散歩の時に見つけた

東京都内を散策しますが、こんな所にこんな物がと再発見します。写真等を添えて記録します。

時宗・一遍上人(応現寺)

2012-06-10 07:18:16 | Weblog
    

        一遍上人像

 時宗は鎌倉時代末期におこった浄土宗の一宗派で、開祖は一遍上人といわれます。もっとも

一遍には、新たに宗派を立宗しようという意図はなく、その教団は「時衆」と呼ばれたといい

ます。時宗と書かれるようになったのは、寛永10年(1633)の「時宗藤沢行末寺帳」が

最初とされています。  

 信仰する仏は阿弥陀如来で、とくに「南無阿弥陀仏」の名号を本尊としています。この名号

をつねに口に称えて仏と一体となり、極楽浄土へという教えということです。

応現寺(足立区伊興本町)

2012-06-09 07:11:41 | Weblog
    

        

 全国でも少ない「時宗」の寺院です。創建の時期は明らかではないが、初めは天台宗の寺で

のちに時宗に改宗したと伝えられる伊興地区最古の寺院です。山門は四脚門切妻造で、流破風

の桟瓦葺きで、寛永14年(1637)の建立と伝えられ、足立区最古の木造建築物です。山

門の装飾には江戸初期建築物の特長が示されています。  

     

 寺領に足利時代築造された経塚から、星兜(星のある兜)が出土しており、現在東京国立博

物館に所蔵されています。山門、石燈籠、文書、六字名号板碑は、足立区有形文化財となって

います。

生命の言葉(東京都神社庁)

2012-06-08 06:34:43 | Weblog
      

 六月の生命の言葉です。「人の親の心は闇にあらねども 子を思う道にまどひぬるかな 藤

原兼輔」です。解説には、親の心は夜の闇でない。しかし、子どものことを思うと、まっくら

な闇を進むようで、迷い、途方に暮れるばかりである。とあります。  

 藤原兼輔(ふじわらかねすけ) 877~933年。平安時代の歌人。紫式部の曾祖父。賀

茂川堤の近くに住んでいたことから堤中納言とよばれた。この歌は娘・桑子が醍醐天皇に嫁い

だ後の心配でならない心を詠んだもの。いつの時代も子を思い、悩む親の心は変わらないもの

である。まったくおっしゃるとおり、私も悩みぬいているのです。

一葉記念公園の碑

2012-06-07 06:24:34 | Weblog
    

 菊池寛撰文の碑より 「ここは明治文壇の天才樋口一葉旧居の跡なり。一葉この地に住みて

たけくらべを書く。明治時代の竜泉寺町の面影永く偲ぶべし。今町民一葉を慕いて碑を建つ。

一葉の霊 欣びて必ずや来り留まらん。菊池寛右の如く文を撰してここに碑を建てたるは昭和

十一年七月のことなりき。(以下略)」とあり、空襲で焼け野原になって碑も溶け、菊池寛も

亡きあと、小島政次郎が経緯を書いて再建した現在の碑。昭和24年3月とあります。  

    

        

 公園には明治の昔を偲ぶ「滑り台やベンチ」があります。 

一葉女史「たけくらべ」記念碑

2012-06-06 07:11:18 | Weblog
    

  記念館

一葉記念館(台東区竜泉3丁目)前の記念公園にあります。碑文には 近代文学不朽の名作

「たけくらべ」は、樋口一葉在住時の龍泉寺町を中心に、吉原界わいが舞台となった。これを

記念して昭和26年11月、地元一葉記念公園協賛会によって建てられ、その後台東区に移管

された」とあります。  

     

 一葉女史旧居跡

 樋口一葉は明治26年7月20日、本郷菊坂町より下谷竜泉町368番地に移り住み、この

界隈を背景にして名作「たけくらべ」や「わかれ道」の題材を得た。この碑の位置は、一葉宅

の左隣の酒屋の跡にて、一葉と同番地の西端に近く、碑より東方6mが旧居に当たる。

 なお一葉はこのあたりを「鶉なく声もきこえて花すすき まねく野末の夕べさびしも」と和

歌を詠んでいます。(碑文より)

 

千束稲荷神社(台東区竜泉)

2012-06-05 05:46:57 | Weblog
    

         

 御祭神は倉稲魂命。江戸時代四代将軍家綱の寛文年間創設で、浅草一円を千束郷と称しそこ

に上下二社の稲荷社がつくられました。千束稲荷神社はその下社で千束郷の氏神で、寛永6年

発行の地図に「チヅカイナリ」と称されているそうです。  

     

 平成20年5月には、この神社が一葉の「たけくらべ」由来という事にともない、氏子が本

殿向かって左手に一葉の胸像を建立しています。碑文には「明日は鎮守なる千束神社の大祭な

り 今歳は殊ににぎはしく山車など引出るとて人々さわぐ 樋口 夏」と記されています。

この一葉さんは5千円札と比較してもなかなかの美人です。

森孫右衛門供養塔(築地本願寺)

2012-06-04 06:03:53 | Weblog
     

     

 森孫右衛門は江戸時代以来、隅田川河口に佃島を築き、日本橋魚河岸のもととなる店を開い

た人物として伝えられています。この供養塔は文久元年(1861)森孫右衛門の200年忌

に、子孫の森幸右衛門勝鎮と親族の佃宇右衛門寛敏の両名が建てたものです。  

 供養塔の右側面の銘文には、孫右衛門は摂津国(現・大阪)佃村の人で、二代将軍秀忠の時

漁猟の許可状及び33人の漁師の漁業権を拝領したことなど、佃島の漁師と徳川家の関わりが

書かれています。また左側面には寛永年間に百歩四方の土地を賜り、正保元年(1644)2

月に築成して「佃島」と名付け、代々佃島の名主を務めたことが刻まれています。佃島の造営

を伝える貴重な資料といえます。

西光寺(足立区保木間)

2012-06-03 06:10:40 | Weblog
   

        

 郭鴻山彩雲院西光寺と号する浄土宗を宗旨とするお寺です。永享6年(1434)長誉上人

の開山と伝えられます。本堂前で、赤子に囲まれた水子地蔵尊のやさしい表情がなんとも言え

ませんね。  

    

 境内の不動堂には、平安時代の高僧智證大師作と伝えられる不動尊像が、本堂には運慶作と

伝えられる阿弥陀如来像が安置されているそうです。門前左側には万延元年(1860)造立

の「成田山これより十六里」の道標があります。成田山参詣の道しるべですね。当時は休憩所

としても賑わったことと思われます。

紫陽花

2012-06-02 06:33:33 | Weblog
    

夏もなお 心はつきぬあじさいの よひらの露に月も住みにけり と平安朝の佳人が詠った

といいますが、「よひらの露に・・・」がいいですね。今年も梅雨入りの予想が聞こえはじめ

ましたが、ちゃんと紫陽花も咲き始めました。現代の歌手、五木ひろしも降りしきる

冷たい雨にぬれながら 色々競うように咲く紫陽花は~ と聞かせますね。ちょっと

勉強しますと、学名は「水の容器」という意味で、英語で「ハイドレインジア」というそうで

すよ。レインなんて、如何にも雨が降りそう。  

         

     

 この季節にはもうひとつスイレンも入れておきました。彩りに赤い花も。

 

上野の「時の鐘」

2012-06-01 07:19:03 | Weblog
    

 松尾芭蕉の句「花の雲 鐘は上野か 浅草か」は有名ですね。これがその鐘なんですが、上

野の山にあるのは当然ですが、何処にあるのか知らない人が多いですね。上野大仏のある丘か

ら南に下ると、目立つのは精養軒でその隣にあるんです。この時期は樹木が茂っていて見えに

くいですが。聞くところによると初代の鐘は寛文6年(1666)につくられたとか。現存す

るのは天明7年(1787)に鋳造されたといいますね。  

   

 芭蕉さんは上野の鐘か浅草のそれか、どっちを聞いたのでしょうね。「当然どっちも聞きま

したさ」そうでしょうね。これが精養軒ですがこの左側の小高いところに鐘楼があります。