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湯島天神の男坂の坂下にあります。5代将軍綱吉の時代(1694)に、湯島天神の別当寺
であった喜見院の住職が、菅原道真が信仰していた聖天様を比叡山から勧請して湯島天神境内
に祀りました。慈覚大師作と伝えられます。この聖天さまは湯島の聖天さまとして江戸っ子か
ら篤く信仰され、あの紀伊国屋文左衛門も帰依したといわれています。
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江戸時代の喜見院は、明治維新の神仏分離令の影響で廃寺となりましたが、もともと喜見院
の弁天堂であった現在の心城院(しんじょういん)が、運よく廃寺の難を逃れて寺名を心城院
と改め、建立当時の経緯から天台宗に属し現在に至っています。
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本堂の手前左手には柳の井があります。江戸時代の文献に「この井は名水にして、女の髪を
洗えば如何ように結ばれた髪も、はらはらとほぐれ垢落ちる。気晴れて風新柳の髪をけずると
云う心にて、柳の井と名付けたり」と記されています。古来より水枯れもなく、関東大震災の
時には、湯島天神境内に避難した多数の罹災者の命を守った唯一の水として、当時の東京市長
から感謝状を受けているそうです。
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