さいかち亭雑記

短歌を中心に文芸、その他

一ノ関忠人『群鳥』

2020年03月08日 | 現代短歌
・一ノ関忠人歌集『群鳥』1995年12月 角川書店刊
  以下引用は原著の旧活字を新活字として引く。

  弥生雛飾らむとして妻ぞゐる火をはらみ爛爛とかがやくまなこ

  黄に熟れて稲穂おもたき田の畔(くろ)にたたずみをればためらひふかし

   ※「稲」「穂」「畔」原書は旧活字。以下同様。

  満身にみどりご笑ふその笑ひわれには視えぬものにわらへり

  政治死の美学を説きて陶然たる父亡しすでに秋立つけはひ

  卯の花の粒だつ花のこぼればな踏めるこころは逸楽に似む

  えいさらえい声のみ聞きて曳かれゆく餓鬼阿弥陀仏われは人恋ふ

  声低く鳥鳴けばこの十年のためらひがちなる生を思ふも

  荒寥となびき臥したる夏くさはら踏み入れば鶸(ひは)の群れ翔びたちぬ

  このゆふべ子ぞ生れたると告げやらむ死にたる人は言(こと)なけれども

 自分のいまにつながる伝統的なものの持つ力に対して、心服し、または抗いつつ生きる逡巡を歌いとどめた作品集である。これは現代ではむしろ希少種となってしまった悩みの姿であり、この濃厚な父系と師系とから背負わされるものに対して、どうしても応答してゆかねばならない作者の苦悩が、ここに引いたようなすぐれた自然詠へと昇華されている。生々しい性愛のイメージを時に喚起しながら、零落の神のうそぶきは、常に作者の背中に聞こえている。そこに生ずる、そらおそろしいような実存のおののきが、これらの歌を結晶させたのだ。



『金井秋彦歌集』

2020年03月08日 | 現代短歌
見づらいので昨日の記事を編集し直します。

・『金井秋彦歌集』 2013年7月 砂子屋書房刊

  若描きのディフィの〈港〉の絵を貼りぬ春の日射しの明るむ壁に  金井秋彦

  巻雲のかがやく朝の屍の髪に風の触れゆくやさしさが見ゆ
    ※「屍」に「し」と振り仮名。

 一首目のような明るい歌がある一方で、金井秋彦には二首目のような歌が多々ある。対幻想のなかにある自身と女性をともに「屍」と呼ぶ歌が、歌集『水の上』にはいくつもある。ここには作者固有の秘められた悲劇があるのだが、その具体はついに明かされない。画家になることを断念してのち、生活者としてあり続けるほかはない作者の現実の仕事は痛苦に満ちている。

  わがつくりしギルドも商人はみな狡くおおかたは掠めあいて潰(つい)えぬ 

  商圏という語さえ理解し得ざりし彼らにも生の怨みは重く

  帰りきてしばし寝(い)ねまた係争の場へ出でてゆく病む身責(せ)めつつ

 壮絶なリアリズムの歌である。ここをごまかしていくら歌を作ったってだめなのだ。今の時代は、そういうものが多すぎる。