淡々としていて、罪深く、かなしい。読み終えた感じを一言でいうとそんな感じである。作者なりの修辞的な努力や、構成のうえでの工夫もあって、読みやすく飽きさせない。今は女性が大胆に性愛をうたったからといって特別に話題になるような時代ではないから、この歌集はそういうことをねらって編まれていないと思うが、やはり第一歌集の『発芽』で性愛の歌が話題になった作者であるから、作者も作者を知る者も、どんな歌があるのかな、と多少意識してしまうのは、やむを得ない。でも、父をなくして、子を産まないわれ、ということを題材にした歌や、妹の子供の歌がある一集を前にすると、性愛のことは遊び事ではなくて、家族とか、家庭とか、結婚とか、そういうことと不可分なものなので、それを捨象して純粋に性愛の姿だけがあるなんていうことは、この世にはないのだということに思い至る。
ほの暗い空蟬橋を渡るとき握らずにいた手だったと思う
自転車の冷たい管に触れている手を取らぬまま駅で別れた
わたくしが樹木であれば冬の陽にただやすやすと抱かれたものを
三首目の結句は、「だかれ」でなくて「いだかれ」た、と読みたい。この歌集で「手」の歌は大きな位置を占めている。それは、まさぐる手、つながる手、もとめる手、もとめられる手、たしかめる手である。手のあたたかさ、肌のあたたかさは、寒さのなかで際立つ。体温をたしかめる歌も数多い。だから、結局もとめてやまない「私」がそこにいて、所在ないのだ。拠りどころがないのだ。放り出されているのだ。だから、悲しいのだ。苦しいのだ。
誰かわたしに印をつけよ 葉を落とす冬の木はみな空を指したり
そう言えば、私は作者に「未来」の割り付けの席でリルケの『ドゥイノの悲歌』の文庫本をさしあげたことがあった。もう十年近く前のことだ。その時に作者は、ふふ、と声をたてて笑った。持っていないけれど内容は知っていて、私の苦しみや悩みは、そんなに格調の高いものじゃないんだけど、私の求める天使は、リルケの天使とはちがうんだけれど、というような、薄い自分自身への諧謔をふくんだ笑いだったと、いま思えば思われる。同じ一連から引く。
まだ暗い夜のまま冬はわたくしの羽根をしずかに隠してしまう
冬の日の朝は電話のほのあかりつけて私を確かめている
この歌集は、冬の日の朝に、電話のあかりで自分を確かめているような、無数の所在ない人たちの手元に届けばいいと私は思う。もう少し引こう。
美術館の憤怒の蔵王権現の前の硝子はふたりを映す
雲と蜘蛛が重なっている瞬間をおさめてきみは少し恥じらう
燃え残る骨というもの体内に潜ませ朝の階をのぼりぬ
夢に出る父はこの頃大きくてうしろ姿でもう父とわかる
幻の子を抱き連れて帰る家 夜なれば父の気配しており
二首目は、写真を撮っている歌だ。蔵王権現のような超越的な存在、でも憤怒というかたちがある。夢のなかの父の背もかたちがあって大きい。それにくらべて、わかい男は、たぶんかぼそくて、ゼリーみたいにぶるぶる震える繊細な存在で、私は両者の間に自分の肌をすべりこませている。
吉野山もっと先まで行きたいとあなたにねだる「殺して」みたいに
作者はこれを意識して作ったのかどうかわからないが、現代の性愛の歌と伝統和歌とが、ここでみごとにシンクロしているのだった。
ほの暗い空蟬橋を渡るとき握らずにいた手だったと思う
自転車の冷たい管に触れている手を取らぬまま駅で別れた
わたくしが樹木であれば冬の陽にただやすやすと抱かれたものを
三首目の結句は、「だかれ」でなくて「いだかれ」た、と読みたい。この歌集で「手」の歌は大きな位置を占めている。それは、まさぐる手、つながる手、もとめる手、もとめられる手、たしかめる手である。手のあたたかさ、肌のあたたかさは、寒さのなかで際立つ。体温をたしかめる歌も数多い。だから、結局もとめてやまない「私」がそこにいて、所在ないのだ。拠りどころがないのだ。放り出されているのだ。だから、悲しいのだ。苦しいのだ。
誰かわたしに印をつけよ 葉を落とす冬の木はみな空を指したり
そう言えば、私は作者に「未来」の割り付けの席でリルケの『ドゥイノの悲歌』の文庫本をさしあげたことがあった。もう十年近く前のことだ。その時に作者は、ふふ、と声をたてて笑った。持っていないけれど内容は知っていて、私の苦しみや悩みは、そんなに格調の高いものじゃないんだけど、私の求める天使は、リルケの天使とはちがうんだけれど、というような、薄い自分自身への諧謔をふくんだ笑いだったと、いま思えば思われる。同じ一連から引く。
まだ暗い夜のまま冬はわたくしの羽根をしずかに隠してしまう
冬の日の朝は電話のほのあかりつけて私を確かめている
この歌集は、冬の日の朝に、電話のあかりで自分を確かめているような、無数の所在ない人たちの手元に届けばいいと私は思う。もう少し引こう。
美術館の憤怒の蔵王権現の前の硝子はふたりを映す
雲と蜘蛛が重なっている瞬間をおさめてきみは少し恥じらう
燃え残る骨というもの体内に潜ませ朝の階をのぼりぬ
夢に出る父はこの頃大きくてうしろ姿でもう父とわかる
幻の子を抱き連れて帰る家 夜なれば父の気配しており
二首目は、写真を撮っている歌だ。蔵王権現のような超越的な存在、でも憤怒というかたちがある。夢のなかの父の背もかたちがあって大きい。それにくらべて、わかい男は、たぶんかぼそくて、ゼリーみたいにぶるぶる震える繊細な存在で、私は両者の間に自分の肌をすべりこませている。
吉野山もっと先まで行きたいとあなたにねだる「殺して」みたいに
作者はこれを意識して作ったのかどうかわからないが、現代の性愛の歌と伝統和歌とが、ここでみごとにシンクロしているのだった。
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