つれづれ読書日記

SENとLINN、二人で更新中の書評ブログです。小説、漫画、新書などの感想を独断と偏見でつれづれと書いていきます。

楽しむところが違うのかな

2006-10-21 18:52:22 | 小説全般
さて、雰囲気を楽しむべきなんだろうかと思ったりもするの第690回は、

タイトル:まぶた
著者:小川洋子
出版社:新潮社 新潮文庫(初版:H16 単行本初版:H13)

であります。

「飛行機で眠るのは難しい」
ウィーンへ向かう飛行機の中で、「わたし」は隣の男に「飛行機の中で眠るのは難しい」と語りかけられたことがきっかけで、過去に男が飛行機の中で隣になった老婆との出会い、会話、そして男の腕の中で死んだ出来事を聞く。

初手から妙なリアリティと幻想が入り交じった小品で、最初と最後の私の思いからは男の話を聞いて、少し前向きになった「わたし」が見えるが、ラストの一文は、透徹した包容力、優しさと言ったものを感じさせる。

「中国野菜の育て方」
「わたし」も夫もつけた憶えのないカレンダーの12日につけられた丸。その12日に仕事を終えて帰宅したわたしは、パン工場の裏で農業をしていると言う行商の老婆からいくつかの野菜を買い、サービスで中国野菜の種が入った土をもらう。
その中国野菜は、育つにつれて何故か夜になると淡く光るようになっていく。

いとけなく、弱々しい光る植物とラストの静謐の余韻がよい。

「まぶた」
あるレストランの裏路地で知り合った父よりも年上に見える男と、わたしは片道数分の船で行ける島で奇妙な逢瀬を重ねていた。そこでは弾いたことのないバイオリンや、手術でまぶたを切り取ったハムスター、そして男との奇妙な時間を過ごしていた。

15歳の少女と、年の離れた男との現実離れした逢瀬、男の過去とハムスター、少女のまぶたを巡る非現実から一気に現実に戻されるラストは、少女のように非現実の狭間から出られていない奇妙な感覚を味わえる。

「お料理教室」
いくつかの料理教室を巡り、ようやく自分の思う料理教室を見つけたが、昼の部はわたしひとりと言う状態。しかも先生は生徒であるわたしに教えるより自分がどんどん進めていく。そんなとき、家の排水溝の汚れを掃除すると言う二人連れの男が訪れ、掃除を始める。

ある意味、不条理小説。
ただし、非現実の色が薄くて前の短編よりも雰囲気に乏しいの難点。

「匂いの収集」
あらゆる匂いを収集することを趣味にしている彼女。そんな彼女は僕の髪をすくときでも大切なものを手に取るように落ちた髪や埃を丁寧に取りのけていくような女性だった。そんな彼女の部屋には、いままで集めたありとあらゆる匂いが収められた瓶が整然と並べられていた。
ある日、瓶のストックがなくなって買いに行った合間に、僕はその収集品のいくつかを眺めた。

「刺繍する少女」に収録された「森の奥で燃えるもの」と同系統の作品。
「刺繍する少女」のほうが古い作品なので、二番煎じな印象でおもしろみは少ない。

「バックストローク」
オリンピック強化選手に選ばれるほどの弟は、ある日から左腕が上がったまま、下ろすことが出来なくなってしまう。弟のために庭にプールまで作ってしまう母、酒浸りの父などの家族の中で、弟は変わらず、わたしは弟の泳ぐ姿を見るのが好きだった。

「偶然の祝福」の「盗作」に出た同名の作品の本編、と言ったところ。
なのでわかっている筋立てを改めて読む形になり、いまいち。
ただ、ラストはすんごい気になる終わり方をしているので、あれこれ想像できるがすっきりしないのはマイナス。

「詩人の卵巣」
不眠症を治すきっかけになればと訪れた旅行先で、わたしは物乞いと称する少年に誘われ、ある詩人の記念館を訪れる。そこで案内役の老婆と少年とともに、ある詩人の名残を見聞きする。

全編通して現実感が希薄だが、詩人の一生、そして出会った老婆と少年のふたりからもらった森と眠りがとても優しい。

「リンデンバウム通りの双子」
ロンドンに留学している娘の起こしたある小さな事件のため、ロンドンへ赴くこととなった僕は、自分の作品をドイツ語に翻訳して出版してくれているハインツに会いにウィーンを訪れた。
予想をはずれ、老齢だったハインツは、さらにカールというよく似た双子の兄がいた。そのふたりとともに仕事の話をしたあと、ふたりの過去の話をし始める。

ロンドン行きにかこつけて立ち寄ったウィーンでの双子の老人との出会い、話から「僕」が感じたこと。それがラストに集約されている。
ただし、「飛行機で眠るのは難しい」と同系統の話に思えるところはマイナス。

以上8編の短編集だが、著者らしい作風だろう。
だが、似た話があったり、既出の本の作中作があったりと全体としての評価は低めにならざるを得ない。
短編集なので、いいのがあればいまいちなのがあるのは仕方がないところではあるが……。