散歩の時に見つけた

東京都内を散策しますが、こんな所にこんな物がと再発見します。写真等を添えて記録します。

被官稲荷社と新門辰五郎(浅草2丁目)

2008-01-28 07:46:51 | Weblog
 

 

 安政元年(1854)、新門辰五郎の妻女が重病で床に伏したとき、山城国(京

都府南部)の伏見稲荷社に祈願しました。その効果があって病気全快。同二年、お

礼意味も込めて伏見から祭神を勧請し、稲荷社を創社して被官稲荷社と名付けまし

た。名称の由来は「出世」と解するということです。  

 上野寛永寺舜仁親王が浅草伝法院に隠居し、上野に行くのに便な新門を造りまし

たが、辰五郎はその門の番を命じられたので、新門辰五郎と呼ばれました。辰五郎

は町火消十番組の組頭としても多彩な活躍をしました。 

 

 社前には「安政二年九月立之 新門辰五郎」と刻まれた鳥居などがあります。(資料は台東区教育委員会)