派手な化粧で、疲れた果てた風の女が一人。駅でぐだぐ出した後に、コンビニに行く。コーラを買ったが、買ったものを忘れて店を出てしまった。戻ったところに、ちょうどコーラを持った男が出てくる。「あたしのコーラ、取ったな!」。男からコーラを引ったくって、かぱっと飲んでしまう。実は忘れたコーラは店の人がきちんととっておいてくれていた。トンでもない出会いだったが、これがチョルスとスジンの出会い。
不倫騒動の修羅場を抜けて、うちに帰ったスジンだったが、会社の中も針のむしろ。ストレス状態の中、建築現場で力強く働くチョルスに再会する。彼にどんどん惹かれていくスジン。(相手はチョン・ウソンですから、それは当然でございます)ぶっきらぼうなチョルスは、優しい言葉などかけないが、スジンへの想いは伝わってくる。
いわゆる上層階級のスジンと、ブルーカラーのチョルス。結婚に反対されるが、スジンのあまりに強い想いを察したスジンの父親は結婚を許す。二人の、幸せそうな生活は、見ててこそばゆくなるほど。しかし、それは唐突に終る。スジンの忘れっぽい性格は昔っからだったが、極度のストレスが原因なのか、遺伝的な要因なのか、スジンは若年性のアルツハイマー症と診断される。彼女はすべてを忘れてしまう。俺のことも、自分のことも、二人の愛も。
私はすべてを失う。彼も、自分も、この幸せも。なぜ、私は彼に苦しみを与えてしまうか。彼を幸せにしようと思ったのに、彼に与えられるのは苦悩だけ。でも、そのことすらも私は忘れてしまう・・・。
昨日は、不肖私めの誕生日。もうこの年じゃ何にもいらないが、当たったのがこの映画の試写会。思う存分、見せていただきます。なんせ、チョン・ウソンですから。うひょうひょ。完全にミーハー入ってます。↓で、高尚なこと言っておきながら、あたしって・・・。まあ、それがあたしということで。
ボケてしまうのは、だれしもある事。でも、28歳で!精神の死が訪れるというのは、あまりに過酷だ。まさにこれからという時に、残酷な運命が待ち構えていた。人生とは、運命とはなんと過酷なのか。心から、心から悲しい出来事なのだが、そのことにぶつかっていく二人の姿が丁寧に描かれる。
時々記憶が途切れるスジンが思い出すのは、不倫の相手。チョルスを目の前にして、不倫の相手の名前を呼ぶ。その時のチョルスのあくまでも優しく、悲しげな目は切ない。本当に切ない。
もし、この世から消えて、死んでしまったのならまだ諦めもつくかもしれないが、自分のことを時折思い出しながら、病院で、寂しく残りの人生を送るスジンを思うチョルスが、いい。ぶっきらぼうで「サランヘヨ」と、素直にひとことも言えなかった自分を後悔しているチョルスがいとおしい・・。
悲しい、悲しい物語で、はっきり言って救いはあるのかと思うと、・・・・なさそう。時折むだっぽいストップモーションがいっぱいあるのは韓国映画のご愛嬌。こてこての甘いラブストーリーに、ならないのはウソンの佇まいでしょう。相手を見つめた時の二人の表情がとっても素敵。たまにこてこてに泣くのもいいです。ハンカチをお忘れなく。
不倫騒動の修羅場を抜けて、うちに帰ったスジンだったが、会社の中も針のむしろ。ストレス状態の中、建築現場で力強く働くチョルスに再会する。彼にどんどん惹かれていくスジン。(相手はチョン・ウソンですから、それは当然でございます)ぶっきらぼうなチョルスは、優しい言葉などかけないが、スジンへの想いは伝わってくる。
いわゆる上層階級のスジンと、ブルーカラーのチョルス。結婚に反対されるが、スジンのあまりに強い想いを察したスジンの父親は結婚を許す。二人の、幸せそうな生活は、見ててこそばゆくなるほど。しかし、それは唐突に終る。スジンの忘れっぽい性格は昔っからだったが、極度のストレスが原因なのか、遺伝的な要因なのか、スジンは若年性のアルツハイマー症と診断される。彼女はすべてを忘れてしまう。俺のことも、自分のことも、二人の愛も。
私はすべてを失う。彼も、自分も、この幸せも。なぜ、私は彼に苦しみを与えてしまうか。彼を幸せにしようと思ったのに、彼に与えられるのは苦悩だけ。でも、そのことすらも私は忘れてしまう・・・。
昨日は、不肖私めの誕生日。もうこの年じゃ何にもいらないが、当たったのがこの映画の試写会。思う存分、見せていただきます。なんせ、チョン・ウソンですから。うひょうひょ。完全にミーハー入ってます。↓で、高尚なこと言っておきながら、あたしって・・・。まあ、それがあたしということで。
ボケてしまうのは、だれしもある事。でも、28歳で!精神の死が訪れるというのは、あまりに過酷だ。まさにこれからという時に、残酷な運命が待ち構えていた。人生とは、運命とはなんと過酷なのか。心から、心から悲しい出来事なのだが、そのことにぶつかっていく二人の姿が丁寧に描かれる。
時々記憶が途切れるスジンが思い出すのは、不倫の相手。チョルスを目の前にして、不倫の相手の名前を呼ぶ。その時のチョルスのあくまでも優しく、悲しげな目は切ない。本当に切ない。
もし、この世から消えて、死んでしまったのならまだ諦めもつくかもしれないが、自分のことを時折思い出しながら、病院で、寂しく残りの人生を送るスジンを思うチョルスが、いい。ぶっきらぼうで「サランヘヨ」と、素直にひとことも言えなかった自分を後悔しているチョルスがいとおしい・・。
悲しい、悲しい物語で、はっきり言って救いはあるのかと思うと、・・・・なさそう。時折むだっぽいストップモーションがいっぱいあるのは韓国映画のご愛嬌。こてこての甘いラブストーリーに、ならないのはウソンの佇まいでしょう。相手を見つめた時の二人の表情がとっても素敵。たまにこてこてに泣くのもいいです。ハンカチをお忘れなく。
だけど、サランヘヨってどのくらいのニュアンスなんだろ?
日本語の「愛してる」くらいの言葉なのかなぁ・・・
おめでと~
人生の折り返し地点を日々感じますが、お互い頭の中の消しゴムを増やさないようにガンバリましょう。って私の頭の中が1番真っ白ですが・・・
話は変わりますが「SAYURI 」の予告編見ました!どこの国のいつのお話なんだ、あれはいったい?がっかりなんだか楽しみなんだかよくわからん、こてこてのハリウッド映画って言うことだけは確かなようですか?
わたしもつい先日。
おたがい、ますます良い映画に出会いたいもんですなー。
今度、韓国に堪能な人に聞いておきます。前にハングル語読んでもらった時、バレンタインのチョコに書いた字だったのですが、『何とかサランヘヨ』で、とっても愛してる!ッて意味だったです。
とにもかくにもチョン・ウソン!!!!
>シュフさま
ありがとうごぜーますだ。
何にもいらないから、映画見せてくれ!と頼みました。ちびたちには、自分で明日の用意することがプレゼントだぞと。
「SAYURI」、、、、スピルバーグ製作ですからね・・。なんとなるのやら。花町が舞台だから一応舞台は日本なのではないでしょうか。
わけわかんねー設定だけどね。
>セイさま
ありがとうございます。
これだけは毎年、間違いなくやってきます。うーーん、人生半分は確実にすぎました。あと、どのくらいいい映画に出会えるでしょうね。
セイさまもおめでとうございました。
この年になると、サイトや、通信販売のチラシやら、クリーニング屋からのおめでとうばっかでちょっとねえ。
あと、お誕生日おめでとうございます(遅れましたが)
たまにはコテコテに泣く、同意です。
素直に感動できる映画でしたね。
映画はそれぞれ、どういうモードで見るかで、評価も決まってしまいそうです。
これに関してはとりあえず私は突っ込みなし!と言う事で。
ラストのファミマのシーンは、なにかあたたかい気持ちに包まれましたので、逆に泣けませんでした。これって、変?
最後は、やはり同じように暖かい気持ちになりました。
泣くって、身体にいいそうなので、ばんばん泣きましょう。考えてみると、実生活で泣く事なんて、・・・・ないもんね。
映画で泣けるって、幸せなことなのですよ、きっと。
私も、たまにはどっぷり浸って泣くのもいいでしょ。と思いながら見ました。
しかし、もしもチョルスがチョン・ウソンじゃなかったら、この映画のクオリティは下がってしまったのではないかと思わせるほどの存在感がありました。
公開前の出し惜しみのなさで、一体人は来るのだろうかと、心配してあげてたのですが、かなり入ってるみたいで、おそるべし韓流です。