きぼう屋

生きているから生きている

友達

2006年08月07日 | ホームレス支援のこと
ホームレス支援炊き出しは京都教会の集会室(兼食堂)で開催されます

本日は
その隣の礼拝堂では
「日本バプテスト社会福祉事業団体連絡協議会2006年度職員夏季研修会」(長っ)
なるものが開催されていました

メイン講師はマーサ・メンセンディークさん(同志社大教員)

今回の講演は聞けませんでしたが(←炊き出しのため)
以前に何度かお会いして
結構深く話し込むこともできた方でもあります

とっても好きな人です
あまりに日本語の精度が高くてびっくりします
「聞く仕事だから勝手にうまくなった・・・」
なんて前回言っていましたが
しかし
マジなんでしょう
福祉を専門とするマーサさん
キリスト者であるマーサさん
聞くことをいつも大切にしてくれます

そのマーサさんが
今日 こんなこと言いました

「教会の子どもとホームレスのおじさんが一緒にキャッチボールしている姿に胸が震えた」


息子と遊びに来た息子の友達が、
礼拝堂で講演会をしているのもお構いなしに
礼拝堂の横の庭で
ホームレスのおじさんと野球をして遊んでいました
昼間ですから
庭から礼拝堂の中は見えなくても
礼拝堂から庭の様子は全部見えるわけで・・・

彼らは
それこそ
いつものように
野球を一緒にしていたのでした・・・

もう京都教会では
あたりまえの光景でして
胸が震えることもないのですが・・・

でも
たぶん
他の教会のメンバーですてきなセンスを持っている人は
こんな教会の光景を見ると
理想が現実になっていて
胸が震えるのでしょう

でも
あたりまえなのです
友達なのですよ
仲間なのですよ

いつものように

一緒に野球をして、野球の話をするのですよ

「昨日の金本の満塁ホームラン見た!」
「ひざ怪我した後なのにすげーなあ!」
「あいつロボットやなあ!」
「どうみても人間やろ!」
「そんなんちゃうやろ!わかれ!」

すべての教会、社会に
あたりまえよ
やってこい

遠慮するなよ
友達だよ
仲間だよ



言っても
人ってのは、自分のアイデンティティの外に触れるのが苦手でして
教会もそうでして

本当は教会とキリスト者は、キリストのアイデンティティで生きるから
そんなのないはずなのですが
そうならないのでありまして・・・

だからキリストが接着剤なのでありまして・・・
つなげるのですよ
みんなを

実は
京都教会も
ココまで来るのは
大変だった・・・

ようやった
みんな
ようやった
ボク
一番ようやった
ワカナさん

ほんまにえらい!たぶんみんなの共通意見なのですよ

感謝感謝



間の『コト』

2006年08月07日 | ホームレス支援のこと
炊き出しが終わりました
本日は焼肉丼大会でした
牛焼肉と野菜をたっぷりごはんの上に盛り付けて
スタミナつけて
夏を乗り切ろう!
というものでして・・・

しかし
京都の夏
38度

京都市青少年科学センターの中に
京都の夏とサハラ砂漠の気候を体験できるブースがあって
なんと
京都の夏のほうがはるかに暑い・・・
というか、38度ともなると・・・熱い・・・

でも乗り切ってくれ!
ホームレスの仲間たち!

みんながみんなのために
ついている!

嘘じゃあない
理想でもない
いま
ここで
本当に
みんなで生きる姿が
あるのだよ

ホームレス支援と呼ばれる
ホームレスと呼ばれる仲間とのかかわりは
人と人の間の『コト』が
これでもかと
いろいろ起こって
なにしろスゴイのです

『コト』に出会い
互いの限界を知り
互いが互いに互いを必要とする

ボクは神も必要とする
神なしで
『コト』の中には入れない
恐すぎて・・・


キムチとスイカのカンパもあった
夏服のカンパもあった
みんなで分かち合えた
感謝感謝



家族

2006年08月07日 | 教会のこと
土曜日の夜
なつかしのサトシ君が泊まりに来てくれました
最後に会ったのは まだサトシ君がウチの息子くらいだったかなあ

十数年ぶりの再会

変わってないのですよ
いやいや
変わっているのだけども
変わってないのですよ
明らかに立派な兄さんになって
明らかに変わっているのだけども
やっぱり変わってないのですよ

これってなんだろ

瞳の奥というか
言葉の奥というか
振る舞いの奥というか

そういうところの
大切な
なにかが

変わっていないのですよ


だから


十数年ぶりなのに


ずっと一緒にいるかのような
ずっと家族として暮らしているかのような

食卓なのでした

しあわせしあわせ

だから教会っていいね

感謝感謝

また来てね


こういうの

キリストでつながるって言っていいのかな

アホ3

2006年08月07日 | 教会のこと
アホ
というタイトルのものは、今年の全国少年少女大会をあらわすのでして・・・
その理由については、アホ1アホ2を参照のこと

ボクは高2の分団が3つあるうちのひとつのリーダーをしまして
そこでの分かち合った事柄の深さに感激しまして
今の高校生がかつてより劣るようなことが言われる一般の見方と正反対でして
丁寧に自分をみつめ
生きる現場をみつめる彼らに
大きく期待しているのであります

分団の仲間の中で3人がクリスチャンではありませんで
「じゃあ、バプテスマ受けないのはもったいないって思える分団にするし」
なんていう始まり方なんぞしまして

その後
じっとみんなの目を見つめながら
目を合わせないようにする人の目を見つめつつ
目が合うと一度そらしてもう一度合わせてくれる人の目を見つめつつ
目を合わせつつも、ときどき耐えられず目を離す人の目を見つめつつ
目を合わせるとそのまま合い続ける人の目を見つめつつ

目の奥から発せられる隠れたメッセージも分かち合いたい

願いつつ
彼らと時を過ごしたのでした



感謝感謝で

3人の中の2人がバプテスマを受ける決心をしましたよ

涙涙で

みんな喜びましたよ

ほんとうによかった
2人とも、それはそれはそれぞれしんどいもの抱えつつ
でもそれを主イエスが共に抱えてくれていることを知り
次は
他者のしんどさを共に抱える道を
選び取りました

さてさて

1人は決心しませんでした

言ってくれてはいないけど
目が
強烈にしんどいなにかを抱えていることを
たくさん訴えてくれていたから
大会中一番祈りに覚えた仲間


わたしは声を大きくして強く宣言できます


主イエスは

あなたに
一番近くいてくれている

あなたを
一番つよく抱きしめている

今回決心できなかったということは
主イエスが
もっとあなたを抱きしめていたいから
先延ばししただけ

「時」
って そうやって決まるから


最後に涙があふれていたあなたの目

主イエスが一緒だからこその目
だってことは
一緒に過ごした仲間には
隠せないのでありまして・・・

インマヌエル

感謝感謝