思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

小笠原晋也さんとのやりとりのまとめ。ー西欧哲学を超えてー 哲学から恋知へ。  武田康弘

2020-10-19 | 恋知(哲学)

 小笠原晋也さんから、わたしとの対話拒否の意思が示されましたので、
最後に簡単にまとめを書きます。

  思想・哲学に携わる日本人の多くは、ヨーロッパ中心主義者ですが、小笠原さんは、それが正しいと強く主張しますので驚きます。【カトリック信仰とハイデガーとフロイトとラカン】を一体化させ絶対化させます。

 そもそも、西欧人が主張するように「学問・哲学は西欧の専売特許!」ではありません。
 紀元前6世紀にいまのトルコ・ギリシャのエーゲ海沿岸ではじまった自然哲学(学問の総称)は、アテネでソクラテスが「恋愛+知(プロソピア・フィロソフィー)」という新語(日本では西周により「哲学」と訳されていますが、直訳すれば「恋知」です)をつくり活躍した後、弟子のプラトン、アリストテレスを経て、ローマに伝わりますが、その前、紀元前3~2世紀には、ギリシャの都市国家の王たちとインドの仏教徒たちはさかんな交流をもち、多くのポリスの王たちは仏教に帰依しています。

 ローマ時代は学問の中心はアレクサンドリアでしたが、それは、7~8世紀にギリシャ語からアラビア語に翻訳されてイスラム世界に伝えられ、化学、医学、天文学などが花開き、インドでのゼロの発明が十進数を生み、現代の数学がつくられたのでした。


 アラビア語およびギリシャ語からラテン語に翻訳されてヨーロッパに学問が入ったのは12世紀ころからのこと。一番遅れたのが西欧なのです。

 なお、哲学史=学問史=科学史は詳しく展開したらキリがないので、お知りになりたい方は、村上陽一郎さんの著作で学ばれるとよいでしょう。

 ともあれ、スコラ神学の改革として生まれた西欧近代哲学を絶対化させる見方は、キリスト教の絶対化と重なり(無神論という主張は強い一神教への対抗理論で思考法としては表裏一体です)、一神教的な偏りをもちます。ハイデガーが自身の存在論を書けなくなり数多くの日本の仏教者らと対談したのは、出口を探してもがいていたからですが、それは最終的に1966年の「シュピーゲル対話」での敗北宣言となったのでした。平凡社新書で出ている「形而上学入門」の末尾に付いていますので、それを読まれれば、どなたでもお分かりになるはずです。小笠原さんの主張する事柄は、ただの一つも出てきません。


 西欧の一神教的思考法と元から縁を切ったのは、フランスのサルトルでした。処女作「イマジネール」(=「想像力の問題」)で、知覚からはじまる認識意識ではない想像意識を自由の根拠としたサルトルは、『存在と無』で、「実存は本質に先立つ」という哲学原理により西欧哲学の革命を成しましたが、それは近代西欧哲学という枠組みを超えてフィロソフィーが古代エーゲ海の初発に戻り、世界の実存思想(ソクラテス・ブッダ・老子)にかさなった瞬間でした。
 彼の提唱した【実存的精神分析】は、汝自身を知れ!の20世紀バージョンで、経験的・事実的心理学を超えた本質学としての人間精神の探求です。サルトルは1964年に西欧の生んだ人間格付=ノーベル賞受賞を、彼らしく「断固として拒否する!」と言いました。まさにこれにて一巻のお終い~~!(笑)



武田康弘


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