浦和キリスト教会でのおはなし その4
わたしたちはバプテストです。
バプテストって何でしょう??
わたしは正直に言うとわかりません。
勉強していないわけではないのですが・・・
うねりをあげるような「バプテスト」の物語に出会っていません。
どうもどれも原理的で・・・
「個人」という原理や、最初期の教会「モデル」という原理や・・・
バプテストが個人の救いとか、個人の魂とかに引っ張られるのは、時代の状況に引っ張られていることだというところまでは何とか自分なりにわかっているつもりでして・・・
だから「個人」をバプテストの特徴とすることはできないと思います。
そうではなく
バプテストは巨大な力を放棄し、力にもならない小さな力を連帯するという方向を選び取ったというところに注目したいと思います。
それがたまたま、キリスト教会が国家権力でもあったので、その全体の大きな力から、個という力にもならない小さな力の連帯を選びとる状況もあったと思いますが、
それは状況の話であり・・・
本質は、小さな力の連帯を選び取ることが出来るかというところではないでしょうか。
今なら、個と個の分断、あるいは関係性の喪失という巨大な力のなかで、小さな力、つまり、愛とか希望という、いのちをつなげるものを選び取り、連帯するということではないでしょうか。
小さな力を選び取り、それが共に生きるということは、まず原理にはなりえません。
とても具体的です。
で、
これがバプテストなのだとしたら、
バプテストがホームレスと連帯するのは、
選び取るべき事柄ではないでしょうか。
そもそも
なにゆえに
小さな力にもならない力を選び取らねばならないのか。
繰り返しますが
最も小さい力ってなんでしょう?
それは
十字架の主イエス・キリスト・・・
キリストを選んでいるわけです。
わたしたち。
最も小さな力を。
でも、その力にもならない小さな力が
「すでに世に勝っている」
と
他人が見たら「アホか」というしかないようなことを
信じつつ・・・
バプテストだからこそ
ホームレス支援もできる
真理性があるとも思いますがいかがでしょうか・・・
わたしたちはバプテストです。
バプテストって何でしょう??
わたしは正直に言うとわかりません。
勉強していないわけではないのですが・・・
うねりをあげるような「バプテスト」の物語に出会っていません。
どうもどれも原理的で・・・
「個人」という原理や、最初期の教会「モデル」という原理や・・・
バプテストが個人の救いとか、個人の魂とかに引っ張られるのは、時代の状況に引っ張られていることだというところまでは何とか自分なりにわかっているつもりでして・・・
だから「個人」をバプテストの特徴とすることはできないと思います。
そうではなく
バプテストは巨大な力を放棄し、力にもならない小さな力を連帯するという方向を選び取ったというところに注目したいと思います。
それがたまたま、キリスト教会が国家権力でもあったので、その全体の大きな力から、個という力にもならない小さな力の連帯を選びとる状況もあったと思いますが、
それは状況の話であり・・・
本質は、小さな力の連帯を選び取ることが出来るかというところではないでしょうか。
今なら、個と個の分断、あるいは関係性の喪失という巨大な力のなかで、小さな力、つまり、愛とか希望という、いのちをつなげるものを選び取り、連帯するということではないでしょうか。
小さな力を選び取り、それが共に生きるということは、まず原理にはなりえません。
とても具体的です。
で、
これがバプテストなのだとしたら、
バプテストがホームレスと連帯するのは、
選び取るべき事柄ではないでしょうか。
そもそも
なにゆえに
小さな力にもならない力を選び取らねばならないのか。
繰り返しますが
最も小さい力ってなんでしょう?
それは
十字架の主イエス・キリスト・・・
キリストを選んでいるわけです。
わたしたち。
最も小さな力を。
でも、その力にもならない小さな力が
「すでに世に勝っている」
と
他人が見たら「アホか」というしかないようなことを
信じつつ・・・
バプテストだからこそ
ホームレス支援もできる
真理性があるとも思いますがいかがでしょうか・・・