むさでん業務日誌帳(改)

むら@車掌の徒然模型日記・・・・(ちょっとだけ愚痴もあるよ!)

悩みどころ・・・・

2019-03-28 21:43:12 | 八高線

木曜日・・・・

明日に迫った会議の準備で今日も一日多忙な時間を過ごしました・・・。仕事上の事とはいうものの 久しぶりに味わう緊張感は 決して悪い感じではありません。今更どう もがいたところで 後はなる様にしかならない訳ですから。

・・・・・・・・・・・・・・

頭を切り替えて今日もまた模型の話でも書いておきます・・・・

TOMIXの再生産情報に 1/80 HOスケールの 寝台特急 あけぼの編成が揚っていました。JR化後の個室寝台車を含んだ編成が仕立てられますが これを購入するかどうか迷っています。 迷う理由は「資金不足」といったところでしょうか・・・?(笑)。元々HOスケールのほうは 場所的に 早々 自宅で走行させる事など無いだろうから コレクション程度に保有するぐらいに感じているのですが 父母が他界した今となっては 部屋に線路を敷きっ放しにしたところで 日常生活に支障が無い部屋も出来たことから 購入を考えても良いのかな?なんて事を考え出してしまいました。 まあ そんなスペースがあったら HO以前に Nの線路を敷き詰めたいところですが・・・。

こうした事を書いているのは 気持ちの上では 購入が決定した事を示している証拠なんだろうけど ネット通販の購入ボタンは まだ押していないのです・・・・(笑)。


割り切る。

2018-08-07 20:56:36 | 八高線

火曜日の今日・・・・

またまた所要で仕事を休むことになってしまった・・・・。 

夏季休暇前の大事な?一日だったけど まあ仕方が無い事と割り切る事にします。

もはや勤務評価も何も関係無い・・・・

あとは野となれ山となれって感じかな?

まあ 色々あって 心が荒れているのは確かなようです。


いたしかたない・・・・。

2018-07-20 17:17:30 | 八高線

金曜日・・・・

今日はまた仕事を休んで 朝一番で父の入院している病院へ向かう事になりました。 7月ももう20日・・・、ここにきて後期高齢者用健康保険証の更新や入院費用の清算期日等 色々とかさんでしまったのがその理由・・・。 何だかんだで病院の入院費用も一か月分ともなると結構な負担となってしまいますが これも仕方がないのでしょう・・・・。

朝9時に自宅を出発・・・、車に乗り込むと 早くも温度計は31℃を指していて エアコンを効かせて病院へ向かいましたが 車を運転していても日差しのほうは半端ない・・・・ 路面の照り返しもあって車移動も大変ですな。

9時半に病院に到着し、窓口で早々に精算を済ませると 面会時間外ではありましたが とりあえず父のところへ向かいました。 約2週間ぶりに顔を見ましたが 相変わらずといったところ・・・・ 療養中とはいうものの もはや退院後の社会復帰など極めて困難なのでしょう。 そう思ってしまうと 気分は一気に落ち込んでしまう訳・・・・ 何のために入院費用を負担しているのか判らなくなってくる。 何だかんだと話をしながら30分ぐらい居たのだろうか・・・・ ちょうど介護士さんがやって来て これから車椅子に乗ってのリハビリ療養が始まるとの事で もう少し付き合う事にしました・・・。 介護士さんからすれば 身内に見守られている事は 当人のためにも良い事と言いたい事でしょう・・・・ 自分も確かにそう思う反面、只々父と話をしていると 徐々に こちらが感情的になってしまい ついつい本音を言いたくなるもので 結果的に あまり良い事は無いのですけど・・・・。

・・・・・・・・・・・・・・・

こうして1時間ほど父の様子を伺った後、病院を後にしました。 帰る際、介護士さんが車椅子を押し 病院の出口まで父を連れ出してくれましたが、この外の暑さを 父はどのように感じたのか・・・? こんな暑さの中にあっても 入院してくれている事で熱中症等々、心配する必要が無いというのが入院費を払う価値だったりするのだろうか・・・? そんな事を思いながら 帰路の車を運転していました・・・・。

・・・・・・・・・・・・・・・・

自宅近くまでやってくると もうすぐ正午・・・・、 家で昼食をとるにしても いつものようにスーパーへ買い出しにいかなければならないし 何といっても変わり映えしない・・・・。 そんな事で 自宅前をスルーして どこかの店で外食する事にしました。 牛丼・・・、回転すし・・・、それともラーメン・・・・?と、とりあえず車を走らせた結果、 入店したのは丸源ラーメンでした・・・(笑)。 ランチメニューの 肉そば+チャーハンセットを注文・・・、久しぶりのラーメンに気持ちも満足といった感じ。 いやいや 自宅をスルーして正解でした。

・・・・・・・・・・・・・・・・・

帰宅後は もう何をする気にもならず・・・・ 部屋のエアコンを入れて 夕方までゴロゴロするのみ。 結局 昼寝をしてしまったようですが、 午前中の事が脳裏にあったせいか ちょっと変な?夢をみてしまった・・・・。 やはり ラーメンを食べたぐらいでは気分転換ははかれそうにないって事かな?


焦心。

2018-05-18 22:07:30 | 八高線

気がつけば今週も金曜日・・・・

父の件で一昨日・昨日と連休してしまった私にとって 正直なところ 仕事以上に心身に堪えているな~っ!という印象。 本当、綺麗事は云いません・・・・只々焦心するばかり。 そんな事で 今日はひとまず職場に復帰してみましたが そろそろ自分自身の進退も真剣に考えなければならないのかな・・・・? なんて事も思うのです。

僅か一日の仕事を終えて 終業時刻を迎えると 自分の中には2つの気持ちがある訳で・・・・ 一つは 「早く帰って 食事や入浴の手伝いをしなければならないな・・・」という気持ち。 もうひとつは「今日は 家に帰りたくない・・・・ 何処かへ行ってしまいたい」という現実逃避の気持ち。 当然ながら 後者のほうは出来るはずもなく 只々重い気分で帰宅の途につくのです・・・・。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

今日のニュースで取り上げられていましたが 西城秀樹さんがお亡くなりになったとの事。大病を患っていた事は存じておりましたが 享年61歳ですか・・・・・早過ぎます。 自分たちの世代にとって 秀樹さんは まさにアイドルでした。 男女問わずに人気を獲得していたのも当然といった感じ。 今回の訃報を経て テレビニュースで往年の映像を眺めていましたが 単なるアイドルといった言葉では表現出来ない 真の実力派エンターティナーであり、ロッカーだったように思うのです。 秀樹さんこそ 日本人最高のロッカーだと かつて誰かが云っていたのが記憶に残っているのですが 自分が それを再認識したのは ちびまる子ちゃんのエンディング曲にもなった「走れ 正直者」という楽曲・・・。 あの歌を聴いていて 本人以上に上手く歌える歌手など居ない・・・と思いましたよ・・・。 愉快な歌詞のテンポ良い楽曲で熱唱する秀樹さんには まさに秀樹節?といった感じで 本当に恰好良かった。 これぞ真のエンタティナー・・・・・誰にも真似は出来ませんもの・・・。  自分にとって少なからず憧れを抱いた人として 亡くなってしまったのは残念でなりません。 謹んでご冥福をお祈りします。


八高線のキハ30・35(相模線からの転属車たち・・・・)

2017-11-26 21:43:17 | 八高線

八高線のDCといえばキハ30・35形が主力でしたが、その中でも1991年の相模線電化開業で八高線に流れてきた車両たちを載せてみる事にします。

キハ30 26・・・・

1992.01.19 箱根ヶ崎-金子 間にて撮影

車歴を調べてみると新製配置が1965.06.福井とありました。同僚キハ30 25とともに1969年に相模線に転属してきたようです。雪国での運用の影響からか 正面にタイフォンを装備しているのが特徴の車両ですが 25 のほうはシャッター付タイフォンで こちら26のほうはスリット付タイフォンカバーと それぞれ異なっていたのが興味深いところです。 相模線を追われ八高線にやって来ましたが 若番車というのもあったのでしょう・・・・然程 長くは使用されず、1993.03.に廃車となったようです(写真のように正面の方向幕部が紙貼りとなっているところにも 余命の短さを感じさせます・・・・)。 車歴上で 最終配置が茅ヶ崎となっているところをみると 正式な転属ではなく 貸出扱いだったのかもしれません。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

キハ30 77・・・・

1992.02.01 箱根ヶ崎-金子 間にて撮影

相模線からの転入車の中には 早々に正面貫通扉を交換したものがあり、正面から見ると 扉の朱色が ちょっとしたアクセントとなっていました。八高線のキハ30・35形というと 思い出されるのが 冬の隙間風対策・・・・。 運転席部分の通風孔部分にガムテープを貼った隙間風対策は車両外観からもよく判り ある意味「冬支度」といった感じでした。 この貫通扉の交換はその対策の一環だったのか定かではありませんが その後の工場入場時に 車体共々朱色5号に塗装変更されてしまい 他のキハ30・35形と同様になってしまったのは趣味的に残念でした・・・。

参考・・・塗装変更後のキハ30 77・・・・

1992.09.12 金子駅にて撮影・・・。 顔が跨線橋の影に覆われていますが車体が首都圏色となった姿です。よく見てみると交換された貫通扉以外の正面窓は 灰色Hゴムのままとなっていました。 77の廃車は1996.05.とあり 八高線のキハ30・35の終焉期まで活躍していたようです。

 

参考その2・・・・通風口にガムテープのキハ30 39

1990.01.21 箱根ヶ崎-金子 間にて撮影

運転室部分と貫通扉上にある通風口がガムテープで封しされています。冬季の八高線ではごく当たり前の装備?だったように記憶しています・・・。 そういえば上の画像のように交換した貫通扉には上部の通風口が無くなっていますね・・・・。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

キハ30 97・・・・

1992.01.26 箱根ヶ崎-金子 間にて撮影・・・・

これも77同様、貫通扉を交換したもののようです。

首都圏色に変更後の姿・・・・

1992.12. 箱根ヶ崎-金子 間にて撮影

この97は 1996.10.廃車とあり 77同様、八高線のキハ30・35終焉期まで活躍を続けていました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

キハ35 212・・・・

1992.02.01 箱根ヶ崎-金子 間にて

1992.09.12 金子駅付近にて

この212の車歴をみると 廃車は1992.12.となっていたので 恐らくは首都圏色とならず このままの姿で廃車に至ったものと思われます。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

相模線を追われたキハ30・35の八高線時代の画像をあげてみました。 興味深いのは車歴上の最終配置が茅ヶ崎だったり八王子だったりする車両があった事。 相模線の電化開業後、八高線に流れてきた仲間の中には 正式な転属扱いをとらず 貸出扱いで運用されていた車両も含まれていた点が興味深いところです。 また 首都圏色への塗装変更も大部分が1992年中に完了していたようで 今に想えば 僅か1年足らずの期間だった事も我ながら驚きました・・・。