玄関に入って靴を揃える。
めんどくさくてやらないことの一つ。
作法の一つでもある。
やるとすれば、お店に入って靴を脱ぐ場合ぐらいか。
見た目のような気がするけれど。
もし戦国時代だったら。
家にいたら敵が攻めてきた。
草履を履いて外に飛び出す必要がある。
でも草履がひっくり返ってすぐに履けない。
その間に斬られる可能性がある。
そういったリスクをとことん少なくしようとすれば、家に入るときに履物はしっかり揃えるだろうなと。
靴を履いて家に上がらない、日本の文化だからでもある。
東日本大震災を経験して、過去から言われる作法が、いかに重要かを思い知ることになった。
ものを片付けておかないと、いざ震災が起きたときに逃げ出すことさえできない。
地震大国である日本の文化は、地震への対策とともに形作られたのではないかと想像している。
家が世界的に見ても耐震性の高い構造であることが、その文化の一つでもあると。
水害が頻発する前提であれば、地下に高圧電線は通さないだろうな。
電線を地下埋設しようとすれば、膨大な費用が発生するし。
GHQが高架電線を走らせているという説を聞いたこともある。
道路を飛行機の滑走路にしないために。
ちょっとした国道なら滑走路にできそうだけど、電線があってできない。
その説は面白いと思った。
今は高速道路があるけれどね。
何気ない日常の作法を掘り下げると、何らかの因果関係に行き着くのかもしれないなぁと思う。
挨拶を会釈やお辞儀で済ませたり、握手をしなかったりするのは、感染症予防だとすれば、清潔好きな国民性の原点かもしれない。
ぼんやりそんなことを考えている。