ささかのブログ

雑多な思考整理のためにブログを活用中。
自分が生きやすくなればいいと思うけれど、教祖になるつもりはない。

知をこじらせる

2017-03-11 18:36:13 | 日記
「最初来たときに、高高度核爆発の話をしたじゃないですか?変な話を言う人だなぁと思ったけど、最近それがわかってきたんですよ」
と禅寺の住職。

「ああ、高いところで原爆を爆発させると、弱電から強電まで全電気回路が電磁波で焼ききれるやつ。放射能汚染はないけど、一番人道的で、一番非人道的」

みんなアーミッシュの生活に逆戻りだ。
電気を使った通信も、生活インフラも、交通インフラも全停止。

例えば他国の核ミサイルは、どこかに着弾しなくてもいい。撃ち落とされてもいい。


だがしかし、プルトニウムやウランの塊は、落っことすだけでも核分裂反応が始まる。
それでも威力はあるのだが、より威力を上げるために、爆縮レンズを使う。

精密な核分裂反応物質の真球の外周に、正確に配置された爆発装置を、正確な時間に同時に爆発させる。
そうすると、核分裂反応が中心に向かって同時に進み、中心に達した時点で最大の爆発エネルギーを得る。

これが一つでもずれると、爆発エネルギーが偏り、核の玉がスッポ抜けてしまい、強力な爆縮レンズにならない。

マンハッタン計画では、しょっちゅうデーモンコアに部品が落ちて、核分裂が起きていたらしい。
物騒な研究だ。
ファインマンなどは、デーモンコアに直接手を当てて、
「核の熱を感じる」
とかなんとか言っていたらしいけど、今じゃ考えられない。


まぁ話は尽きないけど、そんなことを無駄に知ってしまい、禅問答は限りなく進む。

資本主義以外の、社会主義や共産主義は、本来的には悪くない。
マルクスの「資本論」は、金銭的授受以外でも社会は成り立つというアンチテーゼを示しているだけ。
昨今言われる格差社会も、資本主義前提だから産まれる。

年下の坐禅の先輩は、
「????」
と困惑気味。

なので今日は、坐禅後の無駄話を切り上げて、私は早く退散。


世の中を知れば知るほど、違う価値を知ってしまう。そうするとまた違う側面もあるだろうと知り始める。


ちなみに私が座禅ではなく坐禅を使うのは、私も和尚も、坐骨神経痛持ちだからで、そんなに深い意味はなかったりする。

こじれてます。
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窒素のように

2017-03-05 22:36:24 | 日記
窒素の存在をありがたがる人はあまりいない。

でも窒素がないと生物は生きられない。

窒化物によって生命は支えられている。

大気から窒素だけスカッとなくなっても困ることになる。

78%の窒素が消えれば、21%の酸素と、水蒸気、残りのガスは1%程度。

酸素は活性ガスなので、化学反応が爆発的にすすむ。

線香も一瞬で燃える。
ろうそくもろうを飛び散らかしながら燃える。
細胞は酸化され老化がすすむ。
ものの傷みも早い。

窒素酸化物は有害だが、酸素だけというのも困ってしまうものなので。

一見無駄なように見える不活性ガスである窒素があって、初めて地球の生存圏が保たれている。

音の伝わり方、気温の変わり方、風の強さ、自然の光、その他諸々の当たり前の感覚は、当たり前にあり続ける環境にあるからこそ成り立つ。

当たり前に繰り返される日常。
同じ時間に流される天気予報。
何十年も変わらないもの。
常に変わり続ける水の流れ。
勝手に動いてくれる心臓と肺などの臓器。
供給される水や電気。


きっとそんな当たり前にありすぎて誰も気づかないようなものこそが愛なのであって、それを探し求めても見つからない。

だってそれは常に目の前にあるのだから。

かき集めてもかき集められないし、血眼になっても見つからない。


そんな当たり前を当たり前にするために、私は動いて寝る。

おやすみなさい。
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