浮世絵師歌川広重(1797ー1858)が、嘉永2年(1849)から死去までの
およそ10年間を過ごした住居跡です。
広重は、幕府の定火消組同心安藤源右衛門の長男として、八代河岸(現在の千代
田区丸の内2丁目)の火消屋敷で生まれました。13歳の時父母を失い、父同様定
火消組同心になりましたが、文化8年(1811)15歳の時、歌川豊広の門人とな
り、翌年には広重の号を与えられ歌川と称することを許されました。
天保3年(1832)霊岸島の保水堂から出した「東海道五拾三次」以来、風景画
家として著名になり、江戸についても「東都名所」、「江戸近郊八景之内」等を遺
しています。特に、晩年に描いた「名所江戸百景」は、当時大鋸町とよばれていた
この地での代表作です。
住居は、幕府の奥絵師(御用絵師)狩野四家のうち、中橋狩野家屋敷の隣にあり、
二階建ての独立家屋であったといいます。(中央区教育委員会)