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インチキ・コロナの証明(その二)

2020-04-21 | 社会問題
 4月 21日  火曜日

 おはようございます。  AI.グリーンです。


感情と創造とがマスコミ情報により、

同一性を植え付けられると、絶えず肯定してしまう。

感情と想像は、マスコミの観念と同化するのだ。

思い込まされた観念とは、

与えられるという意味での所与であり一つの洗脳である。

洗脳はある意味で快楽でもあるのだ。

感情と想像と観念との総体であり一体感だ。

感情が情報の渦に巻き込まれると、

想像が常に繰り返すのである。

一切の感情移入が情報の中で作られてゆく。

例を挙げて考えてみよう。

コロナ・ウイルスに効き目があると言われる薬の話だ。

詳しい説明は薬事法によりここでは出来ないが、

確か医師はその薬を患者に勧めた覚えはないし、

コロナウイルスに適しているとも言っていない。

ただ効き目があると言っているだけだ。

それなのにどうしてだろう。

感情的に求めているのは患者の方である。

危険なサインだ。

倫理的にも客観的にも何が一体正しいか判らないうちの処方は、

医師が同意書にサインを求めるのは当然だろう。

つまり、その後の責任は負えない訳だ。

そもそも感情だけの判断はどれも間違っているように、

感情だけでは何が正しいか識別できないのだ。

感情には有益な活動があるのは認めるが、

恒常性や一様性が乏しく、妄想的で一時的で身勝手だ。

感情による作用と反作用の相対である。

それはマスコミ情報による連日報道される総体である。

事実、感情は理性ではない。

心理的な情報の影響による変様に過ぎない。

最も重要なのは、正確な知識である。

なぜなら、

客観的思考が観念を一つの主体として性質付けるからである。

経験則の実績とそれによる因果関係は、

感情的印象と感情的観念の情報に結び付けられる時、

感情的判断が正しさを提起するのは、

経験に基づく良識によるのもではなく、

マスコミ情報の総体の影響によるところが大きいのだ。

実際、マスコミ情報の構成に関する難しい点は、

偏りすぎるところにある。

それでも自然発生的だというなら無理もないが、

繰り返される情報が独り歩きすることは私だって理解できる。

一方的で不安的な情報発信は、

本質的なものより感情的な刺激を構成する一つの図式があるように、

そんな刺激こそ洗脳原理に他ならない。

感情とは人の心の驚愕すべきしかも洗脳されたいという性質がある。

不安に訴えた印象が情緒的に受け入れらてゆく、

その結果によるのもである。

不安、情緒、不安、情緒、不安という洗脳スイッチだ。

中でも一番恐ろしいのは、

大勢の人間の思考が停止した状態こそが最も恐ろしい。

世の中が間違った方向へと進んでゆく時、

人々の思考が停止している状態なのだ。

正しい情報が手に入らなければ、

人はこうも簡単にプロパガンタに乗せられて気づけば、

もう、後戻りできないことろまで来てしまっている。

もう、歴史の教訓は忘れたようだ。





     つづく。



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