迷宮映画館

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「吸血鬼 地球最後の男」

2007年12月30日 | 
リチャード・マシスンが、「吸血鬼」として世に出したのが1958年だとか。このとき、作者は32歳。凄い才能であるということを改めて認識。

で、この本。常々、絶対、活字に勝るものはない!と思っているが、映画に関しては、私の場合、役者に対する見方の比重がとっても大きい。わかりやすく言うと、ミーハー。

大好きな役者が出てれば、まるで冷静な判断が下せず、いい男見て、ご満悦・・・というのも全然多い。それじゃあ、だめだべ、と思いつつも、そんなにそんなに難しく考えなくてもねえ。

てなことで、映画「アイ・アム・レジェンド」も、かっこええウィル・スミスでも見てくんべ!くらいの気持ちだったのだが、それで結構満足してしまった私。そしたらば、たおさんの読んだらば、そうもいかなくなってしまった。

「アイ・アム・レジェンド」の、根本的な意味合いが違ってくると言うではないか。それは読まねば!と思って早速購入。もともとの58年版はなく、映画に向けて改訂された2007年版だった。

さて、中身。主人公ロバート・ネヴィルはごく普通のサラリーマン。医者でも研究者でもない。たまたま抗体を持ってしまったのが、生き残ってしまった原因となりそうなのだが、この男、強くもなんともなくて、酒びたりで、弱さともろさを全面の押し出している。

そうなってしまうのも、ものすごくよくわかる。男としての欲望を無理に抑え込み、妻を葬ってしまったことを引きずり、元同僚に付き狙われる。

ただひとり、吸血鬼と化してしまった元人間たちを狩り、何とか今日をしのいで生きている。自暴自棄の状況から、徐々に前向きになり、こうなってしまった原因を探ろうとしていく変化が起きる。

その過程の中で生身の生き物の犬に出会って、人間性を取り戻していったりするのだが、それはスーパーマンでもなく、超かっこいいヒーローでもなく、一人の生きてる人間の姿だ。

そして、その人間はこの世で万物の霊長として君臨し、自分がなんとかできるものだと思い込んでいる。それが覆るのだ。自分が基準の人間だったのが、いつの間にか自分こそが駆逐されねばならぬマイノリティで、新たな世界が構築されていく過程のことなのだったということが分かってくる。

映画がどうのこうのと、この際何も言う気はないが、一番の眼目であり、メインであり、そこが思想の「アイ・アム・レジェンド」は、まるで違う意味だった。なるほど・・・。ものすごい納得。

これが書かれたのがざっと今から50年ほど前。うーん、すごい。

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