視人庵BLOG

古希(70歳)を迎えました。"星望雨読"を目指しています。
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「鉄―137億年の宇宙誌」展

2009-08-16 07:23:53 | 文化


東京大学総合研究博物館で10月24日まで開催されいる「鉄ー137億年の宇宙誌」展を視にいってきました。
鉄という人類にとって非常に身近な金属を、宇宙開闢137億年の時間軸の中から考えようという壮大な企てです。
しかし会場は東京大学総合研究博物館奥の300㎡強の狭い空間です。展覧会場というよりは展示室という表現が適切でしょう。

展示の構成について紹介ホームページには

>こうした内容を展示という形で示すには困難があった.それは私たちが,10年前や100年前という,直感的に理解しやすい時代のみならず,数10億年前という感覚的には捉えにくい時代の現象についても,議論しようとしている点である.当然のことながら,100万年前の現象を,10年前のものと同じように細かく解析することはできない.しかし10億年前の現象よりは遥かに多くの物的証拠が残されているため,その年代に比べると詳しい議論を展開することができる.こうした状況は,ビルや山の上から周辺を観察することに類似している.つまり私たちに近いほど細かく観察することが可能であり,遠くなるほど解像度は落ちるのである.ところで解像度が低いからといって,科学的意義が少ないというわけではない.ビルに登ったとき,遠くに見える山を思い出して頂けると,ここで意図することがご理解頂けるであろう.その山の表面の細かい構造は見えないけれども,全体的な輪郭はむしろ捉えやすいはずだ.このような現象に常に直面している天文学や地球惑星科学の研究者は,時間スケール(時間尺度)という概念に慣れ親しんでいる.彼らは,ある現象を議論する際,適切な尺度の時間で考えると,その現象の本質をよりよく理解できることも知っている.例えばある現象が一定の時間間隔で繰り返し生じることもよくあるわけで,ある時間スケールで物事を見るということは,それよりも短い時間スケールで生じる現象も織り込んで考えるということになる.そこでこの展示では,時間スケールを10の冪乗であらわし,その冪を一つずつ繰り上げていくことで,137億年を概観しようと考えた.私たちはこれを,Powers of Ten Yearsと呼んでいる(表1).本展示ではさまざまな分野において第一線で活躍されている研究者の研究成果が多く紹介されるが、それらはPowers of Ten Yearsの形で整理されて展示されている.>

と書かれています。

"錆びない、柔らかい、塩酸に溶けない"など鉄の常識を覆す、話題の純度99.9999%の超高純度鉄(チラシの右上の金属)よりも、宇宙開闢からの137億年という時間を、10の冪乗の時間スケールで表現するというコンセプトが目玉の展示の展覧会だと思います。

この展覧会を視るためには、この展覧会にあわせて発刊された、鉄学137億年の宇宙誌 (岩波書店)を先に読んでいく必要がありそうです。
と、いうより読んでいかないと、企画者の意図が伝わらないと思います。

博物館という物理的な空間・時間の制限を越えるためコンセプトは魅力的です。
コンセプチュアル・アートとしての博物館展示と思って視ると更に魅力的です。

P.S.
写真撮影禁止の展示物の中で唯一「撮影可」だった展示物?
鉄欠乏症のイネと正常なイネが育てられています。
冷蔵庫のような人工気象器の中で育てられています。


 

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ペルセウス座流星群観望会

2009-08-13 08:09:40 | アスメン・星と風のサロン
ここ数年、井の頭公園グランドで行っているペルセウス座流星群観望会を昨夜(8/12)おこないました。
残念ながら雲が低くたれこめ、流星群の観望としては最悪の条件でした。
それでも時折雲間から視れる木星や月は綺麗でした。
IKEGAMIさんNISHIKAWAさんには今年もご持参の望遠鏡で、皆さんに木星や月をみせていただき感謝感謝です。
こんな状況でも井の頭公園グランドまで足をはこんでくれた皆さん、ありがとうございました。

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結構揺れましたね!

2009-08-11 06:36:23 | 星望★雨読
小生、初めて緊急地震速報の本番を体験しました。
午前5時7分頃ベッドの中でテレビを視ていて、突然告知が出たので慌てて起きました。
数十秒前でしょうか?、揺れが来る前に知れたので心理的な動揺は少なかったと思います。
揺れ始めたので起きて部屋のドアーをあけにいきました。
強震度の地域の被害が心配です。

そして将来想定されるM8強の東海地震が心配です。

P.S.
この連中に影響はなさそうです。
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スーパーカミオカンデ見学

2009-08-07 13:53:17 | 天文関係


8月6日(木)、岐阜県神岡にある東京大学宇宙線研究所神岡宇宙素粒子研究施設にスーパーカミオカンデを見学にいってきました。

地域活動支援事業 スーパーカミオカンデ~地下1000mから宇宙をみる~
JSTの助成金による事業です。
参加定員20名ということで、くじ運の悪い小生は"まず当選しないだろう"と思っていたのですが・・・・・・

上写真の左側の施設が研究棟で研究室、セミナー室等があります。
研究棟を背にした側の山の地下にスーパーカミオカンデがあります。(バスで5分くらい)
セミナー室でニュートリノ、スーパーカミオカンデについて1時間ほど講義をうけたあと、バスにのって施設見学にむかいました。


地下研究施設入り口です。そのままバスにのって地下施設にむかいます。


入り口から約1.7kmはいったところに研究施設があります。
右側のドアの奥です。気温は常時15~17度くらいでけっこう寒いです。
この写真は見学後バスに乗り込むところです。バスに乗っているときもヘルメットは被っています。


研究棟での講義、スーパーカミオカンデの案内をしていただいた塩澤真人先生です。通路の奥にスーパーカミオカンデがあります。


スーパーカミオカンデに使用されている光電子倍増管の説明をうけます。
11200本の光電子倍増管が使われているそうです。


塩澤先生が立っている下がスーパーカミオカンデです。というより純水が貯められている直径40mのタンクの上です。
タンクの中が見学できるわけではありません。


11200本の光電子倍増管につながっている光ファイバーのケーブル束です。


地下にあるコントロールルームです。現在取得しているデータをモニターしています。
スーパーカミオカンデの見学はここまでで、この後またバスに乗って神岡町の公民館(?)で昼食をとりながら若手研究者と懇親会、かんたんな霧箱を作って放射線の飛跡を見ました。


霧箱で見えた放射線の飛跡。横からでている針の先は市販ランタンのマントル(芯)の繊維だそうで、ある銘柄の芯には放射性物質が使われているので、試料として使っているそうです。


最後のレクチャーで使われた写真です。ニュートリノがスーパーカミオカンデで捕らえられると、コーン状にチェレンコフ光を発します。それをタンクの上からみた可視化画像です。

午前、午後の講義で素粒子やニュートリノの話を聴いて、"少しは理解が深まった"というよりは"少しは素粒子が身近になった"というのが今回の成果でしょうか?
この催し物、本来は中学生や地元近隣のためのイベントのようでしたが、まあこういうイベントの例に漏れず、中学生の参加者は2名くらい、近郊の方もそんなに多くないようです。残りは首都圏からの小生のような"大人"ばかりといったようでした。
そのためか結構質問も高度なものが多く楽しめました。

小生としては、筑波の高エネルギー加速器研究機構で発生させた人工ニュートリノを、神岡のスーパーカミオカンデで捕らえてニュートリノ振動の精密な測定をする実験や、液体キセノンを用いたダークマター直接探索実験の話が聴けたのは収穫でした。

9月6日の高エネルギー加速器研究機構一般公開にもいってみようかという気になっています。

でも、もっとも面白かった話はスーパーカミオカンデで使用されている純水が、実は神岡鉱山の地下湧水で、その水を浄化して使用しているので、ほとんど費用がかからないことも、この神岡に実験施設を作る一因だったことでした。

P.S.
6日は朝9時神岡振興事務所駐車場集合ということだったので、東京からどういう風に行くか考えましたが、夜、松本から安房峠(トンネル)を抜ける山道の運転はシンドそうだったので、関越道ー上信越道ー北陸道と走り、富山IC手前の荒磯海PAで明るくなるまでエヴリイの中で寝ていました。
こういうときキャンピングカーに改造したエヴリイの威力を実感します。

帰りは渋滞にも会わず、安房峠(トンネル)をぬけて約6時間弱で帰宅できました。往復で800kmオーバーでした。
昨日からお盆の高速割引がきいていたのですね!ラッキーでした。
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430km/hをめぐる70年前の冒険ーローゼマイヤーの事故の背景

2009-08-05 16:59:03 | ロードスター
CG (カーグラフィック) 2009年 09月号 [雑誌]

ニ玄社

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CG(CAR GRAPHIC)誌は小生が中学2年(1962年)の時の創刊号から2000年位まで座右の書でした。CG誌の初代編集長の小林影太郎氏の文章からは、単に自動車というものへの考え方だけでなく、ライフスタイル(人生)そのものにも多大な影響を受けた世代のひとりです。
そのCG誌も最近は書店の店頭で手にとってさらっと目を通すのもでした。
しかし久しぶりに今月号(9月号)は購入しました。

表題の「430km/hをめぐる70年前の冒険ーローゼマイヤーの事故の背景 」が載っていたからです。
1938年、ヒットラー政権時のドイツで、国家の多大な援助を受けたメルセデス・ベンツとアウトユニオン(現在のアウデイの元会社)が公道上でのスピード世界記録を争っていました。

国家が科学技術のレベルを国家の威信としてとらえ、国民が科学技術の発展に夢を見ることができた時代の話です。

1938年1月28日、若き天才ベルント・ローゼマイヤー(最近でいえばセナのようなカリスマ・ドライバー)の操縦するアウトユニオン・レコードブレーカーはアウトバーン上の計測区間の9.2km地点で事故を起こし、ローゼマイヤーは帰らぬ人となりました。
430km前後で走行していたこのレコードブレーカーに何がおこったか?を"3つの仮説"として解説しています。

自動車ネタ、レースネタとしても今から70年前のレコードブレーカーの事故の話など普通の自動車雑誌などで取り上げる記事ではありません。

CG誌は誰がこの記事を読むと思って掲載したのだろう?

しかし小生(1948年生)が生まれる10年前のドイツの出来事、記事を読むうちにその後のヨーロッパの"予感"が、小生には想起されてきました。

小生が生まれる10年前(1938年)からその後の10年はこの地球にとって多大な悲しみに覆われた時代でした。
第2次世界大戦(1939年~1945年)の戦死者約2500万人、民間人犠牲者約2500万人、戦傷者約3500万人といわれます。

たった10年(3650日)なのに、人類にとってどんなに重い10年だったのでしょうか?

そんなことを思いました。

写真右のエンジンの模型はレコードブレーカーに使用されたと同じアウトユニオンCタイプの16気筒エンジンです。
レコードブレーカーにはこのエンジンを極限までチェーンしたエンジンが載せられていました。








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