北千住西口から4号線への道に「1010通り」と表示してあります。すなわち
千十=千住通りと言うわけです。この通りを西に100メートルも行くと宿場通り
と交差します。これが日光街道の旧街道というわけで、角には「千住宿本陣跡」の
石柱が立っています。
(道路のタイル)
千住宿は江戸四宿の一つで、三代将軍家光の時代に日光街道の初宿として指定さ
れました。寛永2年(1625)のことです。当初は本陣を中心に、現在の千住一
丁目から五丁目まででしたが、その後、徐々に広がって橋戸町、河原町、仲町一帯
と、大川の南側の現在の荒川区南千住の一部も千住宿に加わって、たいへん賑やか
になったというわけです。
最近の通りには、「なつかしの 町にかえりて そのむかし」の一句を染め抜い
た幟が立ち並んで、非常に賑やかでした。
なるほど、、、ですが、なんだか
有名な宿場町としての 歴史の重みが
ないですね。
若い人向けに、お洒落な感じを
ねらったんでしょうけど、最近は
また 世間が懐古趣味になってますから
宿場町らしい 古い名前に変えたほうが
お客さんが 集まるんじゃないでしょうかね。
しれませんね。
まあ、十三の 「鉄わん波平通り」よりは
いいんじゃないでしょうか