たしろ高原へ行く
とまりぎ
田代ロープウェーに乗って、山の上へ行く。
ライオンのマークがあるから、西武系だ。
発電所の上を通る。下の湖は二居湖だ。上へ行くにつれて湖の見え方が変っていく。
約10分ほどで山上の駅に着く。今度は上の田代湖(カッサ調整池)が見える。
湖の緑色が濃い。 水を繰り返して使っているためだろうか。クロレラのような植物が繁殖しているのかもしれない。ダムの堤は奥の方にある。
降りていって、紅葉が点在するたしろ高原をゆっくりと標識にあるドラゴンドラへ向って歩く。
昼になったのでレストランアルムへ入り、蕎麦かカレーライスぐらいしかないから、カレーにした。
雪のないゲレンデは木々が無く、人も少ないので妙に寂しい。冬にはスキーの人たちで賑やかになることだろう。
奥清津揚水式発電所
とまりぎ
健保組合の宿泊施設での一泊後、朝9時にマイクロバスで出発した。風は昨日ほど強くなく、ロープウェーにも乗ることができそうだ。
国道17号から田代ロープウェーの乗り場の奥の道へ入って、トンネルを抜けると発電所に入る。発電設備の向こうには壁のようにダムがある。OKKYと書いてある建物は、第二発電所で見学させてくれる。
図の右にある湖が揚水式の下側の二居調整池になっている。
発電機のひとつと、その下の階に降りて回転軸を観る。真夏の昼には発電することが多かったようだが、涼しくなってきて会社や家庭が冷房を使わなくなると発電の必要がなくなるようだ。
発電所のマイクロバスでダムの堤の上へ連れて行ってもらう。
施設の全体が見える。ダムに近いところが奥清津発電所で、少し遠くに第二発電所が見える。
堤から上を見ると、田代ロープウェーがすれ違うところだった。
揚水式発電所には上と下の池が必要だ。上の池から水を下の池に落下させるときに発電する。夜間電力で下から上へ水を揚げておいて、いつでも発電できる状態にしておく。有効落差470mで、第二発電所もあわせて160万kwの発電能力がある。
電力は需要と供給がバランスしていないと、電圧も周波数も規格の範囲を超えてしまう。揚水式発電所は環境にやさしく、しかも必要な時に必要な分だけ発電できるスグレモノだ。
越後湯沢へ行く
とまりぎ
異業種交流会では、今回はエネルギーを考える一環で、新潟県南魚沼郡湯沢町三国にある奥清津発電所へ行くことになった。
新宿西口に集った15人が、マイクロバスで出発したのは朝8時30分だった。
関越自動車道で、湯沢ICから比較的近い健康保険組合の保養施設へ午前中に着いた。庭に見る木は、本格的ではないが紅葉が始まっている。
昼食のリストの中から頼んでおいた「海老と鯵のフライ」が来る。新潟の海産物は日本海から運ばれる。
予定していたゴンドラでの山の上へ登ることは風が強くて、急きょ予定変更で湯沢元町にある雪国の宿「高半」へ行く。
上越新幹線の線路の上にある。越後湯沢駅から近い。
ここが「雪国」を川端康成が執筆した宿だ。改築したため、その部屋は二階に移築保存されていた。映画の撮影風景の写真があった。すでに故人の人が多い中に、八千草薫も写っている。高半は800年以上の歴史があるとのことだ。入館料500円。
その部屋の窓から山が見える。案内板に書かれている山の名前を良く見ると、奥に見えるのは谷川岳だ。
以前、谷川岳一ノ倉沢を間近で観たのは、ちょうど反対側になる。
新幹線の新潟方向が見えるはずだと、行ってみるとトンネルの中だ。ちょっと目を右へずらすとガーラ湯沢駅がすぐ近くだ。
湯沢の街を越後湯沢駅まで歩くことになって、過去に泊った双葉を見た。
雪のない雪国は、山間にのどかな観光地といった雰囲気だった。越後湯沢駅からほくほく線に乗れば、十日町は近い。友人の一人が十日町の郊外に住んでいるが、今回は会う時間がない。彼の案内で、松代町の温泉宿に泊ったこともあった。来月の同窓会には出てくるようだから、その後の近況を聞くことができる。
さて、駅の売店を一通り見たら、宿へ戻ることにしよう。
成城みつ池
とまりぎ
野川沿いの野川緑地広場を南へ歩くと、国分寺崖線に成城四丁目十一山市民緑地がある。階段を登っても上の道へ抜けることができない、小さな緑地になっている。
崖の上にあるから、晴れていれば富士山も望むことができるようだ。
さらに南へ歩くと、成城みつ池の案内板がある。湧き水が池をつくっていて、野川へ注ぐ。
成城みつ池は上の道にも面している。 一角に成城第三苗圃がある。
柿が色付き、熟したのはカラスにでも食べられたようだ。秋の緑地には落葉が積りはじめた。
成城みつ池の案内板が、ここにもある。崖下の地図とは上下が逆になっているのは、観る人に分かりやすくとの配慮だろう。
あまり手を入れずに、自然に伸びた木々の雰囲気がいい。
野川沿いの野川緑地広場にはビジターセンターがあって、国分寺崖線の自然の展示コーナーがある。(財)世田谷トラストまちづくりボランティア団体の活動拠点になっているとのことだ。
小田急線の南側には、成城三丁目なかんがの坂市民緑地、成城三丁目崖(はけ)の市民緑地、成城三丁目こもれびの庭市民緑地、成城三丁目市民緑地などが点在している。
昔から成城に住んでいる友人がいて、一声かければ出てくるのだが、またの機会にしよう。
六本木から恵比寿
とまりぎ
東京ミッドタウンを一周して、正面のフジフィルムスクエアへ入る。ここが中間のチェックポイントになっている。
六本木交差点へ向うと角のビルにアマンドがある。昔とは建替えて雰囲気が変ったようだ。
六本木ヒルズを見る。
奥にハリウッドビューティプラザがある。これが今度外苑中学の同窓会で、会場を借りることになっているところだ。
中国大使館の前を通って、有栖川宮記念公園へ入る。
橋を渡る。公園は昔の見覚えのところだ。
下の道にあるベンチで、子供たちがゲームに熱中している。
公園内に赤く目立つキノコが並んでいる。調べてみるとタマゴダケで、食べられるようだ。
ここで、カメラがバッテリー切れになってしまった。公園の池を巡って外へ出る。広尾橋の商店街を見て、恵比寿ガーデンプレイスへ向う。恵比寿三越の一階にゴール対応の機械がある。
青山辺り
とまりぎ
骨董通りを越える。ここには岡本太郎の美術館がある。
根津美術館がある。改装されてきれいになったのは、5年くらい前だったろうか。
庭が面白かったのだが、入場料なしでは入ることができなくなった。
直進すると青山墓地の中へ入る。
乃木神社脇へ出るトンネルが見える。
墓地下へ向う道。
信号を越えると、US ARMYの建物。奥には日本の国旗と並んで米国の国旗が揚がっている。
米軍の新聞発刊の施設だと思ったが。
曲がりくねった坂道を上ると、国立美術館。
この建物も曲線が使われている。この曲線にも少々飽きた。
青山を通り抜けた感じだが、裏道で賑やかな青山通りからはちょっと離れて静かなところだ。
駅からハイキング
とまりぎ
JR東日本の駅からハイキング期間設定コースの中に「恵比寿・六本木」があり、歩行距離約8kmと記載され、歩き通せる程度なので参加した。
恵比寿駅のアトレ恵比寿3階で朝10時から受付とあるので、少し早めに着いたがすでに50人ほど並んでいた。もらった地図を良く見ると、歩行距離約9.7kmになっていた。
朝のコーヒーを一杯飲んでから歩き始めた。渋谷橋を越える。下に見えるのは渋谷川だ。
歩道橋の上からの明治通りの天源寺方面。
同じく歩道橋の上から広尾方面の上り坂。左側に広尾小学校、広尾高校、広尾中学が続く。
歩道に立っているのは、通学路としての配慮か。
右側に山種美術館がある。山種美術館は、何年か前に皇居の近くにあって、そこへは行ったことがあった。ここへ移ったのは2年ほど前だっただろうか。
氷川神社へ入る。
国学院大学を通り過ぎて、南青山へ向う。
豪邸の門構え。皇宮警察の警備だ。
神田須田町
とまりぎ
東京メトロ丸の内線淡路町駅と都営新宿線小川町駅は乗換駅になっていて、このあたりが須田町だ。地上へ出ると靖国通りが通っている。横道に入ったところに天丼の「いもや」がある。久しぶりに行ってみようと思ったら、閉まっていて建物を取り壊すことになっている。
その近くを良く見ると、かなり古い建物が多い。
銅板の緑青が目立つ建物。木よりも火事に強いということで、昔の建物には多い。建築当時は最新式だったのだろうが、今では銅葺きは新東京駅丸の内ぐらいだろう。
すでに取り壊しが始まっているようなビルもある。もうすぐ無くなってしまいそうだ。
お知らせ看板だけが目立つ店も。
まだ営業している店もあるが、建物の経過年数はほぼ同じくらいだろう。
第二次大戦で東京は壊滅状態になったのだが、このあたりは焼けなかったところだ。そのまま長い年月を経て、今後の地震による火災に備えて建て替えることになったようだ。
古い町並みが消えてゆく。
九品仏
とまりぎ
芝の増上寺で、今年が法然上人八百年御忌(ぎょき)大会とあったので、同じ浄土宗の九品仏浄真寺へ出かけた。
この年に向けて、改修工事をやっていたのが終って、きれいになっている。
本堂の扉が開いていて、上へ上れるようだ。
釈迦如来とある。
本堂の向いにある堂の真中が上品(じょうぼん)堂で、ここも扉が開いている。ここには三躰の阿弥陀仏がこちらを向いている。堂はこの左右にも中品堂と下品堂があって、三つの堂に九躰の阿弥陀仏。これが九品仏だ。
参道の途中に閻魔堂がある。
長野県の川中島のあたりの寺へ入った時に、閻魔様の前で説明してくれる老婆がいた。観光客は多かったのだが、中に中学生ぐらいの若者がいた。暑い時で熱中症だったのだろう。倒れてしまった。すると突然婆さんが「正気かよぅ」と言ったのだった。
閻魔様を見ると、そのときのことが思い出される。
自由が丘の街
とまりぎ
東急東横線と大井町線の交差する自由が丘駅の周辺は、人の多く集るところだ。特に東急沿線のひとたちにとっては、足の向く街なのだろう。
駅の改札を出たところに昔からあるのが、自由が丘デパートだ。
一階の通りを歩く。地下にも階上にも店がある。この自由が丘デパートを歩く時間は、そう長くないうちに外へ出て、向こう側に続いている商店街へ入る。この雰囲気が神戸の街にもあった。
サンリキ&ひかり街とある。これは結構長い。通り抜けて東横線の踏切を越え、線路沿いに戻る。
大井町線の線路まで来ると、駅から大井町へ発車した電車と、二子玉川方面への電車が停まっているところだった。
東横線の下を通って、大井町線の反対側から電車のいなくなったホームを見た。
このあたりには東急の目黒線も近くを通っていて、緑ヶ丘駅が記憶に残る。それは元住吉、下丸子に続く勝手な地名の暗い記憶で、恵比寿、天現寺橋、広尾と続く。
MELSAビルの3階に昼食の店があるので入る。
めったに来ない街なので、どこにも新しい発見がある。