太田道灌公が長禄2年(1458)に江戸城築城にあたり、丑寅の方に場内鎮護の
祈祷所を建立したのが始まりです。後に平河山報恩寺と改称されました。徳川家康
が江戸城に入り、城内拡大に伴って神田柳原清水町に移され、さらに元禄8年に現
在地に移されました。
現在の太平町の町名は、太田道灌の太と平河山の平の頭文字をとって名付けられ
たものです。震災・空襲により被災しましたが、昭和29年に本堂が再建されまし
た。境内の経石塔(三重塔)は昭和7年建立された鐘楼です。
時代劇大好き人間にとっては、このお寺にさしかかる長谷川平蔵の一節が気にか
かるのです。「報恩寺橋をわたりきった長谷川平蔵は、編笠のふちをあげ、さすが
にふかい感懐をもってあたりを見まわした」とあります。あの鬼平犯科帳の最初の
シーンですが、報恩寺橋は「鬼平」の始まりなんですね。