昨日は、不肖私め、45回目の誕生日。30過ぎたくらいから、誕生日はちっともうれしくなくなったが、とりあえず節目ということで、四捨五入で50になった自分を祝った。何で?映画で。私の生涯のフェバリット映画、ベスト10に入る「さらばわが愛 覇王別姫」の鑑賞をした。私の誕生祝のために上映してくれた・・・ということにしよう。
最初に見たときからはや12年。その後2回ほど見たので、今回が4回目の鑑賞と相なった。(
3回目の鑑賞記)どこでどうなるか、次はこの台詞、小樓と程衣のやりとり、菊仙の表情、次はこう来るぞ・・・来た・・・。という少々マゾヒスティックな見方で見せていただいた。・・・やはり最高であった。このあとのチェン・カイコーは、どうしてしまったの???だし、レスリーは鬼界の人となってしまったし、コン・リーの行く末はなんか不安だし、もうこんな映画は二度と作れないだろう、という感慨も同時に感じてしまった。
舞台は1924年の革命間もない中国。清が滅んだ世の中だったが、300年の長きに渡った満州族の影響はいまだ残っており、皇帝に仕えた宦官やらが我が物顔で威光を撒き散らしていた。相変わらず中国の民衆はとことん貧しく、親もない子、女郎屋で生まれた子や、貧乏この上ない子が成功するには役者にでもなるしかない。
指が一本多く生まれてきた小豆。女郎の母にはもう育てることは出来ない。意を決して芝居の訓練小屋に捨てるように置いて行く母。役者になるしかないと決めた小豆は、女形の才能を発揮する。しかし、あまりにのめりこんだ小豆は、自分が女なのか、男なのか、今は現実なのか、芝居なのかの区別がつかなくなっていく。その境地は彼の一生に付きまとい、最期の最期まで小豆の生き様になる。
小豆を守り抜いてきた石頭は段小樓という人気の役者に、小豆は蝶程衣という当代一に女形になる。しかし、時代は1937年。今まさに日本が怒涛の勢いで中国に攻め込もうとするときだった。
一本気で融通のきかない無骨な小樓は、遊郭の華・菊仙にいれあげる。相変わらず芝居の世界と現実の世を行き来している程衣は、小樓が女なんぞに心を奪われているのが許せない。私がいるのに、どうしてこんな女なんかがいいの。このときのレスリーの毅然とした表情と、愛がその手を離れていくときのはかなさが震えるほどにいい。そしてコン・リーのしたたかさと美しさ。このとき20代後半くらいだと思うのだが、物凄い女優だ。
戦争中の日本軍とのやり取りが、その後の彼らの運命にいたずらに作用する。演劇界の重鎮という袁世卿という男が曲者だ。京劇を分かりに分かり、京劇そのものを体現している程衣にほれ込んでいる。世俗を超越したような存在感がなんともいえない雰囲気をかもし出している。
戦争が終わったと思うと、国民党と共産党の争いにすぐさま突入する。その喧騒の様子が痛ましい。外国に攻められていたときよりもきつい仕打ちが自分達に待っている。そして共産党の勝利。伝統を打ち破り、労働者のためと古いものを無残に焼き捨てていったとんでもない時代、文革。
文革はあまりにも無残すぎた。時代の一つの流れと言ってしまうのはあまりにむごすぎた。人間のもっとも醜い部分を、人間同士が剥き出しにする。傷付き、破かれ、焼き捨てられ、人をぼろぼろにしてしまった。菊仙のあまりに哀しい顔が全てを物語っていた。そして程衣の生き様、死に様。役にのめりこんだレスリーを見るたびに心が痛い。痛いが目が離せない。そんな映画をまた見てしまった。
最初に見たときからはや12年。その後2回ほど見たので、今回が4回目の鑑賞と相なった。(
3回目の鑑賞記)どこでどうなるか、次はこの台詞、小樓と程衣のやりとり、菊仙の表情、次はこう来るぞ・・・来た・・・。という少々マゾヒスティックな見方で見せていただいた。・・・やはり最高であった。このあとのチェン・カイコーは、どうしてしまったの???だし、レスリーは鬼界の人となってしまったし、コン・リーの行く末はなんか不安だし、もうこんな映画は二度と作れないだろう、という感慨も同時に感じてしまった。
舞台は1924年の革命間もない中国。清が滅んだ世の中だったが、300年の長きに渡った満州族の影響はいまだ残っており、皇帝に仕えた宦官やらが我が物顔で威光を撒き散らしていた。相変わらず中国の民衆はとことん貧しく、親もない子、女郎屋で生まれた子や、貧乏この上ない子が成功するには役者にでもなるしかない。
指が一本多く生まれてきた小豆。女郎の母にはもう育てることは出来ない。意を決して芝居の訓練小屋に捨てるように置いて行く母。役者になるしかないと決めた小豆は、女形の才能を発揮する。しかし、あまりにのめりこんだ小豆は、自分が女なのか、男なのか、今は現実なのか、芝居なのかの区別がつかなくなっていく。その境地は彼の一生に付きまとい、最期の最期まで小豆の生き様になる。
小豆を守り抜いてきた石頭は段小樓という人気の役者に、小豆は蝶程衣という当代一に女形になる。しかし、時代は1937年。今まさに日本が怒涛の勢いで中国に攻め込もうとするときだった。
一本気で融通のきかない無骨な小樓は、遊郭の華・菊仙にいれあげる。相変わらず芝居の世界と現実の世を行き来している程衣は、小樓が女なんぞに心を奪われているのが許せない。私がいるのに、どうしてこんな女なんかがいいの。このときのレスリーの毅然とした表情と、愛がその手を離れていくときのはかなさが震えるほどにいい。そしてコン・リーのしたたかさと美しさ。このとき20代後半くらいだと思うのだが、物凄い女優だ。
戦争中の日本軍とのやり取りが、その後の彼らの運命にいたずらに作用する。演劇界の重鎮という袁世卿という男が曲者だ。京劇を分かりに分かり、京劇そのものを体現している程衣にほれ込んでいる。世俗を超越したような存在感がなんともいえない雰囲気をかもし出している。
戦争が終わったと思うと、国民党と共産党の争いにすぐさま突入する。その喧騒の様子が痛ましい。外国に攻められていたときよりもきつい仕打ちが自分達に待っている。そして共産党の勝利。伝統を打ち破り、労働者のためと古いものを無残に焼き捨てていったとんでもない時代、文革。
文革はあまりにも無残すぎた。時代の一つの流れと言ってしまうのはあまりにむごすぎた。人間のもっとも醜い部分を、人間同士が剥き出しにする。傷付き、破かれ、焼き捨てられ、人をぼろぼろにしてしまった。菊仙のあまりに哀しい顔が全てを物語っていた。そして程衣の生き様、死に様。役にのめりこんだレスリーを見るたびに心が痛い。痛いが目が離せない。そんな映画をまた見てしまった。
10本まで行かなくて、五本の指に入るかも。
ビデオも持ってますが、スクリーンでしか見てないです。考えてみると。
このレスリーは本当に美しかったですね。
引きずります。
東山が舞台で、これをやってたみたいですが、なんかねえ~。レスリーに挑もうなんて、無謀ですわ。
sakuraiさんのベスト10に入る作品なのですね。
わたしは2年ほどまえに,唐突にレスリーのファンになりまして(とっくに故人なのにね)
その時初めて観ましたよ~。
これは,私の中でもベスト10に入るほどの作品で
観た後は必ず数日ひきずってしまいますね。
チェン・カイコー,この作品がピークだったのかな?これ以降はあんまり・・・ですね。
レスリーの演技,何度観ても,泣きたくなるくらい切ないです。
彼が自ら命を絶ったと聞いたときは、本当にショックでした。
でも、あたしは一番好きなレスリーは、「チャイニーズ・ゴースト・ストーリー」なんですよ、実は。
ううう、また見たくなってきた!!
カブるところのある役だったんでしょうね。
悲しい、惜しい思いもありますが、
同時にこのような素晴らしい作品を遺してくれたことには
感謝ですよね~。
そうそう、天秤座はいいやつが多いんですよ♪
おまけに13日の金曜日の最高の日でございます。
3時間ほどあるので、ちょっとたりくなるかもしれませんが、中国の近代史を3時間で巡れるという。
おまけに、今はなきレスリーの最高の映画です。
是非どうぞ。
天秤座?あたしもなんです。
この映画、近いうちに、見てみたいと思います。
うちの長男坊も先週、日光と会津に行ってきました。
お土産なんかいらないと言ったのですが、気持ちなので買ってきてもらいました。子供たちはお土産買ってくるのが楽しみですもんね。
相変わらず感動させてくれましたが、フィルムがかなりぼろぼろで、前回のレスリー追悼のときより、また進んでいたような気がします。リマスター版でもないと、もう上映は無理かもしれませんね。
レスリーののめりブリが彼を疲れさせたのか・・・とも思わせる作品です。すべてに全力投球の人でしたから。
そう、いろんなところに行く部署なんですが・・・どちらかと言えば県内出張の方が多いですね。
「京劇」というのも当時この映画で初めて知りましたが、歴史の残酷さと、それに翻弄される人間の姿は本当に切ないです。
いろんなとこに行かれる仕事なんですね。ご苦労さまです。
私も何度も見たので、今回はいいかなあ、と思ったのですが、薦めた本人が行かないのもなんだなあ、行きました。
やはりいかったです。見るたびにいろんな発見があるのですが、文革のむごさと人生を狂わせた狂気に感じ入りました。
コメントと祝いの言葉、ありがたく頂戴します。
わたしはさっき広島出張から帰ってきたので、今回の映画は観れませんでした。でも・・・この映画は感動して続けて2回見に行ったので、よく覚えています。コン・リーが強くて美しい女性を演じていて、とても印象的でした。