散歩の時に見つけた

東京都内を散策しますが、こんな所にこんな物がと再発見します。写真等を添えて記録します。

雨乞いの碑(三囲神社境内)

2008-02-19 07:59:00 | Weblog
 

 宝井其角(たからいきかく)「雨乞いの碑」があります。「神に雨乞いする人に

かわり 遊ふ田地(夕立)や田をめぐりの神ならば 普其角」と刻まれています。

 この碑は安永六年(1777)に建立されたものが摩滅したので、明治六年(1

873)に再建されたものです。  

 元禄六年(1693)は春から非常な旱ばつで、付近の農民は三囲の社頭に集ま

り、雨乞いをしていました。そこへ通りかかった俳人宝井其角が、雨乞いする村民

にかわって「夕立や」と発句したところ翌日から雨が続き、農民の苦難はすくわれ

たと伝えられています。こうしたことから三囲神社を俳諧の霊場と呼ぶ人もいるよ

うです。(墨田区教育委員会)

白狐の祠と老翁夫妻の石像

2008-02-18 07:47:28 | Weblog
 

 元禄の頃、三囲神社境内の白狐祠を守る老夫婦がいました。願い事のある人は老

婆に頼み、老婆は田んぼに向かって狐を呼びます。すると、どこからともなく狐が

現れて願い事を聞き、またいずれかへ姿を消してしまうのです。不思議なことに、

他の人が呼んでも決して現れなかったそうです。  

芭蕉門下の第一人者といわれた宝井其角は、そのありさまを「早稲酒や 狐呼び

出す 姥が許」と詠んでいます。老婆の没後、里人や信仰者がその徳を慕って建て

たのがこの老夫婦の石像であると伝えられています。石像には、元禄十四年辛巳五

月十八日、四野宮大和時永と刻まれています。(墨田区教育委員会)


三囲神社(墨田区向島2丁目)

2008-02-17 07:35:57 | Weblog
 

 

 狛犬もお狐さまもいる三囲神社(みめぐりじんじゃ)、伝説では中世の創建とされ

ますが、現在の社殿は安政年間の建築といわれます。六百年ほど前の文和年間に、

近江三井寺の僧源慶(げんけい)が東国巡礼の途中で、隅田川のほとりに荒れ果てた

祠をみつけました。  

 これは弘法大師ご創建の祠であると聞き、自ら再建に着手しようと地面を掘った

ところ、白狐にまたがった神像が納められた壷が出てきました。その時どこからと

もなく白い狐が現れ、神像のまわりを三度めぐって消え去ったといいます。この故

事から「みめぐり」の名が起こったと伝えられます。

向島百花園(墨田区東向島)

2008-02-16 07:50:49 | Weblog
 

 

 向島百花園の梅が咲き始めて「梅祭り」が始まりました。新聞報道につられて行

ってきました。例年より少し遅いようで、唐梅(紅梅)、加賀梅(白梅)が咲き始

めていました。  

 

 秋には「萩のトンネル」になる木組枠のそばには、紅白の梅が仲良く咲き始めて

います。たわわに実った柚子もありますが、「柵の中に入らないで」の注意があっ

て写真にはなりませんでした。いろいろな木や花が文字通り「百花」ありますが、

今は冬枯れです。梅はあと一週間で見頃になるそうです。

下町風俗資料館(2)

2008-02-15 07:36:33 | Weblog
 

 

 銭湯ですね。番台に上がるための階段もあります。参観者は自由に番台に上がる

ことが出来ます。落語では、若旦那が勘当されて、アルバイトで番台に上がります

が、ご婦人の裸体を見ながら空想します。番台は、男湯も女湯も見渡せる場所で、

料金受け取りのほか盗難予防に目を光らせたものです。  

 

 路地には物干しがあってオムツを干してあります。浴衣の着古しが材料ですが、

着古した浴衣は柔らかくて赤ちゃんの肌にはやさしいものです。今の子どもは紙オ

ムツですから「何だろう?」でしょうね。

台東区立下町風俗資料館

2008-02-14 07:48:24 | Weblog
  井戸端

  人力車

 所在地は正式には台東区上野公園2-1となっていますが、不忍池の南端に当た

ります。江戸の風情をとどめる東京・下町の町並みと日々の生活状況を再現してい

ます。  

 この日は小学校の子どもたちが社会科の勉強に来ていましたよ。なかなか賑やか

なことでした。狭い路地に囲まれた裏店の長屋では「駄菓子屋」、「銅壷屋(どう

こや)」が並び、井戸も共同で使ったものが再現されています。人力車も展示して

ありました。何時頃まで使っていたのかとの子どもの質問に、若い先生がとまどい

を見せている微笑ましい光景が見られました。

裏町の飲食街 (日本橋)

2008-02-13 07:57:13 | Weblog
 

 

 日本橋八重洲の裏町です。居酒屋「えん山」酒は一代、酒は神鷹の「鳥駒」、割

烹ふぐ料理「山田屋」とありますね。なんとも懐かしい風情。 

 この路地の先には、昭和29年創業のラーメン屋さんがあります。当時はラーメ

ン一杯30円~40円だったと記憶しますが。ギター流しのお兄さんもいました。

 雨の裏町トボトボと 俺は流しのギターひき おひかえなすって手前ギターひと

つの流れものにござんすー と思い出しました。

根津神社 (文京区根津1丁目)

2008-02-12 07:47:18 | Weblog
 

 

 日本武尊が千駄木の地に創建したと伝えられています。現在地は江戸時代、甲府

宰相・松平綱重の山手屋敷跡であり、後に六代将軍となる徳川家宣の誕生の地であ

りました。  

 

五代将軍・徳川綱吉は家宣の産土神として寛永3年(1706)に千駄木にあっ

た社をこの地に移して社領500石を附し、権現造の社殿を造営しました。拝殿、

本殿、唐門と唐門前方の楼門を含め、すべて国指定重要文化財となっています。

 境内のつつじ苑は有名で、初夏の風物です。(文京区教育委員会) 

国際子ども図書館(上野公園)

2008-02-11 07:55:28 | Weblog
 

 この図書館は平成12年(2000)に児童書専門の国立図書館として設立され

たものです。建物は、明治39年(1906)建築の旧帝国図書館の庁舎を受継い

だものです。  

 ご覧のように、ルネサンス様式を取り入れた明治期洋風建築の代表作と言われて

いまして、東京都選定歴史的建造物に指定されています。前庭の子どもと小泉八雲

の像が印象的です。

 

寛永寺本堂(上野公園)

2008-02-10 07:53:14 | Weblog
 

 

 旧本堂(根本中堂)は現在の大噴水のあたりにありましたが、彰義隊と官軍の兵

火で消失しました。そのため明治九年(1876)から十二年にかけて、埼玉県川

越市の喜多院の本地堂が上野に移築され、寛永寺の本堂となりました。建物は寛永

十五年(1638)の建造といわれます。  

 

 虫塚

 境内にある虫塚は、伊勢長嶋藩主である増山雪斉の遺志により、写生に使った虫

類の霊をなぐさめるため、文政四年(1821)に建てられました。

 碑は自然石で、当時の有名な漢詩人が碑の建設に関わっております。(資料・台

東区教育委員会)