のんびり娘の謎

10円が2個で、、、12円?今日の前の日は、、、前の日?のんびり娘のお答えは、理解できない謎ばかり。さぁ、どうする?

クラスの荒れ。一(5年までのこと)

2006-04-11 14:33:47 | クラスの揺れ
のんびり娘を育てていると、色んな事に敏感になります。
こちらがアンテナを伸ばしていないと、娘からはなかなか情報が取れないから、必然の成り行きなのでしょう。

1年の時から、「苛めは、あってもおかしくない。早めの対応と周囲の巻き込みが有効。」と考えて、クラスの子ども達、親たちの観察は怠りなかったつもりです。
娘がターゲットになったわけでもないことでも、気付けばさりげなく担任に知らせ、早めに対処してきてもらいました。
お蔭で3年まではたいした問題なし。
しかし、4年になって、少々事情がかわりました。

新しい担任には、私の言葉が届きません。
のんびり娘は、「能力」のせいではなく「やる気」の問題、或いは「親が手を出しすぎるために自分から動こうとしなくなった」とみなされたようです。
だからといって、娘に意地悪をしたわけでは無いけれど、娘の能力以上の事が要求され、娘は授業中何も出来ない事が増えました。
「自分の力でやりなさい!」と、課題は家庭に持ち帰られず、どんどん残っていくばかり。
3年かけて培った、「ゆっくりでも必ず最後までやり遂げる頑張りやさん」というプライドは彼女から引き剥がされました。

グループごとに速さやアイディアを競わせる手法は、足を引っ張る娘を「邪魔者」と思わせる空気を呼びます。
一学年1クラスでやってきた中に、一度に数名入ってきた転校生達には特に、「自分のチームに入れば損をする変な子」という印象が強かったのでは無いでしょうか。
意地悪の発端は、転校生達でした。

さり気無く仲間はずれにする。近づいていっても知らん顔。
娘のほうを見て内緒話、そして大笑い。
本当は何を言っていたのかわからないけれど、娘にとっては充分過ぎる試練でした。

それでも、このクラスはのんびりと穏やかな子が多く、時期が違えば娘にとってそれ程の負担にはならなかったと思います。
3年までの苛めの芽は、結局それに乗ってくる子が殆どいないという理由で大きく育たなかった、そんなクラスなのです。

4年生というのは、女の子がグループを意識し始める頃。
穏やかなキャパの広い子達も、自分の親友作りに悪戦苦闘し、娘のフォローまで気が回らなくなっていました。どの子も自分の場所を作るのに精一杯。娘の事どころではなかったのです。

その時期であっても、
担任の先生が、もう少しのんびりとクラスにいられる人だったら、それでも違っていたと思います。この先生は優秀なために出張が多く、いつも小走りで移動しているような方だったのです。
3年まではちょくちょく「お残し」をしてもらい、先生と個人的に話す事が出来たのに、4年の担任は忙しすぎて、のんびり娘のわけのわからん話に付き合っている暇はありません。のんびり娘のペースはこの先生にとってこそ、「謎」であったに違いないのです。

親の私も、学業の手ごたえがそこそこ見えてきたことで、「ここまでくれば一安心」という気持ちになっていました。また、彼女の見せる兆候を「反抗期」だと決め付けていました。人並みに反抗期がきてよかったなと。

色んな事が重なってしまいました。

娘は学校で話す相手がいなくなり、何時の間にか自分から硬い鎧を身にまとって、皆に背を向けるようになっていました。
自分から近づかない事で、拒絶される苦しさを味わう事のないようにしたのだと思います。

うつむいて他人と目を合わさず、挨拶にも反応しない。
その対象が、校内から習い事の友達にまで広がって、始めて私は気がつきました。
変だ。反抗期にしてもおかしすぎる。

参観日。
20分休みも、黙々と勉強や授業の仕度をする娘。
誰とも会話をしない娘を見て愕然としました。
「○○ちゃん偉いですよね。最近頑張っているんですよ。」と話し掛けてくる担任に唖然としました。
この人は、いったい子供の何を見ているんだろう。

娘は、保健室で時間を過ごす事が増えていたのだそうです。
それも担任は後から告げてきました。さも困った事というように。

あれだけ人懐っこい娘が、学校で一日誰とも口を利かずに過ごすのです。
彼女の話を向き合ってちゃんと聞いてくれる養護の先生は、救いだったに違いありません。
おそらく本人は、そうと気付いていないうちに、しっかり心のバランスをとる行動をしていたのでしょう。


担任に、手紙を書きました。
娘の力では「自分から入っていく」勇気がまだもてないこと。
家庭で励ましているけれども、自分から声をかけられるようになるまでには、まだしばらくの成長が必要な事。
それを待つ間に、娘が壊れてしまいそうな事。
わざと仲間はずれにする動きだけは、止めて欲しい事。
他人の事に気を回せる余裕のある子が、このクラスには必ずいるから、手を差し伸べてくれるよう働きかけて欲しい事。

担任は即座に対応してくれました。

そしてその日から、娘の顔に笑顔が戻りました。
親がどれだけ頑張っても取り戻せなかった笑顔。
友達のほんのちょっとの優しさで、娘はまた顔をあげる勇気がもてました。
そういう力のあるクラスなんです。


でも、だからといって、意地悪さん達は消えてしまったわけではありません。
5年生になってからも、一部の女の子が、わざとのけ者にするところを目撃しました。
でも、もう娘は顔を下には向けなかった。
その子達の声を背中で聞きながら、顔をあげて私に向かって微笑んで見せた。
やせ我慢でも大したもんです。
そう、いじけの時期を乗り越えて、娘は少しだけ成長しました。
「皆が自分を嫌いなんだ」とは思い込まなくなっていた。
「いつかきっと」を信じられるようになっていた。

5年で代わった新しい担任は、ゆったり穏やかなペースの人で、
娘の独り言のような話にも、ニコニコと付き合ってくれました。
娘が「独りぼっち」にならないように、気を配っていてくれました。

2週に1度の教育相談(娘はただ遊ぶだけですが)。
放課後の学童保育での異年齢集団。
こうしたものが、娘を支え続けてくれました。

そして、クラスの子ども達が持っているほのぼのとした雰囲気。
5年生になっても、男女一緒に放課後ドッジボールで盛り上がっているような子供っぽいクラスは、のんびり娘には居心地が良かったはずなのです。(続きます)