きぼう屋

生きているから生きている

バッジ

2007年11月08日 | 「生きる」こと
昨晩のこと
息子がじゅうたんに落としっぱなしにしていた
タイガースのバッジを
もろに踏んでしまいました。

帽子につけるバッジで
いつもわが息子たちを気に掛けてくれて
ときどきハンカチやかばんやちいさなおもちゃなどをくださる
名も知らないおじさんが
今回はこのバッジをくださいました。

息子たちは
このおじさんの
真心こもった接触を
体全体でわかっている
ということが
わたしにもわかるのがうれしい。

こういうおとなたちに見守られて
はぐくむ贅沢をいただき
感謝してもしきれないほどです。


そのバッジを踏みました。
それは画鋲のような針が出ていて
それを帽子に突き刺して
逆側にはりを覆うストッパーみたいのがあるという構造で

その針を見事に踏みました。

うなると同時に足を上げると
足の裏にバッジが張り付いています。

それを見た息子たちの目が変わります。

バッジを抜くと
白い靴下が見る見る赤く染まります。

さらに息子たちの目が変わります。

だから言っちゃいました。
「こりゃあかん
 血出すぎて
 死ぬかもわからん
 そら、とも、そう
 ママとれんを頼む」


息子たちからしたら
自分たちが落としっぱなしにしたバッジなもんだから
彼らなりに責任を感じているのが
よーくわかりました。



次男のともくんが今日学校から帰ってきたら
まず最初に
心配そうな顔で
「パパ
 足だいじょうぶ?」
と聞くではありませんか。

「ああ大丈夫
 昨日、肉食って気合入れて寝たから治った」

すると
「よかったあ
 俺パパが本当に死んじゃうかもしれないと思ってた
 パパが死んだられんの面倒全部見ようと思ってた」

なんて言ってくれまして・・・

なんだか感激するのと同時に
こういうおどしはよくないかもなあ

考えてしまいました。

さらに
れんくんが保育園から帰ってきたら
わたしの足の裏を指差して
「ここ見せて
 痛くない?」

と聞いてくれるじゃあないですか。

そういえば
そらもとももそうも
2歳の時には家族を思う劇的なドラマを生み出してくれていまして・・・

こういう経験をすると
人間の本質はいいものだ!
と信じたくなるのでした。

おしまい。