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日常散策

日々の記録とその他のこと

エキスポタワーに上がった。

2005年01月01日 | 日本万国博覧会
 エキスポタワーの展望券です。大人100円です。
 券があるのだから登ったはずですね。菊竹清訓氏設計ですが、先年老朽化を理由に解体されてしまいました。遠くからでも万博会場を示すランドマークとして立っているのを見ることが出来たのですが、メンテナンスがされなくてはどうしようもありません。結果的には残す気持ちはあまりなかったと云うことでしょう。
 当時の印象としては、垂直に立っている(東京タワーと違って)ので、高くは作れないのだろうとか、展望室が変わっているとかだったような事でございました。
 さて、反対側の国立国際美術館の解体は進行中なのでしょうか?もうちょっと暖かくなって、梅便りがあれば行っても良いかな、と思います。

日本万国博覧会ハイライトアルバム

2004年12月26日 | 日本万国博覧会
 EXPO`70 HI-LITE ALBUM 監修 茅誠司 山田幸五郎 高橋正人 静山堂出版 1970年
 これは古書購入ではなくて、家にあった本です。御購入記念三菱カラーテレビ高雄となってますので、非売品かもしれません。
 全カラー192ページでハイライトの名に恥じず押さえるところは押さえてある感じです。
 万博って確かに人は大勢行ったのですが、建造物の評価はどうだったのでしょうか。
 松葉一清著「幻影の日本」のお祭り広場(丹下健三)の項には、「会場に散在したはりぼてのパビリオンの数々は、未来都市を想起させるまで行かず、むしろ技術志向の限界を露呈した。」とありました。
 あれから30数年の未来である今の建築をどう見るか。ただの箱だけは造らないで欲しいです。

▲旧住友銀行京都支店に記事へのリンクを追加しました。

毎日グラフ増刊 EXPO`70 オール・カラー 日本万国博開く

2004年12月14日 | 日本万国博覧会
 毎日グラフ増刊 毎日新聞社 昭和45年 450円。
 文字通りオール・カラーの万博写真集です。ここでのお気に入りは、「日立館」でございます。ここはですね。円盤みたいな形のパビリオンに、エスカレーターで登ってシミュレーショントラベルをする、と言った今では良くある感じのものですが、当時はとっても入りたかったんですね。
 入った際の様子は後日へ。
 ページをめくると、「万博スラム」の文字がありました。会場と千里ニュータウンを対比した写真の説明文ですが、言い過ぎですよね。

アサヒグラフ増刊 開幕!日本万国博

2004年12月03日 | 日本万国博覧会
 アサヒグラフ増刊 開幕!日本万国博 1970年刊 380円
 万博参考文献です。表紙もすばらしいです。今、太陽の塔の側に立ちますと、あそこに大屋根が掛かっていて、顔近くまで広場が迫っていたなんて想像も出来ません。
 ページをめくりますと、アメリカ館にソ連館内部写真があります。わたくしはですね。自慢ですが、どちらも入ってます。感想は後日(と期待を持たせますが。)多分読んでも皆さまがっかりすると思います。
 この本のお気に入りは、「カンナとおさむのビックリ探検」です。
 カンナは高津カンナさんで、おさむは皆川おさむさんでございます。いやあ、懐かしくって涙が出ます。
 
○富士パビリオンの見学次第が掲載されてました。「館内に入るとすぐ、大きな回転歩道に誘導される。この歩道に乗って内部をゆっくり一周する・・」とありました。そう言えばそうしたような気もするから不思議だ。

富士グループ・パビリオン エアドームに入っていた。

2004年12月02日 | 日本万国博覧会
 ビニロン・パイプ16本が繋げられて圧縮空気を入れた、万博の中でも特徴的な建物だった富士パビリオンです。
 中ではですね。このエア・ドームの内側(当然曲がってます。)や正面スクリーンにマンダラ(スライド映像)と呼ぶものを映写しまして、それを観客が見ると云うものをやっておりました。
 新宿の雑踏などを映していた、とのことですが、覚えてません(こればっかりですが。。)。
 見たいと思ったから入ったはずなんですけどね。

○昨日は、ある文書の判読大会が実施されましたが、よく分かりませんでした。あとの石狩鍋は美味かったです。以上業務連絡。

古河パビリオンに行っていた。

2004年12月01日 | 日本万国博覧会
 前回に「またまたクボタ館で「しょうも無いゲームをして。」と言ってしまった、ちょっと苦い思い出が甦ったりするんです。」と書いてしまいましたが、実は古河パビリオンである、と思い至りました。
 このパンフレットに「コンピュータ・ハンド・ゲーム」と言う写真がありまして、ま、いわゆるクレーンゲームみたいなものをやっていた訳です。声で指示して動かすものでございました。
 実験劇場と銘打っておりましたが、混んでいるのでやれない訳ですね。で、上記の発言と相成った訳です。
 今、見るとコンパニオンさんの化粧が濃いです。

万国博に入場した。

2004年11月30日 | 日本万国博覧会
 これが入場時にもらった「EXPO`70日本万国博覧会ミニマップ」です。
 中身はよくある会場案内図でして、何てことありません。表紙に描かれたコンパニオンさんのイラストが素敵かもしれません。
 コンパニオンさんには後の「大阪花博」の時にはお世話になりました。これは、まだ小さかった子供(赤ちゃんでした。)といっしょに行ったからです。
 まだ、万博はつづく。

万国博に行って来た。

2004年11月26日 | 日本万国博覧会
 日本万国博覧会公式ガイドマップ 財団法人日本万国博覧会協会 昭和45年 200円
 万博ふあんの方が大勢いらっしゃるようなので、続きです。
 当時はこのマップをわざわざ買わなくても、簡易版を配布してましたので、購入しておりませんでした。 が、今見るとイラストがすばらしいんです。シンボルゾーン(お祭り広場がある所)の太陽の塔は、内部まで描いてありまして、わたくしなどは弟と二人でエスカレーターに乗った様子を思い浮かべる訳ですが、以前に日記に書きましたように、内部公開された際に見てみるとあまり覚えてないのですね。これが。。
 ほんと、迷子ワッペンはくっきり覚えてるのに、何てことだろうと思います。
 で、またまたクボタ館で「しょうも無いゲームをして。」と言ってしまった、ちょっと苦い思い出が甦ったりするんです。

 ○今日は、ちょい休暇を取得しまして、東福寺と無鄰庵へ紅葉狩りでした。東福寺は明日テレビ中継があるようですが、すばらしい紅葉でした。当然人は多いです。無鄰庵は、落ちついてまして、ちょっとした穴場ですね。
 帰りに三条通りの旧次田染織がファッション関係のテナントが入ったりして再生してました。良いです。

万国博がやって来た。

2004年11月25日 | 日本万国博覧会
 日本万国博覧会公式ガイド 財団法人日本万国博覧会協会 昭和44年 300円
 先日、万博公園の紅葉を見に行って、かつてのお祭り広場で開催されているフリマを横目に見つつ、ぶらぶらといたしました。
 1970年当時は動く歩道で移動出来た道も、歩くとなると結構遠かったですが、日本庭園にも入ってみました。
 写真は当時購入した(と云っても父親がですが)ガイドブックで、めくるとスタンプやらサインやらがあります。サインと云っても通りすがりの一般の外国観光客のものです。はやったんですね。当時は。
 「ラテナ マジカ」というお芝居と映像を組み合わせたものの半券もはさまれていました。
 内容は断片的にしか覚えていませんが、並んで入ったような気がするのですが、営業的にはあの万博にしては赤字だったそうです。