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灼熱の魂

2012年03月31日 | さ行 外国映画
少年たちが施設の中で、バリカンをかけられている。かかとに三つ印がある子供。挑むような厳しいまなざしでこちらを見つめている。

現代・・・・、初老の女性が亡くなり、双子の男女の子供が遺言を開けようとしている。あまりに奇妙な中身に、息子は納得がいかない。棺も要らない、墓石も墓碑も自分には資格がない。娘に託したのが、自分達の父を探して、手紙を届けること。そして息子には、兄に同じように届けること・・・とあった。手紙が届けられたら、初めて自分に墓石と墓碑をつけられる。女性の名はナワル。

息子のシモンは、生前母は自分に心を開いてくれなかった、変わりものだったと、言い放ち、ごく普通の埋葬をするように手筈を整えようとする。大学の助手をしている娘のジャンヌは、母の遺言を果たそうと、母の生まれたところに行って、彼女の足跡をたどろうとする。

まず訪れたのは母がいたダレシュ大学。母がいたという30数年前のことを知っている人が少なかったが、母が写っていた写真の場所が分かった。南部地方。そこは、監獄があったという。この国の人なら、南部と聞いただけで、何があったのかを知ってるはずと言われるが、ジャンヌは知るはずもない。

ジャンヌが母のルーツをたどる道は、若きナワルの苦難の道のりだった。難民のムスリムと恋に落ちたキリスト教徒のナワルは、故郷を捨てようとしたが、見つかり、恋人は殺される。しかし、妊娠していたナワルは子供を産むかわり、村を出て大学に入り、この子を手放すことで、家族から許される。その時、赤ん坊のかかとに三つの印をつけた。ナワルは、絶対にこの子を探しだすと誓って、叔父のいるダレシュに行く。

この頃から内戦が激しくなり、大学どころではない。勉学などしている余裕はない。激戦の中、子供が預けられている孤児院を訪ねようと南部に行くことにした。到着した孤児院は、イスラム勢力に爆撃されてしまっていた。ここにいた子供たちは、デレッサにつれて行かれたと聞いて、今度はデレッサに向かう。

現代のジャンヌは母の故郷の村に行く。最初は村の女性たちに暖かく歓迎されるが、ナワル・マルワンの娘だとわかったとたん、彼女らの態度が一変する。「あなたを歓迎できない。ここを出ていってくれ」と告げられる。ジャンヌは、じわじわと自分の母がたどったと思われる苛酷な道を想像するが、それは想像を超えるすさまじさであった。

ナワルの乗ったデレッサに向かうバスは、キリスト教勢力に攻撃され、乗客のムスリムたちは無残に殺される。間一髪、自分はキリスト教徒だと叫び、なんとか助かるナワル。しかし、子供は見つからない。愕然としたナワルはイスラム勢力のテロ組織に加わり、キリスト教右派の指導者の暗殺に成功する。結果、監獄に収監されたナワル。あの写真は、この時のものだった。

ジャンヌは母が収監されていた時の看守を探しだし、囚われていた時の母の様子を知る。それはあまりに苛酷で、あまりに壮絶。文字通り奈落の底に突き落とされていた母の人生。彼女がいかに地獄から這い上がってきたのか・・。いや這い上がってなどいない。彼女の遺言はいまだ地獄の中で生きてきた人生の始末だったのかもしれない。


・・・すごい。すごいと言う話は十分に聞いていたので、こちらも十分に覚悟をして行った。いや、すさまじかった。設定は架空の国とされ、地名も特定はされていないが、中東に多くいたキリスト教徒とイスラム勢力の戦いから、はげしい内戦になったと言えば、レバノンしかない。

レバノンは、古代オリエント時代から続く由緒正しい国だが、中東の国の中で意外にキリスト教徒が多い。それもマイナーなロマン派を言われる人々で、これは創設当時のキリスト教の流れを引き継いでると言われる。そこに当然イスラム勢力が入り込み、住み分けがされていたが、70年代に入り、きな臭い中東の戦闘が続く中で、パレスティナの活動の激しさがレバノンに押し寄せてきた。ために内戦へと発展してしまった。

これは、宗教の対立から始まった悲劇によって、過酷な運命をたどってしまったある女性の物語・・として見ればよい。そこに介在する抗いがたい運命と、皮肉な宿命。その中でも生きていけた力になったのは何だったのか。それは母として生きること。

と言うことなのだが、どうもすとんと落ちなかった。ここは自分が嫌になるのだが、架空の話と見れば何の引っかかりも無いのだが、いくつか引っかかったのもあって、そこが自分の思考の邪魔をしてしまった。気にするな・・と言われても、性分なもんで、しようがない。いくつか気になってしまったところをあげておく。

墓碑に1949~2009とあった。ナワルは60歳で亡くなったことになる。最初の子供を幾つで産んだか?15歳くらいじゃないと、つじつまが合わなくなる。パレスティナ難民が大量に流入してきたのは70年になってから。年代を見せられたしまったもんで、合わないと消化が悪い。

それは娘たちの年代にもあらわれていて、大学の助手をしているくらいだから、ジャンヌたちはどう考えても30歳くらい。だとすると、彼女らを産んだのは、ナワルが30歳くらいでないと、どうしてもスッキリしない。。。あ、、、こんなところにこだわる自分がいやだ。

どうも釈然としなかったのは、ナワルがイスラムのテロリストに転身するところ。キリスト教勢力の暴力に憤ったのは分かるが、自分の子供のいたところを焼け野原にしたのは、イスラム勢力のはず。なのになぜそっちに転身したのかがどうしてもわからなかった。

もっとも引っかかったのは、双子に対する母としての立場。母は望まぬ子供であった、あってはならないことだった・・と考えていた。シモンは心を開いてくれなかった、と言い放つ。だからこそ母のルーツをたどったわけだが、双子の母としての姿を考えられない。どんな母だったのか。この母を抱えて、子供たちはどう成長したのか。それはこうだったからよ・・と言われて、それが考えられないくらいに苛酷なことだったとしても、浮かばないのだ。監獄から釈放され、自由の身になった時、彼女の生きる支えとなったのは、双子だったと思うからだ。

いや、これは現代を借りたギリシア悲劇。その表し方の圧倒的な力に押しつぶされそうになった。でも引っかかってる自分が嫌で、書くに書けずにいた。

◎◎◎◎

「灼熱の嵐」

監督 ドゥニ・ヴィルヌーヴ
出演 ルブナ・アザバル メリッサ・デゾルモー=プーラン マキシム・ゴーデット


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6 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
ナワルの人生 (KON)
2012-03-31 17:46:06
あまりに悲劇的でショッキングな生涯。

子供たちにはそんな影をも見せたくなかったのか。
だから心を開けなかったのかな。

だとしたらあの遺言は過酷すぎる気がします。


どこを向いても厳しい映画でした。

ナワルと双子にとって、あの偶然の再会は救いなのか。
それとも新しい苦難の始まりなのか。


う~んすっきりしたいとこだ。
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>KONさま (sakurai)
2012-04-02 17:18:29
そこなんですよ。
心を開かなかった・・と言うのはいろんな解釈があると思うんですが、母としての姿が見えてこない。
奈落の底から這い上がった彼女が生きていけたのは、きっと双子の存在だったと思うんですが、息子にああ言われる母って、なんか違うんじゃないのって感じたのでした。
自分にとっての落とし前の遺言でしたが、これからを生きて行く人々にとって、それは絶対に必需出会ったのかと言うと、そうは言い切れないような気がします。
だからこそすさまじい映画になったのでしょうが、なんともスッキリしないですね。
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パワーのせいか? (mezzotint)
2012-04-04 00:22:13
こんなに観ていて疲れたのは初めてです。
そのくらい衝撃的でずっしり重い作品でした。
覚悟していたらもう少しリラックスして観れた
かも、、、。でもやっぱり凄い内容ですよね。
考えたらヤバいよね。
子供たちに告白したのは正解なのかな?
なんて色々考えてしまいました。
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>mezzotintさま (sakurai)
2012-04-04 19:31:38
映画は全編フルパワーで、すさまじかったですよね。疲れるのは、ホントわかります。
私は少々の覚悟があったので、それなりの気持ちで臨んだのですが、やはりすごかったです。
そのすごさにちっとだけでも整合性が欲しかった。
贅沢な要求ですが、すとんと落ちなかったので、そこが不満でした。
最後の子供たちへの告白は悩むとこです。
なんとも釈然としないです。
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こんばんは! (ヒロ之)
2014-10-23 22:18:20
宣言通りに本作を鑑賞しました。
こちらもまた衝撃的な作品でした。
好きな度合いから言うと『プリズナーズ』の方ですが、こちらのラストには胸を締め付けられる思いがしました。
まさかあんな秘密があったとは・・・。
もう驚きの一言のみです。
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>ヒロ之さま (sakurai)
2014-10-29 10:42:19
すぐやる課ですね!えらい。
とにかく、すごい、すごいっていう前評判を聞いての鑑賞でしたが、たがわぬすごさだったと思います。
ただ読み返して見ると、ちょっと整合性が欠けていたのが、自分の引っ掛かりだったような。
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