散歩の時に見つけた

東京都内を散策しますが、こんな所にこんな物がと再発見します。写真等を添えて記録します。

不動院(千住1丁目)

2011-06-20 06:23:46 | Weblog
   

 本尊は不動明王で、元弘2年(1332)秀天上人の開山といいます。もと吉祥院の末寺で

白幡八幡社の別当と伝えられています。境内には、戊辰戦争で千住近在から従軍した戦死者を

永代供養した塔があります。  

 

無縁塚

また川魚料理人たちが、魚類の冥福を祈るため建立した包丁塚の碑があります。また、千住

宿旅籠屋一同が万延元年(1860)に建てた遊女の無縁塚などもあります。

氷川神社の弁天さま

2011-06-19 06:11:17 | Weblog
  

        

 あの大震災から100日目になりました。帰宅難民となってよろよろと千住仲街の弁天さま

に参拝して、しばらく休憩させて戴きました。鳥居をくぐって出たところにタクシーが止まっ

てお客を降ろしました。お陰でそのタクシーで帰宅できたのです。  

 今回は北千住駅から歩いて「お礼参り」に来ました。そこで、説明をよく読んでみると、こ

の弁天像は供養庚申塔として元禄二年(1689)に造塔されたもので、右手に剣を握り左手

に宝珠を持っています。塔の上部には日月、中ほどに二鶏、下部に三猿がそれぞれ刻まれてい

ます。弁財天を主尊とした庚申塔としては、現在のところ東京では一基といわれています。

 弁天さまのおかげで帰りつくことが出来たことをお礼してきました。

足立しょうぶ沼公園

2011-06-18 06:18:32 | Weblog
  

        

 今や満開、見ごろですね。地下鉄北綾瀬駅から徒歩1分、環状7号線の喧騒はほとんど感じ

ない、素晴らしい公園です。  

 白と紫、江戸むらさきと呼ぶのでしょうか綺麗ですね。ここは昔からハナショウブが咲いて

いたといわれる場所です。五つの菖蒲田があって、140種、1800株の花が見事です。家

族連れで弁当持参の人々も楽しんでいました。見事なものですね。

京鹿子娘道成寺

2011-06-17 06:20:27 | Weblog
 

      

 浅草奥山参道商店のシャッターに描かれているものです。お店が閉まっていないと見られな

い歌舞伎ですね。  

 白拍子の花子が道成寺の鐘供養に訪れ、舞を次々に披露するうちに鐘に飛び込み、蛇体とな

って現れるという設定です。内容はいくつかの部分に分けられ、恋にまつわるさまざまな女性

の姿を踊り分けることが主題となっています。 

 歌舞伎には道成寺物という作品群があって、これらは能の「道成寺」からとったものといわ

れています。古くは元禄時代から上演され、集大成したのが宝暦3年(1753)に初代中村

富十郎が初演した「京鹿子娘道成寺」だと伝えられます。綺麗な絵ですね。

庚申塔と撫で牛

2011-06-16 06:21:17 | Weblog
  
   石祀型庚申塔

 「庚申講(庚申待ち)とは、人間の体内にいるという三尸(さんし)という虫が、寝ている

間に天帝にその人間の悪事を告げに行くのを防ぐため、庚申の日には夜通し眠らないで天帝や

猿田彦、青面金剛などを祀って宴会などをする風習」だそうで、中国から伝来した道教に由来

する庚申信仰というものだそうです。江戸時代には各地に庚申講が結成され、庚申塔を造立す

るようになったといいます。  

 塔の形態は多様ですが、綾瀬天神(北野神社)の境内にあるのは「石祀型庚申塔」というも

ので、社殿の形を模したものです。このようなものは東京都内でも類例を見ないそうで、足立

区有形民俗文化財に登録されている珍しいものです。  

         

 天神様と言えばこの「撫で牛」も立派で、人々に撫でられてピッカピカですね。

北野神社(足立区綾瀬)

2011-06-15 06:21:37 | Weblog
  

      

 通称「綾瀬天神」と呼ばれています。伝承によれば永正元年(1504)後柏原天皇の御代

足利11代将軍義澄の世の創建と伝えられています。足立にあっては、かなり古い創建です。

 祭神は菅原道真公、宇迦之御魂命。  

      

 この狛犬は普段見ることができません。本殿の奥深くにしまわれています。高さ15センチ

メートルほどの大きさだそうですが、前足の下には小獅子が彫られ、なかなかの出来栄えだそ

うで、ぜひ一度拝見したいものですね。

 

綾瀬稲荷の狛犬さん(足立区綾瀬)

2011-06-14 06:20:37 | Weblog
    

    

 「綾瀬稲荷神社で平成12年4月に狛犬を建立させていただきました」とは、噺家の三遊亭

円丈さんの口上です。本殿には先ずお狐さまが左右に並び、参拝するために数歩進むと異様な

狛犬さんがいますね。台座には「日の本一切の弥栄、落語と狛犬の末永き繁栄を祈念し、謹ん

で大前に獅子狛犬献上する次第です。三遊亭円丈 妻ユリ子」とあります。  

 狛犬の前には扇子と手拭があります。今から一席伺いますという表情で、なんとも言えぬ

趣がありますね。噺の途中でちょっとつまったような、旦那をしくじったような表情が面白い

です。またお参りに行きたくなりました。綾瀬稲荷神社は綾瀬村大字五兵衛新田の村社で、境

内には浅間神社、三峰神社と富士塚があります。

サボテンの花

2011-06-13 06:03:24 | Weblog
   

           

 ミスター麹町が「サボテンの花がさいたよー」と送ってきました。何年か前にも咲いた記憶

がありますが、どうもサボテンの知識はゼロですから「へぇー 咲いたか なるほど」です。

 毎年は咲かないように認識していましたが、どうでしようか。  

 これは球状ですが、数個の子ども?がいるような。中央の大きなのが親サボテンらしく、赤

い花がキレイに咲いています。西部劇映画を見た知識で言うと、棒状の背の高いサボテンの傍

をカウボーイが駆け抜けるシーンもあるし、丸い平たい団扇のようなのを見た記憶もありま

す。水もない砂漠の中でも生きるサボテンが、キレイな花を咲かすものですね。

菓子司うさぎや(上野1丁目)

2011-06-12 06:17:46 | Weblog
    

 久しぶりに中央通りを神田から上野へ、大正2年創業「うさぎや」の看板が懐かしい。初代

谷口喜作は富山の人。創業当初菓子折のひとつひとつに入れた「うさぎやは素人の菓子屋也」

と始まる口上には、素人なるが故に材料は最上のものを選び、味を専一に、価格は廉価に・・

と営業方針を述べ、現在もこれを守っているとされます。  

 どらやき、喜作最中、うさぎまんじゅう、喜作羊羹、懐中汁粉などがキレイな箱に詰められ

ます。昔、店先には中年の婦人が接客に出て、慌てず、騒がず、ゆったりとした所作で接客し

ていたことを思い出しました。

喫茶店発祥の地(上野1丁目)

2011-06-11 06:19:57 | Weblog
  

         

 台東区上野1丁目1番の三洋電機東京ビルの傍らに「日本最初の喫茶店発祥の地」の表示を

見つけました。説明によると、明治21年(1888)4月13日、日本人による初めての喫

茶店が、鄭永慶(ていえいけい)(別名・西村鶴吉)によりこの地に設立され、店名は「可否

茶館(かひさかん)」。  

 200坪の敷地に五間と八間2階建ての木造洋館であった。コーヒーは1杯1銭5厘、牛乳

入りが2銭であり、一品料理、パン、カステラなども出していたそうです。ちなみに当時は、

「もりそば」は8厘だったといいます。今はもりそば500円、コーヒーはいろいろあります

が、「ホットコーヒー下さい」で大体450円かな。この辺りは昔は西黒門町と言いましたが

ね。台東区、文京区、千代田区が入り組んだ地域です。