きぼう屋

生きているから生きている

一瞬で家族

2006年08月24日 | 「生きる」こと
家族でとあるところに遊びにいきまして・・・
そこでは催しものがありまして・・・
円形の会場席には長いすが並んでいるわけですが・・・

我が家の三男の添くん

なぜか
あたりまえのごとく
見ず知らずの
親子の
その
間に
ぽつんと
座りまして・・・

その親子は目まんまる
添くんはニコニコ



その親子も一瞬でニコニコ


まあ
やってくれるのであります。

さらに

大きな水槽に大きなのが泳いでいるのが見えるレストランで
その水槽の前に
やはり
見ず知らずのきょうだいがいるのですが

なぜか
あたりまえのごとく
その
きょうだいの
間に
ぽつんと
加わりまして

普通におしゃべりしてました。


うらやましい・・・
こんなんなりたい・・・

ひーじーじ

2006年08月24日 | 「生きる」こと
先日家族が集まって
じいさんの誕生会ができました。
ひ孫が7人いるので
ひーじーじと
呼ばれていますが
93歳となるわけです。

いまだにローカルな雑誌の編集をしております。
「100歳まで編集を続ければ名物じいさんやねえ」
なんぞ励ましたりしております。

こういう大人がじいさんであることには感謝感謝であります。
今に至るまでいろいろと教わっております。

朝日新聞で生きてきた人です。
文章や言葉のセンスがやはりいい人です。

淡々とした人間性も魅力です。
淡々といろいろとお世話になり助けてもらっています。

高校2年のとき
駅で別の高校に通う中学時代の友にあった私は、そこから一緒に家路につくわけですが
その友人
その日はひとりではなく
数人引き連れておりまして・・・
なんかいやな感じを受けつつ
一緒に歩いていたわけですが・・・
ひとけがなくなったところでキンタマにひざけりをもらい
金を取られたことがあったわけです・・・

確かに中学時代はわたしが威張っていたというのがありましたし・・・
その経緯がひざげりとなったのかと考えたり
いやはやそもそも相当につるんでいた友だったので
そうなった事実のなかで複雑な感情を抱いたりして

その日は家に帰る前に
じいさんの家に寄って
そのことを話したもんです。

「おまえは友でい続けろ!」
淡々と言ってもらえたことを鮮明に覚えております。
さらに
親から参考書が欲しくて金を貰っていたときで
それが全部とられてしまったのですが
なにげなく5,000円をポッケに入れてもらって
「親にいう必要ない」

やっぱり淡々と言ってもらえまして・・・

そのひざげりの友
その後会うたびにあちらが逃げておりましたが
それから3年後
たまたまバスで会いまして

「あんときキンタマ5倍の大きさになったぞ」(これ本当に5倍になるんよ)
から会話がはじまり
最後は
「あんときはゴメン」
で終わり

またいい連れになったわけでもあります。

朝日新聞ですから
当時は小倉に西の本社がありまして
そこで生きておりましたわけで



実は原爆が落とされそうになったのですが
曇っていたので長崎になってしまったのですが

私が今存在していない可能性が
あの戦争のせいで
充分にあったことでもあるわけです。

ちなみに
わたしのアンチ巨人は
この朝日新聞のひーじーじから
引き継いでいるものなのです。

ひーじーじ
しかし

つぶやいております
「もう朝日はだめだ」

しかし
ひーじーじは
当分
大丈夫でしょう。