散歩の時に見つけた

東京都内を散策しますが、こんな所にこんな物がと再発見します。写真等を添えて記録します。

神田明神のえびす様

2009-02-18 07:38:51 | Weblog
     隋神門です

 江戸総鎮守の神田明神に参拝です。年の初めは近所の会社の幹部が商売繁盛を祈

願して満員御礼でしたが、この時期は閑散としていました。  

           

 境内の「えびす様」は七福神のお一人で商売繁盛の神様として、また魚群を岸に

追い込み、大漁をもたらす海の幸を象徴する神様として有名。また、医薬の教えを

全国に広めたことから「病気快癒・健康増進」の祖神とも言われています。大きな

波の中に金色の姿が見えますね。

聖橋・お茶の水橋

2009-02-17 07:38:18 | Weblog
    聖橋

 JRお茶の水橋の東に聖橋、西にお茶の水橋があります。いずれも南は千代田区

駿河台、北は文京区湯島をまたいでいます。関東大震災の復興橋で聖橋は昭和2年

(1927)に完成。橋の名は東京市が公募し、湯島聖堂とニコライ堂を結ぶこと

から聖橋と命名されたものです。  

            お茶の水橋

          

 西側のお茶の水橋は、明治23年(1890)鋼製トラス橋が架けられたが、震

災で焼失し、昭和6年(1931)に完成しました。

「お茶の水」 由来

2009-02-16 07:31:33 | Weblog
      

 徳川二代将軍秀忠の時代に、神田山の中央に掘割をつくる大工事が行われた。こ

れは水害防止の放水路と江戸城の外堀を兼ねる谷になりました。現在でも大変な作

業だと思いますがね。  

 そして神田山は湯島台と駿河台に別れて、北側の湯島台にあった高林寺から泉が

湧き出て、この水を将軍のお茶用の水として献上したことから、お茶の水と呼ぶよ

うなったというおはなしです。  

             

 駅前の交番の横に「お茶の水の碑」が立っていますが、碑文が読めないですね。

 橋から神田川を覗くとかなりの高さで、高所恐怖症のひとはちょっとね。400

年前の大工事でこの渓谷づくり、感服しました。

家でやろう

2009-02-15 07:27:15 | Weblog
      

 東京メトロの車内で、仲の良い男女がチョコレートか何か食べものをやりとりし

ていますね。近くに松葉杖をついたオジサンが疲れた様子で立っています。

 やりとりは「家でやろう」で、ポスターは「優先席は必要とされるお客様にお譲

りください」とあります。よく見かける図ですね。周りに気を遣う風習が退化して

いますね。昔は優先席と書かなくても、子供のころから教育されていて、弱者の席

はいつでもあったものです。席を譲ったものですが。

徳船稲荷神社縁起(中央区新川)

2009-02-14 07:50:51 | Weblog
      

 中央区新川2丁目越一町会崇敬会の「徳船稲荷縁起」によると、昔はこの辺りは

越前堀といわれていました。越前松平家の下屋敷があり、三方掘割に囲われ広大な

屋敷で、その中に小さな稲荷が祀られていました。旧町名が越前堀といわれたのは

これに由来するもの。  

 御神体は徳川家の遊船の舳先を切って彫られたものと伝えられます。このお稲荷

さんも例にもれず、震災、戦災の被害を蒙りましたが、昭和29年に現在地に遷座

されたものです。南高橋の北詰です。

おでん 燗酒

2009-02-13 07:52:31 | Weblog
    

 日中は「春が近い」と感じますが、夜はまだまだ燗酒がよろしいようで。気のお

けない仲間と「今夜は冷えるなぁ」の一言、何時もの店で何となく乾杯しながら

暖まります。  

 今はスーパーのおでんも品揃え豊富。焼ちくわ、ちくわぶ、ごぼう巻、牛すじ串

こんにゃくなど、全品75円 便利なものですね。

鉄砲洲稲荷神社(中央区湊1丁目)

2009-02-12 07:49:26 | Weblog
      

         

 よちよちと歩き始めた女の子とそのお母さんが参拝に訪れました。この境内なら

安全ですし、遊ぶに最適ですね。  

 昔、江戸湊の入口に鎮座する神社として人々の信仰を集めてきました。寛永元年

(1624)頃、稲荷橋南東詰に遷りましたが、明治元年(1868)現在地に移

転して今日に至っています。  

 関東大震災で被害を受けましたが、昭和10年より復興整備されました。昭和初

期の神社建築と社殿の配置などをよく伝えており、中央区民文化財として登録され

ています。

霊岸島水位観測所跡(新川テラス)

2009-02-11 07:59:24 | Weblog
         水位観測

 この観測所は明治6年6月から水位の観測を始めました。満潮位と干潮位を測定

して東京湾の基準を定め、さらに全国の水位の基準として定めた観測装置です。

 その後、東京湾の埋め立てや、隅田川の河川水の影響もあって、より理想的な位

置として、三浦半島油壺の観測所にその機能が移されました。この観測装置は歴史

的経緯を長く後世に伝えるものとなっています。  

      

 目の前には、明治初年には想像も出来なかった発展を見せる佃島の一画、中央大

橋とスカイライトタワーが姿を見せています。

南 高 橋 (中央区新川・湊)

2009-02-10 07:28:03 | Weblog
          

 中央区新川2丁目から湊1丁目に架橋されたのが昭和7年3月でした。関東大震

災ののち、区画整理でてきたものです。  

 東京市は多くの橋を改架したため予算も乏しくなり、震災で被災を受けた両国橋

の中央部分を補強し、橋幅を狭めて南高橋を架設したものです。なければないなり

に知恵を出すという当時の工夫には頭が下がりますね。  

   水門の向うは隅田川

 車輌通行可能な鋼鉄トラス橋としては、全国で6番目に古い橋だそうで、中央区

の区民文化財に登録されています。亀島川の最下流にあるこの橋の、水門の向う側

は隅田川です。

 

江 戸 湊 (中央区新川)

2009-02-09 07:36:56 | Weblog


        

 亀島川が隅田川に出る河口の南高橋の東に「錨」があります。これは、慶長年間

に江戸幕府がこの地に江戸湊を築港した記念のしるしです。水運の中心地として江

戸の経済を支えていたといわれます。  

            

 昭和11年まで、伊豆七島など諸国への航路の出発点として大いに賑わったとい

います。これを記念した錨ですが、目の前には川幅も広々とした隅田川の流れと佃

島への佃大橋が見えます。