思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

ウヨク=国体主義者は、心が歪み、頭が悪い人の典型です。

2016-05-09 | 社会思想


 いわゆるニッポン主義者は、他者や他国への悪口を言い、ニッポンが一番と言い、「愛国心」を言い、既存の日本の政治と文化にみなを従わせようと画策します。

 国家権力を用いて、個人の「思想及び良心の自由」を抑圧することをよしとするのですから、恐ろしい人権抑圧者ですが、安倍首相の親友にして思想的ブレーンである麗澤大学教授の八木秀次は、「反人権宣言」(ちくま新書)を出し、「人権という思想は西洋の闘争の歴史が生んだイデオロギーに過ぎず、日本人は、人権という言葉に怯えずに国民の伝統と道徳に従うべき」と宣言しますので、右翼=国体主義者は、人権抑圧の確信犯です。「個人」という思想=ことばを消去する自民党憲法案は、この思想=国体主義をバックボーンとしています。

 愛に不足し、愛に飢えた人は、他者や他国への愛情を持てず、自分に閉じこもり近親者以外の人間を避けたり、排除します。心が歪んでいる証拠ですが、自己の心がなぜそうなるかを知る本質的な意味で頭のよい人(受験知に代表されるパズルを解くような形式知ではなく)は、その不利を逆転させて「優れた仕事」をすることもできます。それができないウヨク=国体主義者は、心が歪み、頭の悪い人の典型というほかないのです。

 そのような人(安倍少年が親の愛に飢えていたことはよく知られています)が用いる「権力」ほど危険でおぞましいものはありません。主権者の代行者という意識がなく、自分の想念を現実化するのが政治だというまるで古代国家や独裁国家の権力者のようにふるまい、恥じるところがないのですから、救いがありません。

 安倍晋三やその仲間と取り巻きの所業は「底知れない悪」というほかないのでしょう。民主的な制度を使っての権力は、古代王政などとは比較にならぬ巨大なものです。多数決民主制の悪用は、「社会の過半数の成員の合意であるという体裁を装うことのできる権力」になるので、どの政体における権力よりも強大になります。ヒトラーの巨大な成果は、民主的制度を用いることで可能になったのでした。

 民主政を、単なる制度=形式としか理解しない国民では、恐ろしい結果を招きます。人権思想を内容として持ち、広義の意味の福祉を実現するのが民主政の目的であることを知らないようでは、民主制度の名のもとに「国体主義というイデオロギー政治」で全国民が縛られてしまいます。内容としての民主政(民主的倫理という思想に基づく)は、死んでしまいます。人権は空語となり政財界のエリートにより支配される独裁国家になるほかありません。

 主権者であるわれわれ市民の対等な自由対話に基づく自治政治を生む努力がないと、優れた日本、愛すべき日本は永遠に現実化しないはずです。

 愛と自由に溢れ、人間存在の対等性に基づく自由対話のある社会、各自が「個人」として尊重される国でなければ、愛することはできませんし、愛する国にはなりません。愛するに値する人間愛ある国をつくりたい、わたしは、そう思い続けてきました。



武田康弘

コメント (2)
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