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男性社会が行きつく所は、戦争か怠惰かのどちらかである。両方かな。

2015-08-31 | 社会問題
これまでの100年を振り返っても、今ほど意味の喪失や意義の損失、理由を不明にする怠け心、そしてそこに与えられた意味が役に立たないことへの苛立ちについて多くが語られる時代にしては内容が弱々しいが、そこで失われたことから喪失されるものが何かを導き出すことも出来ずに、私達は手に入らないものが何なのかも大まかな感情だけで発言するしかないとすれば、これまでのその常識が不確実に表現され、構想され、あるいは以前からその欠落に悩まされていた従来の意味の典型的特性をここで思い出して再確認することは、このようなやべれかぶれの状況にとって決して落ち込む事柄でもあるまい。

人間を世界に向けて友好的もしくは敵対的、あるいは驚異的もしくは好意的な理由付ける能力が未熟な人間性にあるとは思えない。

問題なのは、社会とのスキンシップが上手く行かないからと言って、社会を意のままにするというあの目的から見て唯一の複数の特権的な考えを援助するのではなく、自明ではないもの、社会の不確実な矛盾として認識出来るようにすることにある。

初体験の欲求は、不安定性的な感情を具体的に正しく表せることが現実には困難のようにも感じ取れる。

初体験の欲求は、私達にとって現実の解放感として一つの限界値ともなる世界の有限性への欲求を表すものでもある。

その際、とかく忘れやすいので心に留めておかなければならないことには、他ならぬ楽に生きる方法を見出す手段を奴隷によって自らを怠け者と称するのではまったくなく、それは単に知的な者とは呼ばれずに、苦痛をもたらし争いを招くものである。

楽が出来ると思われるそのそばにあるものは、それは支配である。男性社会の二面性だ。

世界が支配関係から解放可能かどうかを楽が出来ると考えるのが男性社会の馬鹿げた思想である。

欲望や欲求の平均化に対する抵抗や混乱には支配欲求の追及に対する感覚の形式も、その長い歴史的な段階を通じて叙述すべきである。

現実には何が支配可能なものがありうると、ある時は勝ち誇って、またある時はひそやかに言われてきたが、そうした発言を男性社会が継続を委ねないようにすることは、はたしてそれだけの価値があるのかどうか、それを男性社会から無くすことは完全には出来ないように、所見を従来の歴史探究的に確かめるだけでは不十分であり更なる混乱に火を付ける。

奴隷による支配願望や創造の領域を捨て去った後に残る現実とは、違和感のある異質なものとなり、驚いて擬視するしかないもの、しつこく迫りくる場合には隣接など出来ず、そうでなければ放置しておくべきものなのだろうか。

最終的な真理を問う書物や男性社会が問う存在論や歴史哲学や形而上学の中には決して見いだせない。

そうではなく、私達がそうした混乱と向き合いたいのは、他のものに先行し、他の実態を整頓し、その意味合いを変える不可式な確率論ではなく、対象の確定的な真理にありがちな、全体と称して実は一部分の、そしてその社会全体の未決定なままの不可侵性の、未熟な感受性を利用する支配関係の縮図を明確に提示することは、男性社会が再び歴史を繰り返す行為を正当化するその正義論にくさびを打ち込めることが可能になる。

どの様な歴史も完全な不確定性の空間では働けないし、歴史に対象の因果的な法則を単に反射的に追体験するつもりは毛頭にもない。


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