ささかのブログ

雑多な思考整理のためにブログを活用中。
自分が生きやすくなればいいと思うけれど、教祖になるつもりはない。

ゲーム

2016-03-04 08:08:35 | 日記
小さい頃、ゲームをやるよりも作りたかった私は、安いパソコンを買ってもらい、「マイコンBASICマガジン」(略して「ベーマガ」)を見ながらゲームを打ち込んだり、自分で作ったりして遊んでいた。

それ以前にもすごろくを作ったりしていたのだが、30マスを脅威の確率でサイコロを振らないと「10マス戻る」「最初に戻る」という、かなり無理ゲーを作ったりしていた。

閑話休題。

ゲームには、それ自体を解くゲームと、対戦形式のゲームがある。
格闘ゲームなどは対戦形式だと思う。

アーケードなら全くの他人と戦うわけだが、家庭用ゲーム機では知り合いと戦う。

当たり前だが、3マッチあるうち、2マッチをフルボコにすれば、やる気を失うか、険悪な雰囲気になる。

実力差があるなら、「1マッチ技の出し方でも研究したまえ」と余裕のあるところでも見せたほうが面白い。

ネットの普及に伴って、「共闘」タイプのゲームが増えてきた。
モンハンとか。

この場合、敵を倒すという共通の目的があるが、敵を倒したあとのアイテムの取り方でコミュニケーションの良し悪しが決まる。
「私はこれ持ってるのでどーぞ」
「ありがとうございます!」

アイテム全回収しちゃったら、二度と共闘なんかしてくれない。


コンピューターゲームに限らず、ベースボールゲーム、オリンピックゲームなどのスポーツも同じだと思う。

スイムウェアの素材が問題になったことがあるし、新技術の投入や、科学的理論に基づいたフォームの改良など、考えられるすべての手段を講じて勝ちに来る。
ドーピングは問題だが、プロテインを摂取することが問題とは思えない。普通にとれる栄養素だから。

国際スポーツは世界の頂点を闘う場なのだから、その場に出られるだけですごいことだ。
強いリスペクトを持って迎え入れたい。
その場にいられるだけで、強靭な精神力を持っているのだから。

そしてオリンピックの後にあるパラリンピックこそが、世界と自分との本当の闘いであることも。


本当はそれもまた自我との闘いで、同じ土俵、同じ舞台で闘った選手たちだけでも、国境などない友情が芽生えればいいと思う。
もちろん応援する側も。

あと、報道も。
コメント
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