのか」を目がけて一生懸命に考え・対話したのです。
「勝負」ではなく「言語ゲーム」でもなく、己の実存をかけて対話したのです。したがって、ディべートとは全く異なります。

「こてんぱんに論破している」と思われたようですが、それは必死で討論した結果、第三者から見て武田さんらが「論破した」となったのです。相手は、国際的な公共哲学運動推進の第一人者(金泰昌さん)であり、また、東大教授でユネスコの哲学会議日本代表であり(山脇直司さん)、靖国思想の批判的研究者で公共哲学運動の中心者の一人(稲垣久和さん)であり、また、サンデル教授の紹介者で千葉大教授・日本の公共哲学の中心者(小林正弥さん)です。

はじめから、こちらに余裕があって、ということではないのです。いまなら、余裕がありますが(笑)。
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理想よりも現実的な一歩 (受験生の親)
2011-09-27 00:43:21
ここはタケセンさんの場だったのですね。失礼しました。
改めて、白樺教育館のHPを見直し、金泰昌さんや山脇直司さんとの対話・討論なども読みました。
私自身は哲学を深く勉強したことはなく、理解が困難な部分も多々あります。
ですが、武田さんが白樺教育館で培ったノウハウを世の中に本気で広める気があるのであれば、その討論の姿勢には首を傾げます。
いくら討論相手の方に非があるとはいえ、コテンパンに論破するやり方、これって、武田さんや古林さんが批判しているところのディベートと何が違うのですか?
武田さんは自分は本物の議論をしている、と信じていても論破された方の教授陣はやりこめられた、こんちくしょう、としか思ってないのではないですか?
私自身は既存の権威に与する気はありませんが、折角、世の中の教育界に何らかの影響を行使し得るメンバーに入られたなら、ケンカ別れなどせずに、周りのメンバーを適当に煽てながら本来の目標=白樺教育館のノウハウを世の中に広めるために利用する、という考え方もあったのではないですか? 皆さんのような一匹狼ではなく無力な一組織人の感覚です。

さて、私が最初に古林さんに質問した内容の回答がなかったので、もう一度お聞きします。
武田さんがコメントされたほんものの知的教育を公立校で実践し、世の中に広めるための具体策を教えて下さい。
私自身は中学校や高校は単なる通過点なので完成教育などは期待していません。
大学・大学院と進むに連れ、他人から教えてもらう勉強ではなく、自らの疑問点を主体的に調べて自分で考え研究し徐々に成長すればよい。
そのプロセスで子供にとって有意義だと思える学校選びをし、必要だったら受験勉強する。
当たり前のことであって、非難すべきことではない。
今日日、東大出てても将来を保証されるわけでなし、進学校=エリート意識、という発想自体、時代錯誤のように思います。
むしろ、公立校を低レベルな授業しかできない状態に置くこと自体が、既成制度の維持と一部個人の出世(歪んだエリート)、それに民主制社会の荒廃を生んでいると私は思います。
百マスも夜スペもほんものの知的教育ではないことは承知の上。でもこれをすることで、公立校の底上げが出来、その中から難関大学合格者が多く出るようになり、世の中で活躍する人材が増えれば既成制度の崩壊も期待できると思います。

私は個人的にはタケセンさんの教育思想に賛同します。 是非、世の中にほんものの知的教育を広めて下さい。 応援しています。
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ご自身の目で確認されることを (荒井達夫)
2011-09-24 00:46:29
「TTTという謎の人物さんへのお応え」というタイトルのブログにも、書き込みましたが、本当に議論のできる人になりたければ、白樺教育館に来ることをおすすめします。勝ち負けではなく、より良いものをめがけ、それぞれの考え、思いを率直になげかけあう、本物の議論を見ることができるでしょう。私は、白樺教育館で行われた、金泰昌さんや山脇直司さんとの対話・討論を通じて、このことを痛感しました。是非、一度来館して、ご自身の目で確認されることをお勧めします。
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ほんものの知的教育を。。 (タケセン=武田康弘)
2011-09-23 22:26:54

「私自身、田村先生が100%正しい、とは思いませんが、何もしないよりはよりベターな方向を模索してトライしている、という点で大いに支持します。」(受験生の親さん)

自分の具体的経験を踏まえて自分の頭で考えること、その能力を育てるための基礎学習(読み書き計算に始まる)をしっかり行うこと、そういう意味での勉強は、知の基盤です。

しかし、受験校における教育(田村哲夫さんの教育思想・実践など)は、わたしが渋々の宿題の質と量を見る限り「足が地についた勉強」とはかけ離れたものです。「受験のための勉強」プラス「他者に優越するための読書やディベート」でしかありません。

それは、「意味を掴むことができる頭と、自立する精神」(=真に優れた知性)を育て、多元的な見方・民主的な生き方を見につけさせる教育とはまったく異なります。

よき教育の基本とは、
「受験勉強」ではなく、足が地についた「勉強」をすること(させること)。
ディベートではなく、哲学的な問答をすること(ソクラテスはソフィストたちのディベートを否定して問答的思考=哲学をはじめたのです)、
その本音において(その人の日々の言動において)他者を下に見る歪んだ「エリート意識」を持つ人ではなく、「民主的倫理」を身に付けたほんものの人間を育てること、
ではないでしょうか。

わたしは、そのための私塾をはじめて35年が経ちました。白樺教育館ホームでその一端を紹介しています。
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生々しい現実が突きつけるもの (古林 治)
2011-09-23 15:48:54
【保護者さん】
コメントありがとうございます。

が、議論がずれているように思います。
『もし姪御様の感想文だけ担任教諭の印鑑が押されていたということなのであれば、校長先生に申し出る機会はあります。保護者会には田村校長が今でもおいでになりますし、その際に他の先生はおみえになりません。教師の指導などに家庭として不満がある場合には、それを直接校長に伝えるルートが担保されております。』
ごく当然の話で、どこの学校でも一緒だと思いますが。
前に触れたように、姪の書いたものが学年主任の一存によって無視されたことを私が知ったのはずっと後のことで、転向を決意したころの話です。知っていたら当然ですが、私は直接話をしに行ったでしょう。

私が指摘したいことは、授業とか本の中での話以前に子供を育む場としてもっと大事な場面がいくらでもあるということです。
たとえば、名のある著名な大学教授が『差別はいけない。』とか、『議論が大事。』とか言ったとします。それを聞いて立派な先生だ、という人は多いかもしれません。でも、実際に日常の中でその先生が差別したり、議論しないという行動をとったとしたら、人々(子供)はそれをどんなふうに受けとめますか。
生々しい現実とはそういうことであり、日常の中で子供たちの言動にどのように対応するか、が常に厳しく問われるのが教育現場だと私は思います。
いくらカッコの良いことを言ってもやっても、生々しい現実の前に誤魔化しは通用しないのです。
(渋々に限らず)子供たちは小学校時代から受験勉強ばかりで、ほとんど何の実体験もないまま机の上の知識だけで育ってきています。だからこそ日常での生々しい体験=大人の側の生き様が今まで以上に重要になってくるのだと私は思います。当然ながら、学校だけでなく家庭においても、です。

話を戻します。
姪が批判文を書きました。そのことに対して学校がどのように対応したかが問われているのです。握りつぶす行為とはどういうことなのか?
学校が勘違いして姪を『いじめた生徒』として扱い、長時間軟禁して尋問するということに対して、学校はどのような態度をとるのか。謝らない学校とは何なのか?(M先生は謝罪しました。)
中国の悪い面ばかりを教える授業に対する姪ら一部生徒の再度にわたる疑義に対して、まともに答えない姿勢は一体なんなのか?
それが教育なのですか、と私は問うているのです。

いずれも学校(校長)が教育者として優秀と認める学年主任M先生が関与しているわけですが、学校(校長)の思想、教育観がここからにじみ出ていると私は強く感じました。
繰り返しますが、田村氏は中央教育審議会の主要メンバーでこの国の教育行政に多大な影響を与える人物です。私は、その意味で公論として渋々の話をしているのです。

なお、批判について一言。
既成の権威=基本の枠組み‐渋々だったら校長の話、学校の姿勢、はたまた学年主任の考え‐、そうした既成の枠組みを問い返すことそのものが批判であって、その枠の中で批判もどきをやっても頭を使うことにはなりません。
根源的な批判の欠落は、既成の制度、権力、上位者に従順なエリートを生むだけです。
それは何をもたらすでしょう。
既成制度の維持と一部個人の出世(歪んだエリート)、それに民主制社会の荒廃、ではないかと私は思います。
健全なる批判こそが社会をより善く変えていく力の源泉であることを考えれば、明瞭でしょう。


ちなみに、既成の枠の中という意味では、ディベートもまったく一緒ですね。あれかこれかという与えられた枠組みの中でのみ議論を戦わすだけですから、根源的な思考能力は生まれず、言葉の表層論理をこねくり回すだけの人間になりかねません。今の世では、そうした人間が優秀とされているのは嘆かわしいことです。まさにソフィストそのものなのに、です。


なお、『自調自考』については、実際に経験した姪本人が書くと言ってます。ほとんど書き上げてるようですが、出来ましたらアップさせていただきます。


注)ソフィスト
姪に、ソフィストなんて知らない人の方が多い、と言われました。簡潔に触れます(笑)。
古代ギリシャの時代、アテナイで裕福な人びとを相手に、言語上の論理によって相手を打ち負かす弁論術(詭弁)を教えて金銭を受け取っていた人々を指します。
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古林さんの理想の学校とは? (受験生の親)
2011-09-22 02:06:36
通りすがりです。
今までのスレを読み、古林さんが理想とする教育も理解できました。
確かに、既存の進学校の教育よりは、古林さんが提唱される本質的な哲学教育の方が真っ当であることに異論はありません。
では、そういう教育はどうすれば実現できるとお考えですか?
進学校の生徒ですら考えが及ばないような深い思考を公立の中学校の生徒達に求めるのは現実に可能なのですか?
まさか、ソクラテスの問答的対話を公立の生徒達相手に行うのですか?
百歩譲って、古林さん自身ならそういう問いかけや生徒からの引き出しができるかも知れないとしても、公立校の教師が誰でもできますか?
私自身は田舎の公立中学・高校の出身ですが、古林さんが書かれているような健全な価値観の集団だったとは思えません。
近くに進学校もなく、私を含めて同学年で旧帝大に合格したのはたった2人。そんな学校しか選択肢がなかった田舎町です。
全国の当事者は似たような状況だと思いますが、教師の質や授業レベルも低く、高偏差値の大学受験は予備校か独学に頼るしかありません。
一方、こんな低レベルな授業にすら付いていけない生徒も周りに多数いるため、ただでさえ低レベルな授業を牛歩の如くスピードダウンしているのが多くの現実だと思います。
彼ら彼女らと私達の間には連帯感もなければ、価値観の共有もなく、正に、古林さんが批判されているところの経済的・社会的勝ち組によるエリート意識と、負け組による僻み、やっかみ意識の対立構造、社会の縮図そのものです。
私自身、田村先生が100%正しい、とは思いませんが、何もしないよりはよりベターな方向を模索してトライしている、という点で大いに支持します。
同様な観点で、百マス計算の蔭山先生や和田中の藤原先生などの取り組みも支持します。
それは、私自身が受けていた何の創意工夫もない横並びの公立学校教育よりは、少なくともまだましだと思えるからです。
古林さんの理想の学校が進学校と対極にある公立校だというのであれば、そこにいる何の変哲もない普通の教師と生徒達で、どのような取り組みをすれば理想の教育ができるのか具体的に説明頂きたく、よろしくお願いします。
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追記です (保護者)
2011-09-17 21:27:37
> 生々しい現実が先にあり、そこで考え、対等な立場で議論し、解決策を創造し、実践するのが人の生であり、
> そこでの生き様によって人は評価されるものだと私は確信しています。

渋渋や渋幕のモットーである「自調自考」は、まさにそのことを指しています。
渋渋は進学校ではありますが、決して「受験少年院」ではありません。
返信する
Unknown (保護者)
2011-09-16 22:26:32
まず初めに先のコメントの補足をさせてください。
私の子どもの学年に在籍している中国人も、子どもが直接知っている生徒はみな日本育ちです。留学生ではありません。ただ、国際人育成を看板に掲げている学校なので、そうしたご家庭にも人気があるということなのでしょう。

それと校長講話の感想文について。
もし姪御様の感想文だけ担任教諭の印鑑が押されていたということなのであれば、校長先生に申し出る機会はあります。保護者会には田村校長が今でもおいでになりますし、その際に他の先生はおみえになりません。教師の指導などに家庭として不満がある場合には、それを直接校長に伝えるルートが担保されております。
言葉の正しい意味での批判力(クリティーク)を養うことは、むしろ渋渋の教育方針そのものだと私は考えます。
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批判を受け止めることの重要性 ‐校長講和を巡って‐ (古林 治)
2011-09-08 12:52:11

【保護者】さんのコメントに触発されて、とても大事なことを思い出したので記しておきます。まずは、思い起こした出来事から。

姪が中学一年の時の話。
校長講和を聞き続けているうちに、姪の中に漠然とした違和感が徐々に強いものになるのを彼女は感じていました。時々会う私に何度かそれを口にするようになったのです。
で、私は次のように応答しました。
『なんか変だと思ったら、ちゃんと表明しないと。ただし、非難じゃなくて、出来るだけ相手に伝わるように、何がおかしいのかを伝えるのが大事なんだ。』と。
『どうせ聞いてくれるわけない。』と姪が応え、
『何もやらないでいて、それはないでしょう。ちゃんと答えてくれるよ、まともな人だったら。』と私はさらに追いかけました。むろん、このときは本気でそう思っていたのです。
(当然のことですが、この年頃にありがちな子供の反抗心を踏まえながら前向きに取り組ませようと配慮した上での発言です。能天気に子供の表層的な言い分を鵜呑みにするほど私はナイーブではありません[笑]。念のため。)

で、姪は必死になって、校長講和を聞いた時に感じた自分の中にある違和感を何とか伝えようと言葉にし、校長講和の感想文として提出しました。
生徒たちが書いたものは校長が目を通し、校長印が押されて返却されるのです。ところが、担任から返却された姪の書いた文章だけは校長の印鑑ではなく、学年主任のM先生のものでした。
明らかに、姪の書いた文章は校長のところには行っておらず、M先生のところで止められていたのです。その事情については一切の説明がないままでした。
さらに突っ込んで、どうしてですか、と尋ねるべきだったと思いますが、私が知ったのもずっと後のことでした。
姪の関心はここで絶たれ、その後、ただ聞き流すだけの校長講和となり、感想文もお座なりのものになってしまいました。


話は違いますが、福島原発の事故は起こるべくして起こったと私は考えています。一義的には東電や政府、それに学者やマスメディアの責任が大きいわけですが、批判に耳を傾けず排除する、圧力に屈して黙す、あるいは序列上位者に従順(盲目的)に従う、人々のそうした行為と価値観が悲惨な事故原因の根底にあったのだと思うのです。それは私たちの日常とも重なります。
おかしいと思ったら勇気をもって声を出す。つまり、批判するということ。そしてそれにしっかり耳を傾ける。冷静に議論する。そしてより善い答を出す。当たり前のことがまったくされていなかったわけです。
だから、批判とは何なのか、についてもう一度考えていただきたいと思うのです。

民主制社会では、批判こそがその社会の健全性を維持する源泉となります。
すべての人が事実関係を知った上で、それぞれの考えを提示し十分議論すれば妥当な答えを導くことができる、という考えの元に私たちの社会は成立しているのです。だからこそ、教育に求められるのは、自分の頭で考えることのできる市民の育成です。自分の頭で考える力とは、言葉を代えると、批判力と言ってよいものです。
市民が自分の頭で考える力=批判力を持っていなければ、社会は疲弊し腐敗していきます。
批判力を持った人間を育てること、これは民主制下の教育の義務とも言えるでしょう。


話を戻します。
姪の批判文(感想文)を受け止めるどころか、握りつぶすような教師の行為は言うまでもなく論外です。本来の在り様とは真逆と言えます。
また、批判力を育てるどころか、それを削いでしまう行為はもう一つ別の問題をはらんでいます。
子供の抱いた疑問・関心を削ぐことが一体どういう意味を持つのか。
人間の本質=興味や関心が人々を動かす源泉であることを考えれば、こうした疑問・関心というものが、子供たちが対象に対して能動的に取り組もうとする唯一の契機であることは明らかです。
子供の成長にとって絶好の機会を最悪の形で踏みつぶしてしまってはいけません。
また、多くの大人がとらわれていることですが、従順な子が良い子であるという想念は大きな間違いです。子供たちのありのままの存在をまずは受け入れなければいけません。それは教育の基本中の基本だろうと私は思うのですが、いかがでしょう。


追記:
校長講和の題材として志賀直哉と西研さん(哲学)がリストに載っていたことはよく覚えています。私の住む町・我孫子で白樺派の一人として志賀直哉は活躍しました。白樺文学館設立のお手伝いをした関係でよ~く覚えているのです(笑)。西研さんは前述竹田青嗣さんと親しいお仲間なので、こちらもよく覚えています。
その校長講和に登場する志賀直哉は学習院を二度落第。エレベーターで(当時は無条件に行けた)東大文学部へ。夏目漱石先生以外は聞いても意味がない。そう言ってさっさと東大をやめてしまいました。
校長講和でこんな話されましたかね。
返信する
国際人養成以前に必要なこと (古林 治)
2011-09-08 12:51:10
毎度ですが、タケセンさんのブログを拝借してコメントします。

【現在渋渋に通っている者です】さん
【保護者】さん
コメントありがとうございます。いろいろ考えるきっかけにさせていただいてます。

さて、まず下記の文を別途タケセンさんのブログに載せていただいてますので参照ください。(上にある文章は途中で途切れています。ご注意ください。)
私が『田村哲夫氏が運営する渋谷教育学園渋谷校とは』を書いた経緯
http://blog.goo.ne.jp/shirakabatakesen/e/89dd6ecb6721770d5667e25a55982cd6

ここで触れているように、渋々をおとしめようとか、恨み辛みがあって書いているわけではありません。
むろん、悪口でもありません。批判と悪口(誹謗中傷)とは異なるもので、この区別をしないと対話も議論も成立しません。快・不快に価値基準を置けば批判も悪口も一緒に見えてしまいます。
それから、学校に合う・合わないとか、好き・嫌いの話を私はしていません。合う、好きだという方に対し、私は何も言う資格がないのは当然のことです。


いくつか指摘しておきます。
●事実関係について
まず、事実関係の話ですが、詳細についての疑義がありましたので、淡々と事実関係を記述しました。
というわけで、私はこれ以上触れるつもりはありません。
さらに語るとすれば、証言を記述する(証人の登場)しかありませんが、それは不毛なことでしょう。

次の問題は教育の本質について触れる部分がありますので、コメントします。
●国際人養成以前に必要なこと
『渋渋はヨーロッパやアジアの国々から留学生を積極的に受け入れています。帰国子女の割合も都内の中高一貫校ではトップクラスです。外国文化を変な色眼鏡で見ないようにすること、そして外国人と深いレベルのコミュニケーションができるようにすることに関しては、これほどしっかりした教育をしている学校も珍しいかと思います。』(【保護者】さん)

グローバリゼーションによって国際人の養成が社会的に求められているのは間違いありません。増加する帰国子女受け入れ態勢も同様です。また経営上、外国からの留学生確保のためにも、留学生の積極的受け入れ、英語での授業も進めているところもあります。一部企業では公用語を英語にしているところも出てますね。
白樺教育館ホームページにも時々登場する竹田青嗣さん(早稲田大学国際教養学部教授/哲学・文芸批評)も英語で教えているそうで、最初は苦手な英語で大変だった(笑)、と言ってました。
中・高ではそうした流れを最も早く取り入れたのが渋々であることは私も承知しています。社会的要請に応えることは大事なことです。と同時に、学校運営のビジネスモデルとして渋々が最先端を行っている側面があることを指摘しておきます。これは学校の魅力を訴える上で大きな役割を背負っていると思います。

ただし、外国人と接し、外国語を習得すれば国際人が育つわけでないのも事実です。実際、何か国語も話し、海外生活も長く、うまくやっていると見えながらその実、国際感覚に??の人も少なくありません。その原因は明らかで、芯がしっかりしていないまま経験だけを積んでしまったからです。
必要なのは、まず人間性の根幹となる部分をしっかり育むことでしょう。これは受験知教育では決して育むことはできないと私は思います。
いずれにせよ、国際感覚云々はそのあとの二義的な話です。
下記のタケセンさんの最新ブログを参照ください。
『考え方・生き方・勉強仕方の「よい」とは何か、の追求がないと深い闇から抜けられません。』
http://blog.goo.ne.jp/shirakabatakesen/e/d9ba7cc9b9670ebbfdf2812de215c104

というわけで、帰国子女や留学生云々以前に、人間性の根幹を育む教育の本質をしっかり見つめ直すことが必要だ、というのが私の主張です。

追記:
当時、姪の中国人の友人は日本生まれの日本育ち、クラスに留学生はいませんでした。(当時の中一ではほとんどいませんでした。)


以下は私がとても気になった点ですので少しコメントします。
●優秀ということの意味を問い直す

【現在渋渋に通っている者です】さんの次のコメントに私は違和感を覚えます。
『確かに渋渋の授業の進度は早いですが、生徒は皆、それについて行けるだけの実力があるので渋渋に合格できたのです。』

実力って何なのでしょう?
受験は人間のさまざまな能力のうちのほんの一側面を見ているだけです。
正解のある課題にいかに早く答えられるかが問われているのです。誰もが承知していることですが、現実世界には正しい答が存在しているケースは極めて稀です。
ついでに言えば、受験においては理解の深さは一切問われません。創造性や独創性が問われているわけでもありません。それらは両立が難しい場合も少なくないでしょう。
いずれにせよ、すべての能力を兼ね備える人がいないことだけは間違いありません。

生々しい現実が先にあり、そこで考え、対等な立場で議論し、解決策を創造し、実践するのが人の生であり、そこでの生き様によって人は評価されるものだと私は確信しています。
東大にパスし、国家公務員試験I種(昔の上級国家公務員試験)にパスしたから自分は優秀で特別な人間だと思い込んでいる一部の官僚たちの錯誤を想起していただきたいものです。
誤った【知】による序列意識は人間の健全な営みを阻害してしまいます。
不当な序列意識の醸成は徹底して排除する努力を怠ってはならないでしょう。
民主制社会はあくまで特権的な人間をつくらないというのが前提なのです。

ちなみに、この歪んだエリート意識がどこから来るか、それを明晰にえぐり出したタケセンさんの文章が参議院のホームページにありますので参照ください。
【「キャリアシステム」を支えている歪んだ想念】
http://www.sangiin.go.jp/japanese/annai/chousa/rippou_chousa/backnumber/2008pdf/20081128050.pdf
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海外との交流について (保護者)
2011-09-04 22:18:04
子どもが渋渋に通っています。
同じ学年に中国人の同級生が何人かいます。
応答3であったようなことが事実起こっていたかは、私には判断する材料がありません。しかし、事実だとすれば、そうした話は首都圏に在住する中国人コミュニティの中で大きく広まっているのではないかと思います。そのことと、中国人子女が何人も入学してくることとは矛盾するように思います。

渋渋はヨーロッパやアジアの国々から留学生を積極的に受け入れています。帰国子女の割合も都内の中高一貫校ではトップクラスです。外国文化を変な色眼鏡で見ないようにすること、そして外国人と深いレベルのコミュニケーションができるようにすることに関しては、これほどしっかりした教育をしている学校も珍しいかと思います。

教育のカリキュラムについては、難関大学を志望する生徒さんが殆どですから、進度は早いでしょう。みんなそれを承知の上で入学しています。そうした中高一貫校の中では、受験対策至上主義ではなく、学問の本質は何かを常に意識したカリキュラムを組んでいるように私には見えます。校長講話もそうです。渋渋のシラバスには、校長講話のお話の参考書が示されています。それをご覧になれば、どのようなお話を田村先生がされているかが大体おわかりになるかと思います。

たまたま古林様の姪御様には渋渋という学校が合わなかったのでしょう。万人に合う学校はありません。保護者会などでお話を伺う機会がありますが、どのご家庭も(お子さんを含め)渋渋という学校を大変気に入っておられます。我が家も同様です。
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渋渋に問題はありません! (現在渋渋に通っている者です。)
2011-09-04 21:51:22
私は現在渋渋に通っています。
渋渋は本当に楽しいところですし、この学校に入れて良かったな、と毎日思いながら通っています。
私の友達も渋渋に不満を持っていません。
むしろそれまで通っていた小学校の教師のほうが本当に嫌でした。
確かに渋渋の授業の進度は早いですが、生徒は皆、それについて行けるだけの実力があるので渋渋に合格できたのです。
ですから、問題はないのでは?
渋渋の授業は面白いし、先生も真剣に教えて下さいます。
中国が嫌いな先生がいらっしゃって、クラスが反日ムードとのことですが、社会に出ればそういう人は絶対にいるし、影響もされるでしょう。
ですから、影響されてしまう人はされてしまいます。が、姪御さんが「おかしい」と思ったことは他の生徒さんも感じていらっしゃるのでは?
もし、そう思われないなら、そして先生に訴えるほどの度胸をお持ちなら、姪御さんはクラスメイトたちに「あの先生の言うことはおかしい。Tさんを見れば中国人は悪い人々ではないとわかるではないか」と言うこともできたはずです。
校長講話にもご不満をお持ちということですが、私はいままで校長講話が「単なる校長の自慢じゃん」と思ったことは一度もありません。そもそも保護者である貴方は校長講話を聞いたことは無いのでしょう?
実体験から言いますが、中1というのは自分の上の存在に理由も無く反発したくなる年頃です。姪御さんもそうだったのでは?そして貴方は姪御さんの若さゆえの色眼鏡を通して渋渋を見ていませんか?


だから、無闇に渋渋の悪口は言わないで下さい。
ここのページは『渋谷教育学園渋谷』でGoogle検索すると3番目に表示される、大変多くの人が見るサイトです。
初めて渋渋のことを知って「渋渋ってどんな学校だろう?」と興味を抱かれた方に、渋渋の間違ったイメージを植えつけないで下さい。
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私が『田村哲夫氏が運営する渋谷教育学園渋谷校とは』を書いた経緯 (古林 治)
2011-08-27 08:39:25

学者を中心とする、“公共哲学ML”というメーリングリストがありました。公共哲学について議論を交わす場として設定されたもので、このブログの主であるタケセンさんも参加していました。
ただし、このML、設立趣旨と違って誰も議論しようとしない場でした。また、特定の大学教授にのみ『先生』付けする序列の場でもありました。それに対して、いつも問題提議をし、序列関係を廃した対等な議論を提唱するタケセンさんと、MLの運営責任者である千葉大教授の小林正弥さんとの間でようやく少しだけ論争が始まりました。私が書いた批判も、タケセンさんがMLに流すことで私自身も間接的に論争への参加者となりました。

論争のさなか、MLメンバーの一人であった東大大学院哲学教授で唯一“先生”付けされる山脇直司さんが鈴木文部副大臣のレジュメを紹介しました。
http://www.shirakaba.gr.jp/minchi/library/library17.htm <= 山脇さん
http://jukugi.mext.go.jp/archive/264.pdf <= 鈴木文部副大臣のレジュメ

それは小林正弥氏らが主導したものの様でした。私はその内容を批判したのです。
批判は二つ。
一つは『熟議』という言葉による啓蒙でした。ユルゲン・ハーバーマスという著名な社会学者の言葉を引合いに出し、『熟議』を薦めるという構図です。現政権の一部閣僚らが使っている言葉です。ところが、これを提唱している学者さんたち自身、議論も対話もできない、しない人たちばかりでしたので、私には悪い冗談にしか聞こえませんでした。『熟議』以前に、まともな対話くらいしてみなさい、という気分です。思想とは、その人の生き方からにじみ出てくるものであって、言葉にして表現すれば済むものではないのです。
また、それに加え、海外の権威(著名な社会学者)を頼みにして上から目線での啓蒙ですから、”気持ちが悪い”と感じたのです。まるで大手広告代理店が、海外の最先端の流行を引合いに出して、『これからは○○だ。』と煽るような構図です。

もう一つの批判は、このレジュメに出てくるリストに田村氏の名前があり、その点を問題にしたのです。田村氏は、文部科学省「熟議」の実践:熟議懇談会のメンバーとして載っていました。また、中央教育審議会の主メンバーとして名をなし、この国の教育行政の指針に影響を与える立場にもいました。私はこれを見て、この国の教育の行く末に大きな危機感を覚えました。

タケセンさんを通してMLに流された二つの批判は、私の印象を極めて短い文章にしたものでした。
小林さんの反応は、『品性が無い、その上これをMLに流すタケセンさんは問題だ』、という指摘で内容についての批判ではありませんでした。
私は、改めて、何故批判したのかを書くことにしました。その一つが、『田村哲夫氏が運営する渋谷教育学園渋谷校とは』であり、田村氏の教育観を生々しく浮かび上がらせる目的で書いたのです。

ところが、この批判文がMLに投稿される前に、何の通知もなくタケセンさんはMLから小林正弥さんによって追放(登録の削除)されてしまいました。
この辺りの経緯は、下記のタケセンさんのブログを参照ください。
【小林正弥 メーリングリストの悲喜劇?(武田)ー税金での運用なので憲法違反です(荒井)】
http://blog.goo.ne.jp/shirakabatakesen/e/30e9bce112334c33f12b9032e8845a8a
以下に、一部抜粋しておきます。
『わたしは、公共哲学mlの中で議論したところ、突然除名されました(驚)。
この会の代表・小林正弥さん(千葉大学教授・NHK「ハーバード白熱教室」の解説者)が高く評価するサンデル教授の思想を批判し、同じく小林さんと近い関係にある鈴木文部副大臣のレジュメを批判する古林治さんのメールを転送したところ、3時間半後に、突然登録を削除されました。』

私が書いた批判文は、最終的に、小林さんによって公共哲学MLに流されましたが、それに対する反応は、何一つありませんでした。このブログを見ているはずの山脇さんからも公式でのコメントはありません。


その後しばらくしてから、タケセンさんが自身のブログに、『田村哲夫氏が運営する渋谷教育学園渋谷校とは』を公開しました。この批判文が、現在の教育が抱える本質的問題の一面を具体的な形で提示していると考えたからです。
哀しいことですが、生々しい具体的現実を前にしない限り、私たち日本人は真剣に考えようとしません。フクシマの悲惨な事件が起こるまで、ほとんどの日本人が原発について真剣に考えようとしなかったように。
この機会に、多くの人が現代の教育が抱える深刻な問題に真剣に対峙して欲しいと願っています。

参考:公共哲学論争に関して興味のある方は以下を参照ください。
    【「公共」をめぐる哲学の活躍 ‐‐ これですべてがわかる!!】
    http://www.shirakaba.gr.jp/home/tayori/k_tayori127.htm
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真摯な対応に感謝 応答5 (古林 治)
2011-08-26 18:56:57
【学年主任M先生のこと 3】

私がこの事件を取り上げたのは、M先生も学校も大きな勘違いをしていると思えたからです。

いくら勉強をしても、いくら知識を身につけても、えらくもなければ優秀というわけでもありません。まして、人間のことがわかるわけではありません。わかっていれば、『あの子は、今のうちにたたいて置かないといけない。』という発言など出るはずがありません。
が、学校もおそらくM先生も次のように考えているのでしょう。
【社会科の先生でまじめで実直.知識も豊富、頭もよい。その上、受験に関する知識も豊富.だから、優秀な教育者で学年主任にふさわしい.】
と。
ついでに言えば、これに異を唱えず迎合する人たちもその価値観を共有しているということです。

繰り返します。
学歴や知識の量で能力が決まりますか?
受験結果を最も効率よく出してくれる教師が優秀な教育者ですか?

学校もM先生の教育観もそれに近いものに私には見えます。
子供たちが抱く、【なぜ、どうして?】という問いはごく自然な欲求ですが、受験知教育にとってこれは最大の障害です。
【なぜ、どうして?】にしっかり応えるには相応の労力と時間がかかりますから。MeiがM先生に疑念を投げかけたことを思い出してください。双方が納得するまでやれば結構な手間がかかります。
でも、この関心・興味が知への欲求の源泉であり、その力は無限とも言えます。歴史に残るような科学者や発明家はたまた思想家の伝記を読むとよくわかるように、皆、必然的な動機を持っているのです。
この必然的な動機=欲求が、知をしっかりと根付かせ、本当の思考力を身につけるための土台になると私は思っています。
受験知エリートとは、知が根付く土台を失ったままの、ただの知識の集積人間でしかなく、優秀であることそのものが目的化し、本来の【知】がひっくり返ってしまった人間だと私は思います。

小学校のころから、この土台を破壊するような受験教育がずーっと続くのですから、おそろしい世の中です。
真っ当な人間、豊かな人生などとても期待できそうもありません。優秀であることそのものを競い、出世競争にあくせくしながら、お金や地位や名誉にしがみついて生きていくのでしょうか。

私はM先生もまたそうした受験知教育を受けて育った犠牲者だと思っていますが、この件を糧に自分を見つめ直して成長してくれることを願うばかりです。
なお、繰り返しますが、M先生はすでに謝罪済みです。個人的に糾弾するような意図は私にはありません。
また、程度の差はあれ、誰でも(私自身を含め)そのようなどす黒い感情にとらわれた経験はあるはずです。それを正面から受け止めて、どうしていくかが問われるべきなのだと思います。

============================
最後に、私が『田村哲夫氏が運営する渋谷教育学園渋谷校とは』を書いた経緯を記そうと思いましたが、長くなりましたので止めておきます。
近いうちに、この続きとして書きます。

以上でした。
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真摯な対応に感謝 応答4 (古林治)
2011-08-26 18:55:30
【学年主任M先生のこと 2】

3.事件/ イジメのでっち上げ - ” たたいておく”という発想 -

ある日のこと(中学2年になって間もないころ)。
Meiの仲良しグループ数名の間で悪ふざけがありました。

Mei: ペンってどれくらいの力で折れるかなあ?
Mei: 折っていいペンある?
N君:これ、もうインク切れかけ。

で、MeiとPさんが、N君の持つインクの切れかけた2本のペンをそれぞれが折ったのでした。中学生のいわゆるノリというやつです。ただし、この仲良しグループの変わった感覚はちょっと普通の生徒たちとは異なっているように思います。前にも触れましたが、家庭環境から来る不全感がこうした行為を導くのでしょうか。こういうおバカなことをやるのが楽しいらしいのです。
Meiはさらにワル乗りして、隣のクラスの仲良しのOさん(最初にいじめにあった生徒)の机の上に折ったペンを置き、
”Nちゃんの♡(ハートマーク)”(Nさんはペンの持ち主)
というような書き置きを残したのでした。ところが、どうやらそれを見た生徒D君がいて、そのあと先生へ通報したらしいのです。

これが悪質なイジメととらえられ、およそ7時間に及ぶ軟禁、尋問につながっていきました。
以下、経緯です。

翌日、1時限目の担任の授業中にMeiは呼び出されます。
担任はこの間の経緯を知らされていないようでした。普通なら、当の生徒のことを一番知る担任が責任をもって対応するのが常識です。時に叱り、時に慰め、時には守らなければいけない立場です。その担任をパスしてM先生の独断で尋問がはじめられたのです。これ自体、異様な行動です。

MeiとN君の二人が空き教室に呼ばれ、M先生とOさんの担任A先生の二人による尋問が始まります。
それはイジメをやったという前提での問い詰めで、当初から犯人扱いでした。
(ちなみに、ペンを折ったもう一人のPさんは尋問を受けませんでした。なぜかはよくわかりません。Meiたちが名前を出さなかったからなのか、それとも他に理由があったのか。)

二人で何度も事実関係を説明しても話を聞いてくれず、『まったく仲がいいんだから!』とA先生に罵倒されもしました。
二人の教師は、Meiがいじめをやったに違いなく、それを仲の良いN君がかばっているに違いない、という物語を作って信じ込んでいるようでした。 いくら何度同じ話をしても、嘘だと言ってまったく話を聞こうとしません。

1時間ほど詰問が続き、何も変わらないので、今度は二人の生徒を分けて別の場所で尋問し始めました。
そのあと、授業がすべて終了する夕方まで尋問が繰り返されたのですが、その間のすべてのやり取りを覚えているわけではありません。
が、次のようなやり取りがあったことをMeiは強烈な記憶として残しています。

『(N君の証言と)矛盾してるんだよ!!』
実はまったく矛盾していないことは、あとでN君の話を聞いても解りました。嘘をついてまでの誘導尋問。

『ちゃんと目を見ろ!!』
いわれのないことで監禁され、怒鳴られ、罪を認めろと長時間言われ続ければ、そういう人間の顔など見たくなくなるのが普通だと思いますが。

長時間にわたる尋問のストレスといくら説明してもまったく信用されない悔しさでMeiが涙を見せれば、
『泣くなら そんなことをするな!』と怒鳴ったあと、手のひらを返すように、おろおろするM先生の姿を見て、Meiはますます不信感を募らせました。

途中、M先生にも用事(授業?)があったのでしょう。代わりに他の先生を呼びMeiの監視をさせました。その代理の先生にに事情を話すと、
『M先生、何でそんな怒ってるんだろうねえ?話せばわかってくれるよ。』と言ってくれましたが、M先生の態度はエスカレートするばかりでした。

『本人がひどく傷ついた、と実際に言ってるんだよ!!』
(本人とは、折れたペンを机の上に置かれた生徒、Oさんのことです。)
激昂したM先生は何があってもイジメがあったことにしたかったようです。まったくの嘘(後述)でMeiを追い詰めようとしました。


その日の授業が終了する時間になり、およそ7時間にわたる軟禁状態からMeiはようやく解放されました。

この尋問が終わった日の夜、MeiがOさんに電話をしました。
Mei: 傷ついたなんて知らなかった。ごめん。
Oさん: え!? 何の話?
別に傷ついてなんかいないよ。
Mei: え!?

この後、OさんはMeiの担任Y先生に電話をし、
『一体どうなってるんですか? 私、全然傷ついてなんかいないし、話がどんどんエスカレートしてるみたいなんですけど。』
と話しました。Y先生も事情がよくつかめていない様子でした。

M先生は嘘の話をしてまでイジメを事実にしたかったようです。これでは検察の捏造事件と一緒です。一体何をしたかったのでしょう。
MeiとOさんが仲良しだということすら知らずに尋問をしていたことも後でわかりました。
また、後に、ある教員から私が直接聞いた話ですが、この事件の前から、M先生はMeiに対し、
『あの子は、今のうちにたたいて置かないといけない。』と言っていたそうです。
イジメをやったことがあるから?
反抗的で従順でないから?
自分の授業を批判するから?
他の生徒に悪い影響を与えるから?

あとから知った事実などを考え合わせると、M先生が、何か奇妙な想念に取りつかれていたことは確かでしょう。その内実は本人しかわかりませんが、どす黒いものであったことは間違いありません。
Meiをたたく機会を耽々と待っていたのでしょうか。
私はイジメや虐待に近い感情だと思っているのですが、事実を知るのは本人のみです。


私はMeiから上記の話を聞き、学校呼び出しがあるかもしれない、もしかしたら退学処分かもしれない、と聞かされました。
『イジメがなかったのはわかるけど、物を壊すこと自体おかしなことだし、ふつうそんな場面を見たらやっぱり異様に思うぞ。』
そう言って 叱りはしたものの、
『イジメ自体はなかったから何とでもなるでしょ。退学処分なんて考えられないよ。』
と応えておきました。事実、その通りでしたから。
数日後、学校からの呼び出しがありました。Meiのことについて話があるので来てほしいとのこと。

Meiと一緒に学校に行き、会議室に通されました。
部屋には、教頭と副校長と学年主任のM先生、それに担任のY先生がおり、その異様な顔ぶれに驚きました。私は相応の(威嚇には絶対屈しない)覚悟を決めながら、まずは話を聞いてみることに。
M先生がざっと次のようにいきさつを説明しました。
M先生:MeiがN君のペンを折ってそのペンをOさんの机の置いた。イジメの疑いがあったので話を聞きいろいろ調べたが、イジメの事実はなかった。

一体、何が問題でこの仰々しい顔ぶれの会合をやっているのか理解できずにいましたが、私はとりあえず次のように発言しました。
私:ペンをへし折るような行為自体よいこととは思えず、それについて叱られるのは当然でしょうし、しっかり反省すべきことだと思います。
それとは別に、イジメを疑われたようですが、実際にはイジメの事実はなかったわけですね。その上で長時間、軟禁状態にしたこと、怒鳴りつけたこと等に対してM先生はMeiに謝罪されましたか?

そう言うと、場の空気が一変しました。一同、ギョッとした顔をしたのです。
M先生:エッ!? いえ。
私:  これって事実上、人権侵害ですよ。
教頭: そんな大げさな。
教頭はボソッと小さな声でそう言い、せせら笑いました(少なくとも私らにはそう映りました)。

私: M先生は授業で中国の欠点ばかりを説明しました。中国人のCさんは怯え、何のための授業なのかMeiは疑念を持ち質問しました。まともな回答は得られず、MeiとM先生の間には、相互不信ができていました。Meiは信用できないと思い、M先生は問題のある子だ、そんな風に互いに思っていたはずです。少なくともMeiはそう思い、すでに信頼関係は壊れていると言えます。そういう先生と生徒の間で、まともな対話ができると思いますか。片や権力を振るう側、片や弱者の関係ですよ。その関係で、弱者の自由を奪って7時間にわたって軟禁し、Meiの言うことに耳を傾けず、怒鳴り続けたのですよ。疑いがあるからと言って許されることでしょうか。 これでは、虐待です。人権侵害そのものですよ。謝罪してください。
M先生:古林さん、それは・・・・

M先生は声に詰まり、しばらくしてからMeiに謝罪しました。
そのあと、副校長がこの場とは関係のない話、教育の一般論をしましたが、何か的外れな話だという印象しかなく、Meiも私もその内容を覚えていません。もしかしたら副校長自身、わけがわからずパニックになっていたのかも。
結局、M先生はしぶしぶだったかもしれませんが、一応謝罪しました。
会合のあと、Meiの担任も、『辛かった?ごめんね。』とMeiに謝りました。担任もまた事実関係を知らされていない様子でした。
でも、教頭も副校長も、この日参加していなかった体育教師A先生(Oさんの担任で尋問を行ったもう一人の教師)も結局、一言も謝りませんでした。常識的には、学校が正式に謝罪するような事件だったと思います。

誰でも間違いを犯すことはあります。間違えたら率直に謝る。これは当たり前のことではないでしょうか。それがどんな立場の人であれ、です。教師だろうが、学年主任だろうが、副校長だろうが、過ちを犯したらそのことを認め謝罪するのがまともな人間です。

Meiにとっては、『辛い』というより、生涯残る大きな傷を残す事件となりました。この時、彼女の心は折れ、いずれこの学校を去ろうと決心していました。私も早く去った方が良いと考えていました。
せっかくできた友人たちと別れるのはつらかったのでしょう。結局、このあと私はMeiを引き取ってからも、転向するのに数か月後を要すこととなりました。

以上が、学年主任M先生とMeiの間に起こった事件の概要です。

なお、一年前のことですが、文化祭でMeiがT先生に再会した際、『あの時は大変申し訳なかった。事情がよくわかってなかったんで。』と声をかけられたことを記しておきます。あの事件の後、T先生はOさんの担任となり、Oさんから詳しく事情を聴いていたのでした。
========================

以下、続く
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真摯な対応に感謝 応答3 (古林 治)
2011-08-26 18:52:47
またまた続きです。
今日のタイトルは、【学年主任M先生のこと 1】です。長いのでいくつかに分けて。

学年主任M先生のこと

この件については、個人の問題に立ち入らざるを得ませんので躊躇がありました。が、半端な書き方では納得されない方は必ず出てきますので、できるだけ正確に知っていることを書き留めることにします。また、事実関係と私たちの解釈、推測部分の区分けができるようにも留意しました。

それから、 繰り返しになりますが、私がこの問題を取り上げたのは、個人的な糾弾が目的ではまったくありません。
それは最後に改めて触れます。

なお、この件の前にいくつかの出来事がありました。それに触れないと事情が分かりませんし、フェアでもないと思いますので、そこからはじめます。
事実関係をMeiと友人(当時の生徒たち)に確認しながらですので長くなりましたが、ご容赦。

============================

登場人物
・Mei: 私の姪、Nさんのペンを折った当人
・N君:ペンの持ち主
・Oさん:折られたペンと書き置きが載せられた机の持ち主
(イジメの対象と見做された生徒)
・Pさん: Meiと一緒にもう一本のペンを折った生徒
・Cさん:ペンの事件とは関係なく、姪の仲良しの中国人の生徒
以上はいずれも大の仲良しグループ

・D君:事件があったと(思い込んで)教員に報告した生徒

・学年主任M先生
・体育教師A先生(Oさん、D君の担任)
・Meiの担任Y先生
・N君の担任T先生

・教頭
・副校長

・私


1.発端/ 裏サイトでのイジメ

Meiが渋々に入ってしばらくした頃、クラスではちょっとしたイジメの兆候(影での悪口、メモの回覧など)が始まっていました。クラスのかなりの生徒がそれに参加し、Meiもその中に。
その兆候は徐々にイジメに転化していきます。夏に入る頃には、学校裏サイトのようなものができ、そこでOさんを誹謗中傷する状態に。そのサイトの名義がMeiの名前でしたので、首謀者と見られ特別問題視されたかもしれません。
この裏サイトでのイジメが発覚して学校は関係者を呼び、いじめの事実があったことを告げ厳重注意をしたのです。積極的に関与した生徒、その保護者、学年主任のM先生、関係した生徒の担任等が参加した、かなり大人数の集まりで、主導していたのはM先生でした。その対応は非常に迅速なものでした。

保護者代理で出席した私も帰宅してからMeiをかなりこっぴどく叱りました。
いじめられたOさんは皆から少し浮いた存在ではあったらしいですが、いじめの激化はそれだけではありませんでした。
『自分だけが不幸だっていう言い方するから腹が立つんだ。』という言い方をMeiはしていました。外国人である父親の顔も知らずこれまで育ってきたMeiには相応のストレスや欠落感がありましたし、いじめにあった経験も当然あります。その彼女の母親(私の妹)も死の床にありました。その上、唯一の同居人である祖父ともうまくいってませんでした。
一方でOさんも片親で、家庭内で虐待にあっていました。
満たされない不幸な人間が、同様の人間、より弱い人間を貶(おとし)めて心の一時の安定をはかるのは、いじめや虐待の本質だと私は思っていますが、見事なまでにそのパターンにはまっていました。
そうした状況の中、Meiが積極的に関与するきっかけが起こったのは中学一年の夏8月5日。Meiの母親が他界し、通夜の日にクラスメートも駆けつけてくれたのですが、そこでOさんが笑いながら手を振ってきたのです。Meiの気持ちが切れた瞬間でした。

Meiが個人のホームページを立ち上げたのは中学一年の6月で、そのホームページには掲示板もあり、10人ほどの生徒が書き込みをしていました。
ある日から、先生への悪口やOさんに対する非難のような書き込みが始まったのです。形に残る意味でのイジメの始まりです。
サイトの責任者であるMeiは、これはまずいと思ってパスワードを必要とする掲示板を用意してプライベートなことは、そちらで書くようにしてもらいましたが、内容はどんどんエスカレートしていきました(裏サイトの誕生)。MeiもOさんに対する悪口雑言を書くようになったのですが、それは、先の件(通夜での件)がきっかけでした。

一般に、イジメというのはかなり厄介な問題です。いじめる側、いじめられる側、双方に心の問題を抱えていることが多いですから。押さえつけるだけではどうにもなりません。
時間をかけて癒して行くほかないのでしょう。イジメがいかに卑劣な行為であるかを理解するだけでなく、そのきっかけになる満たされない心・不全感を何とかしなければいけないのですから。

とはいえ、こういう時、学校はふつう大したことはできません(そこまで家庭環境に深く立ち入りません)。大変な労力と時間を要し、金八先生をやり続けるほかなくなりますから。(なお、大人の期待に応えようといい子をやり続ける子がイジメをやる傾向が最近は多いようです。自分の本当にやりたいことを抑圧して無理をしてるのでしょう。)

ただ、それでも今回のイジメに関して、学校側(責任者M先生?)の対応には不可解な点もありました。

いじめられた側もいじめた側もじっくりと事情を聞かれたわけではないのです。子供たちの記憶によれば20分程度。だから、裏サイト以前にクラスでイジメの兆候が始まっていたことを学校は知らなかった可能性あり、です。
イジメにかかわった生徒の一部だけが問題にされたわけですが、おそらくは、主犯格と見做された生徒のみを対象に、保護者を呼んで叱責したということなのでしょう。イジメにかかわった他の生徒には何のアプローチもなかったようです。
また、保護者を含めた会合の最後に、生徒たちに問われたのは、3つの校是(「自調自考」の力を伸ばす、国際人としての資質を養う、高い倫理感を育てる)で、イジメに関する具体的な反省ではありませんでした。

イジメの背景にある事情を十分に把握しないまま、犯人の特定とイジメの程度の序列化、それに形式的な叱責と、学校への服従を求める、という手順を淡々ときわめて短時間のうちに事務仕事のように進めているようで、正直、これでいいんだろうか、私はそのように感じたのです。
なぜなら、教育の本質とは、子供たちの内的な気づき、納得を基礎におかれるものだと私は考えるからです。


不可解な点はともかく、イジメ自体はとんでもないことですので、私は、いじめが卑劣な行為であることをMeiにあれこれ説明、説得しました。正直のところ、当初はなかなか納得しませんでしたが、最後には深く納得をし、Oさんにも繰り返し謝罪し、仲直りしました。
この時以降、OさんもMeiも徐々に変わり、むしろより親密になり、今でもプライベートで相談するような仲です。未だにあの時のことを互いに謝るくらいですから、二人にとってはこの事件は大変大きな出来事だったのでしょう。
Oさん、現在病気療養しながら浪人中、Mei 大学一年生。



2.相互不信/学年主任M先生の授業を巡って - 中国のネガティブな側面のみを教える授業 -

イジメ事件があって大分時が経ってからのこと。
学年主任のM先生の授業で、Meiは黙って見過ごせない疑念を抱きました。
中国という古くて巨大な国が抱えるネガティブな側面に集中する授業内容に疑問を感じたのです。特に試験の内容はほぼすべて中国の欠点ともいえる部分についてでした。
クラスの雰囲気は自然と反・中国(人)、嫌・中国(人)になっていきます。
『中国人ワルイヤツ!』、『中国人コワ!』と、ワル乗りする生徒も当然出てきます。中学1年生ですから当然ですね。
でも、このクラスにはMeiの親しい友人で中国人のCさんがいました。Cさんもクラスの雰囲気に神経質になり、段々恐怖を覚えるようになっていました。
Meiは授業中に、なぜ中国の悪い面ばかりを強調するのですか、反日教育を批判してますけど、これは反中教育ではないですか、と問いかけました。が、納得できる答えは返ってきませんでした。それに、なんでそんな質問をするのか、というクラスの空気に押されて、その場はそれで止めてしまったのです。
Meiが私にその話をし、『じゃ、職員室行って直接聞いてみれば?ちゃんと答えてくれるよ。』と私は応えました。
Meiの疑義は至極自然で当たり前の、素朴な【なんで、どうして?】であり、当然、M先生は答えてくれるだろうと思ったのです。
後日、Meiは中国人のCさん、それから仲良しになったOさんと一緒に職員室に行き、M先生に尋ねました(Meiと私が話した内容をほとんどそのまま伝えたみたいです)。
『お隣同士で、長いつきあいの歴史があり、これからも何とかうまくやっていかなければいけない国同士です。そのことを前提にお互いに良い部分、悪い部分をちゃんと知ることは大事だと思いますが、一方的に悪い部分のみを教えるのはどうしてですか。それでは皆が嫌悪感を抱くだけです。クラスにはCさんもいて、実際に不快に思い、おびえているのです。』
そんな内容の話をしたようですが、M先生からはオームのように、同じ返事しか返ってきませんでした。
『他の国、韓国や日本についても悪い面を教えるんだ。』と。
何度聞いても、わけのわからない答えしか返してこないM先生にMeiらは不信感、嫌悪感を抱くようになりました。
このとき、M先生がこの状況をどのようにとらえていたのか、私にはわかりません。
ただ、後のいろいろな言動から察するに、”イジメはやるは、反抗的だは、他の生徒に悪い影響与えるは、とにかく問題の大きな厄介な生徒だ。今のうちにたたいて置かないといけない。”という想念にとらわれていたように思います。この点についてはあとで触れます。


以下、続く。
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真摯な対応に感謝 応答2 (古林 治)
2011-08-16 20:16:55
続きです(笑)。
>以下は私の最初のコメント
>>以下は【在校生さん】のコメント


>中学一年の最初から、毎日夜中まで予習に復習に宿題と、その量は半端ではありませんでした。姪は慢性的な寝不足状態。それでもやり残しがたくさん 出ました。
>>渋渋の場合、宿題は中1が一番多くそれからだんだん減っていくものです
それでも、一日二ページとか真面目にやっていれば余裕をもって終わらせられます
クラスに一人はいる勉強が好きなひとなら全て終わらせた上で
もう一度最初から宿題をやっちゃったりする猛者もいます
私も最初は少しやり残しをだしましたが、
一週間ぐらいなら多めに見てくれるのでなんとかなりました
成績は少しだけ減りますが。


段々できるようになる、あるいは平気になる。
これはなぜなのでしょう?

中学一年時が一番負荷が大きく、そのうち慣れて高校一年の頃には自然と(受験)勉強する習慣がつく。
私もそういう説明を受けました。それは事実そうだろうと思います。
でも私が渋々に対して一番怒りを感じたのはこの点なのです。

子供ならだれでも、必然性を感じない、面白くない、やりたいことがある、ほかに興味のあることがある、遊びたい、といった感情を持っています(大人も基本は一緒ですけど)。
言葉を変えると、そうした感情を押さえつけ殺していくのに数年かけてやるということでは?
これを洗脳というのです。
なんで、どうして?から始まる、人間の根源的な関心や興味、が人間の行動原理の根底にあるのは誰も否定できません。
その情動・感情に根付いてこそ初めて勉強は意味のあるものになり、身につくのです。
だから教育には効率という言葉がそぐわず、時間のかかるものなのだと私は思います。
ところが、その感情を押し殺し、従順に成績を上げて優秀であると言われることにエロスを感じるような人間にすることが
田村氏の考える(受験知)教育なのでしょう。受験の結果を効率よく出すという点では有効でしょうが、これは人間性の否定にほかなりません。
中高一貫の受験校には大なり小なりこうした傾向がありますが、ここまで徹底して人間性の基本である感情、興味や関心を排除する教育をしている学校を私は知りません。
小学校から中学校にかけては人生のうちで最も重要で人格形成の根幹を作り上げる時期なのです。この時期に生徒の素の感情を阻害し押し殺すのが教育なのでしょうか。
私は今でも大きな怒りを感じます。

ちょっと関連した話。
最近、一連の震災・原発問題の責任を取るという名目で、経済産業省の事務次官、原子力安全・保安院長、資源エネルギー庁長官の3名が更迭されました。
と報道されましたが、実は真っ赤なウソです。
謝罪も反省もなく、実態は、ただの普通の人事異動だと関係者は指摘しています。実際に、普通の退職金よりも2割アップの高額退職金をもらい、いずれ、天下りでのうのうとした暮らし(給料は基本的に税金)に入るのでしょう。こうして、上記3官庁は責任をとったという形にして責任逃れをするのです。
彼らには、なんで、どうして?はなく、仕事を全うしただけという意識なのでしょう。
優秀な官僚とは、前回紹介した現役官僚の古賀さんによれば、法案を作り、予算を確保し、天下り先の機関を作り出して所属官庁のために働いた者のことで、決して国民のために働くことではないのです。
従順に集団の価値観に基づいて優秀であることを追求し、自らの価値の追求(なんで、どうして?)はそこにはありません。
彼らもまた受験知教育が生み出した優秀な生徒の成れの果てでしょう。



>有名デザイナーによってデザインされた制服、同じく有名デザイナーのデザインによる机

>>制服のほうは詳しく知りませんが、生徒会がみんなの意見をとりながらデザインしたという話をきいたような・・・
(うろ覚えで根拠がないので無視していいです)
でも、机(中1、2用)はデザイナーではなく
人間工学に基づいて作られたデザインでオーストラリアのものの輸入です


人間工学に基づいて作るのは当たり前のことで、普通は言いません(売り文句として言う業界、企業はあるかも)。
また、人間工学の成果は最低限の条件をクリアするのみで、それが素晴らしいものを作るわけではありません。作るのは、デザイナー(設計する人の意)であり、人間工学の成果を踏まえて、ということでしょう。そのうえでデザイナーの経験値と彼(彼女)の創造力が素晴らしいものを生み出すのです。受験知エリートの最も苦手な世界です。
でも、『生徒会がみんなの意見をとりながらデザインした』のであれば、それ自体は素晴らしいことですね。
ちなみに、私は学生時代の専門の一つが人間工学で大学院卒業後にデザイン事務所(300名のデザイナー集団)に就職して人間工学やマーケティングを駆使してデザイン業務に従事していました。というわけで、机づくりに関しては多分、私の見解は違ってないと思います(笑)。
いずれにしても、このことが純粋に生徒のためを思って成されたことなら素晴らしいと思います。
が、私にはとてもそう思えませんでした。むしろ、学校ビジネスの成功に多くの労力が費やされ、教育そのものがおろそかにされている印象でした。学校の知名度を上げる意図がそこかしこに感じられるのです。



>でも、「山が良いか海が良いか?」、「長男が良いか、次男が良いか?」、
そんなこと言い合って勝負して何の意味があるの?
 自分たち
が抱える具体的な問題について
みんなと話し合って深く掘り下げていった方がズーッと創造的だと思わない?

>>ディベートでやるのはそんな単純なものじゃありません
私がやったものだと、「原発は廃止すべきか否か」という今に繋がる問題や
「サマータイムは日本にも導入するべきか否か」という調べがいのある話題
果ては「渋渋の制服は廃止すべきか否か」という自分たちに直接関わるローカルな議題など
話し合いの価値あるものばかりです
これらは「自分たちが抱える具体的な問題」だとおもうのですがどうでしょう


それらが身近なテーマであることは間違いありませんね。姪がいた頃は本当にお粗末なテーマでした(笑)。
でも、私が問題にしているのはそこだけではないのです。

ディベートは”AかBか”という設問を立てて、それぞれの立場からの説得力を競うものです。
AもしくはBという立場の正当性を訴えるために頭をめぐらせ、そのための論理を組み立てます。
さらにまた説得力を持たせるためのしゃべり方、身振り手振りを交えた表現にも注意が払われます。
そうした配慮や工夫は、深く考え、より優れた答を導き出そうという志向、内容そのものを豊かにしようという試みを切断してしまいます。
つまり、意識はAもしくはBという立場に固着して自由に駆け巡ることができなくなり、閉塞した思考に陥るのです。人間の本来持っている創造的で開かれた思考が阻まれてしまうと言ってよいでしょう。
本質に向かって掘り下げるのではなく、相手を言い負かすための技を磨くことに終始してしまうのです。
これは古代ギリシャに跋扈(ばっこ)した、黒を白と言いくるめるソフィストたちの弁論術そのものです。

そうではなく、より深く考え、より良い答えを導くための対話ができたら、どれほど素晴らしいことでしょう。
ソクラテスの問答的対話はそれを目指したものと言われています。
対話する両者がそれぞれの考えを提示し、絶対に自分が正しいという立場には立たず、より良い考えを導き出そうという姿勢で対話を進めた時、意識は自由に駆け巡り、より深い思考を導き、より優れた答(同意)に至る可能性が出てきます。
日本人が話下手という理由で国際人を育てるという観点から欧米の猿真似(ディベート)を始めたのでしょうが、駄目なものを猿真似してもやっぱり駄目なのです(笑)。
議論することは大事ですが、ディベートは馬鹿げた言語ゲームでしかないと私は思っていますが、いかがでしょう。
言い負かされた側は決して納得することなく、機を見てまたリベンジしてくるのがオチです。
これは米国生活5年で私が実感したことでもあります。


また、長くなりました。
今日はこれまでにします。
学年主任のM先生については個人的なことも入るので、あまり多くを語りたくないのですが、そうもいかないでしょうね。
改めてちゃんと書き記しますので、今日はご容赦ください。
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真摯な対応に感謝 応答1 (古林 治)
2011-08-15 15:48:03
またタケセンさんの場を借ります。
文字数が足らなくなるかも。

在校生さん>
まずは真摯な対応に感謝です。
自分の感情に率直になることはとても大切なことだと思います。
次に、その感情を絶対化せず、相手の言うことに耳を傾けながら冷静に内省し、もう一度とらえ直してみることはもっと大事です。これは哲学そのもの だと思いますよ。小難しい本を読んで眉間にシワをよせることは哲学とは何の関係もありません(笑)。
以下、在校生さんのコメントを >> で記します。

>教科によっては中学一年で高校一年レベルのものをやってしまうという状態。
>>これは上にもあったとおり逆に高1で中1をやったりもするのでただのカリキュラムの違いなのでは?

そのカリキュラムの違いはなぜ起こるのでしょうか?
実は私も老舗の有名私立中高一貫校(開成)にいました。自由で教師を”さん”づけで呼び、がり勉君を卑下するような、よく遊びよく学べの校風で、渋々とはある面で似てるかもしれません。
その私のいた学校でもカリキュラムは公立校とはかなり異なっていました。そのおかげで、一部ごく一部ですが、とても面白い授業はあったのですが、それは例外で、基本は受験対策(受験効率)であっ たことは間違いありません。
受験に関係する教科の時間も多かったように思います。最終的には高校2年で中・高6年間分を終え高3では理系、文系に分かれて純粋に受験対策に力点を置けるようになっていました。
渋々のカリキュラムも聞いた限りでは、さほど変わらないと思います。
つまり、よりよい教育を!という観点からではなく受験効率の観点からカリキュラムも組まれているということです。
受験に配慮し、通常の学校より早いペースで授業を進め、受験に直結する授業内容も多くなります。
そうしたカリキュラムは一方で、ある種の特権意識を無意識裏に醸成することにもなります。
『何せ優秀なのですから、他より早く進めているし、教科書に出ていない難しい問題も扱うのです。』



>精神科に通い、うつ病の薬を処方してもらう生徒が結構多い
>>私は中学生なので実態が完全に分かるわけではないのですが、
少なくとも部活等で高校生の先輩方と接する分には皆明るく欝の人がいるなんて到底信じられません

もっと正確に書きます。
当時、姪がいた頃の高校1年生はなぜか1クラス多い学年でした。(想像ですが、新制度の学校になって間もないので、入学生数の予測数を学校が間違えて多く入れてしまったのでは?)
成績順に振 り分けられた最後尾のクラスには姪が知るだけで7人の生徒がうつ病の薬を服用。他のクラスにも3名ほど同様の薬を飲んでいる生徒がいました。つまり姪が知るだけで10人というわけです(実際にはそれ以上なのでしょう)。これ自体異様ですよね。
なぜこんなことが起こるのでしょう。
以下は姪と私の共通の見解。

『小学校時代の進学教室のころから成績順に並べられ、優秀だ、頭がいい、いい子だ、と言われてきた。
中学に行ってからもそれは続く。親や教師から褒められる。でも、ただ言われるがままに従順に点を取るための勉強に耐えられなくなる生徒も出てくる。むしろそっちの方がまともだと思うけど、それでも、問題アリ、駄目な子、あまり優秀とは言えない子のレッテルを張られる。自分でも知らぬまま悪い子という自己イメージを作り上げていく。自己否定の感情にとらわれれば、うつ病になっても不思議はない。』

人間には様々な側面があるにもかかわらず、テストの成績によって一元的に評価されるとどうなるかということです。
受験知に長けるというのは、”なぜ、どうしてと問う”ことを棚上げして、短時間に暗記する、点を取る技術を身につける、解法パターンを覚えることが上手だということです。
そうした、人間の能力のほんの一側面でしかない部分をことさら評価し、優れた可能性を秘めた子供たちを狭い枠に押しこめ、阻害するのは教育とは言えません。
同時にまた、なぜ、どうして、を問わないまま知識を身につけても考える力、生きる力は身につかないのです。
結果、人を育む本来の教育とは真逆になるのは避けられないでしょう。
(私の批判の本質はここです。)

最近、鋭い官僚批判で有名になった現役官僚の古賀茂明さんが著書の中で言っています。以下、私の要約。
『官僚の多くは小さいころから優秀だ、いい子だと褒められてきた。はたからそう言われ続け、いつの間にか優秀である(勉強ができる)ことをただめがける存在になる。自分も何となく優秀さを証明するように東大に入り、そのあとも最も難しいとされる国家公務員1種(官僚になるための)試験を受けて入省した。そこに山があるから登るのだ、そんな感じで。一般企業より向いているという漠然とした感じがあったのは確かだが、明確に意識して官僚になりたいと思ったわけではなかった。
仕事をしているうちに、え、なんで?どうして?と思うことが多くなった。結局、国民のためにならないことをし続ける官僚たちの思考、行為を批判することが多くなった。』
随分大人になってから、なぜ、どうして?に目覚めたようです、古賀さんは(笑)。
私は古賀さんの持つ感覚が受験知教育に邁進する子供たちの感覚を代弁していると思っています。
むろん、人間の根源にかかわる”なぜ、どうしてという問い”を回避し続けて成績を求める姿のことです。

一言付け加えると、古賀さんは今もまだ少し勘違いしている部分があるように思います。
『もともとはあんな難しい試験をパスしてきたのだから優秀なんだと思います。(古賀氏のコメント)』
”ある部分については、優秀”という但し書きをつけるのが本当のところでしょう。ちなみに古賀さんも田村氏と同じ麻布学園出身です。


ちょっと長くなりましたので、残りは後日ということにさせてください。
必ず書きますので。
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謝罪とともに言わせて下し。 (在校生)
2011-08-12 16:36:52
ゴメンなさい・・・
カッとなってあんな事を書いてしまって・・・
私がバカでした。
もう少し落ち着いてから書けばよいものを・・・
許されることはないとはわかりながらも反省しています・・・

しかし、まだ怒りがおさまりきらないのも事実でございまして・・・
嘲笑覚悟で私が思ったことを一々書かせていただきたいと思います。

>教科によっては中学一年で高校一年レベルのものをやってしまうという状態

これは上にもあったとおり逆に高1で中1をやったりもするのでただのカリキュラムの違いなのでは?

>精神科に通い、うつ病の薬を処方してもらう生徒が結構多い

私は中学生なので実態が完全に分かるわけではないのですが、
少なくとも部活等で高校生の先輩方と接する分には皆明るく欝の人がいるなんて到底信じられません

>中学一年の最初から、毎日夜中まで予習に復習に宿題と、その量は半端ではありませんでした。姪は慢性的な寝不足状態。それでもやり残しがたくさん出ました。

渋渋の場合、宿題は中1が一番多くそれからだんだん減っていくものです
それでも、一日二ページとか真面目にやっていれば余裕をもって終わらせられます
クラスに一人はいる勉強が好きなひとなら全て終わらせた上で
もう一度最初から宿題をやっちゃったりする猛者もいます
私も最初は少しやり残しをだしましたが、
一週間ぐらいなら多めに見てくれるのでなんとかなりました
成績は少しだけ減りますが。

>『でも、中村選手って渋々で強くなったわけじゃないし、渋々で練習してるわけじゃないでしょ?』

私はてっきり渋渋で練習してたものかと思ってました!
柔道部の一人(結構強い)が私の親友なのですがその子は渋渋で練習していますもので・・・
柔道の施設もしっかりしてますし・・・
もし、それらが中村選手で柔道部が有名になったからやったのだとすればそちらが正しいです

>有名デザイナーによってデザインされた制服、同じく有名デザイナーのデザインによる机

制服のほうは詳しく知りませんが、生徒会がみんなの意見をとりながらデザインしたという話をきいたような・・・
(うろ覚えで根拠がないので無視していいです)
でも、机(中1、2用)はデザイナーではなく
人間工学に基づいて作られたデザインでオーストラリアのものの輸入です

>でも、「山が良いか海が良いか?」、「長男が良いか、次男が良いか?」、
そんなこと言い合って勝負して何の意味があるの?
 自分たちが抱える具体的な問題について
みんなと話し合って深く掘り下げていった方がズーッと創造的だと思わない?

ディベートでやるのはそんな単純なものじゃありません
私がやったものだと、「原発は廃止すべきか否か」という今に繋がる問題や
「サマータイムは日本にも導入するべきか否か」という調べがいのある話題
果ては「渋渋の制服は廃止すべきか否か」という自分たちに直接関わるローカルな議題など
話し合いの価値あるものばかりです
これらは「自分たちが抱える具体的な問題」だとおもうのですがどうでしょう?

>私:『どうして渋々にしたの?』
姪:『自由な校風に見えたから。』
私:『自由な学校だったら制服なんかないんじゃない?』
姪:『あ、そーか。』
私:『あそこ、自由な学校?』
姪:『全然!』

確かにそれを突っ込まれると痛いのですが
「この学校で自由でないのは服だけ」と先生が言っていて私もそうだと思っています
一つ自由が効かないものがあるからと言ってそれだけで全然自由じゃない!というのはどうかと


>学年主任のM先生と筋肉頭(と姪が言っている)の体育教師が姪をおよそ7時間に渡って軟禁状態にし、尋問をし続けたのでした

細かくなにがあったかは知りませんが
いじめと決めつけて七時間?
疑問点がいくつかあるのですが・・・

まず、シャーペンをへし折った状況です。
先生の目の前でやったのですか?
先生のいないところでやったのなら
そのおられた側の生徒との関係が一時的に気まずくなるだけで
先生が気づく要因がありません
まさか姪さん自身が先生に「私は~してしまいました」とか自首するとは思えないし
自分から挑発して折らせたのに折られた側の生徒が言いつけるとも考えづらい
周りの取り巻きが騒いで気づくか
先生の目の前でやったかなのですが
先生の目の前でやるというのも変な話なので
多分取り巻きでしょうか

次の疑問点。
この場合普通、加害者側の生徒(姪さん)と被害者側の生徒(折られた子)から状況を詳しく聞こうとするはずです
そこで被害者側の生徒が「違う」と自分が挑発したことを言えば
「そうか、でも挑発されたからと言って人のものを壊すのは良くないよ。」
とかなんとかいって、姪さんがその子に謝ればどんなに厳しい先生でも一時間掛からずに開放です
そこで、折られた子はどうしていたのですか?
また、姪さんはどうしていたのですか?

この点が実際にどうだったのかによってだいぶ話が変わります

また
>信頼関係の無い教師と生徒の関係のまま
とありますが、あまり信頼関係は関係ない気がする・・・

>普通のサラリーマン家庭の子、農家の子、学校教師の子、地元商店の子、
といったごく普通の人々が普通に暮らす世界

そりゃ渋渋もそうだ!(地元商店はともかく)
あと学校教師の子って十分普通じゃないと思う・・・





ここまでです。
長文乱文本当にご無礼しました。
返信する
教育と学歴 (投稿初心者)
2011-07-16 00:09:39
ここでは、教育の在り方が取り上げられているのだと思います。
良い教育とは何かを考える場合、学歴は関係ありません。
学業に関する経歴の意味である「学歴」には、本来、価値の高低といった概念はないはずです。
渋渋の卒業生さんは、最後に「低学歴」という言葉を使っていますが、この場合「偏差値が低い」などランク付けの意味合いが込められているのではないでしょうか。
そうであれば、「偏差値等ランクの低い学校の人間が」と書いた方が、誤解がなくなると思います。
しかし、そうした発想をすること自体が問題であって、まさに教育が正して行くべき対象です。
仮に現在の教育によって、そのように考える人間が生み出されているとしたら、教育そのものの改革が必要だと思います。

卒業生2さん、話題と関係ない事柄を、前提なしに唐突に出すのはルール違反です。
もし仮に、社会人が会議の場で同じような行動をとれば、失笑を買い無視されてしまうでしょう。
このブログの場でも同じだと思います。
返信する
Unknown (荒井達夫)
2011-07-15 21:00:31
「低学歴=ダメ、高学歴=正しいという二元論で捉えるから「教育の弊害」みたいな批判を浴びるのでしょう。しかし、みなさん。高学歴だから何がいいのでしょうか。」(卒業生2さん)

?????
そんな議論はしていないでしょう。
論理的思考力に欠ける方が卒業生では、学校も苦労しますね。

「受験知は客観知による支配=人間性の否定、権威主義、エリート主義、思考停止を招き、豊かな民主制社会を阻む最大の要因と化しています。」が、古林さんの主張であり、それに対して「一般論として、低学歴の人間が古林氏の発言に賛同するのはわからない気はしないでもありません。」と「渋渋の卒業生さん」はコメントしたのです。ですから、そのコメントは、まさに古林さんの指摘どおり(人間性の否定、権威主義、エリート主義、思考停止)である、と私は述べたわけです。

「低学歴はダメで、高学歴は正しいのか」「高学歴は何がいいのか」という問題ではありません。論点を外しては議論になりません。さらに、具体的根拠を示さず、「虚構、妄想を垂れ流している」と非難する行為は、誹謗中傷になります。「卒業生2さん」は、議論の仕方をゼロから勉強し直すべきでしょう。
返信する
具体的内容での批判を (古林 治)
2011-07-15 20:22:06
自称”卒業生2”さん>


『確かに古林氏の話の事実誤認(ともすると妄想)の多さに腹が立つのはわかります。』
具体的な例について触れずに、事実誤認(ともすると妄想)というレッテルを張って相手を貶めるのは不当です。
卒業生さんの指摘、Mさんの学歴以外、私は同意しませんでしたが、少なくとも例を出して批判してくれた点は自称”卒業生2”さんより真っ当に思います。


『高学歴だから何がいいのでしょうか。年収?地位?欲しい人はそれらを追い求めるために受験勉強をがんばればいいし、いらない人はやらな ければいい。需要がある限り、詰め込み型の進学校も必要だと思います。嫌な人は公立に行けばいいのです。越境入学も出来るのですから選択肢は多いはず。今の教育体制は極めて選択可能で民主的なものだと思います。』
高学歴がいけないとか私はまったく言ってません。
「オレ、京都大学の小畠先生んとこで古生物学やるんだ。」とその昔、恐竜にのめりこんでた私の息子が小学校2年のころ言ってましたが、これって健全です。
自分のやりたいことが明確で、そのために手段として特定の大学の特定の学科(教授)をめがけるのは真っ当でしょう(結局行きませんでしたが)。
年収?地位?欲しさのために特定の大学をめがけるのが善いことなのでしょうかね?
相当歪んだ人間を生み出してしまうと私は思いますが、そうした生が善いことだと皆さん思いますか。
そのような生を選択せざるを得ない状況にまでしてしまったのは、私たち大人の問題ですが、だからと言って、そのような教育をさらに推し進めることに私は強い異を唱えます。
田村氏はその代表と思えるのです。
また、広がる格差社会が問題になっていますが、過大な格差は自由で平等な社会、民主制の社会を破壊してしまうのです。
その意味で、この受験知教育というテーマ、大いに議論する価値があると私は思います。


ついでに言えば、震災後の日本人(一般市民)は世界中で大絶賛です。
礼節と公共性を大事にする人々だ、というわけです。
片や、権力を手にする人々(政治家、官僚、東電、マスコミなど)についてはボロボロです。
受験知エリートのみじめな姿が今回の震災、原発事故で露わになりました。
前例のない(正解のない)事例に対してはまともに対応できない受験知エリートたちを生み出してきたのがこれまでの教育=受験知であることは間違いないでしょう。
もういい加減、やめましょうよ、こんな愚かなこと。
と私は思います。



なお、最後になりますが、こうしたブログへの書き込みはやはり記名を前提にするべきだと思います。
そのことによって責任ある言辞を生み出し、たとえ考えが違っていても発展的対話の可能性が生まれます。
匿名を前提にした場合、他者への配慮は薄れ、自省を伴わない攻撃のみに終始することも少なくありません。最悪は成り済ましによって対話の場を破壊し、対話者らを傷つけることも可能になります。
できれば、実名での投稿をお願いします。
返信する
Unknown (卒業生2)
2011-07-15 00:36:19
この卒業生さんの意見は、
説明不十分だと思います。
低学歴=ダメ、高学歴=正しいという二元論で捉えるから「教育の弊害」みたいな批判を浴びるのでしょう。
しかし、みなさん。高学歴だから何がいいのでしょうか。年収?地位?欲しい人はそれらを追い求めるために受験勉強をがんばればいいし、いらない人はやらなければいい。需要がある限り、詰め込み型の進学校も必要だと思います。嫌な人は公立に行けばいいのです。越境入学も出来るのですから選択肢は多いはず。今の教育体制は極めて選択可能で民主的なものだと思います。
あと、在校生さんの発言。確かに古林氏の話の事実誤認(ともすると妄想)の多さに腹が立つのはわかります。多くの渋渋生を傷つけ、そして教職員の名誉も毀損されついます。これを見てるまともな人なら在校生さんのような気持ちを抱くはず。しかし、死んだらどうです?ではとても渋渋生、いや人間として恥ずかしい。君はここにある数々の渋渋に対する虚構
、妄想を垂れ流している人と等しく、渋渋を貶めてることになるのです。どうか理解されることを祈ります。


返信する
Unknown (荒井達夫)
2011-07-13 00:21:59
「受験知は客観知による支配=人間性の否定、権威主義、エリート主義、思考停止を招き、豊かな民主制社会を阻む最大の要因と化しています。」(古林さん)

「一般論として、低学歴の人間が古林氏の発言に賛同するのはわからない気はしないでもありません。」(卒業生さん)

「いっぺん死んでみたらどうです?」(在校生さん)

古林さんの指摘は、まさにそのとおりでしょう。
返信する
生きた対話の場へ (古林 治)
2011-07-12 11:12:25
在校生さん>

匿名で、公の場で、こうした発言を残すと、『在校生さん』自身の品位をおとしめることになります。
具体的に何がどうおかしいのか、それを不特定多数の人たちに向けて説得力を持って説明することが大事です。
生きた対話の場に自分を投げ込むこと、そのように努力されてみてはいかがでしょうか。
授業でやるディーベートは言葉の喧嘩に過ぎず、他者を説得するためのものではありません。現代版ソフィストを生むだけです。
それよりはるかに意味のある訓練になります。
返信する
『人権侵害はどちら?』への応答 (古林 治)
2011-07-12 11:08:38
タケセンさんの場を借りてコメントします。

渋々の卒業生さん>


率直なご意見ありがとうございます。
事実誤認が多いとのこと。間違いがあれば訂正します。
M先生の出身校については姪の勘違いの(当時生徒の間で流布されていた話をそのまま受け入れた)ようです。教えていただければ訂正します。


M先生について誤解があるようですので一言します。
私は、いい人、悪い人、という議論をしていません。むしろMさんは生真面目で誠実な方だと思います。
ただし、そのこととは別の話として、Mさんと体育教師Aさん(既退職)が、『いじめ』の嫌疑で、姪と(いじめられたと学校が判断した)もう一人の生徒を長時間軟禁状態にして詰問し、怒鳴りちらしたことは事実です。
これで、『いじめの事実はなかった。』だけで終わりにするのは誰が見てもおかしいと思うでしょう。まずは謝罪するのが社会常識では?
でも、その話はもうよいのです。謝罪を求めた時、すでにMさんは謝罪したのですから。
むしろ、謝罪の場にいた教頭も副校長も何も言わなかった(謝罪しなかった)こと、軟禁時に同席した(謝罪の場にいなかった)体育教師Aさんは結局謝罪しなかったことには驚きです。


校長講和について誤認とありますが、これは解釈の問題で誤認ではないでしょう。少なからず、自慢話と受けとめた生徒たちがいたことは事実ですから。ではなぜ、そう受け止めたのか、そのことについて考える方が建設的に思えます。
何かを紹介するとき、必ずそこには動機があります。その動機に沿って、内容を説明するのが自然です。もし、話の内容に説得力がなければ、単なる紹介というのはあり得ず、どこかほかに動機があると解釈する方が自然ではないでしょうか。その動機が『自慢することにある』と解釈した生徒たちがいた、というのが事実でしょう。
もし、解釈の違いを問題にするのであれば、大いに議論する価値はあるのでは?
遊びに行くのに海がいいか、山がいいか?などと授業でディーベートするよりは遥かに意味のある議論です。


『彼(Mさん)は熱心に受験指導にあたっていました。』
同感です。誰もがそう思っていることでしょう。
私が問題にしているのは、次の点です。
生徒が受験を気にするのは当然で、その受験に対して教師が熱心に取り組むのは自然です。ですが、教育の中心が受験指導になってはいけないのではないでしょうか。教育=受験知なのでしょうか。
これは渋々に限りません。今、全国にある中高一貫校が陥っている【教育の荒廃】だと私は見ています。
そして、受験知教育を推し進める田村哲夫氏自身がこの国の教育行政に影響を及ぼす立場にいることが、件の文章を書くきっかけにもなったわけです。


『一般論として、低学歴の人間が古林氏の発言に賛同するのはわからない気はしないでもありません。』
私は、このコメントにとても強い違和を感じます。
【低学歴】とはいったいどのような学歴の人たちを指すのでしょうか?
文面から見ると渋々の生徒たちは【高学歴】になる人たちなのでしょうか?
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反・公共的言説 (武田康弘)
2011-07-11 22:47:47
わたしは、このブログの主です。

卒業生の方のコメント
「ただ、一般論として、低学歴の人間が古林氏の発言に賛同するのはわからない気はしないでもありません。」には、
なんとも歪んだ受験主義の思想を感じますし、

また、在校生の方の、
「いっぺん死んでみたらどうです?」という結語も、とても公共的言説にはなっていないと思います。

「渋々」という学校(わたしは知りませんが)こういう方々が多いのでしょうか?気持ちが悪くなりました。


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Unknown (在校生)
2011-07-11 00:41:02
あなた様は、どうやら偏見ばかりの
歪みきった人間のようですね。
上のコメントにあったように、嘘ばっかり!
こういう人は、社会に悪影響を及ぼすので、
いっぺん死んでみたらどうです?


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人権侵害はどちら? (渋渋の卒業生)
2011-07-10 21:45:12
おそらく古林氏の姪っこさんと同じ期の者です。貴方のメールを読み怒りが湧きました。理由は簡単。貴方のメールには事実誤認が多いからです。
第一に、田村氏の校長講話について。
講話では生徒に自慢ばかり、とのことですが、全くの誤りです。
国連の話をされることはありますが、事実と感想を述べられているにすぎません。
また、エリート意識を植え付けられるとありますが、それは貴様の勝手な妄想だと思われます。私は、卒業して様々な渋渋外の友人が出来ましたが、優越感などかけらもありません。
第二に、M先生について。彼は京大出身ではなく、また東大を勧めることはしませんでした。事実、成績が優秀な友人が一橋大を目指すと言ったところ、彼は熱心に受験指導にあたっていました。
これ以外にも誤りをあげればキリがありません。
人権侵害をしているのはどちらでしょうか?
このコメントを見ている方はもうわかるはずです。
ただ、一般論として、低学歴の人間が古林氏の発言に賛同するのはわからない気はしないでもありません。
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Unknown (Unknown)
2011-04-15 01:34:39
へぇ…
渋渋てそんな学校なんですか?
私が通う分には全然そのように感じませんが…
公立小あがりの私からみたら入学初日からいい学校と思いましたよ
なんたってイジメがない!
小学校でさんざイジメ抜かれたのに
渋渋みんな優しい人だった
天国は渋谷にあるのかと思った

そりゃ勉強は大変だけど
ここに書いているようなことは
今のところ、経験してない
鬱病?いないよ?みんないきいきしてる
範囲が中1で高1をやるったって
それはほんの一部に過ぎない
逆に高1の授業の一部に中学生の内容があるとも聞く
実際はどうなのかはまだ高1じゃないから分からないけど…

私にはここに書いてあることが嘘であってほしいと思ってる
だって私の大好きな学校だから

最後に、
私に文章力などそういったものは全くありません
ですから、何を言っているんだ?と思った人もいるかも知れません
ごめんなさい
また、この内容は私個人の意見です
あまりあてになさらず、参考になればと思います
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4月2日(土)に公開討論会を (タケセン)
2011-03-05 00:51:13
わたしも全く同感です。
みなさまの都合がよろしければ、誰でも参加Okの討論会を開いたらよいと思います。
渋谷学園のご協力が得られるならば、学校内で開催、それが無理であれば、白樺教育館で。
春休み中の土曜日=4月2日はどうでしょうか?
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 appreciate (なしむ)
2011-03-04 05:47:08
たいていの学校の保護者の方は
ご自分の関わった学校についてネガティブな
情報を語ろうとはしません。
なんであれこのようにご自分が体験された
ことをオープンにして問題としてみなで
共有しようとする姿勢には拍手を送りたい
です。
手の中にある問題をすべてテーブルに広げて
お互いそれを認め確認した後、共通認識を
つくり上げていく、その作業を怖がっては
ならないのでしょう。
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いじめ? (古林 治)
2011-02-01 19:40:35
私が『渋々物語 ― 田村哲夫氏が運営する渋谷教育学園渋谷校』を書いたのは個人的な恨みからではまったくありません。
田村氏がこの国の教育行政を主導する立場(地位)にあり、その考え方に大きな問題あり、と考えているからです。実名を含め、具体的な話を出したのは、議論が必要になることを期待してのことです。
異論、反論があることはよいことですが、問題は内容ですよね。議論して互いの考えを深めていくことが大事です。
私もまた公開の場で議論することを希望します。受験が終わる3月であれば、私の方はOKですヨ。
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オープンに議論を。 (タケセン)
2011-02-01 12:00:28
わたしが先にご提案した通り、公開で討論会を開きたいと思います。
賛否を問わず、ご意見のある方は、ぜひご出席ください。よろしくお願いします。
日時は、後日、お知らせします。
渋渋の関係者のみなさん、ぜひ、顔を合わせて、議論しましょう~~~。
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とても素晴らしい学校だと思います (イジメを許さない学校ですね)
2011-01-31 22:38:04
イジメられる側を責め立てて隠蔽しようとする学校がほとんですが、渋渋という学校は、イジメを絶対認めない勇気のある学校だとわかりました。最後までイジメをやめさせようとした副校長先生も無念だったでしょうね。
渋渋の魅力について改めて実感しました。
どうか、人に迷惑をかけないよう、姪さんの教育、頑張ってください。
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中・高一貫高化は格差社会へのブースター (古林 治)
2010-10-30 12:56:44
先日、NHKの『百年インタビュー』という番組に出ていたロナルド・ドーア氏の話はとても興味深いものでしたので紹介します。
ロナルド・ドーア氏は25才で初来日(1950年)して以来、60年間、日本を観察してきた社会・政治経済学者です。
インタビューの一部を簡潔にまとめます。
『新自由主義はレーガン政権時代に始まったが、当時の日本も規制緩和という名目で共同歩調をとり始めた。それ以来、日本の社会は(一部問題はあったにせよ)共同体特有の良さを失い続けてきた。その良さとは同胞意識である。
経営者と従業員の格差は拡大し、株主への配当も上がり続けた。会社は従業員のもの、という観念は消えうせ、株主のものでひたすら利益を極大化するのが目的であるとされた。(ドイツは法律で役員の半分は従業員代表として、半分は株主代表として、という規制がある。)
この新自由主義への方向性をリードしてきたのが、米国へ留学し(MBA)、90年代に官庁や大企業でリーダーとなった人々である。彼らは米国留学を通じて新自由主義の洗礼を受け(洗脳され)、日本を変えてきた(破壊した)のである。経済学者の中谷巌(いわお)氏はその典型。今は転向したけど。
その流れはますます激しくなる。単に経済格差が広がるだけではない。文化的な断絶が起きつつある。
かつては工場長と一番下の労働者には同胞意識があり、互いに腹を割った話をすることがよくあった。だが、今は事情がまったく異なる。11歳から中・高一貫高に入るエリート子弟とそうでない人々の間に交流はもはやない。10代の前半期に隔絶されてしまうのだから。
優秀といわれる子弟たちは、そうでない人々を、「あの人たち」と呼び、蔑むような階級社会がすでに現れている。まるでかつてのイギリスの階級社会のようだ。
自己の利益と経済効率のみを追求する、この新自由主義を推し進めてよいのだろうか。自由、平等、博愛(同胞への意識)は人類永遠のテーマであるが、このままでは日本の社会は崩壊する。日本人はそのような社会を望むのか。』

私もまったく同感なのです。
いろいろな意見があるでしょう。
議論する価値は大いにあります。
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春休みに公開討論会を。 (タケセン)
2010-10-28 10:42:36
丁寧なコメント感謝です。

ご提案の件ですが、これは、ご本人(現在、高校3年生)の意思なのです。堂々と語り、広く公共的な問題として社会に問いたいとの希望です。

そこで、わたしからの提案ですが、入学試験の終わる3月以降(春休み)に、公開で討論会をされたら如何でしょうか?

教育の本質について考えるために、完全に対等で自由な場をわたしの責任でつくりますので、関心のある方はお集まり頂き、直接対話をされるのがよいと思います。民主主義のとてもよい実践になります。

「自由対話」なくしては、個人の精神の深み・広がりも民主制社会の発展もないのですから。




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姪御さんのお幸せをお祈りします (一保護者です。)
2010-10-28 08:59:53
中学1年生という多感な時期に、お母様を亡くされるというのは、姪御さんにとってどれほどおつらかったことか、私の想像を超えております。そして、そのお嬢様を引き取って愛情をもって育てていらっしゃること、尊敬の念にたえません。

ただ、学校の教育方針については、多少受け止め方の相違があるかも知れないと感じております。(このお嬢様が経験なさった特定のことについては、私は何も存じ上げないので、コメントは控えます)

確かに授業の進度は速いです。宿題も多いです。しかし、おかげで塾に通う必要は感じておりません。近隣の中学に通う同級生の中には、夜8時・9時まで塾に通って勉強し、ご家庭でさらに塾の課題に取り組んでいる子も少なくありません。渋渋に通うわが子が、特別頑張っているとは思っていません。また、「詰め込み教育」とはちょっと違うとも感じております。実験や研究発表といった知識を詰め込む上では「非効率」思われかねないことにも十分時間を使っているからです。

もちろん、学校に求めることはご家庭によって、お子さんによって、異なると思います。この学校を気に入る御家庭もあるでしょうし、そうでない御家庭もあるのは当然のことと思います。姪御さんが(少なくとも受験時には)熱望して入った学校が、結果として、現在の保護者様のお眼鏡にかなわなかったということなのだろうと思います。

しかし、姪御さんは既にあたらしい道を歩み始めていらっしゃいますので、過ぎたことを振り返るより、これからの人生を前向きに生きて行ってほしいと心から願っています。

最後に管理者の方へお願いです。
インターネットの世界で、実名を出すことが常に望ましいとは私は思っておりません。特に、未成年者のプライバシーが関係するときには、むしろ、匿名化が必要と感じております。たとえ保護者であっても、子供のプライバシーを世間に晒してはいけないと信じております。このブログの記事から、姪御さん個人の特定につながる以下の記述は削除してはいかがでしょうか。

・保護者の実名
・転校先の学校名(「千葉県内の公立中学」で十分です。)
・現在の在籍校名(「別の私立高校」で十分です)

どうか、よろしくお願いいたします。
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荒しならば、削除します。 (タケセン=武田康弘)
2010-10-04 00:28:28
このブログの管理者のタケセン(本名・武田康弘)です。

古林治さんは、きちんと実名で、具体的・詳細に記述していますが、批判者のお二人は、名も名乗らず、内容もまったく具体性を欠きます。

ゆえにこのようなコメントは、到底、真面目なものとは思えません。

もし、古林治さんの主張がおかしいと思われるならば、実名を明らかにし、具体的・かつ明確にその問題点を指摘して頂きたいと思います。

もし、それがなされないならば、上記のコメントは、単なる「荒し」と判断し、管理者の責任で削除します。
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Unknown (Unknown)
2010-10-03 22:23:33
嘘ばかり書かないでください
姪っ子さんと同じ学年の在校生ですが、ここに書いてあることは9割方嘘ですね
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姪のためでしたか (匿名)
2010-09-15 03:21:40
渋渋という学校は塾いらずの進学校ですよね。入学してから気付いたのですか。渋渋のような難関の私立中高一貫校に入るためには2年以上の塾通いは当たり前です。癌で亡くなった方と相談しましたか。姪さんのことを思うととても悲しくなります。田村先生についてのあなたの書込みは名誉毀損の疑いもありますよ。
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、「官=公=国家」を維持強化する (荒井達夫)
2010-07-26 23:04:05
とにかく受験エリートが一番偉い、という価値観を広く深く植え付け、「官=公=国家」を維持強化する役割を果たすことになると思います。

これでは「新しい公共」など実現できるはずがありません。

とても恐ろしい話です。
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洗脳ではなく占脳と染脳では根源悪 (タケセン)
2010-07-26 08:38:42
先入観、既存の価値意識に染まっている脳を洗う(洗脳)ならば、よいことですが、学校は、自分の頭で考える力をつけるのではなく、脳を占拠する(占脳)であり、脳を染める(染脳)であることが多く、民主主義国家における教育になっていません。主権者=決定者は、われわれなのにです。

「公共」(こどもたちを中心として親たちと教師たちの自由対話による決定)と乖離した教育は、根源悪なのです。それを皆が意識しないといけません。東京都教育委員会(石原都知事)もそうですが、経営者による独裁的・独善的教育は許されないのです。

教育の「民主的公共化」は、現代日本の最重要課題です。
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教育は「染脳」ではない。 (茶所博士)
2010-07-26 07:39:34
教師はえてして権力者、独裁者になりがちですからね。生徒は反逆の精神を以て答えねばなりますまい。さもなくば、無気力で面従腹背の輩となります。
 教育関係者の言う「素直」は「従順」、もっとはっきり言えば「服従」「隷従」と混同していますね。子供のうちから奴隷化というか、家畜化というか、おぞましいことです。しかも当人たちは聖職と思っているのだから始末が悪い。
 「洗脳」というより「染脳」と書くべきだと言う人がいるほどですからね。染脳された子供が本来の自分を見失って、様々な社会問題を引き起こしているのが現在の我々の状況であると大人たちは心得るべきです。
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まず親が覚醒しなければ (Cmoon)
2010-07-26 00:16:24
7時間に及ぶ自白強要は、特捜の被疑者尋問を思わせます。
なぜ、そこに厳つい体育教師がいるのか……まるで昔の特高のようですね。あるいは、暴力団的な発想も感じます。
保護者を呼び出し、副校長、学年主任、担任とここまで揃わないと、保護者に事のあらましを説明できないのでしょうか。担任一人で済むことです。
ここにも、官僚的な臭いがぷんぷんします。我々が役所に行って、何らかの不備の説明を求めると、次から次へ責任者と言われる人が出てきます。そして、何とか問題にならないように説き伏せようとする。

何だか、怖ろしい光景を見ているようです。

フルメタル・ジャケットも彷彿しますが、ヒトラー・ユーゲントの教育現場を見ているようにも思えてきます。
どちらも人間性を喪失させ、誤った一つの価値観を持たせ、魂を失った操り人形のようにさせてしまうこと。
海兵隊は、米軍の誇りであり、ヒトラー・ユーゲントは、将来のエリートとでした。

日本のエリートが、このように創られていると思うと、暗澹たる思いです。
教育現場では、教師はもちろんですが、その前に親が覚醒しなければならないですね。
その親の世代も、受験戦争を経験している人が多く、是としないまでも、否定はしない人が多く見受けられます。でなければ受験のための塾はこれほど繁盛しませんから……

嘆いていても仕方ありません。実践するしかないですね。
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まるで「児童虐待」 (ざらすとろ)
2010-07-26 00:13:43
ざらすとろ 2010年07月25日 13:46 私は受験だとか進学校だとか一切無縁な人生だったので、
実態をこのような形で伺うと、こいつらアホちゃうかと思います。

もし自分に子どもがいるとしても、こういうアホどもにだけは子どもの教育を任せたくはないものです。こういうアホがこの国を動かしているんじゃ、そりゃ、こんな酷い状態になるのは自明です。
こんな教育を12年間も強要する事そのものが児童虐待です。

少なくとも国家や経済を動かしていくだけの教養や知性、論理性、
洞察力はあのやり方では間違いなく身に付かない。
日本の未来は絶望的に暗い・・・
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