思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

哲学者とは、哲学することで馬鹿になった人間のことだ!?

2006-07-19 | 恋知(哲学)

以下は、「人間はどう生き、社会はどうあったらよいのか?のヒント」に対するコメントと、コメント返しです。
長くなってコメント欄に入りきれないので、記事にします。


[ やなぎはら ] [2006/07/18 01:07]

一人ひとりが、懸命に生きている日々の生活の中の言葉で、背伸びをせず、媚もせず、素直に思いを語る…これに勝るものはないんですねえ!

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[ タケセン ] [2006/07/19 11:21]

戦前、日本最高の哲学者と言われた西田幾多郎や田辺元らは、皇道は世界的とならねばならないとか、天皇制は宇宙の原理だとか、狂気の沙汰でしかない言説を吐露していました。

日々の生活経験に根付いた腑に落ちる知を失えば、人間はどこまでも狂えるのですね。どのようなものであれ、特定の観念や権威を先立てれば、おしまいです。

世界最高の哲学者!?といわれたハイデガーも進んでナチ党に入党し、ヒトラーも驚くほどの過激な進言をしています。

これでは、まさに、「哲学者とは、哲学することで馬鹿になった人間のことだ」です。

民知に基づく恋知の営みを共にしましょう!王様は裸だ、というまっとうな目を曇らせてしまわぬように。権威主義や言語に呪縛される心とは無縁の地平で。

そのための基盤は、内在としての知覚と情感からの出発=生命のエロースをまるごと受容する豊かな愛の心だと思います。自分の心身の全体で深く感じ知り、自分の頭で思考したいですね。

厳禁の精神―父権的思想―硬直した規則主義―国家主義―権威主義―序列意識・・・・・・こういう一人ひとりの心と頭から自由を奪い、心身の全体を硬直させる思想―想念は、根源悪です。どのような理屈がついていようとも、人間のしなやかさ・柔らかさ・生き生きとした自由を奪う思想―想念を、断じて認めてはなりません。

人間の、そしておそらくは全ての生命の生きる原理は、エロースの追求と味わいにあるのですから。

特定のイデオロギーや権威によって人の心を縛る以上の悪はないのです。生身の人間の悦びを禁圧し、特定の傾向に閉じ込める詐術を見抜き、そのサギ思想に騙されない英知=民知を=恋知を共に養いましょう!

武田康弘。


コメント
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