つれづれ読書日記

SENとLINN、二人で更新中の書評ブログです。小説、漫画、新書などの感想を独断と偏見でつれづれと書いていきます。

どーしても……ねぇ

2007-09-30 14:49:21 | 小説全般
さて、書店でバイトしてたことがあるとよくあるんだよねの第907回は、

タイトル:ヴィヴィアンの素顔
著者:花井愛子
出版社:集英社 集英社文庫(初版:'97)

であります。

お初の作家さんですが、名前だけはずぅっと前から知ってたりして。
まぁ、大学時代に本屋でバイトしてたから、講談社のピンクの背表紙の文庫のところでやけーにたくさん並んでいたのでね。

でも、Amazonで検索してみると、完全に少女小説のジャンルからは遠ざかってる感じだねぇ。
確か山本文緒も、もともと少女小説でデビューしていまあんなだから、昔からこんなだったのかもね。
いまラノベ出身で単行本出して大々的に宣伝してるけど、少女小説のジャンルのほうがぢつは早かった、のかも。

さておき、本書の話をせんとあかんな。
では、ストーリー。

『小原紅子は小さいころから、ずっと名前にコンプレックスを持っていた。
紅子は「コウコ」と読むのに、母親は「コッコちゃん」と呼び、近所のおばさんは「べに」と呼んだり。
さらに関西でお新香のことを「こうこ」と呼ぶことから、ぜんぜんうれしくないあだ名を付けられたりとさんざんだった。

そんな子供時代のおかげで地味で暗くて真面目なだけが取り柄の女のコ……しかも母親が仕事をしていて放任だったこともあり、不摂生を重ねてデブになってしまった紅子は、暗い小学校時代から逃げるように私立の中学に入学する。

そこでも相変わらず、地味でデブという別のコンプレックスを持ったまま、中学校生活を送っていた紅子は、あるとき、クラスメイトの山岸芽理に紅子の名前は、「風と共に去りぬ」のスカーレット・オハラから来ているのではないかと言われる。
そのことを知ってスカーレット・オハラ=ヴィヴィアン・リーに憧れるようになった紅子に、芽理はまたしても何気ない一言を言う。

「オハラっさーあ。やせたら、絶対にモテるよねっ」

ダイエットをすればヴィヴィアン・リーのようになれるかもしれない、と奮起した紅子はその真面目さと勉強熱心さから1年近くかけてダイエットに成功。
芽理の言うとおり、男性から声をかけられるようになった紅子だったが、本質はそう変わるわけでもなく、相変わらず地味で人見知り気味で流されやすいところは直らない。

けれど、そんな流されやすさと真面目さが、変な方向に紅子の感覚を歪めていく。』

けっこう、どろどろを期待したのに、ぜんぜんどろどろではありませんでした(T_T)
いや、それは別にいいんだけど(笑)

さておき、本書は主人公である小原紅子の幼少期から社会人になるまでを描く物語で、小学校時代の暗い過去から中学校でのダイエットの成功、モテるようになってからの紅子の変化などが一人称的な三人称の文体で軽快に描かれている。

とは言え、どーしてもこの文体はいまいち好きになれない。
別に軽快なところもあり、暗くなりがちなところでも書き方でユーモラスになったりといいところはあるとは思う。
でも、本書は説明的な描写と著者のツッコミの差が激しすぎていまいち。
また、説明文がダラダラと続くところがあり、またそういうところで「ダラダラと説明したのには訳がある」みたいな書き方をされると余計にげんなり。

ただでさえ、説明部分は読むのがめんどくてうざったいのに、そういう言い訳がましいことを書くなよ、って気になってしまう。

とは言え、ストーリーそのものはどろどろじゃなかったけど、それなりに読めた。
ちょいと紅子と芽理以外のキャラに、「そうか?」ってツッコミ入れたくなることはあるものの、そうしたところを除けば無問題。
特に、ラスト、社会人になり、芽理と再会し、芽理とふたり居酒屋で飲みながら、芽理の言葉に紅子が取った最後の仕草というところで終わらせるところはいい。
見方によっては中途半端な終わり方に思えるかもしれないが、無駄に後日談を書かずにそこからの紅子を十分に想像させることが出来るものになっていて、読み終わったときの読後感はかなり良好。

ラストよければすべてよし……とまでは言わないが、このラストがなければ、本書の評価はかなり下がったと思う。
そもそも読み始めたときに文体に拒否反応が出たりしたので、余計に(^_^;

と言うわけで、ダメなところもあるし、いいところもある。
濃い話が好きなひとには成功から転落みたいな部分がないので物足りないかもしれないが、そういうのを気にしなければまぁまぁ読める作品ではあろう。
オススメ! とは確実に言えないけど、どう? と言われればまぁいーんじゃない、くらいには言えると言うことで。

総評、及第。


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