CG (カーグラフィック) 2009年 09月号 [雑誌]ニ玄社このアイテムの詳細を見る |
CG(CAR GRAPHIC)誌は小生が中学2年(1962年)の時の創刊号から2000年位まで座右の書でした。CG誌の初代編集長の小林影太郎氏の文章からは、単に自動車というものへの考え方だけでなく、ライフスタイル(人生)そのものにも多大な影響を受けた世代のひとりです。
そのCG誌も最近は書店の店頭で手にとってさらっと目を通すのもでした。
しかし久しぶりに今月号(9月号)は購入しました。
表題の「430km/hをめぐる70年前の冒険ーローゼマイヤーの事故の背景 」が載っていたからです。
1938年、ヒットラー政権時のドイツで、国家の多大な援助を受けたメルセデス・ベンツとアウトユニオン(現在のアウデイの元会社)が公道上でのスピード世界記録を争っていました。
国家が科学技術のレベルを国家の威信としてとらえ、国民が科学技術の発展に夢を見ることができた時代の話です。
1938年1月28日、若き天才ベルント・ローゼマイヤー(最近でいえばセナのようなカリスマ・ドライバー)の操縦するアウトユニオン・レコードブレーカーはアウトバーン上の計測区間の9.2km地点で事故を起こし、ローゼマイヤーは帰らぬ人となりました。
430km前後で走行していたこのレコードブレーカーに何がおこったか?を"3つの仮説"として解説しています。
自動車ネタ、レースネタとしても今から70年前のレコードブレーカーの事故の話など普通の自動車雑誌などで取り上げる記事ではありません。
CG誌は誰がこの記事を読むと思って掲載したのだろう?
しかし小生(1948年生)が生まれる10年前のドイツの出来事、記事を読むうちにその後のヨーロッパの"予感"が、小生には想起されてきました。
小生が生まれる10年前(1938年)からその後の10年はこの地球にとって多大な悲しみに覆われた時代でした。
第2次世界大戦(1939年~1945年)の戦死者約2500万人、民間人犠牲者約2500万人、戦傷者約3500万人といわれます。
たった10年(3650日)なのに、人類にとってどんなに重い10年だったのでしょうか?
そんなことを思いました。
写真右のエンジンの模型はレコードブレーカーに使用されたと同じアウトユニオンCタイプの16気筒エンジンです。
レコードブレーカーにはこのエンジンを極限までチェーンしたエンジンが載せられていました。