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朝明けに

聖書のことばから、うれしい一日一日の糧を!

知恵と力に満ちた神の御思いで生きる

2023-04-15 12:54:05 | 聖書から
神は知恵があり、力がある。
この方に対抗したものは
ただで留まるだろうか。ヨブ記9:4(独)



さても、人よ。
神に訴訟を起こそうというあなたは
何者なのか。ロマ書9:20(独)



 ルカ24:1~12

 ロマ書13:8~14(通読箇所)

  (ローズンゲン『日々の聖句』4/15;土)



      ―――― α&ω ――――



 聖書が啓示している神、
天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と
名乗られる方(出エジプト3:14)は、
知恵と力をもって、この宇宙、地球の自然環境、

万物を造られた方。
この方に対して心を頑なにし、対立、対抗し、
この方の向こうを張る生き方をして、
そのままで済むはずはないのですね。

この方を相手に訴訟を起こし、言い返す者は。



そのような私たちを神とのあるべき関係に連れ戻そうとの、
【父である神】の御思いを受けて、
イエスは、造り主である神に対立、対抗している
私たちすべての人間の身代わりになり、
十字架刑の死刑を黙って受けてくださいました。



そして、死んで墓に納められたイエスは、
三日目、日曜日の早朝、新しい霊のからだに復活し、
弟子たちに現れてくださいました。
その、この事の次第をルカは次のように記しています。



週の初めの日の明け方近く、
彼女たちは準備しておいた香料を持って墓に来た。
見ると、(墓の蓋をしていた)石が
墓からわきに転がされていた。
そこで中に入ると、主イエスのからだは見当たらなかった。
そのため途方に暮れていると、
見よ、まばゆいばかりの衣を着た人が二人、近くに来た。
彼女たちは恐ろしくなって、地面に顔を伏せた。


すると、その人たちはこう言った
「あなたがたは、どうして
生きている方を死人の中に捜すのですか。
ここにはおられません。よみがえられたのです。
まだガリラヤにおられたころ、
主がお話しになったことを思い出しなさい。
人の子は必ず罪人たちの手に引き渡され、
十字架につけられ、
三日目によみがえると言われたでしょう。」


彼女たちはイエスのことばを思い出した。
そして墓から戻って、11人とほかの人たち全員に、
これらのことをすべて報告した。
それは、マグダラのマリア、ヨハンナ、ヤコブの母マリア、
そして彼女たちとともにいたほかの女たちであった。


彼女たちはこれらのことを使徒たちに話したが、
この話しはたわごとのように思えたので、
使徒たちは彼女たちを信じなかった。

しかしペテロは立ち上がり、走って墓に行った。
そして、かがんでのぞき込むと、亜麻布だけが見えた。
それで、この出来事に驚きながら
自分のところへ帰って行った。(ルカ24:1~12)




このように、【父である神】は、
十字架刑での死刑を受け、死んだイエスをよみがえらせ、
私たちの「的外れ」に対する処罰が完了したことを
表してくださいました。



そして、もう一人の助け主、
【聖である霊】と呼ばれる方を私たちにお遣わしくださり、
この方によって私たちの心に、ご自身の御思いを置き、
私たちが、ご自身と思いを一つにして生きる、
新しい生き方ができるようにしてくださいました。





パウロの手紙は続きます。

人はみな、上に立つ権威に従うべきです。
神によらない権威はなく、存在している権威はすべて、
神によって立てられているからです。


すべての人に義務を果たしなさい。
税金を納めるべき人には税金を治め、
関税を納めるべき人には関税を納め、
恐るべき人を恐れ、敬うべき人を敬いなさい。


だれに対しても、何の借りもあってはなりません。
ただし、互いに愛し合うことは別です。
他の人を愛する者は、律法の要求を満たしているのです。


姦淫してはならない。
殺してはならない。
盗んではならない。
隣人のものを欲してはならない」という戒め、
またほかのどんな戒めであっても、
それらは「あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい」
ということばに要約されるからです。



愛は隣人に対して悪を行いません。
それゆえ、愛は律法の要求を満たすものです。



さらにあなたがたは、
今がどのような時であるかを知っています。
あなたがたが眠りから覚めるべき時刻が、もう来ています。
私たちが信じたときよりも、
今は救いがもっと私たちに近づいているのですから。



夜は深まり、昼は近づいて来ました。
ですから私たちは、闇のわざを脱ぎ捨て、
光の武具を身に着けようではありませんか。
遊興や泥酔、淫乱や好色、争いやねたみの生活ではなく、
昼らしい、品位のある生き方をしようではありませんか。


主イエス・キリストを着なさい。
欲望を満たそうと、肉(生まれたときからの私)に
心を向けてはいけません。(ロマ13:1、7~14)





 私たちも、イエスを通して来てくださる
【聖である霊】と呼ばれる方によって、
【父である神】の御思いを心に置いていただき、

【父である神】と心を合わせ、
この、上から来た御思いによって生きていくのですね。

今日も。



      ~~~~~~~~~~~~~~ 


(聖書のことばへの疑問やご意見、
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また、婚活で広く出会いを求めたい、
教会に行っていないけれど
葬儀をキリスト教でしたい、等の方、
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生き生きと生きさせてくださるのですから。見捨てることなく

2023-04-13 12:34:25 | 聖書から
主よ、
あなたは大いなる憐れみにより、
あなたの民に終わりをもたらさず、
またお見捨てになりませんでした。

    ネヘミヤ記9:31(独) 



(イエスの言葉)
わたしは生きている。
だからあなたがたもまた生きる。

    ヨハネ14:19(独)



 ヨハネ21:1~9
 ロマ2:17~21(通読箇所)
    (ローズンゲン『日々の聖句』4/13:木)



      ―――― α&ω ――――



 聖書が啓示している神、
天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と
名乗られる方(出エジプト3:14)は、あわれみ深い方。

私たちの「的外れ」を打たれることがありますが、
滅ぼし尽くすことはせず、
見捨てることもしない方なのですね。



そして、この方、イエスが死んで生きられたことによって、
私たちも生きさせてくださるのですから。





 ヨハネの記事は続きます。

その後、イエスはティベリア湖畔で、
再び弟子たちにご自分を現された。

現された次第はこうであった。
シモン・ペテロ、デドモと呼ばれるトマス、
ガリラヤのカナ出身のナタナエル、ゼベダイの子たち、
そして、ほかに二人の弟子が同じところにいた。


シモン・ペテロが彼らに「私は漁に行く」と言った。
すると、彼らは、「私たちも一緒に行く」と言った。
彼らは出て行って、小舟に乗り込んだが、
その夜は何も捕れなかった。



夜が明け始めていたころ、イエスは岸辺に立たれた。
けれども弟子たちには、
イエスであることが分からなかった。



イエスは彼らに言われた。
「子どもたちよ、食べる魚がいませんね。」
彼らは答えた。「ありません。」
イエスは、彼らに言われた。
「舟の右側に網を打ちなさい。そうすれば捕れます」。
そこで、彼らは網を打った。
すると、おびただしい数の魚のために、
もはや彼らには網を引き揚げることができなかった。



それで、イエスが愛されたあの弟子が、
ペテロに「主だ」と言った。

シモン・ぺテロが「主だ」と聞くと、
裸に近かったので上着をまとい、湖に飛び込ん。

一方、ほかの弟子たちは、
魚の入った網を引いて小舟で戻っていった。
陸地から遠くなく、
200ペキス(約900m)ほどの距離だったからである。



こうして彼らが陸地に上がると、
そこには炭火がおこされていて、その上には魚があり、
またパンがあるのが見えた。
イエスは彼らに、
「今捕った魚を何匹か持って来なさい」と言われた。
シモン・ペテロは舟に乗って、網を陸地に引き上げた。
網は153匹の大きな魚でいっぱいであった。
それほど多かったのに、網は破れていなかった。



イエスは彼らに言われた。「さあ、朝の食事をしなさい。」
弟子たちは、主であることを知っていたので、だれも
「あなたはどなたですか」とあえて尋ねはしなかった。



イエスは来てパンを取り、彼らにお与えになった。
また、魚も同じようにされた。
イエスが死人の中からよみがえって、
弟子たちにご自分を現されたのは、
これですでに三度目である。」(ヨハネ21:1~14)





 このように、イエスが死んで、いなくなって、
失望落胆し、悲しんでいた弟子たちを、
イエスは、新しい霊のからだに復活し、生きていて、
弟子たちも生きるようにしてくださったのですね。



40日にわたって何度も弟子たちに現れ、
神の国のことを語り、
自分が確かに生きていることを見せたイエスは、
オリーブ山で弟子たちが見守る中、上げられ、
天の、父である神】の右の座に帰られました。



「エルサエムから離れないで、
わたしから聞いた父の約束を待ちなさい。
あなたがたは間もなく、
聖霊によるバプテスマを授けられるからです」と言い残して。



そしてその10日後のペンテコステ(五旬節、
シナイ山で律法が与えられ、契約が結ばれた記念日)に、
約束どおり、
【聖である霊】と呼ばれる方が弟子たちに来て、
弟子たちは
この方が心に置かれるままに語り出したのですから。



新しい契約、
この方によって心に来た
【父である神】の御思いで生きるように、との
新しい契約が始まって。





 それで、パウロは
この新しい契約で生きる生き方について書き送っています。



だれに対しても悪に悪を返さず、
すべての人が良いと思うことを行うよう、
心がける思いが私たちの心に来るようになる、と。

自分に関することについては、できる限り、
すべての人と平和を保とうと思う思いも。



自分で復讐しようとする、自分のうちから出て来る思いは、
イエスの十字架刑での死に合わせていただいた
死んだ者から出て来た思いであると認めて、
イエスに差し出し、受け取ってもらいながら、
【聖である霊】と呼ばれる方が
私たちの心に置いてくださる、
自分で復讐しないで、神の怒りにゆだね、
「復讐はわたしのもの。わたしが復讐する」と言われる神に
おまかせしようと思う思いが来て、
「もしあなたの敵が飢えているなら食べさせ、
渇いているなら飲ませよ。
なぜなら、こうしてあなたは彼の頭上に
燃える炭火を積むことになるからだ」と仰る方の御思いが
私のうちにも来て、
善をもって悪に打ち勝つように、と。(ロマ12:17~21)

今日も。



      ~~~~~~~~~~~~~~ 


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神からの良いプレゼント、【聖である霊】と呼ばれる方が私たちに来て

2023-04-11 22:28:25 | 聖書から
このわたしが手で天を延べ広げ、
その万象に命じたのだ。イザヤ書45:12



良い贈り物、完全な賜物はみな、
上から、
光の源である御父から来るのです。
御父には、移り変わりも、
天体の動きにつれて生じる
影もありません。ヤコブ書1:17



 ヨハネ20:11~18
 ロマ書12:9~16(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句4/12;水)



      ―――― α&ω ――――



 聖書が啓示している神、
天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と
名乗られる方(出エジプト3:14)は言われます。



「このわたしが地を造り、その上に人間を創造した。
このわたしが手で天を延べ広げ、
その万象に命じたのだ」と。





 イエスの弟のヤコブは言います。
すべての良い贈り物、またすべての完全な賜物は
上からのものであり、
光を造られた【父である神】から下って来る、と。



【父である神】は、
私たち、すべての人間への贈り物として、
【御子である神】をくださったのですね。
この方を、人間イエスとして人の世にお遣わしになり、
この方に、神の創造の目的から「的外れ」になっている
すべての人間の責任を背負わせ、身代わりとして処刑し、
私たちすべての人間の処罰が
終わったことにしてくださったのですから。





そして、十字架刑での死刑を受けられたイエスは、
近くにあった、アリマタヤのヨセフが
自分のために掘ってあった墓に納められましたが、
三日目、日曜日の早朝、
新しい霊のからだに復活されました。



そのときの様子を、弟子のヨハネが記している、
その続きです。



墓に来てみると、墓の蓋の大きな石は転がしてあって、
墓の中にイエスのからだはなく、
マグダラ(出身)のマリアたちの知らせで墓を見に来た
ペテロとヨハネは、
イエスのからだがそこにはないことを確認しましたが、
そのまま、帰って行きました。



一方、マリアは墓の外にたたずんで泣いていた。
そして、泣きながら、
からだをかがめて墓の中を覗き込んだ。

すると、白い衣を着た二人の御使いが、
イエスの置かれていた場所に、一人は頭のところに、
一人は足のところに座っているのが見えた。



彼らはマリアに言った。
「女の方、なぜ泣いているのですか。」
彼女は言った。
「だれかが私の主を取っていきました。
どこに主を置いたのか、私には分かりません。」



彼女はこう言ってから、うしろを振り向いた。
そして、イエスが立っておられるのを見たが、
それがイエスであることが分からなかった。

イエスは彼女に言われた。
「なぜ泣いているのですか。
だれを捜しているのですか。」



彼女は、彼が園の管理人だと思って言った。
「あなたがあの方を運び去ったのでしたら、
どこに置いたか教えてください。私が引き取ります。」

イエスは彼女に言われた。
「マリア。」
彼女は振り向いて、ヘブル語で「ラボニ」、
すなわち「先生」とイエスに言った。イ

エスは彼女に言われた。
「わたしにすがりついてはいけません。
わたしはまだ父のもとに上っていないのです。
わたしの兄弟たちのところに行って、
『わたしは、わたしの父であり、
あなたがたの父である方のもとに上る』と伝えなさい。」



マグダラのマリアは行って、弟子たちに、
「私は主を見ました」と言い、主が自分に
これらのことを話されたと伝えた。(ヨハネ20:11~18)





 このイエスは、その後、40日にわたって
何度も弟子たちに現れ、神の国のことを語り、
ご自分が確かに生きていることを見せたのち、
オリーブ山で弟子たちが見守る中、上げられ、
天の、【父である神】の右の座に復帰されました。



そして、その位にあって、もう一人の助け主、
【聖である霊】と呼ばれる方を
私たちにお遣わしくださいます。

この「神の霊」と呼ばれる方によって私たちの心に、
【父である神】の御思いを置き、書き記して、
私たちの心に【父である神】の御思いがあるようにし、
受け入れる者が、
自分の〔生まれたときからの私〕という霊から
出て来る思いによって生きるのではなく、
この、心に来た
【父である神】の御思いで生きるようになるとの、
約束のことばのとおりに。

  (エレミヤ31:31~34、エゼキエル36:25~28、ヨハネ17::21~23)





 それで、パウロは言うのですね。
このように私たちは、
神の創造の目的から「的外れ」になっている
〔生まれたときからの私〕という霊を、
イエスの十字架の死に合体していただいて
死んだものとしていただき、
この〔生まれたときからの私〕という霊から出て来る思いは、
死んだ者からできた思いであると認めて、
イエスの御前に差し出し、受け取っていただきながら、
イエスを通して来てくださる【聖である霊】と呼ばれる方が
心に置いてくださる
【父である神】の御思いで生きていく者は、
次のような生き方をする、と。



偽りのない愛でもって、
悪を憎み、善から離れないようになります。
兄弟愛を持って互いに愛し合い、
互いに相手をすぐれた者として尊敬し合うように
していただけます。



勤勉で怠らず、霊に燃え、主に仕えて。
望みを抱いて喜び、苦難に耐え、ひたすら祈る
(神との語らいの中で生きる)ようにしていただけて。



聖徒たちの必要をともに満たし、努めて人をもてなして。
自分を迫害する者たちを祝福し、呪うことはしない者に。
喜んでいる者たちとともに喜び、
泣いている者たちとともになく者に。


互いに一つ心になり、思い上がることなく、
むしろ身分の低い人たちと交わりたいという思いに。
自分を知恵ある者と考えなくなり、
だれに対しても悪に悪をかえさず、
すべての人が良いと思うことを行いたい
と思うようになって。


自分に関することについては、できる限り、
すべての人と平和を保ちたいと願うようになって。


天地を造られた方の約束のとおりに。

今日も。



      ~~~~~~~~~~~~~~ 


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私たちの避難所となっていてくださる方が

2023-04-10 19:24:02 | 聖書から
主はあなたの避けどころ。詩篇91:9(独)



キリストの苦難が
私たちの上におびただしく及ぶように、
私たちはキリストにより
豊かに慰められるでしょう。Ⅱコリント1:5(独)



 ヨハネ20:1~10
 ロマ書12:1~8(通読箇所) 

   (ローズンゲン『日々の聖句』4/11;火)



      ―――― α&ω ――――



 聖書が啓示している神、
天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と
名乗られる方(出エジプト3:14)が、
私たちの避けどころ、住まいとなっていてくださるのですね。
どのような苦しみのときも、豊かな慰めで慰めてくださって。





この方、イエスは、
私たちすべての人間の身代わりとなり、
私たちすべての人間の、
神の創造の目的からの「的外れ」の責任を
御自身の身に負って、神に呪われた者となって
十字架刑での死刑を受けてくださいました。



それで、死んだイエスのからだを、
アリマタヤのヨセフが引き取り、近くにあった、
自分のために掘っておいた新しい墓に納めました。

それは、金曜日のことだったのですが、
それから三日目、日曜日の出来事を
ヨハネは次のように記しています。



 さて、週の初めの日、朝早くまだ暗いうちに、
マグダラのマリアが墓にやって来て、
墓から(墓の蓋の)石が取り除けられているのを見た。

それで、走って、シモン・ペテロと、
イエスが愛されていたもう一人の弟子のところに行って、
こう言った。
「だれかが墓から主を取っていきました。
どこに主を置いたか、私たちには分かりません。」


そこで、ペテロともう一人の弟子は外に出て、墓へ行った。
二人は一緒に走ったが、
もう一人の弟子がペテロよりも速かったので、
先に墓に着いた。



そして、身をかがめると、
亜麻布が置いてあるのが見えが、中には入らなかった。
彼に続いてシモン・ペテロも来て、墓に入り、
亜麻布が置いてあるのを見た。
イエスの頭を包んでいた布は、亜麻布とは一緒にはなく、
離れたところに丸めてあった。



そのとき、先に墓に着いたもう一人の弟子も入って来た。
そして見て、信じた。

彼らは、イエスが
死人の中からよみがえらなければならないという聖書を、
まだ理解していなかった。
それで、弟子たちは
再び自分たちのところに帰って行った。(ヨハネ20:1~10)





 このように、ペテロやヨハネにとっても、
死んだイエスが復活するということは、
考えられない、思いつきもしないことだったようです。



しかし聖書は、確かにイエスは復活して、
40日にわたって、弟子たちに何度も現れ、
神の国のことを語り、
ご自身が生きていることを見せたのち、
オリーブ山で弟子たちが見守る中、上げられ、
天の、【父である神】の右の座に復帰されたと伝えています。





 それから10日後のペンテコステ(五旬節、
イスラエルの民にシナイ山でモーセを通し、
律法が与えられ、契約が結ばれた記念日)の日、
エルサレムで、集まっていた120人ほどの弟子たちに、
約束の【聖である霊】と呼ばれる方が来られ、
弟子たちは、この方が心に置いてくださる
御思いのとおりを語り、
行動するようになったのだそうです。(使徒2:1~12)



エゼキエルを通して
「わたしの霊をあなたがたのうちに授けて、
わたしの掟に従って歩み、
わたしの定めを守り行うようにする。
あなたがたはわたしの民となり、
わたしはあなたがたの神となる」(エゼキエル36:26~28)との
約束の預言のとおりに。





 私たちは、イエスの十字架刑での死によって、
神の創造の目的から「的外れ」になっている
私自身である〔生まれたときからの私〕という霊を、
死刑が終わっているもの、
死んだものとしていただけるのですね。



そして、【父である神】が「わたしの霊」と呼ばれる
【聖である霊】と呼ばれる方をお迎えします。



この方は【父である神】の御思いを私たちの心に置き、
書き記してくださり、
私たちを、【父である神】の御思いのとおりを生きる者に
してくださいます。



 それで、パウロが言うように、私たちは、
神のあわれみによって、自分のからだを、
神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として
献げるようにしていただけるのですね。

それこそが、私たちにふさわしい礼拝なのですから。



この世と調子を合わせることはせず、
むしろ、心を新たにすることで、
自分を変えていただくのですね。



神のみこころは何か、
すなわち、何が良いことで、神に喜ばれ、
完全であるのかを見分けるようにしていただいて。



思うべき限度を超えて思い上がるのではなく、
むしろ、神が各自に分け与えてくださった
信仰の量(はか)りに応じて、
慎み深く考えるようにもしていただいて。



一つのからだには、多くの器官があり、
しかも、すべての器官が同じ働きをしていないように、
大勢いる私たちも、キリストにあって一つのからだであり、
一人ひとりは互いに器官なのですから。



それぞれが、自分に与えられた恵みに従って、
聖なる賜物を持っているので、
それが預言であれば、その信仰に応じて預言し、
奉仕であれば奉仕し、
教える人であれば教え、勧める人であれば勧め、分け与える人は惜しまずに分け与え、
指導する人は熱心に指導し、
慈善を行う人は
喜んでそれを行うようにしていただいて。(ロマ12:1~8)



そのような、
イエスによって来てくださる
【聖である霊】と呼ばれる方の働きの中へと。

今日も。



      ~~~~~~~~~~~~~~

 
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初穂なのですから。イエスの復活は

2023-04-08 20:57:11 | 聖書から
(キリストの言葉)
わたしは死んでいたが、
永遠から永遠へと生きており、
死と陰府の鍵を持っている。黙示録1:18(独)



私は身を横たえて眠り、
また目を覚ます。
主が私を支えてくださるから。詩篇3:6

週の初めの日、朝早く、
イエスは復活して、
まずマグダラのマリアに
ご自身を現わされた。
このマリアは以前イエスに
七つの悪霊を追い出していただいた
女である。マルコ16:9~10


 マルコ16:1~8
 Ⅰコリント5:1~11
 サムエル記上2:1~8a
 マタイ28:1~10(通読箇所)
   (ローズンゲン『日々の聖句』4/9;Ⅱ日曜・復活祭)



      ―――― α&ω ――――



 12使徒のうち、最後まで残ったヨハネ、
ローマ皇帝ドミティアヌスの迫害により、
エーゲ海のパトモス島に島流しにされていました。



そのヨハネに現れたイエスが、
ご自分のことをこのように言われたのですね。



私たちは、この方の支えの中にあって眠ることができ、
また、朝を迎え、目を覚ますことができます。





 十字架刑での処刑を受けられ、
死んで墓に納められたイエスは、
週の初めの日、日曜日の早朝、
死人の中から新しい霊のからだに復活され、
まず、墓に来ていたマグダラのマリアに、
ご自身を現されました。 

マタイの記事は続きます。



さて、安息日が終わって週の初めの日の明け方、
マグダラのマリアともう一人のマリアが墓を見に行った。


すると見よ、大きな地震が起こった。
主の使いが天から降りて来て石をわきに転がし、
その上に座ったからである。
その姿は稲妻のようで、衣は雪のように白かった。
その恐ろしさに番兵たちは震え上がり、
死人のようになった。



御使いは女たちに言った。
「あなたがたは、恐れることはありません。
十字架につけられたイエスを捜しているのは
分かっています。
ここにはおられません。
前から言っておられたとおり、よみがえられたのです。



さあ、納められていた場所を見なさい。
そして、急いで行って弟子たちに伝えなさい。
『イエスは死人の中からよみがえられました。
そして、あなたがたよりも先にガリラヤに行かれます。
そこでお会いできます』と。
いいですか、私は確かにあなたがたに伝えました。」

彼女たちは恐ろしくはあったが大いに喜んで、
急いで墓から立ち去り、
弟子たちに知らせようと走って行った。
すると見よ、
イエスが「おはよう」と言って彼女たちの前に現れた。

彼女たちは近寄ってその足を抱き、イエスを拝した。
イエスは言われた。「恐れることはありません。
行って、わたしの兄弟たちに、
ガリラヤに行くように言いなさい。
そこでわたしに会えます。」(マタイ28:1~10)



 

 三日前、群衆の面前で、十字架刑で死んだイエスが、
確かに、よみがえられたというのですね。
【父である神】は、イエスが死人の中から
新しい霊のからだに復活したことによって、
確かにイエスが神の子、キリストであることを
公示されたのですから。


復活の初穂として。
私たち、イエスに信頼する者にも、
イエスと同じ復活のからだをいただける約束を与えて。


そして、このイエスの十字架刑での死と復活によって、
私たちに【聖である霊】と呼ばれる方が来てくださっても
大丈夫にしてくださったのですから。



この方が私たちに来て、
私たちの心に【父である神】御思いを置き、
自分の思いが成ることではなく、
【父である神】の御思いが成りますように、と願う私たちが
【父である神】と思いを通い合わせながら生きるように、と。

この新しい週も。



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