様子は江戸時代(?)。お役人風の侍と、越後屋風の庄屋が、土手を歩いてくる。その二人連れに河童がお願いをする。「お役人さま、どおか、竜神沼をつぶして、干拓するのをやめてくだせえ。おねげえします・・」
異形のものに怯えた侍は、己の前に飛び出した河童を切り捨てる。そのすぐあとに大きな地鳴りがして、地震がおきる。地割れの中に落ちていったのは・・・。(この辺で、完全につかみはOK!)
時代は突然、現代に移る。どこにでもいるような小学校の風景。仲良かったり、仲間はずれをしたり、意地悪したり、ケンカをしたり。男の子4人組のグループは、夏休みにどこに行くかの自慢をしていた。うーん、5年後ぐらいのしんちゃんと、ぼーちゃんと、まさおくんと、風間君かな。そこに女の子が1人。(ねねちゃん、随分大人しくなったなあ!)どうにもシンちゃんから離れられません。
子どもたちが何気なくやってる仲間はずれやら、冷たい言葉掛けなんて、ほんと残酷なものなんすが、その辺もあまねく描くのが原さんっす。取り残された康一が、ふと見つけた石の塊。割った中には亀の化石?実はこれが、あの時地割れに挟まれた河童。目の前で父親河童を殺され、それを見ていたあの子ども河童だった。
野原家、ちがった。上原家に突然やってきた河童は、クゥと名づけられ、家族と一緒に暮らすことになるのだが、こんときの妹がいい。いままで一家の注目を一身に浴びてきたひとみちゃん。家族の目がクゥに行くのが面白くなくってしようがない。膨れてみたり、泣きべそかいたり、もう使ってない椅子に座られただけで面白くない。わかるなああ。
河童にとって、あまりの環境の変化に、居場所はないかと河童の里を探して『遠野』までくるのだが、やっぱりどこにも河童はおらず、居場所もない。埼玉でも、遠野でも居るのはひたすら人、人、人。クゥは父ちゃんの言葉を思い出す。「河童と人は一緒にはいられねぇ」・・・・・。
家に帰ろうとした康一とクゥを待っていたのは、耳ざとく聞きつけた写真週刊誌。クゥを写真に収め、一躍上原家は時代の寵児になってしまう。
ここでいい役してるのが、上原家に飼われている犬のオッサン。人の世界のこともよ~く、分かっているれば、河童の気持ちもよく分かる。オッサン、いいぞお。
結局マスコミに振り回され、自分を見失ってしまう上原家の面々。何が一番大事なことなのかを気付くのが遅くはない。いつまでも気付かない大人たちの狂想曲を尻目に、クゥは自分の道をいく。
ということで、私め、待ちに待った原恵一最新作でございます。細かい所の描写から、悠々たる自然の中の佇まいまで、心憎いほどの演出。もう、やになっちゃうほど。どうにもこの上原家の面々は、5年後の野原家に見えてしょうがないのですが、絶対そうだと思いながら見ていたのですが、しんちゃん一家では、そこまで描けないであろう現在の直面している問題のリアルな面や、残酷な部分も、しっかり見せています。
けっして康一や上原家の人たちはヒーローなんかじゃない。ごく普通の、普通の気持ちを持った普通の人たち。でも、思わず遭遇してしまった河童・・・、コレは、河童の形を借りてますが、一家に起こったアクシデントではないでしょうか。そのためには、帰りの遅かった父親は帰宅が早くなり、子どもらは、一段と成長するのです。
大人の醜い商業的な一面やら、いまや国宝的な妖怪の一途な素直さ、子どもの残酷さはどこから来てるのか?寂しい世の中の側面を見せながら、綺麗な夕日をあびて、まだ大丈夫!の面も見えます。うまいなあああ。
日本には八百万の神がましましていると、いにしえから言われてきました。その神は、時に恐れられ、時に愛され、時にすぐ傍にいる身近な存在。その神に感謝するという気持ちは、神に姿を変えた自然に感謝するという気持ちだったのでした。そんな昔からの他を憂う気持ちを忘れてしまった今の人たちに、クゥは簡単に教えてくれました。マスコミに追われ、暇つぶしをしているクゥの小道具もにくいねぇ。
犬にぜーんぶ、持ってかれた感もいなめませんが、いいもんはいいです。たっぷり泣かせてもらいました。原監督、ありがとう。
と、いいことばかりではありませんで、夏休みといえど、なかなか予定が立たず、急遽予定がキャンセルになった日曜日に鑑賞。きっと人も多いだろうな、と半分諦めがちに行ったのですが、案の定たっぷりの人。いや、いいのです、人がいっぱいなのは。問題は後ろに座ってた小さな子どもをつれてた親子連れです。いきなりトン○リ・コーンあたりの袋をばりっとあけて、紙の箱にじゃらじゃら、がさがさ。それも上映始まってからですからね。その他にもなんかのお菓子の袋を年がら年中がしゃがしゃ、かちゃかちゃ。小さなお子様はなんかのたびに、「怖い」だの、「あれ作って」だの、「エーン、エーン」だの。おまけに足を座席にどんどこどん。どんどこどん、する前にそういうことしちゃいけない、って母ちゃんが教えなさい。
お菓子でごまかして、時間を持たせようなどとしなければならないのなら、まず映画なんかにくるんじゃない。自慢じゃございませんが、幼稚園年少の時から映画館では、何にも食えん、飲めん、がうちの家風でございます。
とどのつまりは、そのがさがさ音を立ててたお菓子やら飲み物の残骸をそのまま座席においていきましたからねえ。あーー、世の末だわ。若い父ちゃん、母ちゃん!頼むわ。
◎◎◎◎○●
『河童のクゥと夏休み』
監督・脚本 原恵一
声の出演 冨澤風斗 横川貴大 植松夏希 田中直樹(ココリコ) 西田尚美 なぎら健壱 ゴリ(ガレッジセール)
そうそう、入場者プレゼントにこれを頂きました。ごちそう様です。・・・3つも。
異形のものに怯えた侍は、己の前に飛び出した河童を切り捨てる。そのすぐあとに大きな地鳴りがして、地震がおきる。地割れの中に落ちていったのは・・・。(この辺で、完全につかみはOK!)
時代は突然、現代に移る。どこにでもいるような小学校の風景。仲良かったり、仲間はずれをしたり、意地悪したり、ケンカをしたり。男の子4人組のグループは、夏休みにどこに行くかの自慢をしていた。うーん、5年後ぐらいのしんちゃんと、ぼーちゃんと、まさおくんと、風間君かな。そこに女の子が1人。(ねねちゃん、随分大人しくなったなあ!)どうにもシンちゃんから離れられません。
子どもたちが何気なくやってる仲間はずれやら、冷たい言葉掛けなんて、ほんと残酷なものなんすが、その辺もあまねく描くのが原さんっす。取り残された康一が、ふと見つけた石の塊。割った中には亀の化石?実はこれが、あの時地割れに挟まれた河童。目の前で父親河童を殺され、それを見ていたあの子ども河童だった。
野原家、ちがった。上原家に突然やってきた河童は、クゥと名づけられ、家族と一緒に暮らすことになるのだが、こんときの妹がいい。いままで一家の注目を一身に浴びてきたひとみちゃん。家族の目がクゥに行くのが面白くなくってしようがない。膨れてみたり、泣きべそかいたり、もう使ってない椅子に座られただけで面白くない。わかるなああ。
河童にとって、あまりの環境の変化に、居場所はないかと河童の里を探して『遠野』までくるのだが、やっぱりどこにも河童はおらず、居場所もない。埼玉でも、遠野でも居るのはひたすら人、人、人。クゥは父ちゃんの言葉を思い出す。「河童と人は一緒にはいられねぇ」・・・・・。
家に帰ろうとした康一とクゥを待っていたのは、耳ざとく聞きつけた写真週刊誌。クゥを写真に収め、一躍上原家は時代の寵児になってしまう。
ここでいい役してるのが、上原家に飼われている犬のオッサン。人の世界のこともよ~く、分かっているれば、河童の気持ちもよく分かる。オッサン、いいぞお。
結局マスコミに振り回され、自分を見失ってしまう上原家の面々。何が一番大事なことなのかを気付くのが遅くはない。いつまでも気付かない大人たちの狂想曲を尻目に、クゥは自分の道をいく。
ということで、私め、待ちに待った原恵一最新作でございます。細かい所の描写から、悠々たる自然の中の佇まいまで、心憎いほどの演出。もう、やになっちゃうほど。どうにもこの上原家の面々は、5年後の野原家に見えてしょうがないのですが、絶対そうだと思いながら見ていたのですが、しんちゃん一家では、そこまで描けないであろう現在の直面している問題のリアルな面や、残酷な部分も、しっかり見せています。
けっして康一や上原家の人たちはヒーローなんかじゃない。ごく普通の、普通の気持ちを持った普通の人たち。でも、思わず遭遇してしまった河童・・・、コレは、河童の形を借りてますが、一家に起こったアクシデントではないでしょうか。そのためには、帰りの遅かった父親は帰宅が早くなり、子どもらは、一段と成長するのです。
大人の醜い商業的な一面やら、いまや国宝的な妖怪の一途な素直さ、子どもの残酷さはどこから来てるのか?寂しい世の中の側面を見せながら、綺麗な夕日をあびて、まだ大丈夫!の面も見えます。うまいなあああ。
日本には八百万の神がましましていると、いにしえから言われてきました。その神は、時に恐れられ、時に愛され、時にすぐ傍にいる身近な存在。その神に感謝するという気持ちは、神に姿を変えた自然に感謝するという気持ちだったのでした。そんな昔からの他を憂う気持ちを忘れてしまった今の人たちに、クゥは簡単に教えてくれました。マスコミに追われ、暇つぶしをしているクゥの小道具もにくいねぇ。
犬にぜーんぶ、持ってかれた感もいなめませんが、いいもんはいいです。たっぷり泣かせてもらいました。原監督、ありがとう。
と、いいことばかりではありませんで、夏休みといえど、なかなか予定が立たず、急遽予定がキャンセルになった日曜日に鑑賞。きっと人も多いだろうな、と半分諦めがちに行ったのですが、案の定たっぷりの人。いや、いいのです、人がいっぱいなのは。問題は後ろに座ってた小さな子どもをつれてた親子連れです。いきなりトン○リ・コーンあたりの袋をばりっとあけて、紙の箱にじゃらじゃら、がさがさ。それも上映始まってからですからね。その他にもなんかのお菓子の袋を年がら年中がしゃがしゃ、かちゃかちゃ。小さなお子様はなんかのたびに、「怖い」だの、「あれ作って」だの、「エーン、エーン」だの。おまけに足を座席にどんどこどん。どんどこどん、する前にそういうことしちゃいけない、って母ちゃんが教えなさい。
お菓子でごまかして、時間を持たせようなどとしなければならないのなら、まず映画なんかにくるんじゃない。自慢じゃございませんが、幼稚園年少の時から映画館では、何にも食えん、飲めん、がうちの家風でございます。
とどのつまりは、そのがさがさ音を立ててたお菓子やら飲み物の残骸をそのまま座席においていきましたからねえ。あーー、世の末だわ。若い父ちゃん、母ちゃん!頼むわ。
◎◎◎◎○●
『河童のクゥと夏休み』
監督・脚本 原恵一
声の出演 冨澤風斗 横川貴大 植松夏希 田中直樹(ココリコ) 西田尚美 なぎら健壱 ゴリ(ガレッジセール)
そうそう、入場者プレゼントにこれを頂きました。ごちそう様です。・・・3つも。
人間の酷さを感じるとともに
なんか希望もしっかり感じ取れた。
想像以上に考える映画だったなあ
しんちゃん映画ではそこまで描くことの出来ないモロモロのものが見えました。
残酷さと希望が共存している人間というモノを改めて、思い返させられました。
やっぱ原監督ですか!
うーーっむ。
たぶん、私、泣いちゃうんでしょうね。
うーーっむ。観たい!
心に届く何かと、その調度いい按配のツボが、今回もぷったしでした。
あの後ろの親子さえいなければ、もっともっとキテタと思うと、悔しくてしょうがないっす。
子どもらも見てなかったみたい。
31日ですね。要チェック!!
ちゃんと原作があって、埼玉の東久留米市?
言い伝えみたいなものがあるのかどうかは分かりませんが、なんかごく普通の雰囲気がとってもよかったのでした。
見れたら、是非見てください。大人1人で行ってもダイジョブ。
ところでパジャマパーティー参加は武子丸さまですか?
それに、ガエル君もシャルロットも可愛かったです。
看病の最中にきていただくなんて、恐れ多いと思っていたのですが、ホットしつつ、残念です。
参加者は、どうもおばさんばっかりなので、よければ・・って難しいよね。
今日も農作業のお手伝いをしてきて、へろへろです。
おらが住んでいる地元では一ヶ月前試写会がありましたよ。
応募したのだが見事にはずれて見られず。
街のあちこちのお店では割引券が配られております!
我が家も夏休みには絶対に行こうと決めてます。
元気に母ちゃんやってますか?
3人いると、忙しさと、逆に余裕が感じられたりして。
おっきくなると、またそれなりに忙しくなるので、頑張ってねえ。
さてさて、舞台は埼玉の東久留米市という所だったのですが、(あの辺の地理はよく分からないので、すいません)田舎のような、都会のような、雰囲気がよくでてました。
幼稚園生だと、ちとつらいものがあるかもしれないけど、(結構、見ながら『怖~い』とか言ってたのがいた)見てみてください。
きゅうりのキューちゃんも頂きました。