水門の向うは日本橋川
霊岸橋は古くからあったようで、「江戸庄図」にもあります。記録によると大正
5年7月には鉄の橋になっていますが、関東大震災後の昭和5年に架け替えられて
います。茅場町から霊巌島へ渡るというところから霊岸橋と名付けられたものと思
われます。日本橋川から別れて亀島川となるところに架かっていますが、大きな水
門があって水位の調整を行っています。
亀島河岸
ここから亀島川を下る岸を「亀島河岸」と呼びます。幕末時には与力の知行地か
らの穀米が、組屋敷に近いこの河岸に荷揚げされたようです。ちなみに同心の30
俵の俸禄は、浅草の御蔵前の蔵米とのことです。冬の時期は川面に都鳥が舞ってい
る光景も見られます。(中央区郷土史同好会)