ささかのブログ

雑多な思考整理のためにブログを活用中。
自分が生きやすくなればいいと思うけれど、教祖になるつもりはない。

偏見や常識という損失

2019-05-09 19:58:39 | Technics

私は男性だけれど、幼稚園の頃ピンクレディーの歌を歌っていたら、

「そんなの女が歌うものだ」

と言われた。

 

小学生のころ、ピアノを習いたいと近所の悪ガキに言ったら、

「そんなの女がやることだ」

と言われた。

 

そんな意見を無視して、性別関係なく歌いたい歌手の歌は歌ったし、

中学生の頃はキーボードを買って独学でピアノを学んだ。

 

46年生きて言えるのは、

偏見や常識にとらわれずにやった方が明らかに需要がある!

ということ。

 

歌手が男女関係なく歌える方が重宝されるし、

いきなりピアノが弾けると相当びっくりされる

 

大勢の人がやっていることをやると、できて当然なので、

ちょっとしたことができても当たり前なので評価されないし、

競争率が高すぎて極められない

 

普通じゃないので、やることに対する抵抗もあるし、

言ったところで他人に信じられることが少ないというデメリットはあるものの、

長年やるとものすごく重宝されるということ。

 

一般的なことを一生懸命やっても、埋もれちゃって評価されないんですよ。

 

日本では「和」を尊重して横並びがなんだか評価されますが、

和なんか気にせずやった方が圧倒的に得だということを、欧米諸国の人たちは良く知っているのでしょうね。

 

横並びの団体行動が強い?

過去の大戦の歴史を考えてみましょうよ。

第一次世界大戦はそれでよかったけれど、第二次世界大戦はボロボロだったでしょ?

 

 

これは私のとっておきのアドバンテージなんですが、

明かしても全然揺るがない価値なので、公開しますよ。

 

ただし、突飛な才能となるので、十分なモラルを維持し続けることが必要ですよ?

「ほかの人もやっているから大丈夫」

というのはないので。


本当はみんながやっていようがやっていまいが、

モラルに反するやっていけないことはやってはダメなんです。

コメント
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